(なん、で・・・・)
何で。
視界に入った其の光景に絶句して、余りの驚きに声すら出ない。
此処は上田。此方の方の城下の筈。
否、確かに城からは離れている場所ではあるし、どちらかと言えば街道に近い端(はず)れの処。
偶々通りかかったとしても頷ける程、端の方であるのだけれど。
けど、けれど。
確かに其処に居た男は、十勇士の一人であった。
けれども其れは同じで違う、別の世界の十勇士であったのだ。
其処に居たのは
其処に居たのは――――。
(あの、人・・・・が・・・・っ・・!)
百舌鳥の声
同じ名前で同じ立場。
けれども性格も性別も、まるで違う彼(か)の存在。
煌めいた刃の反射で一瞬見えただけだったけど
見間違いで無かったならば、彼(あれ)は彼方の根津甚八であった筈――。
思わず口に手を当てて、そのまま一、二歩後ずさった。
何故此処に
どうして彼が
真逆(まさか)あの女の人は彼方の小助や望月だとか・・・
だから此処まで追いかけて?
嗚呼、だけど。話を聞いた限りでは彼方の小助や望月だって簡単に屈する程に弱くは無いと思うけど。
ならば何故?
余りに唐突過ぎたゆえか、ぐるぐる過(よ)ぎる疑問の渦は全てそんな自問自答だけである。
余りに突然の事態に思考が上手く廻らないのか、頭の芯が非道く痛い。
・・・が、現実と言う状況は、そんな個人の混乱などには関係無くに流れてしまうものであり
「・・・!」
無明(むみょう)の中で、到頭(とうとう)刃物と刃物がぶつかり合う厭な音が響き渡った。
悪口(あっこう)尽きた【ことり】達が遂に痺れをきらしたのだろう、今や聞こえてくる声は言葉と言うより絶叫で
まるで諫める気配(き)の無い殺気は非道く膨れ上がっている。
嗚呼、駄目だ。
今から誰かを呼びに行った処で間に合わないし、だからと言って加勢に行くのも今の慣れぬ此の姿では却って無駄に成って仕舞う。
しかしこのまま何もしないと言うのも隔靴掻痒(かっかそうよう)の感であり。
ぎり、と奥歯を噛み締めて、先とは別の意味で竦む足に叱咤して、
其れから甚八は徐(おもむろ)に、懐から百雷銃(ひゃくらいづつ)を取り出した。
走る事もまま成らないこの風体では、動く事を主とする援護なんて出来ないけれど
少なくとも此ならば、注意を引く事が出来る。
出来る事しか出来ぬのならば、自分は出来る限りの手を尽くそう。
勿論彼方の甚八の足手まといに成らないように・・・・
・・・それと。
なるべく出来れば両者達に、気付かれる事の無いように。
百雷銃を握り締め、更に打竹(うちたけ)を取り出そうと懐に手を入れたのだが・・・
(火縄の匂い・・・!)
最早闇討ち辻斬り試し討ちと言った事では済まなくなった厭な匂いが靡いて来たのだ。
無燈(むみょう)の夜は非道く深い。
昏(くら)いでは無く深いのだ。
其れは何処か水の底の様に重く、わだつみ深き底の如くに凝(こご)っている。
なればこそ、水の中に居る時に非道く遠くの音が聞こえ易(やす)く成るならば
夜の空気は、音の代わりに匂いを運び易くしているのであろうのか。
小径(こみち)の奥での立ち回りである筈なのに、鮮明に届く慣れた匂いに眼を見開いた。
刃物を擦(こす)り合わせるような金属音は続いている。
成ればこの火縄の匂いは、決して彼方の甚八の其れでは無い筈なのだ。
其の結論に至った瞬間思わず懐から手を取りだし、足下に転がる石を掴む
そうして一歩、たった一歩で身を隠していた建物から足を踏み出し小径(こみち)の正面に躍り出た。
(――――いた!)
