ドラマ「つぶやき岩の秘密」に出てきた、ちょっと不気味な、三浦半島の地下要塞の廃墟。それは今も存在した。
これまで紹介してきたように、私は荒崎でドンドン引きを見て、その後「潮騒の道」を歩き、更にその後、一度三崎口に戻って昼飯を食べた後、私は三戸浜海岸方面に行くことにした。
てなわけで、今回は「つぶやき岩の秘密」の舞台を行くシリーズ、3。
「つぶやき岩の秘密」の舞台探索のルートとしては、荒崎方面に次ぐ第2ルートだ。
三戸浜海岸近辺には、「つぶやき岩の秘密」の舞台になった場所が何か所もあり、言わばメインのルートかもしれない。
荒崎方面にはバスで行き、その後「潮騒の道」歩きやその後のバス停探しでけっこう時間を食ってしまった。
なので、アクセスの時間短縮のために、駅から三戸浜海岸にはタクシーで行くことにした。たいした距離ではないはずだ。
タクシーに乗る前に、私の行きたい場所が記されたマップを運転手に見せて、交渉。
で、海岸と、地下要塞と、諏訪神社に行くことをリクエスト。
1か所1か所現地に着いたら、散策が終わるまで私を待っていてくれるように頼んだら、快く交渉成立。これで、三戸浜海岸近辺のポイントは、時間のロスなくまわれるはずだ。
ちなみに、白ひげさんの家にも行きたかったが、白ひげさんの家はとうになくなっているということを聞いていたので、今回の旅行では、やむなくパス。
まずはともかく三戸浜海岸へ。
ここは普通の海岸だ。
私が訪れたのは冬なので、人は少なめ。きっと夏はそれなりに賑わうのだろう。
ドラマ「つぶやき岩の秘密」では、よく出てきた海岸である。
ここで浜辺を歩いてみようと思ったら、タクシーは停まらずにどんどん進む。
やがて浜の端のほうまで車を進ませたところで停車。
なるほど、いきなり地下要塞近くに連れてきてくれたのか。
そう思い、私は地下要塞の洞窟を探し始めた。ドラマ内でもわかったように、地下要塞は、この浜の外れあたりの場所にある。
このあたりは、「黒崎の鼻」と呼ばれるエリアである。
地下要塞の位置はだいたい分かっていたので、不安はなかった。不安があったとすれば、70年代に撮影されたロケ地である地下要塞が、今はどうなっているか・・ということだった。危険あつかいされて、埋められてたり、完全閉鎖されていたりしないだろうか・・という不安だ。
ところが、少し歩いたら、すぐに大きな穴が現れた。
おお、ここだな!ついに、あの地下要塞にやってきたぞ。
と思って洞窟に近付いたら・・・・うわ!当時のままではないか。
穴の前には柵があった。だが、その柵まで当時のままに思えた。何の準備もなく、うっかり子供たちが迷い込んだら、出てこれなくなるかもしれないからなのか、柵があるのだ。
だが柵は、決して絶対に入れないという柵ではないので、迷わず私は中に入ってみた。
そして、中から入り口付近を振り返ってみたら!
感動!
ドラマの中に出てきた光景、そのままではないか。見覚えのある、この光景。
この洞窟の入り口の形、柵、向うに見える海・・・何から何まで70年代のままに見えた。
洞窟の入り口のシルエットも。海の照り返しの様子も。
70年代に制作・放送された姿のまま。
この旅で、一番感動した瞬間だったかもしれない。
この洞窟の中に、紫郎と志津子は亀さんに連れられて入っていき、やがて奥の方で置き去りにされたのだ。
そして、紫郎と志津子を捜索しに、小林先生たちが来たのも、ここなのだ。
私のあこがれの・・・小林先生こと菊容子さんという女優さんが。
この地下要塞というのは、戦時中に掘られたものらしい。見るからに、人工的に掘られたものであることがわかる。決して、自然の浸食などでできたような形状ではない。
三浦半島は、地形的に東京湾の入り口にあたる。本土決戦になったら、敵軍は首都東京を目指して、このあたりの海から入ってくるかもしれない。
それを見越したのかどうかは分からないけれど、この辺りには砲台跡がいくつもある。
この地下要塞もまた、戦に備えたものだったようだ。例えば武器の格納とか、軍義を開く場所とか。
ドラマの中でも、そういうことには触れられていた。
いわばここは・・・戦争の爪痕がまだ残っている場所であり、負の遺産的な存在なのであろう。
洞窟の入り口近辺は日差しが差し込んでいるので、ある程度は中の様子がわかる。
入口付近は割と広いが、そのすぐ先から奥は狭い通路になっており、そこからは闇が待ち構えている。
この要塞の中に入り、少し歩いたら、いきなり左右に別れる分岐が現れた。
どちらかに進んでみようとも思ったが、中には当然電気などないので、真っ暗。真の闇に思えた。
まるで闇の壁がたちはだかっているかのようだった。
↓こんな感じの闇だった。ちなみにこれは左側の闇。
このままじゃ様子が分からないので、フラッシュをたくことにした。まずはフラッシュで右側のルートの写真を撮ってみた。その場でその写真をモニターしてみると、右の進路の向こうの床に何かが落ちているのがわかった。
誰かがここに置いていったのだろう。まさか戦時中の誰かが?
