第218回夢語り小説工房作品
「白い封筒」 作 大山哲生
一
「本当に困ったもんだ」と松浦久弥はつぶやいた。引き出しの奥を探るたびに手に触れる白い封筒。この封筒が、松浦を五十年間悩ませ続けてきた。
松浦は、大学卒業後金融関係の職に就き、五年前に定年退職した。今年六十五歳になる。
松浦が困ったというのは、一通の古い封筒である。封筒は白い普通のものである。中には、四つ折りになった絵柄入りの便せんが入っており、
「松浦君の未来に幸あれ。あなたの幸せを心より祈っています」と書かれている。もちろん、差出人の名前はない。
この封筒を手に入れたのは、約五十年前のことであった。
二
松浦は、京都で育った。高校は東山にある日吉ヶ丘高校に通った。
昭和四十四年二月。松浦は高校の卒業式に臨んだ。
午前十時に式が始まった。とどこおりなく式は進み、生徒会長が答辞を読み始めた。そのとき、学年トップの石川秀樹が突然立ち上がって大声でアジ演説を始めた。会場は騒然となったが、生徒はしらけていた。石川秀樹は長髪をなびかせている。いかにも学生運動の闘士だ。大学の学生運動に参加しているという噂もある。
当時は学生運動がますます過激化しており、『造反有理』『体制打破』といった言葉が、松浦の周りでも聞かれるようになっていた。東大紛争はますます激化し、この年の東大入試が中止になった。京都の各大学でも紛争が激化していた。
そういうご時世に突然石川が卒業式場でアジ演説をおっぱじめたのだから、松浦はあまり驚かなかった。先生も止めなかった。石川が四十分ほどしゃべったところで、やっと制止された。その後、式は何事もなかったかのように終わった。
クラスに戻るといろいろなものが配られた。松浦は二月に大学の試験に落ちたので、高校生活への別れを惜しむ気持ちより、浪人生活を送らねばならない心配の方が大きかった。最後のホームルームが終わった後、松浦が帰ろうとすると山中幸子が近づいてきて「松浦君、さよなら。元気でね」と言う。山中さんは昨年の六月に中三の弟を失くしている。山中さんはさらに言葉を続けたそうだった。松浦はどう返事をしていいかわからずに、「ああ、どうも」という実に間の抜けた返事をしてその場を離れた。
松浦は一階まで降りて靴箱のあるところに行った。靴箱を開けると、運動靴の上に白い封筒がのっかっていた。松浦は驚いたがそれがラブレターだと直感した。胸が急にどきどきした。「ついにおれにも来たか」と松浦は笑いをかみ殺すのに苦労した。松浦は、誰にも気づかれないようにその封筒をそっとバッグに入れた。
わくわくする気持ちを抑えながら帰りの駅のホームでそっと手紙を開いてみると、「松浦君の未来に幸あれ。あなたの幸せを心より祈っています」という内容だった。
家に帰って、親の目を逃れるようにしてもう一度読み返してみたが、さっぱり要領を得ない。蛍光灯に透かしてみたがなにも出てこない。あぶり出しかとも思ったがそれらしい痕跡はない。松浦はその封筒を机の引き出しの一番奥にいれた。
その後は、予備校の入学手続きやなにやらで忙しい日々を過ごした。封筒のことはすっかり忘れてしまった。松浦は一年後にめでたく目的の大学に合格した。
三
松浦は、六十歳で定年退職した。退職後半年経った頃、部屋の整理をしようと思い立った。仕事をしている時には、年末に部屋の掃除を試みたことがあったが、雑巾でほこりをぬぐう程度であった。今回は時間もたっぷりあるので抜本的な掃除をしようと意気込んだ。なんと言っても、一番のミステリーゾーンは机の引き出しである。引き出しを抜いて床に置き、あれやこれやとさわっていたが、結局、引き出しの奥の白い封筒に行き当たった。
あらためて読んでみたが、やっぱりなんのことか全くわからない。