其れから先の行動は、殆ど本能と衝動だけであっただろう。
目深(まぶか)に被った頬被(ほほかむり)の布下から、影と些細な煌(ひかり)の軌道を成るべく一瞬で見定めた。
その中で、闇と影と漆黒の中に光る赤・・・・線香以上に小さな火縄の灯火を瞬時に見付け、握った小石に力を込める。
反射的であろう頭の隅で距離を導き、それでも刹那、被った布や袖や裾が邪魔をして・・・
「・・・・・あ・・・・・」
仕舞った、と。
気付いた時には遅かった。
甚八は銃や弓を使うがゆえに手や腕の力が見た目以上に強くある。
又、闇の中での光探しに其処目掛けての得物投げは水軍に居た頃散々教わり実戦済みであるが為、
印地(いんじ)打ちも可成りの腕前なのである。
しかし今回、動き難い身成りであった所為であろうか、其れとも反射的に印地を打って仕舞った為か、全くもって加減が出来なかったのだ。
加えて視線は奥の銃口に集中していたその為に、其の銃身が狙っていた人の影・・・即ち彼方の甚八が、石の飛行距離の直線上に其れは見事に位置している事に気付かなくて。
「あ・・・・・あああ・・・・・」
其れは瞬き程にも満たない、一瞬の出来事だったであろう。
彼方の甚八の髪を掠めて二、三本ほど風圧で切ってしまった其の石は
一拍遅れ、径(みち)の奥・・・立ち回りをしている場所・・・の更に奥で、非道く鈍い音と共に見えなくなった。
更に二拍遅れた後、周囲の連中をあっさり倒したのであろう彼方の甚八が、石の消えた先を見る。
何処か頸(くび)を回す動作が硬直しきって見えたのは、気の所為なんかじゃないだろう。
――――やって、しまった・・・・・!!
此方も又、別の意味で硬直している思考の中でぐるぐる渦巻く罪悪感。
【ことり】達は全員彼方の甚八の足下で気絶してしまっているし、あの一人も頭を狙って石を投げてしまった為に少なくとも暫しの間は動ける状態では無いだろう。
ならばあの女性は彼方の甚八に任せてしまってさっさとこの場を立ち去るなり、仲間を呼びに行くなりすればいい筈だのに。
当たって、無い、かな。
怪我して、無い、かな。
どう・・・しよ、う。
浮かぶ思考は其ればかりで、足は竦むばかりであって。
提灯の明かりを吹き消してから、一体どれくらい経ったのだろうか
真闇(まやみ)であった筈の夜は、眼が慣れてしまった所為で薄朦朧(うすぼんやり)と透明掛かった色である。
次第に其れが漠然模糊(ばくぜんもこ)と薄れてゆき、やがて僅かな墨と灰の光陰が浮き出て見えてきた。
黒にも近い群青色の光からして、空一面を覆っていた雲が薄れているのだろう。
星が出ぬ夜は月が出る。
月の出る夜は提灯要らずの晩である。
其れだけ太陰の灯りとは、明るく輝くものなのだ。
さらり雲が晴れ渡り、音も無くに月白紺(げっぱくこん)が舞い降りる。
其れは森に差し込む木漏れ日の様には眩しく無く、海に差し込む陽光(ひかり)の様に蒼白く。
いよいよ光陰が明瞭(くっきり)分かれ、漆黒大地も仄かな白を帯びた色に染まった瞬間。
彼方の甚八が、此方の方を振り向いた。
「・・・っ」
最早夜の色を成さない月の下、確実にぶつかった視線だけがどんな武器よりも恐ろしく輝いて見えてしまう。
頬被(ほほかむり)を目深(まぶか)に被っている為に、彼方からは顔は見えていないだろうし
普段は到底着ない様な出で立ちに、似合わぬ化粧さえ施されている為におそらく気付かれる事は無いかもしれないけれど
其れでも、恐い。
見付からないようにと思っていたのに、真逆こんな正面から遭ってしまうだなんて。
己の不甲斐なさと未熟さが、いっそ怨めしく思えてしまう。
かたかたと、寒さの所為だけでは無く震えだした肩を竦めて
じり・・・と、一歩後じさった。
「あ、ちょっ・・・」
「・・・・ひ、ッ!!!}
そんな向こうの言葉が引き金。
完全に血の気の失せたであろう眦(まなじり)から、じわりと涙が溢れる感覚が湧き起こり
慌てて踵(きびす)を返そうと、一目散に足駆ける。
その時だった。
ふわりと舞い上がる布越しに
ふと、四度(よたび)の百舌鳥の鳴き声が、何処かで聞こえて来た気がした――――。
“ぁン?お前ェ簪(かんざし)なんて持ってンのかよ”
“ッ、ちが、これは・・・ッ!!!”
