さて、さっさと本題に入らなければなりませんね。
どんな環境で育ったか編その①です。
父 20代で造園設計の事務所を開業。
父方祖父 大戦中は青島で紡績業。プール付きの洋館に暮らしていたらしい。戦後渋谷にて材木商の準備中に結核で他界。
父方祖母 幼少時から純邦楽の世界で偉い先生に可愛がられ、夫と死別後は扇子と三味線で3人の子供を育てました。
父の弟 若い頃のパートナーの健康上の理由で、結局戸籍上は現在まで独身です。ゴルフの会員権の売買が本業。
父の妹夫婦 北海道で一族経営の自動車屋さんに嫁いだ叔母は後に介護と教育の為に帰京。叔父は東京では海産物商を開業。
母 美大卒後父の会社に入社、結婚。私と妹がある程度大きくなってから職場復帰してます。
母方祖父 一族経営の材木加工業に勤務、そのほか関連会社の役員やらなんやら、地方とはいえ死亡広告が沢山出ました。
母方祖母 地方都市の商家の出身、趣味程度の規模ですが、華道の先生やってました。
母の妹夫婦 関西の老舗材木商の跡取り息子が、取引先の娘を貰った訳でございます。
普通の勤め人がね、身の回りにまるでいないんですよ。父母のいとこでやっと数人、それも少数派です。
父の職業、母の出身校のせいもあって、交際相手は建築家、各種アーティスト、職人さんが多く、その次に多いのがフランス人。
父の特技が仏語なんです。現在ではなんてことない話ですが、当時の日本には数えるほどしか居なかった彼らには、
母国語でおしゃべりできる現地民てのは本当に珍しいありがたい存在だったといいます。
こういう中で育つとね、やっぱり趣味嗜好や考え方が最大公約数的な部分から少しづつ離れてしまうんでしょうね。
私自身はね、そんなに協調性の無い人間だとは思ってないんですけど、
出過ぎた真似をしないように、空気読んで生きてる人がこんなに沢山居るんだなってのは社会に出てから少しづつ実感しました。
20歳を過ぎたころ、4年生の頃の担任の先生にばったり会いましてね、飲みに行ったんです。
先生曰く
お前はなんで?どうして?って同級生の子達と違う視点でぶつかってくるからね、
周りの子達には考える良いきっかけだったと思うよ。
さすがにだからメンドクセー奴だったとは仰いませんでしたけどね。
ヘンナヤツの始まりの話でした。
さすがに書いていて退屈な記事だと思いました。最後までお付き合い頂きありがとうございます。
写真は幼少期の初詣です。父方、母方問わず親戚とはよく似ていると言われます。