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ミッシャ・マイスキー「わが真実」


 性的な音色を持つとされるチェロは,明るく快活な音楽を奏でることが好まれる楽器である.その音域は広く,奥深い.バイオリンの音域を凌駕し,バリトンからテノールの音質にも迫る響きがある.愁いを帯びた音楽性は,この楽器のソリストとなったミッシャ・マイスキー(Mischa Maisky)の全身から放たれる.そこに深い悲しみが色濃く映し出されていることを強く感じさせる.著者は,マイスキーの体験と,その演奏の鋭い響きに雷鳴のごとく心を突き刺された一人である.20年という長期にわたるインタビューで紡がれたマイスキーの言葉をまとめ,彼の一人称でその物語が分かる構成に仕立て上げた.本書は,これまで書かれたことがないマイスキーの評伝にしてその芸術論にまで及ぶ,音楽を支えに生きてきた畏敬すべき人物の軌跡を鮮やかに描き出す.

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左 《ミッシャ・マイスキー》
右 《伊熊よし子》


 彼は大海をのびやかに泳ぐように弾く.深く陰影に富んだチェロの音色には包容力があり,豊かな情感が感じられる.マイスキーは精力的に世界各地でコンサートを開くが,その都度大変な消耗に疲弊するという.ステージで休憩をはさみ,何度も着替えて演奏に向き合いなおす.これはマイスキーに特徴的とされるコンサートのあり方である.というのも,彼は普段はほとんど汗をかかない.しかし,演奏会になると滝のように汗をかく.それで何度も着替えなければならなくなるのだが,お気に入りはイッセー・ミヤケの衣装である.演奏に際して動きやすく,ゆったりとしてリラックスしながら弾ける演奏の最良の友となっている.

 ミッシャ・マイスキーは1948年1月10日にラトヴィア共和国(旧ソ連)のリガに生まれ,両親はともにユダヤ人であった.父は経済学者だったがスターリン政権に「あるユダヤ人の共謀者」という虚偽の密告がなされ,職を失い,党を除名され,小さい仕事を掛け持ちで一家の生活を支える生活に追いやられた.マイスキー家には父母のほかミッシャと姉,兄がいた.20世紀のロシアは1905年に立憲政体を生んだ革命,1917年のブルジョワ革命と社会主義革命,1991年の脱社会主義革命と4つの革命を経験した.マイスキーの父は理想主義者で共産党を信じ続けたが,1953年にスターリン政権が終焉して父にも「名誉回復」がなされたものの,もはや経済学者としての仕事には復帰できなかった.父は時代の犠牲者であったが,頑固で一徹な責任感,一度決めたことはとことんやり抜くという完璧主義的性格をマイスキーはほぼ受け継いでいる.

 マイスキーは8歳でチェロを始める.姉も兄も音楽教育を受けており,ある日突然「チェロを習いたい」と申し出て,リガの唯一のオーケストラ・ラジオ放送交響楽団で第一チェリストを務めるミハイル・イシャノフ(Михаил Issyanov)に師事.才能を見抜いたイシャノフの計らいでマイスキーはレニングラードの高等音楽院に入学し,1966年にチャイコフスキー国際コンクールに入賞する.コンクールの審査員だったムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Мстислав Леопольдович Ростропович)に認められ,彼の自宅で指導を受けることを許される.モスクワ高等音楽院で華麗なコンサートキャリアがスタートし,マイスキーの音楽家としての道は安泰のはずだった.

本書,p.5 p.37
左 《ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと》 
右 《兄ヴァレリー,姉ニーナとともに》 マイスキー10歳
 

 1970年夏,マイスキーは突然「為替法違反」の罪で逮捕された.海外通貨だけが通用する公的な店で提示した「証明書」で購入したテープレコーダーが逮捕の理由であるが,これは建前だった.前年に姉がイスラエルに亡命したことにより,マイスキー一家はソビエト当局の監視下に置かれていた.ソ連ではユダヤ人は「潜在的な移民」と考えられ,ユダヤ人家族の一人が逮捕されると,残された家族はすべて「容疑者」とされた.22歳だったマイスキーは,ゴーリキーの南40キロほどにあるブラフディンスクの強制収容所に送られた.18か月の間,毎日10トンのセメントをシャベルで運ぶという強制労働に従事することになったのである.