“・・・ふゥん?随分と見ねェ拵(こしら)えじゃねェか。色気沙汰にゃァとんと疎(うと)い手前ェが持つなんざ珍しい。雨とか雷ならまだしも槍が降って来るンじゃねェか”
“・・・ぅう・・・・”
“ま、折角だし使ってみろや。道具っつーンは使ってなんぼ、持ってるだけじゃ腐ッちまわァ”
――――しゃらん。
振り返った勢いか、それとも夜の風が吹いたか
すっぽり被っていた筈の、頬被(ほほかむり)の布がはらりと舞い落ちて
さらりと流れる髢(かもじ)の長く黒い其れが月の下に露わに成る。
そして次いで、鳴り響いた彼(か)の音色。
半透明で、周囲(まわり)の色に合わせて其の身を変色(か)える白。
けれども芯は決して変わらぬ純白で、まるで其れが誰かのようだと思って持ってた彼(あ)の簪。
「あ・・・・っ!!」
視界の端で月の明かりで反射した銀の光に走り駆けた足を止め、慌てて落ちた被布(かぶりぬの)を拾い上げて又走る。
どうしても、振り向く事など出来なかった。
只、早く立ち去りたくて
唯、速く逃げたくて
裾が邪魔、袖が邪魔と苛立(いらだ)たしいやら悲しいやら恥ずかしいやらが混ざってしまって
ぼろぼろ泪が零れて落ちた。
泣き言も、涙も拒否も俯くことすら禁じられて居た筈なのに
其れら全てを破ってしまった事態に又、遣る瀬が無くて涙が出る。
しゃらしゃらしゃらしゃら
頭の上で響く音に掻き消され、矢っ張り何処かで百舌鳥の声が聞こえてきた。
どうして夜に百舌鳥が鳴く。
何故に里山の狩人は、夜に鳴いて自分を混乱させるのだ。
刃物同士の金属音にも、頭で揺れる簪唄(かんざしうた)にも似つかない其の鳴き声である筈なのに。
必死で嗚咽を噛み殺しつつ、其れでも泣く事を止めぬまま
一目散に走る百舌鳥は、真っ直ぐ住処へ走って行った。
その後甚八の報告により、【ことり】は全員縄(ばく)へとついた。
現場に駆けつけた佐助や晴海の証言では、奴等は全員気絶していて
それ以外の浚われかけた女性の姿や、もう一匹の百舌鳥の姿・・・
即ち【ことり】以外の人物は、誰一人として居なかった――――だ、そうである。
完
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あとがき)
新年初!のお年玉的お話と言う事で!!
えー・・・一体此の何処にお年玉要素があるんだと言う話ですね。スミマセン辛気くさくって・・・・
加えて科白がまるで無いと言う奇跡!!!何でしょうねコレ!!閲覧者様への嫌がらせ!!?
あのほんとうスミマセン碧使様・・・・・ッ (なきそう)
尚、少々この場をお借り致しましてお話に出て参りました言葉の簡単な説明をばさせてくださりませ(深々)
百舌鳥=里山の小さな狩人との異名があるようです。
百雷銃=爆竹と思っていただければ。
打竹=火種を入れる容器です。
髢(かもじ)=カツラです(笑)
印地打ち=石打ち、石投げの事です。
白粉=実は厚化粧+のっぺら坊の方が美しいとされておりました・・・;;こ、今回は薄化粧でご容赦ください・・・;;
子取(こと)り=完全な当て字と言う名の造語です。スミマセン。
あ・・・の・・・スミマセンほんとう分かり難くて・・・・ッ!!!!