Blue Renaissance 青の革命

エッセーか?ストーリーか?分かりませんが書きます。テーマは「人の創造力の可能性」。

ミクロ現象とマクロ現象

2007-02-08 12:08:27 | Weblog
あらゆるミクロ現象は、「無作為」で、法則性がありません。
また、それとは逆にマクロ現象は、明らかに法則性を持ちます。
まずは、ミクロ現象や、マクロ現象が何かを明確にします。

<個と集合体>
個人が集まって、社会を形成しています。この場合、個人の振る舞いをミクロ現象、社会のことがマクロ現象です。また、細胞が集まって個人を形成する時、細胞がミクロ、個人がマクロです。(個人=ミクロ現象とは一概に言えません。)
「個の振る舞い」がミクロ現象、その「集合体の振る舞い」がマクロ現象です。
分子(ミクロ)と物質(マクロ)、生徒(ミクロ)と学校(マクロ)など、
様々な「関係」で捉えることができます。

<ミクロ現象=常に無作為>
ミクロ現象の最大の特徴は、「完全に無作為」であることです。数学的には、「完全な乱数列」として機能します。理科で習った「ブラウン運動」などが好例です。
「個人の振る舞いは特定できない」ということでもあります。個人の趣味、心情、感情、は他者には絶対に特定できません。

<マクロ現象=法則を持つ>
マクロ現象は、様々な法則を持ちます。個人の振る舞いは予測はできませんが、
人の集合体である社会となると完全に「予測」が可能になってきます。
これは、物理でも、経済でも、何にでも見られることです。

<ミクロ現象とマクロ現象の関係>
マクロ現象を観察することで、ミクロ現象を「確率的に予測」できます。
「この人が何を買うか?」は全くわかりませんが、「この店で、なにかがどの程度売れるか?」は、「確率的に予測」できます。
また「雨が降れば、傘が売れる」というのも典型です。これは、「社会の状況」が「雨降り」ということで、「傘が売れる」ということが予測できるためです。
所得問題も同じで「社会の状況」が好景気の時は「みんな金持ち」でした。
そして今は、「みんな貧乏」です。
これも、「社会の状況」というマクロ現象が、個人所得というミクロ現象に影響を与えた結果です。

<場の力=マクロ現象の持つ影響力>
「社会」は「場」という考えで統合して考えられます。物理学では、も「磁石が影響受ける場」を「磁場」、「電気が影響を受ける場」を「電場」、「重さが生じる場」を重力場といいます。経済でいう「社会」も「場」として考えることができます。この「場」は、ミクロ現象に「影響」を与えます。

<無作為が生む「均一」>
紙に「無作為」に点を打っていった場合、その数が多いほど、「より均一」に点が書かれていきます。電波の場合には、ホワイトノイズとして全周波数に均等に発生します。光でいえば「白い輝き」となり、重力場で言えば素粒子を生みます。最初、点が少ないときには均一性は希薄ですが、点が打たれるほど次第に、均一性が増してきます。これが「エントロピーの法則」の根拠になってきます。

<エントロピーの法則>
ガラスが割れる、これが典型です。
「形在るもの」が「壊れていく」のは、「統一」が「均一」に向かうとも
言えることで、人の社会の歴史も、この法則に支配されています。
人が、より自由を望む根拠ともいえるわけです。
物理学では、高エネルギー状態が低エネルギー状態に向かう、とも言います。
コップは割ることができます。更に、その欠片を割ることができます。
それを繰り返すうちに、「もっとも細かくなる」と割れなくなります。
コップを形成していた「ガラス」はその時点で変化を止めます。
「変化が止まった状態」のことを「安定」と呼んでいます。
「安定」した状態は「より均一化した」とも言えます。

エントロピーの法則は、「バラバラにしていく(均一にする)」という「力」を示しています。経済・社会も、この法則に支配されるのは人の「集合体」というマクロ現象であるからです。


<無作為=「偶然」の集積>
「紙に点」を打つ場合、そこに点を打った理由は存在しません。
ですから、「偶然」同じ場所に、点が打たれることもあります。
もし、全く同じ場所に点が打たれないようにしたなら、それは「作為」であって「無作為」とは言えなくなり「均一性」も失います。
「偶然」は「意味が無い」ということでもあります。ですから「偶然」に「意味付け」をするとすべてを見間違う理由になります。

<マクロ現象に必然性を与える無作為>
「偶然の集積」は「均一」という「必然性」を持っています。
「一つの点」はどこに打たれるか全く解らないのにそれを数多く打つと「均一」になります。
「必然性」は「法則」とも呼ばれ「偶然」とは対極的なものです。
これがマクロ現象が法則(必然性)を持つ理由となっています。

<完全な均一>
「完全な均一」となった場合、そこには「変化」が生じません。
「これ以上割れないほど割れたガラス」の状態です。「点で真っ黒になった紙」も同じです。しかし、何らかの理由で、「不均一」である場合はどうでしょう?
この「不均一」の状態が「場の力」となってきます。電場は、+の電気か-の電気が多いと、発生します。そのため、ミクロ現象である「電子の振る舞い」に影響を与えます。もし、両者が均一なら、そこに影響力は何も生じません。
経済・社会も同じで、不均一が、変化させる力を与えます。
もし「完全な均一」状態なら、社会は安定化し、変化を停止します。
しかし歴史は「完全に均一」状態にはなった事がないことを教えています。
しかし、また、経済・社会が、あらゆる意味で「均一化」に向かって変化を続けていることも教えてもくれます。
この「均一に向かう方向性」は、予測に不可欠な要素です。
ミクロ現象が持つ「無作為」は、「均一」という「必然性」によってマクロ現象に「法則」を与えます。また何らかの理由で「不均一」になった場合、「均一に向かう力が働く」こともはっきりとしています。

これらは、物理学とか、経済学とか分けなくとも、統一して理解が進みます。