ぼくの思うこと想うひと

ふと思うことや想いを起こさせる人などを文字や写真で残したい。そして、誰かの目にとまることがあれば…… 

2014 広島「原爆の日」平和記念式典

2014-08-06 20:26:50 | Weblog
〔写真1:表紙;2014広島平和記念式典〕
平成26年(2014年)8月6日、「原爆の日」を迎えた広島市は、第69回目の平和記念式典を執り行った。昭和46年から43年ぶり、雨が降る中での式典となった。

〔写真2:雨の中の記念式典〕

平成26年の記念式典は、広島市公式ウェブサイトで次のように式次第が案内された。

開催日時:平成26年(2014年)8月6日(水) 午前8時~8時45分
式次第: 
 1開式           (8:00)
 2原爆死没者名簿奉納       (8:00)
 3式辞           (8:02)
 4献花           (8:07)
 5黙とう・平和の鐘       (8:15)
 6平和宣言          (8:16)
 7放鳩          
 8平和への誓い         (8:22)
 9あいさつ            (8:26)
 10ひろしま平和の歌(合唱)   (8:40)
 11閉式             (8:45)

このブログの筆者は、毎年NHKの中継・報道を観て、式場の参列者と一緒に黙とうをささげている。
今年は、式次第(1開式)から(9あいさつ)までが中継された。

NHKテレビとオンライン新聞の報道から2014平和記念式典の概要を以下にまとめた。

今年の参列者
約4万5千人が参列(昨年は5万人)。68カ国と欧州連合(EU)の代表が参列した。米国のキャロライン・ケネディ大使が始めて参列した。

原爆死没者名簿を松井市長と遺族代表が慰霊碑に奉納
この一年間に死亡が確認された5,507人の原爆死没者名簿を新たに奉納。名簿は計292,325人分となった。
国内外の被爆者が初めて20万人を割り込み、今年3月末現在で192,719人となり、平均年齢79.44歳と高齢化した。

平和宣言(松井一実市長)
『平和宣言で松井市長は、被爆者4人の体験談を紹介。「あまりにも凄絶(せいぜつ)な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ話し始めている。ヒロシマ・ナガサキの悲劇を繰り返さないため、被爆者と共に伝え、考え、行動しましょう」と呼びかけた。また、核保有国の代表者らに被爆地を早期訪問するように求めた。』(読売新聞から引用)
『松井市長は平和宣言で、学徒動員の建物疎開中に被爆した中学生や原爆孤児の体験談を紹介しながら核兵器を「絶対悪」と指摘し、その非人道性を強調。世界の人々に「凄惨(せいさん)を極めた地獄や被爆者の人生を自分のこととして考え、核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者とともに伝え、考え、行動しましょう」と訴えた。』(産経新聞から引用)

〔写真3:平和宣言(松井一実市長)〕
※平和宣言は、広島市公式ウェブサイトの「原爆・平和」⇒「平和宣言」のページで平成26年の全文を読むことができます。⇒(ここ)

平和への誓い(広島市立小学校生徒)
広島市の小学生1万人余から選ばれた、牟田くんと田村さんが「平和への誓い」の言葉を述べた。
はじめは祖父や祖母の被爆体験を信じることができませんでした。けれども、被爆した人々がすべての普通の生活を失ってしまったことが分って、当たり前であることの大切さを知りました。いま、私たちは、平和を守るために、小さなこと・できることから初めています。みなさん、平和について、これからについて、語り合いましょう。

〔写真4:平和への誓い(牟田くん、田村さん)〕

あいさつ(安倍総理大臣)
『安倍首相はあいさつで、来年が被爆から70年の節目であることを踏まえ、「核兵器のない世界を実現する取組みをさらに進める」と表明。昨年12月の原爆症の認定基準緩和について、多くの人が認定されるように努力すると誓った。』(読売新聞から引用)

〔写真5:あいさつ(安倍総理大臣)〕

〔写真6:NHKテレビ中継〕

※雨が降っていたからだろうか、放鳩は中止された。(中継されなかった)