 2002年にNHKが放送した「未来への教室」でマイスキーは,ブリュッセルの自宅に10代の子どもたちを招き,無伴奏チェロ組曲第1番を聴き比べさせた.3人のチェリストが同じ曲を弾いているのだが,1番目はパブロ・カザルス(Pablo Casals),2番目はアンナー・ビルスマ(Anner Bylsma),3番目と4番目は,「カザルスたちほど有名ではない,ある音楽家の演奏」である.同じ曲であっても弾き手により印象は全く違うことに驚きを感じる子どもたち.「カザルスの演奏は存在感があるけれど固い感じ」「ビルスマのほうが好き」彼らのいろいろな意見を引き出し,マイスキーは彼らに問う.「3番目と4番目の曲は,どちらが若く,またどちらが年をとった演奏家だと思いましたか?」その場にいたほとんどの子は,「4番目がテンポも速いので若く,3番目が落ち着いていて年をとっている感じがする」と答えた.しかし,たった一人だけ逆の意見を述べる子がいた.「3番目がゆっくりで重厚な感じだけれど,少しぎこちない感じがします.でも4番目は速いテンポでも,自由で,楽しそうで,経験豊かな感じがします.だからぼくは,4番目のほうが好きです」――これを聞いたマイスキーは,3番目と4番目の演奏は自分の手によるものだと明かす.演奏の時期は,3番目が1985年録音,4番目が1999年録音なのだと.つまり,悠然と落ち着いて聞こえる演奏は若いマイスキー,速く自由に,飛翔するような解釈の演奏は,最近のマイスキーの音楽だったのである.

本書,p.6
左 《エルサレムでパブロ・カザルスに演奏を聴いてもらう》 1973 
右 《グレゴール・ピアティゴルスキーと写した唯一の写真》 1974
 

 マイスキーは子どもたちに語りかける.「…自然の静けさの中に聞こえる風や鳥の声が心をいやし,感性をはぐくむ」…彼は強制収容所にいる間に「生を感謝する」ということを学んだ.一日に一時間だけ許された収容所の屋上の散歩.そこには鉄格子が張り巡らされ,土も草も水もない.しかしきれいな空気を吸うことができる.監獄に舞い込んできた木の葉は,自然の生命力を伝えてくれる.自分の運命を嘆くことなく,「いつかここを出て,再びチェロを弾きたい.その時にはチェロの演奏にすべてを懸ける.人生のすべてを捧げる」と胸に希望を灯し続けた.

 固唾をのんでマイスキーの話に耳を傾ける子どもたちは彼に尋ねた.「どうして,過酷な収容生活を耐えることができたのか」.マイスキーは微笑んで,手のひらを胸にあてて答えた.「音楽がいつも,ここにあったから」

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上 《グレゴール・ピアティゴルスキー》
下 《パブロ・カザルス》
右 《アンナー・ビルスマ》


 逮捕された時と同じように,突如マイスキーは収容所から解放された.しかし,兵役についたらソ連を離れることはできなくなる.そこで彼は友人に有名なユダヤ人の精神科医を紹介してもらい,2ヶ月間精神病院に入院した.これでもう,兵役が課せられることはない.しかし,この精神病院での体験をマイスキーは語ってはいない.

 1973年にイスラエルに移住し,ガスパール・カサド国際チェロ・コンクールに優勝した後,ニューヨークのカーネギー・ホールでデビューした.公演後に招かれた匿名の老紳士宅で,1720年製のモンタニアーナのチェロを贈られた.マイスキー愛用のチェロで,重要なパートナーである.1974年,グレゴール・ピアティゴルスキー(Gregor "Grisha" Piatigorsky)とロストロポーヴィチという2人の巨匠の教えを受けた唯一のチェリストとなり,1985年に件のバッハの無伴奏組曲全曲をドイツ・グラモフォンとの専属契約で録音し,世界的名盤の評価を得る.2000年には再録音も行っており,それが子どもたちにレクチャーした「変幻」をみせるバッハということだ.
 現在,バッハに対する解釈は,若いころに比べると飛躍的に変わった.最初の《無伴奏チェロ組曲》は,いま聴くととても保守的で,堅苦しくて,若さが感じられない.
 これに対して再録音のほうは,実際には年齢は上だが,みずみずしい演奏だと思う.私は年々演奏が若返っているようだ.自由で,開放的で一定の枠にとらわれていない
本書,p.45 p.5
左 《寛大な心の持ち主,ミハイル・イシャノフ先生と》 1966 
右 《チャイコフスキーコンクール出場》 1966
 

 チェロの音響効果は,音を弱めるソルディーノを使えば愁いや気品を現すことができる.4本の弦のうち,a弦をgの音に下げることがバッハの無伴奏組曲では求められ,それにより陰鬱な音を出すことが可能になる.しかし何よりも,音楽家の人格や人間性を作ったすべての経験が襞となり,魂の音色を人の心に響かせる.その真実がマイスキーの音楽にはある.暗い過去と痛みを抱えながらも,必ず楽観的な見通しを信じ続けた人柄がなければ,才能があっても彼の音楽は鬱屈したままで埋没していっただろう.この音楽家の根幹にある明るさと誠実さがあって,生命力にあふれるチェロの響きに信頼をもって聴くことができる.

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《Otevření českého》 2005

マイスキーの芸術 マイスキー:ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 無伴奏チェロ組曲(全曲)

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▽『ミッシャ・マイスキー「わが真実」』伊熊よし子
-- 小学館, 2005
(C) Yoshiko Ikuma 2005