いや、きっと・・・好奇心から探査に来た人か、あるいは何かの事情でここに住んでいた人のものじゃないだろうか。
もしくは、ここに捨てにきたゴミ???
左の分岐は、いきなり視界が閉ざされているように思えた。だが、この穴はこの先ずっと先まで続いているはずだ。
ネットで調べてみたところ、この地下要塞には実際に入りこんでみた人の記事もあったのだが、それによると、中はけっこう複雑なルートになっていて、迷いやすいらしい。
実際、入ってみて私としても、懐中電灯でもないと、はなはだ心もとないし、中で迷いそうだったので、それ以上中に進めなかった。
なにせ、その壁のような闇が、なにやら圧迫感があったからだ。
この要塞の中は、RPGによく出てくる、迷宮・・・まさに「ダンジョン」という形容がぴったりに思えた。それも、ドラクエのダンジョンのような「見おろしタイプ」のダンジョンではなく、むしろウィザードリィに出てくる3Dダンジョンタイプの。
ゲームのダンジョンには、ダンジョンの中で敵がでてくるけど、奥の方には宝箱があったりする。
だが、実際のこういうダンジョンには、そんな宝箱があるとも思えない。
だいいち、あったとしたら、とうの昔に誰かが入手してしまっているだろう。
それにしても・・よくもまあ、こんな迷宮を、岩の中にえんえんと掘ったものだ・・と感心してしまう。そこには、戦時の日本軍の執念が刻まれているようでもあった。
さらに、それが手つかずのまま今も昔のまま残されているという事実もスゴイ。だからこそ、ちょっとした怖さも感じたのかもしれない。
ここは柵が入り口にあるように、子供が迷い込んだら大変なことになりそうだし、危険扱いされてとうに封鎖されたり、埋められたりしてるのではないか・・とも思っていたから、なおさら。
ともかく、この地下要塞の中の迫力は、ただものではないと思った。
やろうと思えば、この洞窟の中に電気でも設置して、ちょっとした観光スポットにでもできるかもしれない。
だがそうすると、なにやら気の抜けたものになりそうな気もする。
やはり、管理されてなくて放置されたままの「戦争の負の遺産」という点が、この迫力につながっているとは思う。
決して安全とは言えそうもない感じが。
この要塞の最初の分岐あたりでしばらく時間を費やした後、私は別の要塞を探してみようと、外に出た。
他の穴・・・砲台跡なども見てみようと思って。
少し歩いてみると、次々に洞窟みたいな穴があった。
中には、雑草や木などに隠されて、入り口が分かりづらくなっているものもあった。植物たちは、かつての戦争の爪跡を隠そうとしているかのようであった。
↓この穴などは、下にもぐっていくような感じだった。
歩いていると、いくつもの穴が見つかる。
ちょっと分かりにくくても、穴の気配みたいなものは感じるので、注意して歩けば見つけることができる。
入ってみてすぐに行き止まりになる穴もあった。これまた明らかに人工的に作られたものであるのはわかった。
砲台跡・・かな??
また、要塞への入り口っぽくない穴もあった。
それらをいくつか見て思ったのだが、やはり最初に入った穴が一番すごい。
入りやすいし(笑)、迫力もあるし、なによりその中の迫力、圧迫感、不気味さが圧倒的であった。
これらの穴があるあたりの岩山の上のほうには、別荘らしき家がポツンポツンと建っていた。
どこか、ドラマに出てきた白ひげさんの家のような白い建物が。
地元の人は、これらの「今に残る、戦争の負の遺産」をどう捉えているのだろう。
話によると、あまり関心はないらしいし、怖さがあるので、あまり近付かないようにしているとも聞く。
ある意味、タブーみたいな存在なのかもしれない。
ただ・・・もしも私がこの辺りで少年時代を過ごしていたら、冒険ごっこや探検ごっこで、このダンジョンの探査は,やったような気はする。
秘密基地にもしたかもしれない。
特に、浅い穴などは、秘密基地にはもってこいのようにも思えたから。
まあ、このあたりの要塞でそんなことを続けていたら、いつか一番大きな地下要塞の奥のほうまで入り込み、出れなくなって大騒ぎになることもあったかもしれない。
管理されずに放置されたままでいる・・・というのが、かえって「本物」という感じがするし、あの怖さと迫力は、「本物」ゆえであろう。
ともかく、「つぶやき岩の秘密」でロケ地にするにはもってこいであり、これ以上ないぐらいの地下要塞ではあった。
もしかしたら、原作の作者は、この地下要塞を実際に見て、小説のネタにしたのかもしれない。
この地下要塞。一応、「危険そうなので、むやみに入らないほうがいい」というぐらいのことは、ここでは書いておく。
だが、私がそんなこと書いても、説得力はなさそうだが(笑)。
ちなみに、最初に紹介した、穴の入り口にあった柵は、崩落の危険性に備えてのものらしいので、中に入るとしたらあくまでもその辺のことは、自己責任で
ちょっと調べてみたら、こういう「戦争の爪痕」は、戦争から何十年もたった今でも、まだ各地に残っているようだ。
こういうのを見つけたら、こういうものに寄せる関心と共に、教訓も感じないといけないのであろう。戦争という悲劇の。
地下要塞のそばの、この日の海は、寒風を運びながらも、おだやかではあった。
水面が太陽に照らされて。まるで、戦争などなかったかのように。
私の「つぶやき岩の秘密」の現場を巡る旅は、まだ続く。