そもそも差出人は誰だろう。幸せを願うと言われても、そもそも誰に願われているかがわからなければありがたみがないではないか。
しかし、わからないものは仕方がない。
突然誰かが目の前にあらわれて、あの封筒はこういうことでしたと種明かしでもしてくれればいいのにと思った。松浦は「本当に困ったもんだ」とつぶやいた。
考えれば考えるほどわけがわからないのだった。手紙は誰かのいたずらだとほおっておいてもよさそうなものだが、一方では誰がやったのだろうかという興味もあり捨てずにまた引き出しにしまった。
三
ある日郵便受けに大きな封筒が入っていた。差出人は日吉ヶ丘高校同窓会であった。開封すると、十月に東山区のホテルで同窓会をするのでぜひ参加されたしというものであった。松浦は、参加に丸をつけて返信した。
参加したのは、松浦を入れて三十名ほどだった。皆、高校のときの面影を残してはいたが、五十年の歳月は確実にその相貌を変えていた。松浦がこの同窓会に参加した目的のひとつはあの白い封筒の手がかりを見つけることであった。松浦は参加した者を一人ずつ観察していった。
まず気がついたのは、松浦に特別注目したり何か言いたげな女子は皆無だということだった。みんな酒が回るに従って、周りの者としゃべっている。
松浦は思いあまって円卓を囲んでいる者に言った。
「ちょっとみんな聞いてくれないかな。実は高校の卒業式の日に靴箱に白い封筒が入っていたんだ」
「わあ、松浦君ってもてるんや」ある女子が言った。
「そんないいもんじゃない。内容は『松浦君の未来に幸あれ。あなたの幸せを心より祈っています』というものだった」
皆一様にふーんという煮え切らない相づちを打った。すると酒の酔いで起きてるか寝てるかわからない半眼の山崎陽一が話し出した。
「松浦よ、思い出したわ。それを入れたのは年輩の女の人や。はよ言うたらおそらく誰かのおばちゃんやと思う。おれは、卒業式の日に先生に言われてクラスの紅白まんじゅうを取りに家庭科室にいったんや。ふと窓から靴箱あたりを見たら、年輩の女の人が誰かの靴箱をあけて白いものを入れるのが見えた。たぶん、あの白いものが松浦のいう白い封筒だと思う。けっこう背の高い女の人やったな」
松浦は驚いた。長い間解けなかった謎が意外なところからほぐれたからだ。
「そうか、おばちゃんか」と松浦は少々がっかりした。
四
松浦は家に帰って半分酔いの残った頭で考えた。高校の時に年輩の女の人の知り合いなんて皆無である。年輩の女の人なんて、先生か母親しかいない。この封筒を入れたのは母親という可能性はあるが母親は背が低い。おまけに筆跡も違うし、第一母親はこんな殊勝なことは書かない。可能性は極めて低い。
松浦はテレビをつけた。テレビは夜のニュースをやっていた。松浦は焼酎の瓶を出して、湯飲みの底に入れて、ちびちびと飲み始めた。
もしも、あのとき松浦に告白したい女子がいたとしたらどうするだろうかと考えて見た。普通は自分で言うか自分で封筒を入れるだろう。気の弱い女子ならば友達に頼むだろう。
となると、この封筒を入れた背の高い中年の女性というのは、誰かの代わりにこの封筒を入れたのだろう。卒業式ということを考えると、誰かの代わりというより誰かの保護者かも知れない。わざわざ保護者がこんな封筒を入れるのは、本人が入れることが出来なかったからではないか。松浦は、酒の回った頭で、なんという素晴らしい推理だ、と我ながら感心した。
つまり卒業式当日、学校にいなかった者の母親ということになる。
松浦はここまで考えた時、二杯目の焼酎をついだ。
あの日、学校にいなかったのは、松浦のクラスでは病気で入院中だった長谷川さん。それと隣のクラスの高浜さんと香坂さんだ。高浜さんと香坂さんはこの日が大学の入学試験であったらしい。
