私のかつてのHP「時代屋小歌」の音楽面での記事を復刻する別ブログ「時代屋小歌(音楽編)」のほうで、このほど新たに自作曲の歌詞を1曲復刻しました。
その曲は「里山の向こうに君が見える」です。
こちら ↓
http://blog.livedoor.jp/syunka16-mymusic/archives/5119883.html
私の自主製作アルバム「空を見ていた。」にも収録した曲です。
今となっては歌詞を書きなおしたい部分もありますが、一度これで形にしてアルバムに収録したので、とりあえずはこの歌詞でいきます。
でも、ライブなどでは、そのうち歌詞を部分的に修正するかもしれません。
レコーディングでは、ティプルという民族楽器を導入しました。
アルバムではアコースティックサウンドで演奏していますが、作者としては、この曲はバンドにも持ち込みかが可能だとも思っています。
一応バンドサウンドもイメージの中では出来ているので。
どこかに旅して、名も知らぬ里山に妙に心惹かれることがあります。有名な観光名所よりも。
なまじ名前が知られていないぶん、無名の里山には見る人がそれぞれの思いでイメージを広げることができたりします。
時には、自分が子供時代をその里山の近くで過ごしていたら、その里山で遊んだだろうな・・などと妄想を持ったりすることもあります。
かと思えば、田園風景の中に見つけた里山を見て、さらにその向こうの空に誰かを思い浮かべることもあります。
有名な観光名所だと、その場所を題材にした色んな作品があったりして、評価やイメージが一般化していたりもしますが、無名な里山には、それを見る人により自由なイメージをくれる気がしています。里山にはそんな自由な魅力もあると思います。
本文とともに、『里山の向こうに君が見える』の歌詞も読ませていただきました。
牧歌的な状況を背景に、青春の愛とさまざまな思いが交錯する、
素晴らしい詩歌だと思います。
緑の里山の写真もいいですね。
5月の季節にふさわしいブログだと思いました。
冒頭・中盤・終盤で、極めて印象的な弦楽器の音色が聴こえてきますね。
これが「ティプル」という民族楽器ですか?
アルバム全曲中、本当に特徴が顕著ですよね。
ポール・マッカートニー「ジャンク」のように歌詞有り・歌詞無しの二種類として残しておく事もいいですね。
名も無き里山、私の場合、大分県の田舎を思い出し、涙が滲んできました。
その名も無き里山の梺(ふもと)からは、名も無き池が2つ見えるんですよ。
この歌を作ったのは青春時代ではなく、おじさんになってからです(笑)が、若い頃の感覚が投影された歌になってると思います。
必ずしもおじさんのラブソングという感じにはしたくなかったので。
数回人前で歌ったことがありますが、女性のほうが気に入ってくださることが多かったです。
でも、男性の方が気に入って下さっても嬉しいものです。
ありがとうございます。
この里山の写真、割と歌のイメージに近かったので使ってみました。
梅雨というトンネルを抜けると夏が待ってますが、5月はそのトンネルの入口って感じですね。
そう、ティプルは冒頭、間奏、エンディングで出てきます。
変則的な復弦楽器です。
あくまでも、隠し味的にサウンドに組み込んでるのが、そうです。
この曲は、もっとエスニックな感じにしたかった気もあるので、もしインストだけのバージョンを作るなら、もっとエスニックなサウンドに仕上げたいかもです。
田舎の里山のある風景に思い入れがある方なら、この曲で歌われた内容には親近感を持ってもらえるかもしれないですね。
というか、そうであってくれると嬉しいです。
里山のある風景には、池や田畑、清流などもつきものですね。