最近夜の画像載せてないなーと思い。うちのベランダからの景色を載せました。
団地の階段の明かりって妙に怪しい反面癒される気分になります。
怪しいと言えば、今年はもう稲川淳二の季節は終わったのかな?
毎年「ごきげんよう」でてるけど今年は見逃しちゃったみたいだ。
どのサイコロの目が出ても怖い話してたからな。
更に他のゲストのトークの時間でも怖い話してた。
おそろしや、稲川淳二。
稲川淳二で思い出したエピソードがある
地元の「ひらパー(旧ひらかたパーク」では昔から
「稲川淳二展」のような事をやっている(今も?)
その初年度、まだ小学生の僕は(まだ「レッドファルコン」も乗れないほど小さかった)ひらかたパークに足を運んだ。
小学生の頃から稲川淳二のファンと言う渋い趣味を持ち合わせていなかった自分の目当てはもちろん「プール」なわけで、プールは存分に楽しんでいた。
プール(当時から微妙にスケベだった)を十分に楽しんだその後。
何気にひらパーが大プッシュしていた「稲川淳二展」に入ることにした。
プール上がりたての便意と尿意を我慢して
入って直ぐのカーネルサンダース+食いだおれ人形みたいな稲川淳二人形を見た瞬間便意が最高潮に。
アレです、おしりの奥が「キュウウウウウッ」と痛くなるアレです(以下「尻キュン」)
アレ状態になると歩けない。現在でもあの状態になると歩けないのに。
尻キュンの対処法は唯一つ。外的ショックを受けないようにジッとして波が収まるのを待つ事である。もちろん姿勢は「気をつけ」の姿勢。
尻キュン状態の時ほど「気をつけ」の有難みを味わう時はないのである。有難みを感じている暇は本当は無いのだけれど。
波が収まればするべきことは唯一つ
次の尻キュンが迫ってくる前にトイレへ行く事である。
しかし友達連れの状態。友達へ「大便へ行く」とは当時は言えない年頃であった。
じっと我慢する自分。波が収まっている時は普通に動けるので普通に友達と話す。
大便を済ませていないのでなんの解決にもなっていないのだが。
そんな自分に地獄の尻キュン第2波が押し寄せる
尻キュンを体験した事がある人は分かると思うが、第2波は第1波よりも継続時間も震幅も「ギリギリ感」もレベルアップしているのだ(地理の地震の勉強みたいだ)
第2波はとてつもない衝撃であった。歩いていた途中に来たのだがあまりの衝撃の強さに歩みを止めて安全体位(気をつけ)をとることもできずに一歩足を踏み込んだ状態で動く事ができない。
はたから見ればめちゃめちゃ不自然である。友達も異変に気付き始めていた。
嫌な汗が流れる。
何とか持ちこたえたがいつ第3波が襲って来るか分からない。
第3波は我慢できるか分からないが第4波では確実に崩壊する。トイレへ向かうまでに第3波が襲って来るだろう。
どうしよう・・・どうしよう・・・
友達が心配そうに「大丈夫?」と話しかけてきた
。。。プッツン。。。
その言葉を聞いた瞬間(その言葉を聞いて判断したのかは定かではない)ものすごい勢いで振り切り猛ダッシュで出口へ向かうボク。
友達が追いかけて来てた気もするがすぐに聞こえなくなった。何しろ文字通り「必死」である。追いつくはずも無い。
外はただただ眩しく、そして暑かった。それは覚えている。
建物を出てからも走るのは禁物である。走るとその場で漏らす事確定なのだ。
速歩きでトイレへ向かう、「競歩」状態である。当時「競歩」という競技を知らなかったのに競歩のような歩き方になった。やはり陸上競技という物は人間の自然な動作に基づいて出来上がっているものだなぁ。
第3波がやってきた。やはり第2波の数倍のエネルギーだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ ・ : その時の足跡を示すとこうである
しかし幸いな事に相当なDASHで足を基とする下半身にかなり力(リキ)が入っていたので30秒間の地獄を持ちこたえる。いいぞトイレはもう直ぐだ。もうこのへんで鬼の形相になってるボク。
3分ほど歩くとトイレ発見!男へ入り和式に入った。洋式がなかったのだ。
当時洋式トイレでしか用を足せなかった自分が和式トイレに入ったのだ。コレも事件だったが気にしていなかった。
そうか、あの日以来和式トイレで用を足せるようになったのか。
この事件がなければ18になった今でも洋式でしか用を足せない人間になっていたかもしれない。やはり事件は人を成長させるものだ。
鍵を閉めズボンをおろそうとした瞬間。最も恐れていた尻キュン第4波がやってきた
そう、中腰になりずっと尻に力を入れまいと前に重心を置いていた事を開放した瞬間である。
第4波は容赦なく襲い掛かってきました。さっきまでの尻キュンとはケタが違います。(以下『尻ボム』)
何もかも違う衝撃。尻キュンの「あ・・・くるぞ」と思わせる時間。いわゆる初期微動は尻ボムには皆無です。そういう意味では尻ボムは都市直下型尻キュンとでも言うと分かりやすいだろうか。
耐え難い苦しさであった。あー思い出すだけでアナルが痛くなってきた。
その苦しみに耐える精神力や体力もなく
サタン 生 誕
そこに便器があるのに。便器があるのにパンツ(ブリーフ)の㊥へ特大をしてしまいました。ええ、8割方パンツへ。ついでに小も。ええ、じょーっっと。
悪魔の出産を終え、産湯(手洗い)で骸(白ブリーフ)を必死に洗っていました。
園内放送でボクの名前が何回も呼ばれています。
・・・泣いていました。ここでパンツを洗っている情けなさに。友達がボクを待っている事に。あぁ稲川淳二展に入る前に用を足していれば・・・稲川淳二展へ入らずゲーセンへ行っていれば!稲川淳二展さえひらパーが強力プッシュしていなければ!!稲川淳二展さえそこになければ!!!稲川淳二さえいなければ!!!!
