浄土真宗親鸞会 西尾張

西尾張の親鸞学徒のブログです!
愛知県西部(稲沢市とその周辺地域)の親鸞学徒の光に向かう日記を綴ります。

肩書きに頭を下げる?

2010-04-13 16:39:03 | Weblog
4月になり、社内の5名の方の昇進が発表されました。

平社員から主任になる人、係長が課長になる人、課長が次長や部長になる人もいま
す。

役職がついたその人たちは、社外の人たちに、

「私は、○○会社の、部長です。」「課長です。」と挨拶するかもしれません。

「部長様でしたか」と、深々と頭を下げられるかもしれません。

たとえ、自分にそういう役職がついたとしても、本当の自分とは何だろうか。

「部長」だとか、「課長」だという役職は、私の肩書きであって、本当の私ではあり
ません。

仕事中では役に立っても、一歩会社の外に出れば、ただの人です。

社内だけのことで、他では何の役にも立ちません。

私がたとえ部長になり、「部長」と頭を下げられるのは、私が偉いのではなく、肩書
きに頭を下げられているだけである。

肩書きは、私ではない。

また、私の、体、手足といっても、「私」の「体」であって、私ではありません。

昔から、「汝自身を知れ」と言われるように、一番分からないのが、自分自身であ
る。

本当の自分が分からなければ、本当の幸福にはなれません。

「仏教は、法鏡なり」と言われますように、仏教を聞いていくと、本当の自分の姿が
知らされます。

親鸞聖人は、「いずれの行も及び難き身なれば、地獄は一定すみかぞかし」
(歎異抄)と、

地獄しか行き場のない我が身であったと、仰っています。

また教行信証には

「悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、

 定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近くことを快まず。

 恥ずべし傷むべし。」

 と告白しておられます。


聖人と同じように、本当の私がはっきり知らされるところまで、

聞法精進させていただきたいと、社内の昇進の話を縁に思いました。