松浦に封筒で告白をしたとすれば、長谷川さんか高浜さんか香坂さんのうち誰かと言う線が強くなる。
松浦は、誰が告白をしたのかを考えているうちに三人のうち誰が一番好みかということを考えていた。
長谷川さんは、同い年でありながらどことなくお姉さんのような雰囲気があった。長谷川さんとは一度だけ二人で文化委員をしたことがあるが、松浦のようなアマチュア無線オタクのおもしろみのない人間を相手にするとは思えない。おまけに、長谷川さんとは話したことすらない。どう考えても接点はない。
高浜さんは颯爽とした美人である。今なら雑誌の読者モデルとしても十分やっていけるだろうと思うくらい美人でスタイルもいい。あれほどの美人なら当然つきあっている人もいたであろうし、松浦のような地味な男子に告白するとは到底思えない。
香坂さんは、体育会系でいつも女子の友人に取り囲まれている。香坂さんが、松浦のような体育大苦手の人間に告白するとは、これも到底思えない。
松浦はこの三人になら誰に告白されてもうれしかったと思ったが、どうひいき目に見てもその可能性は限りなくゼロに近い。
もうひとつの可能性は相手を間違ったということである。松浦という生徒がもう一人いて超絶イケメンであるならその可能性は大いにある。しかし、当時の卒業者名簿を見ると、松浦の学年には「松浦」という姓は一人しかいない。おまけに靴箱には、「松浦」とマジックで書き込んであるので間違うことは考えにくい。
ここまで考えて松浦は行き詰まってしまった。結局、五十年前の封筒は誰が靴箱に入れたのかわからないまま『迷宮入り』になってしまった。
「やれやれ」と松浦は言いながら、湯飲みの底にたまった焼酎を飲み干した。時計を見ると午後十一時を過ぎている。
「そろそろ寝ようか。規則正しい生活は大事だしな」と言いながら松浦は布団に入った。
しかし、普段飲まない酒を飲んだせいか、頭が冴え渡っている。今なら方程式でも解けそうだと松浦は思った。
それでも寝なければと目をつぶってみたけれど、あの封筒を入れた中年女性のことが頭から離れない。
五
その時松浦は、あの封筒についてもう一つの可能性があることに気がついた。そして、その可能性が最も確率が高いということに。
「そうか、この封筒を靴箱に入れた中年の女性自身が自分に何かを伝えたかったとしたらどうだろう。理由はともかく一番自然な流れではないだろうか」
松浦は布団から出て電気をつけて椅子に座り、もう一度手紙を読み直してみた。
『松浦君の未来に幸あれ。あなたの幸せを心より祈っています』
今まで、手紙イコール告白だと思い込んできたが、よく読むと幸せを願うとしかかかれていない。告白とは似て非なるものにも思える。
例えば、息子を亡くした母親が、どこかで松浦を見かけて死んだ息子によく似ていたことに気がついたとする。その母親は、松浦が自分の息子のように思えて、思わず手紙で幸せを願った。そんなシチュエーションならあり得るのではないかと思った。
ここまで考えた時、松浦はあることを思い出した。
六
山中幸子が高校三年の六月に弟を亡くしたことである。
高校三年の六月、山中幸子は一週間ほど欠席したことがあった。山中幸子は女子の中では背が高い方なのでいないとすぐにわかる。女子の間で言われていたのは、中学三年の弟が交通事故で急死したというものであった。気の毒だなあとは思ったが女子の間での話ということもあり、それ以上聞こうともせず松浦はこのことを忘れてしまった。
もうひとつ思い出したことがある。弟が亡くなった後からだったと思うが、山中幸子が松浦に話しかけることが多くなった。当時、松浦はアマチュア無線一直線であり、女子にもてるなどとは想像だにしなかったから、かなり戸惑ったことを思い出す。
