「日本文化原論 真なる調和への道 」 美粋書房 横山俊一

私は神道や仏教を根にする伝統文化慣習に携わりました経験を軸に『日本文化原論』と題し執筆活動を展開しております。

事実上の標準と形式上の標準、及び根拠の思想世界観

2022-12-06 05:26:29 | 日記

1)事実上と形式上の標準及び根拠の思想世界観

何によって事実上の影響を生み現象と出現したか。原因と結果の相関を問う観点を生む。公性の組織において定まる基準と公性に影響を与え公性の標準に取り入れられた基準といった認識を生む。公的資格と民間資格などという色分けも、実際にいずれが多く採用されているか。実際上の公性はいずれに在るか。こうした観点に事実上の標準と形式上の標準なる概念と中身を生む。

組織図が形成されて、そこに人材が配置される。組織図通りに事業体の意思形成があるか。或いは、組織図とは異なった意思形成の過程が見られるか。政治や国会で定められた法律も、どのような過程を経て、基準と定まり運用されるか。或いは、市場で運用されている基準を国会で採用し公性の配置を生み稼働させる形を示すか。政治と経済の相関を見る。行政で運用される法律に対し政治による変化を企て、法律を改正するか等々の観点を生む。

辺に力みの激しい欲求を起こし事実上の標準を捻じ曲げ、手柄を盗み出す現象も見られる。構造的な優位と物理的力の優位をもって、事実上の基準を歪め、利己性の強い装飾を図り自利と成長を求める歪性が現れる。表向き小綺麗な姿を演じながら実際は力の原理に偏る手法を用い自己支配力を保つ歪性が形成される。法の支配と力の支配という質実を生む。

あまりに、堂々とした真理性の追究と性質から外れ力の支配性が進むと健全な因果と創造の基調を破壊する。歪な地位の固定化を企て物的力によって情報操作を図る事への警戒が生まれる。形式的な公性の組織や配置に縋り、事実上の因果を軽視して異様な力の支配を求める対象への問題視が高まる。概念と実際の乖離を広げる歪な根源性に映る。生命と人間の根本性を崩す歪性への削減をもって正常に修復される。

情報集計や発信の作用に適正を欠くと金の原理に作用される。多くの金品を支払う対象の意向が強まり、事実上の因果を歪め私的性の利益追求と閉鎖的な利権を求め歪な領域性を招く。何を選択し、どのような優先序列を構成し何を伝達するか。その根拠を示す事が求められる。そもそもとなり得る標準概念としてある程度纏まりを有する因果の体系観を事前に用意し内外へ明示し、個々の現象を作り出す過程と結果の因果を記録し検証性を得られるように仕組みを構築する事が求められる。こうした仕組みが不十分である領域は力と運用の適正を崩し歪な格差性の強まる領域を招き社会と生態の歪性を拡大させる。生態の根幹的な仕組みに不良と欠陥を生じさせる。

三権分立と統合の概念に対し、実際の歪性を起こす原因や動力源は、どこにあるか。負の動力源を特定し過剰な力を削減させる対処策が投じられ具体の改善に回る。閉鎖性と不透明性は歪性を深め広げる原因となる。負の原因を削減する検察や司法、警察や自衛隊という実行力が、適正な情報と解釈と運用により正常性が持続する。おおもとになり得る思想世界観を堂々と纏め内外へ公開する作為に初動性を生む。妙な支配欲が前のめると、然るべき作為と手順の歪みを起こす。力と適正な運用を外す歪性を特定し削減する事が要る。その根拠に思想世界観が配置される。

デファクトスタンダードISO、DIN、JISなどの標準化機関等が定めた規格ではなく、市場における競争や広く採用された「結果として事実上標準化した基準」を指す。デファクトスタンダードに対して、国際標準化機関等により定められた標準をデジュリ(デジューレ、デジュール、デジュア)スタンダード(英語: de jure standard)と呼ぶ。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サイバー犯罪で、他者の論文を盗み読み用いる行為は根の深い病理質を伺う。この手の虫けら気性を放置する領域はインフラに欠陥が映る。インフラ自体に不良を持つ領域は生存と成長の軌道から外れる。深刻な病理質を削減させる施策が高まらぬと、健全な生命観の実感が遠ざかる。


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