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(遊)春樹屋

和装を気軽に楽しもうをモットーに日本の古き良き伝統や文化を理解し再発見していきたい趣味の個人団体です。

徒然草行脚①序盤

2009年11月28日 | 珍道中
ムスメ古典で「徒然草」を習っております。
徒然草(第52段)「仁和寺にある法師」

「徒然なるままにひぐらし、硯に向かひて~」
これも古文で習うはお約束であります。


本文は以下の通り

仁和寺にある法師 年寄るまで石清水を拝まざりければ、
心うく覚えて、ある時思ひ立ちて ただひとり、徒歩よりまうでけり。
極楽寺・高良などを拝みて かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて
「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。
そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、 何事かありけん、ゆかしかりしかど、
神へ参るこそ本意なれと思ひて 山までは見ず」とぞ言ひける。

すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。


現代語訳はこんな感じ


仁和寺のある法師が、年をとるまで石清水八幡宮を拝んだことがなかったので
それを残念に思って、ある時、思い立って、ただひとり、徒歩で参詣した。
ところが彼は、極楽寺や高良社などを拝んで、
これで願いがかなったと思い込んで帰ってしまった。

そして、知り合いに会った時に、
「長年思っていたことを、ようやく果たしました。 評判以上に尊いお宮でした。
それにしても、参拝の人たちが皆、山に登って行きましたが
山の上に何事があったのか。気にはなったけれど
神へ参るのが目的なのだと思って、 山の上までは見物しませんでした」

少しのことでも、先導者は持ちたいものである。


さ~っぱり意味が判りません


それもその筈。
「石清水八幡宮」は山の上にあるということ。
「極楽寺」「高良」は山の下にあること。

それを知っていないと意味が判りません

わざわざ仁和寺から歩いて石清水八幡宮に参拝しに来たものの
山の下の寺社に参り、山の上の石清水八幡宮には詣でずに
「ありがたや~」と帰ってしまった。

でかい寺の仁和寺にいるのだから賢い人もいっぱいいて
一寸聞けば教えてくれるだろうに
聞こうとも知ろうともせずに、独りよがりで満足してしまっていると
当時の仏教の不健全なさまを揶揄っております。(解釈はさまざま)


「仁和寺はあそこだよね

元々京都在住。京都の世界遺産を回ったりしていたので
近くの仁和寺は何度となく行っております。

「石清水八幡宮って行った事あったっけ?

「ないよ?行ってみる?」

「うん!


こうして珍道中の幕は開けるのでした。

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