それと卒業式のホームルームが終わった後、山中幸子はわざわざ松浦のそばまで来て『元気でね』と声をかけてきた。
今思えば、山中幸子の亡くなった弟が松浦と何か関連があったのかもしれない。例えば似ていたとか。そうすると山中の母親が、松浦の靴箱に手紙を入れて松浦の幸せを願ったのも頷ける。
松浦は、いろいろと憶測を巡らせたが、おそらくこれが最も真実に近いのではないかと思った。
かくして五十年にわたって松浦を悩ませていた問題が解決したような気がした。
七
松浦は、退職して数年経つのでまたまた部屋の掃除というものをやろうと思い立った。押し入れを見てみると、見るだけで気持ちが萎えてしまいそうなくらい物が詰まっている。まず大きな段ボール箱が目につく。この箱がいかにも邪魔だ。
松浦は、箱をとりだして開けてみた。
その中には昔せっせと貯めたアマチュア無線の交信証が数百枚入っていた。松浦は高校二年のときからアマチュア無線をしている。当時は中学生でも免許をとる子がいた時代だから、少し遅い開局であった。交信すると交信証というものを取り交わすのがアマチュア無線の決まりとなっている。その交信証が数百枚出てきたのである。
得てしてこういう時の掃除は、はかどらないものである。松浦は、掃除の途中で交信証を一枚ずつ見ていった。
松浦が高校二年で開局したときは、無線でお互いの住所と名前を伝え、相手の住所と名前を交信証に書いて、切手をはって投函するのが普通だった。一枚ずつ見ていくとほとんどの交信証には切手がはってある。
ある交信証に目がとまった。「JA3N△△」というコールサインの下には、自画像と思われるマンガが直筆で描かれている。丸い顔にめがねという顔だ。これ一枚仕上げるのにかなりの時間を費やしたことだろうと松浦は思った。表を見ると、差出人は「山中正幸」となっている。住所は京都東山区紫式部町一丁目(むらさきしきぶまち)。
「えっ」松浦は、その珍しい住所に見覚えがあった。
卒業名簿を見てみると、当時の山中幸子の住所と同じだった。
「えっ、この子が。この子が山中幸子の亡くなった弟だったのか、まさか」松浦はしばらく交信証をもったまま動けなかった。
もう一度、その交信証をひっくり返してみた。交信証には発行ナンバーを書くことになっている。その交信証の発行ナンバーは「1」となっていた。
つまり、山中正幸君が無線局の免許を受けて始めて交信したのが松浦本人ということになる。
松浦には、あの白い封筒の謎がすべて解けた気がした。
山中正幸君は初めての交信を喜び、交信のことを家族に得意げに話したに違いない。そして姉と松浦が同じクラスになったことで、弟の初交信の相手が松浦であることがわかったのだろう。
その弟が急死したものだから、卒業式の日に母親が松浦に感謝を込めて封筒を靴箱に入れたのではないだろうか。そう考えるのが最も自然であると思われた。弟が亡くなった後あたりから山中幸子が松浦に話しかけるようになったのも、卒業式のあとに松浦に声をかけたのも説明がつく。
松浦はその日は掃除はやらないことにした。そして山中正幸君の変色した交信証を壁に貼り付けた。山中正幸君の自画像は心なしか松浦の若い頃とよく似ていた。顔が似ていたことも山中の母親を動かした要因の一つかもしれない。
五十年の長きにわたって松浦を悩ませた白い封筒の謎は、思わぬところで決着することとなった。
松浦は、日課の散歩に出た。五十年の謎は解けたが、松浦の心は悲しみに満ちていた。
当時も不可解で理解出来ずでしたが、最後の【侍の死に様?】だったのでしょうか?
せみ時雨の中、農業屋の片隅にひっそりと佇む、荒れた和邇神社の石灯籠を眺め乍ら感じた日本国の歴史でしたが。。
シルクロード交流が日本国に齎した歴史。。