と思ったのかは不明です。ここから先の記憶がないのです。
相当嫌な思いでもしたのでしょうか。まったく覚えていないのです。
よく映画とかであまりにもいやな出来事は脳が記憶消去してしまうと聞いたことありますがこれの事でしょうかね。
映画と違ってその記憶を取り戻そうとは決してしないですけど
とまぁリアルでも多くを語らないボクにとっては珍しく長くなりました。
今回はウンコ漏らしちゃった話っていうことで。稲川淳二ほとんど関係ないけどね
これ以外で人生であと3,4回はウンコ漏らしてるからそのうち書きます。
当初今日の稲川淳二のエピソードは2本立てにしようとしたんですけど1が予想以上に長くなったのでやめときます
簡単に言うとエピソード2は稲川淳二のビデオ借りて見たけど野郎ボソボソ喋りやがるから何言ってるか分かんなくてイライラしたっていう話。
それ言ったらエピソード1
「遊園地でウンコ漏らした」っていうだけの誰にでもあるお漏らし体験談なんだけどね(爆笑)
ブックマーク追加しました。各ブログについてのコメントもちょこっと更新。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
ウ ラ 島 根 -完ー
団地の階段の明かりって妙に怪しい反面癒される気分になります。
怪しいと言えば、今年はもう稲川淳二の季節は終わったのかな?
毎年「ごきげんよう」でてるけど今年は見逃しちゃったみたいだ。
どのサイコロの目が出ても怖い話してたからな。
更に他のゲストのトークの時間でも怖い話してた。
おそろしや、稲川淳二。
稲川淳二で思い出したエピソードがある
地元の「ひらパー(旧ひらかたパーク」では昔から
「稲川淳二展」のような事をやっている(今も?)
その初年度、まだ小学生の僕は(まだ「レッドファルコン」も乗れないほど小さかった)ひらかたパークに足を運んだ。
小学生の頃から稲川淳二のファンと言う渋い趣味を持ち合わせていなかった自分の目当てはもちろん「プール」なわけで、プールは存分に楽しんでいた。
プール(当時から微妙にスケベだった)を十分に楽しんだその後。
何気にひらパーが大プッシュしていた「稲川淳二展」に入ることにした。
プール上がりたての便意と尿意を我慢して
入って直ぐのカーネルサンダース+食いだおれ人形みたいな稲川淳二人形を見た瞬間便意が最高潮に。
アレです、おしりの奥が「キュウウウウウッ」と痛くなるアレです(以下「尻キュン」)
アレ状態になると歩けない。現在でもあの状態になると歩けないのに。
尻キュンの対処法は唯一つ。外的ショックを受けないようにジッとして波が収まるのを待つ事である。もちろん姿勢は「気をつけ」の姿勢。
尻キュン状態の時ほど「気をつけ」の有難みを味わう時はないのである。有難みを感じている暇は本当は無いのだけれど。
波が収まればするべきことは唯一つ
次の尻キュンが迫ってくる前にトイレへ行く事である。
しかし友達連れの状態。友達へ「大便へ行く」とは当時は言えない年頃であった。
じっと我慢する自分。波が収まっている時は普通に動けるので普通に友達と話す。
大便を済ませていないのでなんの解決にもなっていないのだが。
そんな自分に地獄の尻キュン第2波が押し寄せる
尻キュンを体験した事がある人は分かると思うが、第2波は第1波よりも継続時間も震幅も「ギリギリ感」もレベルアップしているのだ(地理の地震の勉強みたいだ)
第2波はとてつもない衝撃であった。歩いていた途中に来たのだがあまりの衝撃の強さに歩みを止めて安全体位(気をつけ)をとることもできずに一歩足を踏み込んだ状態で動く事ができない。
はたから見ればめちゃめちゃ不自然である。友達も異変に気付き始めていた。
嫌な汗が流れる。
何とか持ちこたえたがいつ第3波が襲って来るか分からない。
第3波は我慢できるか分からないが第4波では確実に崩壊する。トイレへ向かうまでに第3波が襲って来るだろう。
どうしよう・・・どうしよう・・・
友達が心配そうに「大丈夫?」と話しかけてきた
。。。プッツン。。。
その言葉を聞いた瞬間(その言葉を聞いて判断したのかは定かではない)ものすごい勢いで振り切り猛ダッシュで出口へ向かうボク。
