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バカ売れ商会

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ヒップダンス最高で~す

2011-02-12 14:47:10 | Weblog
日本でも大人気の韓国5人組歌手グループ「KARA」!!

若干20歳のメンバーながら今やアジアを代表するグループです!!

しかし!!今現在は所属事務所とのいざこざで解散の危機に面しています!!

美しきリーダーパク・ギュリ

元気でラップが得意なニコル

クールなお嬢様のク・ハラ

末っ子の可愛いカン・ジヨン

最強の童顔ハン・スンヨン


加齢臭よ!さらばでござる。

2009-07-03 16:56:04 | Weblog





それは、「皮脂汚れ」、「バクテリア」、そして「肌の疲れ」の3つ。
加齢臭は、これらが重なりあって発生しているのです。

まず、毛穴などに詰まった皮脂汚れに、バクテリアが繁殖し
「ノネナール」という悪臭成分を生み出します。
このノネナールがだす悪臭が、加齢臭となっているのです。

さらに私たちの肌は、40才を過ぎた頃から、疲れやストレスの影響を

受けやすくなります。肌が疲れると、皮脂汚れも溜まりやすく、
バクテリアに対する抵抗力も弱くなっているのです。
つまり、悪臭を放つノネナールが発生しやすい状態なのです。

このように加齢臭を防ぐには、3つの原因によって発生するノネナールに
対処することが必要となります。








加齢臭を防ぐには「ノネナール」の発生を防げは良いのです。

しかし実際には、皮脂汚れやバクテリアのケアはもちろん、毛穴や肌の疲れといった3つの原因に対応しなければならず、普通に洗っているだけでは、ケアが難しいのです。




キメが細かく、触り心地はクリームのように滑らかなこの泡。
この泡には、加齢臭のことを考えに考えた成分が独自配合されており、
3つの力で加齢臭を防いでくれるのです。

その力とは、どういったものなのか?





アレクサンドリアの・・・・

2009-07-03 16:47:45 | Weblog
エジプトの貿易都市アレクサンドリアのファロス島にあった灯台。アレクサンダー大王によるエジプト征服後,プトレマイオス2世(紀元前285年~紀元前247年)により紀元前250年頃完成しました。当時,アレクサンドリアは地中海、アラビア,インドを結ぶ中継地として栄えており、大灯台は寄港する貿易船にとって良き標識となりました。


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建設された場所はアレクサンドリア沖合1キロにあるファロス島東端より1キロの岩礁とされ,人口の突堤で本土と繋がっていたと考えられています。工事責任者はクニドのソストラテス。
 
大理石で出来たこの灯台は3つの部分からなりたっています。一層目は正方形の四角柱で一辺36メートル/高さ71メートルあり,四隅は東西南北を指し,トリトン像が置かれていました。二層目は窓のある8角形の塔で高さ34メートルでした。三層目は円柱形の塔で高さ9メートルあり、そこに火桶と反射鏡が備えられていました。さらに上部にはコーン型の屋根があり,ポセイドンの青銅像(7m)が据え付けられていました。全体の高さは120メートル(一説には140メートル)まであったと伝えられています。


 
この灯台の火桶と反射鏡で作られる明かりは50キロ先からも確認できたといいます。最上階からコンスタンチノープルが望めるとか,反射鏡の光で船を焼くことが出来たなどの伝説も残っています。


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内部にはたくさんの部屋があり,兵士の駐屯所としても利用されていました。地下には飲料水を貯めるタンクもありました。また階段のかわりにスロープ状の通路があり、灯台の燃料はロバによって運ばれていたといいます。


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この灯台はプトレマイオス朝滅亡後もローマ帝国,イスラム王朝によって受け継がれましたが,796年の地震で半壊し、西暦850年頃「灯台の下に財宝が埋まっている」との噂からさらに破壊が進みました。修復も試みられましたが失敗し、灯台としての機能を失ってしいましたま。その後イスラムの寺院として使用されていましたが,1375年(または1326年)の大地震のため倒壊してしまいました。跡地には1477年イスラムの城塞(カイトベイ)が築かれたため,現在では灯台跡は見る影もありません。
 
