1989年のクラシックは、長くみてきた中では最も印象が低い年であった。皐月賞はドクタースパート、ダービーはウイナーズサークル、菊花賞はバンブービギンであるが、レースもさすがに覚えてはいるものの、どれも印象は弱い。皐月賞馬ドクタースパートはラストランとなったステイヤーズステークスこそ勝ったものの、そこまでのすべてのレースで掲示板にすら載れない惨敗を繰り返した。ウイナーズサークルとバンブービギンはともに菊花賞での早期引退が、この世代の印象を弱めたことは間違いない。要するにこの世代は、古馬となってから上の世代に挑むことすらなかったのである。詳しく調べたわけではないが、この世代で古馬G1を取ったのはオサイチジョージだけではないかと思う。
さてこの年は古馬戦線に異状があり、タマモクロスが引退した後に競馬界を引っ張っていくはずだったオグリキャップとスーパークリークが春シーズンを全休。その間にのし上がってきたのは、大井競馬出身の野武士イナリワンだった。鬼のいぬ間の洗濯などではない。この馬が上記の馬たちと互角の競馬ができる優駿だったことは間違いなく、武豊を背に春の天皇賞と宝塚記念を連勝したのだった。秋は柴田政人に乗り変わって、毎日王冠から始動、ここであのオグリキャップと初対決。この、ともに地方競馬出身同士は府中の直線で激しく叩き合ってハナ差でオグリキャップが勝利した。
天皇賞秋はこれまた復帰してきたスーパークリークが勝ち、2着はオグリキャプ、3着はメジロアルダンで、3着までの着差はクビ、クビというもので、このレースの直線の攻防は歴史に残るものだと思っている。メジロアルダンはG1には縁がなかったものの、相応の実力があったことは間違いない。イナリワンは6着に敗退。この馬から馬券を大量に買ったために、しばらく立ち直れないほどの痛手を受けたことを覚えている。
この年秋のオグリキャップのローテーションは常識外れのもので、オールカマー、毎日王冠、天皇賞秋、マイルチャンピオンシップ。ジャパンカップ、有馬記念と続いた。この年の春に新しい馬主がオグリを購入しており、高額だったその資金回収のためだと噂されたが、まあ事実だっただろうと思う。マイルチャンピオンではバンブービギンをハナ差で下し、連闘となったジャパンカップではホーリックスとクビ差の2着、さすがにこのあたりから、この馬は化け物かもしれないと、多くの者が思ったのだった。
迎えた有馬記念、イナリワンがスーパークリークをハナ差で下して、この年3つ目のG1を獲得した。天皇賞秋を6着、ジャパンカップを11着と大敗して株を下げていた同馬だったが、グランプリで見事に雪辱を果たした。4番人気だったこの馬の単勝馬券で、秋天のマイナスを埋めて、この年を終えることができた。当時の競馬仲間2人もイナリワンで勝負して、全員で雄叫びを上げたのだった。「第三の男」を愛する者は意外と多いのだ。
イナリワン 1989年有馬記念
スーパークリーク、オグリキャップ、イナリワンを3強と呼ぶ人もいる。クラシックでしのぎを削ったわけではないが、確かにこの3頭は強かったし、何より個性的だった。オグリキャップには野生の躍動感が、スーパークリークには完成されたサラブレッドの美が、イナリワンには文字通り野武士のようなたくましさがあった。彼らはどれもが種牡馬としては駄目で、その血脈は途絶えようとしている。何度も書いてきたことだが、そのことがやはり寂しい。
この年の3歳馬で思い出に残るものはあまりいないが、強いて挙げれば、デビュー3年目の武の見事な騎乗で桜花賞を勝ったシャダイカグラ、有馬記念で3着に入ったサクラホクトオー(雨がからっきし駄目だったことで有名)あたり。
1989年。昭和が終わり平成へ。中国では天安門事件、ベルリンの壁崩壊。消費税がスタート。宇野首相女性スキャンダル、美空ひばり、手塚治虫逝去。映画『魔女の宅急便』、『レインマン』、音楽は「とんぼ」、「世界でいちばん熱い夏」、「川の流れのように」などがヒット。リゲインのCM「24時間戦えますか」が流行。今振り返っても激動の時代だった。テレビでベルリンの壁が壊される映像を感激しながら見ていた。人間のすごさに感動した。まだ26歳だった。何かをせねばという気になり、とりあえず最初に入った当時の会社を辞めて、自分の人生を変える決意をしたのがこの年だった。何だか感無量である。あの時代に対する高揚感とイナリワンの有馬記念は自分の中では無縁じゃない。あのときの雄叫びは、馬券とか、金とか、ただそれだけのものでは決してなかった。