友達が追いかけて来てた気もするがすぐに聞こえなくなった。何しろ文字通り「必死」である。追いつくはずも無い。
外はただただ眩しく、そして暑かった。それは覚えている。
建物を出てからも走るのは禁物である。走るとその場で漏らす事確定なのだ。
速歩きでトイレへ向かう、「競歩」状態である。当時「競歩」という競技を知らなかったのに競歩のような歩き方になった。やはり陸上競技という物は人間の自然な動作に基づいて出来上がっているものだなぁ。
第3波がやってきた。やはり第2波の数倍のエネルギーだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ ・ : その時の足跡を示すとこうである
しかし幸いな事に相当なDASHで足を基とする下半身にかなり力(リキ)が入っていたので30秒間の地獄を持ちこたえる。いいぞトイレはもう直ぐだ。もうこのへんで鬼の形相になってるボク。
3分ほど歩くとトイレ発見!男へ入り和式に入った。洋式がなかったのだ。
当時洋式トイレでしか用を足せなかった自分が和式トイレに入ったのだ。コレも事件だったが気にしていなかった。
そうか、あの日以来和式トイレで用を足せるようになったのか。
この事件がなければ18になった今でも洋式でしか用を足せない人間になっていたかもしれない。やはり事件は人を成長させるものだ。
鍵を閉めズボンをおろそうとした瞬間。最も恐れていた尻キュン第4波がやってきた
そう、中腰になりずっと尻に力を入れまいと前に重心を置いていた事を開放した瞬間である。
第4波は容赦なく襲い掛かってきました。さっきまでの尻キュンとはケタが違います。(以下『尻ボム』)
何もかも違う衝撃。尻キュンの「あ・・・くるぞ」と思わせる時間。いわゆる初期微動は尻ボムには皆無です。そういう意味では尻ボムは都市直下型尻キュンとでも言うと分かりやすいだろうか。
耐え難い苦しさであった。あー思い出すだけでアナルが痛くなってきた。
その苦しみに耐える精神力や体力もなく
サタン 生 誕
そこに便器があるのに。便器があるのにパンツ(ブリーフ)の㊥へ特大をしてしまいました。ええ、8割方パンツへ。ついでに小も。ええ、じょーっっと。
悪魔の出産を終え、産湯(手洗い)で骸(白ブリーフ)を必死に洗っていました。
園内放送でボクの名前が何回も呼ばれています。
・・・泣いていました。ここでパンツを洗っている情けなさに。友達がボクを待っている事に。あぁ稲川淳二展に入る前に用を足していれば・・・稲川淳二展へ入らずゲーセンへ行っていれば!稲川淳二展さえひらパーが強力プッシュしていなければ!!稲川淳二展さえそこになければ!!!稲川淳二さえいなければ!!!!
と思ったのかは不明です。ここから先の記憶がないのです。
相当嫌な思いでもしたのでしょうか。まったく覚えていないのです。
よく映画とかであまりにもいやな出来事は脳が記憶消去してしまうと聞いたことありますがこれの事でしょうかね。
映画と違ってその記憶を取り戻そうとは決してしないですけど
とまぁリアルでも多くを語らないボクにとっては珍しく長くなりました。
今回はウンコ漏らしちゃった話っていうことで。稲川淳二ほとんど関係ないけどね
これ以外で人生であと3,4回はウンコ漏らしてるからそのうち書きます。
当初今日の稲川淳二のエピソードは2本立てにしようとしたんですけど1が予想以上に長くなったのでやめときます
簡単に言うとエピソード2は稲川淳二のビデオ借りて見たけど野郎ボソボソ喋りやがるから何言ってるか分かんなくてイライラしたっていう話。
それ言ったらエピソード1
「遊園地でウンコ漏らした」っていうだけの誰にでもあるお漏らし体験談なんだけどね(爆笑)
ブックマーク追加しました。各ブログについてのコメントもちょこっと更新。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
ウ ラ 島 根 -完ー
もう腹かかえて笑ってしまったよ。
とりあえず最後まで読んでくれた事を一番感謝したいです
マジやばいな。コリャ。おもろいんで、次回作も期待してますよ。
評判良くって本当にうれしいです。長文書いた甲斐があるってもんです。
うんこ体験談また書きますよ。ほろ酔い気分のときに