パパ猫日記

パパの日記です。
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船場吉兆廃業 甘い経営、財界も見放す

2008年05月29日 | ニュース
船場吉兆が廃業を決めたことについて、常連客も多い関西財界は「仕方のないこと」と冷静に受け止めた。食品表示偽装発覚後の経営再建中にもかかわらず、料理の使い回しも新たに発覚。「本当に食文化を大切にしたいという気持ちがあったのか。これでけじめがついたのでは」(小池俊二・サンリット産業社長)という声に代表されるように、その経営姿勢の甘さと企業体質を指摘する声が相次いだ。  偽装発覚当初は、関西財界からは厳しい批判の一方で「経済界でも(再建を)応援したい」(財界関係者)という声が上がるなど、なじみの深い老舗を応援する動きもあったという。ところが、料理の使い回しの事実が発覚したことで、支援を考えていた関西財界にとって2度目の裏切りに愛想が尽きた格好だ。  大阪商工会議所の野村明雄会頭は「本当に落胆、失望した。残念という気持ちを通り越している」と発言しており、事実上、船場吉兆を見限るような態度を示した。  関西財界人にも「使いやすい店」としてなじみ深かった船場吉兆だったが、その歴史はあまりにも後味の悪い形で閉じられる。                    ◇  ■のれん分け後、独自路線  吉兆は昭和5年、神戸市内の料理屋の跡取り息子だった故・湯木貞一氏が独立し、大阪市西区に小料理店「御鯛茶処・吉兆」を開いたのが発祥。茶懐石の精神を盛り込んだ独創的な料理を世に送り出し、日本を代表する高級料亭へ急成長を遂げた。その功績が評価され、貞一氏は昭和63年には料理人として初めて「文化功労者」にも選ばれている。  その後、貞一氏の1男4女が店を継承。一人息子だった長男には大阪・高麗橋の「本吉兆」(大阪市)、料理人と結婚した4人の娘は、長女夫婦から順に「東京吉兆」「京都吉兆」「船場吉兆」「神戸吉兆」とのれん分けし、平成3年に株式会社として独立した。  5社はともに「吉兆」の名前で営業しながら、直接の資本関係がなく経営方針や価格設定などは、それぞれの会社で独自に決めていた。今回、廃業方針を決めた船場吉兆は平成7年、若者が集まる大阪・心斎橋のファッションビル「OPA」内に新店をオープンさせたほか、16年には外部発注で総菜や菓子の販売を始めるなど、グループ内でも独自の経営路線を示す存在だった。