ウィングス。
ご存知、ポール・マッカートニーが70年代に組んだバンドで、70年代に大活躍したバンドだ。
大活躍したことはしたのだが、その実績の割には評価のされ方が物足りないような気がしてならない。
いや、決して評価が低い・・という意味ではない。一定の評価はされてはいるとは思う。
でも、その実績を考えれば、もっともっとスーパーグループとして評価されてしかるべきなのに・・という意味だ。
厳密に言えば、大物としては捉えられていたとは思う。
だが、それはポール個人への評価であって、ウィングスというバンドそのものが大物と捉えられていたわけではないと思う。
不動のメンバーであり続けたデニー・レーンは、どんな思いをもっていたのかなあ。
あのビートルズのポールと一緒にバンドをやれる・・・それはとても名誉なことではあるだろうが、長く一緒にやってると、自分のいるバンド単位で認められたい・・そんな思いを持ったとしてもおかしくはない。
ポールはご存知のように、元ビートルズである。
ウィングスは普通なら70年代の超大物バンドとして認識されるはずなのに、いかんせん「ポールは元ビートルズ」という過去が、ウィングスの地位の上昇の足かせになってしまっていたような気がしてならない。
なにしろ、ウィングスの実績はスゴイのだ。
アルバムセールス、ヒット曲の多さからいっても。
また、ヒットしなかった曲の中にも、たくさんの名曲が揃っている。
70年代を代表するバンドとしては、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ピンク・フロイド、イーグルス、ドゥービー・ブラザーズ、オールマン・ブラザーズ、ザ・バンド・・・など、そうそうたるバンド名が挙げられるが、ウィングスだって、それらと肩を並べる存在として認識されてもおかしくない。遜色はないと思う。
だが、バンドの中心人物がポールだったので、どうしてもビートルズと比較されてしまう。
そう、重い十字架を背負わされたバンドだったのだ。
よく、ポールの才能はビートルズ時代に終わった・・という辛辣な評価をする人がいたが、どっこいウィングス時代もポールの才能は健在だったと思う。
「マイラブ」「死ぬのは奴らだ」「バンド・オン・ザ・ラン」「あの娘におせっかい」「夢の旅人」その他たくさん。
どれも大ヒットしたし、名曲は多い。
こんなにたくさんのヒット曲を世に送り出していたバンドは、そうそういるもんじゃない。
ひらめきや瑞々しさはビートルズ時代のほうがあったかもしれないが、曲の熟成度ではウィングス時代も負けていない。そう思いたい。
かつてスーパーグループに所属したスーパースターで、そのバンド解散後も新たなバンドやユニットでヒット曲を量産し得た人物は、そうは居ない。
そういう意味ではポールは70年代も凄かったのだ。現役のスーパースタ-であり続けた。
ウィングスが、もしポールが組んだバンドじゃなくて、そのバンドでデビューした「他のミュージシャンのバンド」だったとしたら、きっとツェッペリンやイーグルスなどと共に、70年代を代表するバンドの1つとして認識されていたに違いない。
それこそ、ウィングス・トリビュートが出来てしまうくらいに。
ポールがコンサートをやると、観客はついビートルズの曲も期待してしまう。
だが、ウィングスは、ビートルズナンバーに頼らなくても、ウィングスのヒット曲や名曲だけで1つのライブをこなしてしまうこともできる。それほど、ウィングスにはヒット曲は多くある。
そんなことを考えると、やはり・・・ウィングスは70年代を代表するバンドの1つだったのだ・・と言えると思う。
ウイングスの曲には好きな曲はたくさんあるし、どれか1曲をあげるのは難しいし、辛い。
「トリート・ハー・ジェントリー」「ベイビーズ・リクエスト」などのひねった(?)曲もあげたいし、もちろん「バンド・オン・ザ・ラン」「マイラブ」みたいな大ヒット曲もいい。
でも、特に忘れられない1曲といえば・・・「夢の旅人」。
ウイングスのメンバー、デニー・レーンとの共作だ。デニーは、こういったフォーク調の曲は得意分野だったみたいだから、この曲へのデニーの貢献度はけっこうあったのだろう。
この曲、ビートルズ時代のポールの曲に勝るとも劣らないくらい好きだ。
ポールの曲の中で「どれか1曲」となったら、この曲をあげる時があるかもしれない(まあ、その時々によって、若干変わることはあるだろうけど、この曲はいつも候補になるだろう)。
この曲には本当に影響を受けた。ムード、曲調、アレンジ、その他、どれも素晴らしい。
自分にとっては理想的な曲なのだ。
この曲は、いつもいつも頭の中にある。こんな曲を自分も作ってみたくて。
で、この歌で歌われた「キンタイア岬」に、いつか旅してみたい。
スコットランドにあるそうな。
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