浄土真宗親鸞会 西尾張

西尾張の親鸞学徒のブログです!
愛知県西部(稲沢市とその周辺地域)の親鸞学徒の光に向かう日記を綴ります。

「自力」「他力」の本当の意味

2009-09-30 22:50:00 | Weblog
「太陽のお力によって、農作物がよく実った」というときに

「他力のお力によって、豊作になった」

また、自分のチームが全部勝っても、相手が負けてくれなければ優勝できない時に

プロ野球などで、「自力優勝がなくなった」というのも、

プロ野球で優勝が決まる今ごろには、毎年のように聞かれます。

世間一般には、「他力」とは、自分以外の力、特に自然の力などを

「他力」と言っています。

また「自力」は一般的に、自分の力、「自力優勝」とか、

「自力で火事を脱出した」などと使います。

このように使っていても、不思議に思ったり、反論する人などまずないでしょう。

しかし、語源は仏教です。

先日教学講義で詳しく教えていただきました。

因果の道理、後生の一大事が分からねば、いや、仏教すべてが分からねば、

分からない言葉だと、知らされました。

後生の一大事を心にかけ、「自力」が廃って「他力」になるまで、求めたいと思いました。


「これだけ」とはどれだけか

2009-09-16 23:40:38 | Weblog
私はよく風邪をひく。いつも風邪気味状態です。

治ってもすぐ風邪気味になり、1年中風邪をひいているようなものです。

インフルエンザが大流行していますが、幸いにもまだインフルエンザにはかかっていません。

しかし、毎日、朝も、外出後も、寝る前にも、うがいを何度もしています。

消毒液で手も洗い、予防だけは完璧にしているつもりです。

それでも、すぐに風邪をひいてしまう。

いつも、これだけ予防しているのに、どうして風邪ひくのか。

うがい、手洗いはしても、睡眠不足や、食べ物が原因だったりで、風邪ひくこともあるでしょう。

「これだけ予防しているのに」という「これだけ」とは、どれだけであろうか。

もっともっと、予防できることもあろう。

腹が立つ時も、相手に、「これだけ尽くしているのに」の「これだけ」が原因だと言われます。

また、仏法を聞き求めていきますと、「これだけ求めているのに、まだ弥陀に救われない。

一体どれだけ求めればいいのだろうか」という心が起きてきます。

そんな心が出た時、その「これだけ」とは一体どれだけのことかと、深く反省します。

事は後生の一大事です。ちょっとやそっと求めただけで解決できるようなものではなかろう。

親鸞聖人は、

「たとい大千世界に

満てらん火をも過ぎゆきて

仏のみなを聞く人は

ながく不退にかなうなり」と

大宇宙が火の海になっても、それをかき分けて聞く気持ちで聞きなさいと、教
えておられています。

「これだけ」求めているのにとは、それほどまで苦労して求めているだろうか。

そんな心が出た時は、常に反省し、その心をたたいて、聞法したいと思います。


政権交代は実現したが……真の安心、満足とは?

2009-09-04 06:43:31 | Weblog
衆議院選挙で民主党が大勝し、政権交代が実現しました。

政権交代の実現により、日本の政治も、大きく変わるでしょう。

近年、大きく変わったのは、なにも、政治ばかりではありません。

20世紀は科学が急速に進歩しました。

ラジオ、続いて白黒テレビ、私が生まれた時はもうカラーテレビの時代でした。

携帯電話が普及し、若者で持ってない人はいないと言っても過言ではないでしょう。

しかし、これで幸福になったと言う人はいるでしょうか?

それどころか、これだけ進歩しても、自殺者は増加しているではありませんか。


高森顕徹先生著「なぜ生きる」(P.110)より
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科学の進歩はめざましく、歩きながら誰とでも会話ができる。

「ケータイ」は小学生ですら、耳に当てている。腕時計ももてなかった時代が信じら
れない。

電子レンジでどれだけ料理の手間がはぶけるようになったことか。

コンビニのATMの登場で、二十四時間いつでも預金や払い戻しが可能になった。

自宅の「インターネットバンキング」で銀行に行かなくても残高照会や振込みができる。

口から飲み込んで肛門まで、内臓の状態をリアルタイムで送信する、超小型コン
ピュータが開発されたというからありがたい。

たしかに世の中、便利になったが、「ああ幸せだ」という実感がわかないのは、なぜだろうか。

欲しいものを次から次へと獲得しているが、際限なくひろがる欲望に、

どこまで走っても満たされず、渇しているといえよう。
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20世紀は、このようなものでは人は幸福になれないということを証明した時代でした。

物質的豊かさを求めた20世紀に対して、21世紀は心の時代と言われます。

物質的な豊かさや、政治や経済の発展も大事なことですが、

本当の心の安心、満足とは何かが明らかにされない限り、それらの豊かさや繁栄もむなしいものになってしまうでしょう。

真の幸福とは何か?

そのことを、2600年も前にお釈迦さまは教えられました。

「釈迦如来の教法を、我も信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」

と、お釈迦さまの教えをそのまま伝えられた、親鸞聖人の教えにハッキリと示されています。

親鸞聖人の教えを私自身がよく学び、そして、皆さんにも伝えたい、と強く思わずにおれません。