過去・現在・未来の結び方
平成26年の広島「原爆の日」の平和記念式典は、被爆後69回目であった。そして、被爆生存者が全国で20万人を下回って、平均年齢が79歳と高齢化している。
総数や平均値といった数字で、平和記念式典のプロット(plot、筋)をたどると、
・69年前、10歳前後の子供たち(第一世代)は人類初の被爆体験をした。
・当時の子供たちの心と記憶(脳裏)に刻み込まれた被爆体験は、1日で14万人にも及ぶおびただしい数の
 死者、父母といった肉親との別離、孤児となって飢餓に苦しむ日々、など、いたましくむごたらしい内容
 であった。
・平成26年の今、昔の子供たち(第一世代)から70年を経た10歳前後の子供たち(第三世代)に、こうした
 惨事が平和であることの大切さとと共に語り継がれている。
・第三世代の子供たちが「原爆の日」に『平和の誓い』を声高らかに宣言した。
・被爆地の記念式典で、第二世代の人が政治の執行責任者として『核兵器のない世界を目指す』と発言した。
 
式次第として構成された『平和宣言』⇒『平和の誓い』⇒『あいさつ』というプロットを「物語」で終わらせないためには、どうすれば良いのだろうか。

この項おわり

〔引用・参考情報〕
・広島市公式ウェブサイト
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/toppage/0000000000000/APM03000.html
・NHK 総合TV  「平成26年 広島平和記念式典」(中継)
・69回目の広島原爆忌…ケネディ大使ら式典参列 読売新聞 8月6日(水)8時51分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140806-00050026-yom-soci&pos=5
・広島原爆の日 雨の中、犠牲者を追悼 市長「信頼と対話で安全保障を」
産経新聞 8月6日(水)15時21分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140806-00000128-san-soci


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2 コメント

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あれから69年・・・ (♪次♪)
2014-08-10 12:58:42
終戦・・年と毎年記念日がカウントされている。
69年も経ったんだと思うと、私たちの時代、日本は終戦という言葉を言い続けてきたと言うことは、ある意味幸せだったのかも知れない。
とはいえ、未だに原爆の後遺症で苦しんでいる人、家族を亡くして悲惨な体験をしてきた人々など思えば、感慨深いものがあります。

私の住んでいたところは、ご存じの様に旧八校校舎のすぐそば、四方を山に囲まれていて全く戦火とは無縁でした。
戦争の記憶が殆ど無いのです。

被爆体験者が、またその家族たちが、毎年この時期になると、辛かっただろうな、思い出したくないだろうなと思えるような体験を伝えています。
次世代の若者たちは、しっかりと受け止めて欲しいです。
海外で起こっている戦争で犠牲になっている大人、子供たちの映像をしっかりと脳裏に刻んで、これからの平和な日本を、いや世界を作って欲しいものです。

一部の国が保有している核兵器、これからどうなるのでしょう。

つかさんの最後の文に同じ思いを感じます。
~式次第として構成された『平和宣言』⇒『平和の誓い』⇒『あいさつ』というプロットを「物語」で終わらせないためには、どうすれば良いのだろうか。~
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終戦の日と敗戦の日 (つか)
2014-08-12 07:50:22
♪次♪さん

コメントありがとうございます。
私たちは、身をもって戦後の様々な出来事のなかで生きてきた世代ですね。
長生きしているおかげで、戦後の歴史を生きてきたとも言えそうです。

私は旧満州の国境に近いところで生まれ育ちました。
8月9日の朝、ソ連軍の空爆を受けて逃亡。
 翌年(1946年)6月に引揚げ船で帰国しました。

私にとっては、8月9日は「敗戦の日」です。
そして、8月15日は「終戦の日」なのです。

♪次♪さんのように、「終戦の日」を迎えた人たちがいると思います。
その一方で、それぞれの「敗戦の日」がある人たちがいると思います。
広島の人たちは8月6日、長崎の人たちは8月9日、ではないでしょうか。

広島や長崎に匹敵する沖縄の「敗戦の日」があります。
こういう考え(思い)も歴史認識に必要で、多くの国民におびただしい「敗戦の日」があることを歴史に残さなければなりません。

これからの日本は、様々な困難や苦難に直面したとき、我慢して耐える国でありたいですね。
そういう国になることができるような日本人を育てる教育をしてほしいと考えます。 

つか
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