さてこの年は古馬戦線に異状があり、タマモクロスが引退した後に競馬界を引っ張っていくはずだったオグリキャップとスーパークリークが春シーズンを全休。その間にのし上がってきたのは、大井競馬出身の野武士イナリワンだった。鬼のいぬ間の洗濯などではない。この馬が上記の馬たちと互角の競馬ができる優駿だったことは間違いなく、武豊を背に春の天皇賞と宝塚記念を連勝したのだった。秋は柴田政人に乗り変わって、毎日王冠から始動、ここであのオグリキャップと初対決。この、ともに地方競馬出身同士は府中の直線で激しく叩き合ってハナ差でオグリキャップが勝利した。
天皇賞秋はこれまた復帰してきたスーパークリークが勝ち、2着はオグリキャプ、3着はメジロアルダンで、3着までの着差はクビ、クビというもので、このレースの直線の攻防は歴史に残るものだと思っている。メジロアルダンはG1には縁がなかったものの、相応の実力があったことは間違いない。イナリワンは6着に敗退。この馬から馬券を大量に買ったために、しばらく立ち直れないほどの痛手を受けたことを覚えている。
この年秋のオグリキャップのローテーションは常識外れのもので、オールカマー、毎日王冠、天皇賞秋、マイルチャンピオンシップ。ジャパンカップ、有馬記念と続いた。この年の春に新しい馬主がオグリを購入しており、高額だったその資金回収のためだと噂されたが、まあ事実だっただろうと思う。マイルチャンピオンではバンブービギンをハナ差で下し、連闘となったジャパンカップではホーリックスとクビ差の2着、さすがにこのあたりから、この馬は化け物かもしれないと、多くの者が思ったのだった。
迎えた有馬記念、イナリワンがスーパークリークをハナ差で下して、この年3つ目のG1を獲得した。天皇賞秋を6着、ジャパンカップを11着と大敗して株を下げていた同馬だったが、グランプリで見事に雪辱を果たした。4番人気だったこの馬の単勝馬券で、秋天のマイナスを埋めて、この年を終えることができた。当時の競馬仲間2人もイナリワンで勝負して、全員で雄叫びを上げたのだった。「第三の男」を愛する者は意外と多いのだ。
イナリワン 1989年有馬記念
スーパークリーク、オグリキャップ、イナリワンを3強と呼ぶ人もいる。クラシックでしのぎを削ったわけではないが、確かにこの3頭は強かったし、何より個性的だった。オグリキャップには野生の躍動感が、スーパークリークには完成されたサラブレッドの美が、イナリワンには文字通り野武士のようなたくましさがあった。彼らはどれもが種牡馬としては駄目で、その血脈は途絶えようとしている。何度も書いてきたことだが、そのことがやはり寂しい。
この年の3歳馬で思い出に残るものはあまりいないが、強いて挙げれば、デビュー3年目の武の見事な騎乗で桜花賞を勝ったシャダイカグラ、有馬記念で3着に入ったサクラホクトオー(雨がからっきし駄目だったことで有名)あたり。
1989年。昭和が終わり平成へ。中国では天安門事件、ベルリンの壁崩壊。消費税がスタート。宇野首相女性スキャンダル、美空ひばり、手塚治虫逝去。映画『魔女の宅急便』、『レインマン』、音楽は「とんぼ」、「世界でいちばん熱い夏」、「川の流れのように」などがヒット。リゲインのCM「24時間戦えますか」が流行。今振り返っても激動の時代だった。テレビでベルリンの壁が壊される映像を感激しながら見ていた。人間のすごさに感動した。まだ26歳だった。何かをせねばという気になり、とりあえず最初に入った当時の会社を辞めて、自分の人生を変える決意をしたのがこの年だった。何だか感無量である。あの時代に対する高揚感とイナリワンの有馬記念は自分の中では無縁じゃない。あのときの雄叫びは、馬券とか、金とか、ただそれだけのものでは決してなかった。
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