Augustrait





[提供:講談社]
 1960年代から1980年代にかけて,多くの子どもたちが夢中になったウルトラシリーズ.ミニチュアや着ぐるみを駆使して,あたかも実写のように見せる独自の特撮技術を有し,日本のみならず世界の映像業界をリードしてきたはずの円谷プロから,なぜ,創業者一族は追放されたのか――.

 1966年7月から1967年4月の放送期間中,平均視聴率36.8%,最高視聴率42.8%を記録した「ウルトラマン」を制作した円谷プロは,2007年のTYOによる買収によって同族経営に終わりを告げた.初代ウルトラマンの成功とその後のシリーズ化で,乱脈経営のなれの果てと思われたが,実情はそうではないことが本書で明かされる.円谷英明は,「特撮の神様」の名をほしいままにした円谷英二の孫で,円谷プロ6代目社長を務めた.叔父,甥,従兄弟の不祥事や傲岸不遜な態度で,英明は社内の派閥抗争に敗れ,円谷プロを去る.放漫経営というより,経営感覚が愚鈍であった体質が,恥を忍んで語られている.

 英二の完璧主義,テイク累増の放埓さなどは,職人としては尊敬に値するもの.だが,「ウルトラマン」で成功を収めた1960年代後半でさえ,プロダクションの累積赤字は約2億円に達していた.60分ドラマの制作費が500万円という時代,30分の子ども向け特撮番組の制作費が1,000万円規模となっていた.しかも,決算年度の処理を曖昧に済ませ,赤字額を管理していなかったという驚きの実態が罷り通っていた.円谷プロは,娯楽のコンテンツ提供者としての「禁じ手」を,いくつも犯している.番組の企画や脚本を支えていた企画文芸部の廃止,赤字を埋めるため,なりふり構わぬキャラクタービジネスの邁進などである.当初の「ウルトラマン」は,単純な勧善懲悪に留まらず,侵略者側の悲哀や「正義」の葛藤をビターなメッセージ性として有していた.そのような作品性は,シリーズを重ねるほどに軽薄に劣化していき,玩具メーカーの意向を伺い著作権料を勘定するビジネスと化した.
‘当時の特撮は,CG(コンピュータ・グラフィックス)に慣れた今の視聴者から見れば,ちゃちな子供だましと言われるかもしれません.ただ,これだけは言えます.特撮にはでこぼこした手触り感があります.それは実物だけが持つ迫真です.どう壊れるかはやってみなければ誰にもわかりません.作った人が,こうなるだろうと考える決めつけを,あっさり裏切ります.全能ではない生身の人間と,なかなかその思いに応えてくれない素材が織りなす,結果が予想できないドラマです’*1
 約半世紀にわたる円谷プロの歩みとお家騒動は,窮地のウルトラマンの姿――凋落を必然化する「カラータイマー」を点滅させ続ける――そのものだった.円谷プロは,パチンコ開発販売会社フィールズ株式会社の連結子会社化した.現在,円谷一族は経営の第一線とは関わっておらず,英明は,円谷プロがいくつものターニングポイントで選択を誤ったことを愁嘆する.円谷プロを退いた英明は2006年,上海に制作会社を設立し,特撮の起死回生を図った.この時のエピソードが凄まじい.人員を日中で確保して撮影に臨むつもりが,申請関係で半年の時間が潰された.さらに,1年分の撮影を半年で終えるよう迫られ,財政はただちに逼迫し,2008年に自宅を売却.50回の放送予定を13回に減らし,フジテレビからの3,000万円出資でシリーズ完成に漕ぎつけられると考えた矢先,中国の編集会社が暴挙に出る.

 悪質な彼らは,ハードディスクに収めた映像資料を無断で抱え込み,使用権を主張した.それどころか,映像の編集や売却の権利までも宣言したのである.知的財産権のモラルが微塵もない所業に,苦しみながら対応に追われるうちに,英明の資金は底を尽いた.彼は映像ビジネスの再起を断念し,多額の借金だけを抱えて帰国したという.ウルトラマンはさめざめと泣き,ついに葬られた.血族としても経営者としても,祖父・英二のDNAを受け継いでいるはずである孫の,嘆きと怨嗟に次ぐ,絶望の声.振り返ってみれば,プロダクションの屋台骨は,「光の巨人」が代行しうるものではなかったのだ.偉大なるヒーローを支えるリアリズムが,決定的に欠如していた.往年のファンの多くは,知りたくはない顛末であろう.

円谷ヒーロー ウルトラマン全史 (講談社MOOK)
講談社

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原題: ウルトラマンが泣いている―円谷プロの失敗
著者: 円谷英明

ISBN: 9784062882156
  • 『ウルトラマンが泣いている : 円谷プロの失敗』円谷英明
    --講談社,2013.6, , 220p, 18cm
    (C) 2013 円谷英明

    *1 本書