- 幸福の科学指導霊団は五百人もの大変大きな指導霊団です。
- 地上で事業を起こす際に、かつてこれだけの大霊団がチームを組んだことはありません。
- この意味では、天上界の霊にとってもまったく新しい経験であります。
- それともう一つ、天上界においてもお互いに面識のなかったような高級霊たちが、この幸福の科学の活動を縁として面識を持つことができるという事実もあります。
- このようななかで、最初は意見の違うところもあったものの、指導霊団の主な意見は一致してきました。最初は寄り集まりの観を呈していたところから、次第しだいに意識の統一を図ってきました。
- 一つの方向を出さないと、地上にいる人間が混乱します。そのため、エル・カンターレを中心として天上界における意志の統一が行われていったのです。そして、一つの教えを地上で成就するために、多くの人たちが協力し合うという姿勢を敷いてきたわけです。
- 八正道の領域のなかでの「正思」を取ってみた場合に、「根本は神仏の心である」という視点を忘れてはなりません。自分流の心ではないのだということです。これを間違えてはいけません。
『真説・八正道』 第3章 正思
- 「神の教えは、AでもBでもCでもDでもよい」ということを意味しているのではありません。この点をしっかりつかまないと、「正しい思い」ということは絶対に分からないのです。
- この多様性の解釈を間違って、「Aの考えでも、Bの考えでも、Cの考えでもよい」ということで、何でもよいことにしてしまったら、八正道のなかの「正思」は存在の意味はありません。
- 「それぞれの人が、それぞれの都合ですればよい」というのであれば、「正思」は存在の意味がりません。「それぞれの人が、それぞれの都合ですればよい」というのであれば、「正思」が探究の目標にはならないはずです。
- したがって、あくまでも、「究極において一点に集まるものがある」ということを忘れてはならないのです。一点から分かれてきたものは、それぞれの魂の道筋において、過程において、学ぶべきものとして提示されているのです。
- この一つの道筋のなかにあるものにとって気をつけなければならないことは、「自分の考え方が絶対だと思ってはならない」ということです。寛容の心を持ってそれぞれの道筋を認めながら学ばなければならないのです。
『真説・八正道』 第3章 正思
- なぜ、多様性を多様性のままで置いておくと問題があるのか、また、多様性の認識が出てくるのか。
- なぜ、こうした教えや考え方が多様に見えるのかといえば、それは、私の意識によるわけです。
- 私は、他の救世主や、如来あるいは菩薩といった方々が、何らかの教えを説こうとして語りかけていることに関し、コメントをすることはできますし、意識の上下の違いを説明することも可能です。しかし、そのように意識の段階差があるものであっても、それを見た地上の人がそのまま模倣したらどうなるでしょうか。地上ではその違いがまったく認識できず、平面的にしか見えないわけです。平面的に広がった意識の違いでしかなくなるのです。
- 私(著者)は、それぞれの意識に横の空間的な違いがあるだけでなく、上下にも前後にも違いがあることもはっきりと分かっているので、「この人の考えは、霊界の座標軸に照らし、縦・横・高さで見るとどの位置にある考え方なのか」ということも分かります。
- ところが、普通の人間には、平面的にしか捉えることができません。そのため、自分たちの座っている、あるいは立っている平面のどこかに割り当てようとします。すなわち、高級霊の意見の相違を、自分とは違う考え方を持っている人との意見の相違というように考えてしまうのです。これは、三次元以降の多次元空間の座標軸を、二次元的、平面的に焼き直して理解しているということです。そのように翻訳の仕方に違いがあるということの意味を知らなければなりません。ここを間違うと、「正思」は絶対にできないのです。
- そこで、その次なる段階として、多様であったものを統一していく必要があるわけです。
- その統一をしようとしている意識がエル・カンターレなのです。
- では、なぜ、上位にあるものが出て来て意見をまとめようとするのでしょうか。ここには、どうしても「信仰心」の問題が出てくるのです。
- 信仰心とはいったい何でしょうか。それは「神の世界を知る力」です。信仰心なくして、この世界を知ることはできないのです。
- 信仰心とは、「自分たちよりも上位にある者たちの考えを、謙虚に学ぼうとする心」なのです。「上位にあるものたちの心や考えを、謙虚に学ぼうとする心」のことを信仰心というのです。
- この気持ち(信仰心)がないと、いろいろと段階差のある考えも、平面的にしか翻訳されないわけです。
- そのため、神様のさまざまな考えについても、地上にいるさまざまな人の考えの違いと同じようにしか受け止められなくなってきます。それがどういう位置づけにあるかが分からなくなるわけですが、ここには非常に危険な面があります。
- 私は、これまでにさまざまな霊人の考えを出すなかで、そのことを感じてきました。私が高い次元から見て言っていることも、人々は、その正しい位置が分からないために、違うところから見て解釈し直してしまいます。
- そういった意味で、高次元の観点からこれまでに出したものを、もう一回まとめ直していこうと考えています。私の立っているところからは、他の教えの位置がよく観えても、地上の人間の位置からは必ずしも見えません。この点を間違えないでください。
『真説・八正道』 第3章 正思