人が一人亡くなっても世の中が何一つ変わることなく無情に回り続けている現状に虚無感を抱いたあの日から、早7年の月日が経とうとしています。
あの日、私は深い悲しみの中にいて絶望の岸壁に一人立っていました。
何度も何度も繰り返し繰り返し自らの命を絶とうとして・・。
今夜は昨日亡くなった幼なじみのお通夜です。
明日はお葬式。
幼なじみの顔を見るのが怖くて、もうあの悲しみは繰り返したくなくて、私は臆病な自分を守ろうとしています。
人が一人亡くなるということは、尋常なことではありません。
たとえ世界が何ごともなかったように回り続けていたとしても、大切な人が逝った後、この世に残された側は狂気です。
正気ではいられません。
だからね、どうかどうか与えられた命は、その最期の日まで燃やし続けてほしいなと思うのです。
自ら命を絶とうと考えたとき、一瞬でいいから思ってほしい。
自分が亡くなることで悲しみ、苦しみ、怒り、狂う人がいるということを。
生きている、それだけで喜んでくれている人がいるということを知ってほしい。
私は自分が生きることが、亡くなった人への供養だと思っています。
そして、時々亡くなった人のことを思い出してあげて、亡くなった人の懐かしい思い出をみんなで話してあげることが最大の供養だと思っています。
幼なじみは若くして逝きました。
私は生きています。
与えられた命に、やっと感謝することができはじめている今日このごろ。
死へ向かって1日1日命を削っている毎日。
改めて私は私の命に、寿命に感謝します。
人は儚いものかもしれない。
人生なんて本当に本当に短くて、ちっぽけなものかもしれない。
だけどね、ほらこんなに人は温度をもってる。
温度は温かいだけではないけれど、冷たいときもあるけれど、それでも生きていけるのは温度があるからなんだよね。
人は弱いばかりじゃない。
人は本当は強いんだから。
今までこうして生きてきたのだから。
凍える夜を何度も何度も超えて、今こうして暖かなぬくもりに包まれている私は生きてきてよかったと感じてる。
凍えている真っ只中で冷たいまま死を迎えなくてよかったと思ってる。
こんなに暖かな毎日の中、生きていけることを心から感謝して。
幼なじみの友人が天国で幸せになれますようにと、切に願います。
そして、今まで生きてきてくれてありがとう。
たくさんの思い出をありがとう。
一生忘れません。
あの日、私は深い悲しみの中にいて絶望の岸壁に一人立っていました。
何度も何度も繰り返し繰り返し自らの命を絶とうとして・・。
今夜は昨日亡くなった幼なじみのお通夜です。
明日はお葬式。
幼なじみの顔を見るのが怖くて、もうあの悲しみは繰り返したくなくて、私は臆病な自分を守ろうとしています。
人が一人亡くなるということは、尋常なことではありません。
たとえ世界が何ごともなかったように回り続けていたとしても、大切な人が逝った後、この世に残された側は狂気です。
正気ではいられません。
だからね、どうかどうか与えられた命は、その最期の日まで燃やし続けてほしいなと思うのです。
自ら命を絶とうと考えたとき、一瞬でいいから思ってほしい。
自分が亡くなることで悲しみ、苦しみ、怒り、狂う人がいるということを。
生きている、それだけで喜んでくれている人がいるということを知ってほしい。
私は自分が生きることが、亡くなった人への供養だと思っています。
そして、時々亡くなった人のことを思い出してあげて、亡くなった人の懐かしい思い出をみんなで話してあげることが最大の供養だと思っています。
幼なじみは若くして逝きました。
私は生きています。
与えられた命に、やっと感謝することができはじめている今日このごろ。
死へ向かって1日1日命を削っている毎日。
改めて私は私の命に、寿命に感謝します。
人は儚いものかもしれない。
人生なんて本当に本当に短くて、ちっぽけなものかもしれない。
だけどね、ほらこんなに人は温度をもってる。
温度は温かいだけではないけれど、冷たいときもあるけれど、それでも生きていけるのは温度があるからなんだよね。
人は弱いばかりじゃない。
人は本当は強いんだから。
今までこうして生きてきたのだから。
凍える夜を何度も何度も超えて、今こうして暖かなぬくもりに包まれている私は生きてきてよかったと感じてる。
凍えている真っ只中で冷たいまま死を迎えなくてよかったと思ってる。
こんなに暖かな毎日の中、生きていけることを心から感謝して。
幼なじみの友人が天国で幸せになれますようにと、切に願います。
そして、今まで生きてきてくれてありがとう。
たくさんの思い出をありがとう。
一生忘れません。