最近,海中より残骸の一部が引き上げられ,より詳しい調査が行われています。
 


灯台がリストになかった訳
 
ビザンティンのフィロの著書「世界の七不思議」には,アレクサンドリアの大代灯台は載っていません。当時フィロはアレクサンドリアに住んでいたらしく,灯台は毎日眺めることの出来る近所の建物でした。フィロは辺境の優れた建物を紹介しようとしたため,灯台はリストからもれてしまったと言われています。
 


バビロン番外・・・・・

2009-07-03 16:45:30 | Weblog
メソポタミア地方に栄えた新バビロニア帝国の首都バビロンにあったとされる架空庭園。バビロンは現在のイラクの首都バグダッドより南100キロにあり,当時は世界最大級の都市でした。
 
ネブカドネザル2世の治世(紀元前605~紀元前562年)に建設されました。”架空庭園”という名前は,何層にもなったバルコニーに植物が植えられている様が,空中からつり下げられているように見えたためついたとされています。


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基部は125メートル四方,高さは25メートルほどで,5段のバルコニー状のフロアで構成されていました。各バルコニーは大きな花壇を備えており,大量の土と多くの植物が持ち込まれていまた。建物の四方には幅6メートルの階段があり,最上階まで続いていました。


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砂漠の大庭園は毎日多くの水を必要としました。
そこで近くを流れるユーフラテス川から汲み上げられた水が,建物全体にいきわたるような仕組みがあったといいます。
 
しかし現在でも架空庭園の揚水システムについては詳しいことは判っていません。大型の水車を使ってフロアからフロアへ汲み上げたのではないかと考えられています。


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架空庭園を建設するキッカケとして,下記の話が残されています。
当時、ネブカドネザル2世はメディア王国から王妃アミティスを迎えていました。メディアは山も多く自然の豊かな国でしたが,バビロンは平坦で雨も少なく自然も多い訳では有りませんでした。そこでネブカドネザル2世はアミティス王妃のために,故郷の森に似せた緑の丘を作ろうと考え,架空庭園が作られたと言います。
  


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新バビロニア帝国は紀元前538年アケメネス朝ペルシャによって征服れ,首都バビロンも廃墟となりました。架空庭園も失われてしまい,場所も推定位置しか判明していません。
 
同時期のバビロンには巨大な建物が存在していましたが,美しさの点で架空庭園が七不思議の一つとして選ばれたと思われます。
 


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新バビロニア帝国の歴史
 
紀元前625年にアッシリア帝国から独立しました。紀元前612年にはメディア王国とともにアッシリア帝国を滅ぼします。その後,古代オリエント世界はリディア,メディア,エジプト,新バビロニアの4国対立時代を迎えます。そのなかで新バビロニアは有力でユーフラテス川沿いに勢力をのばし、ネブカドネザル2世の時代には地中海のユダ王国まで征服しました。このとき2回の「バビロン捕囚」がおこなわれています。550年にアケメネス朝ペルシャが興り、538年には新バビロニア帝国も滅ぼされました。アケメネス朝ペルシャは525年にオリエント全域を統一しました。 
 
 

番外編:バビロンの城壁
 
フィロンの選んだ七不思議には,バビロンを取り巻く「城壁」も入っていました。
バビロンは紀元前3000年から1500年栄えた大都市であり,それを取り巻く城壁は高さ90メートル(?)厚さ24メートル(?)で,総延長は24(64)キロにのぼり,100の門と250の塔を備えていたといいます。

この「バビロンの城壁」は、後世になって「アレキサンドリアの大灯台」と差し替えられて,今日私たちが知る七不思議リストが成立しました。