路上ライブを始めたのは、まだ地元の静岡にいた頃。もうかれこれ、、、そりゃすごい前。
浜松駅の地下道でやり始めた。
生まれ育った磐田は、人通りが少なすぎる。じゃぁ、ってことで隣の浜松まで電車で行って歌うことにした。最初、歌う場所をどうしようと物色した時、地上のほうが人通りが多い場所があったけど、地上は激しい場所取り合戦でどうにもならなくて、地下道は誰も歌ってなかったし、人通りも結構あった。声も響くし天気に関係なくできるしってことで、毎週金曜の夜7時半頃からだったかな?10時くらいまで歌った。
で、当時、自分は矛盾してた。
人に聴いて欲しいくせに、人前で歌うのが恥ずかしかった。最初は本当に物凄く恥ずかしかった。自分のオリジナル曲を聴かせるのも恥ずかしかった。
で、浜松まで来たんだから歌うんだ!と自分に言い聞かせて歌ってたけど、最初はあまりの恥ずかしさで、人通りが多い時間帯はカバー曲、人通りが少なくなったら自分の曲を歌った。
今の自分だったら「なにやってんだ!何のために歌ってんだ!」って自分に言うだろうなぁ~。。。
でも、カバーをやるとサラリーマンの皆さんが、仕事帰りによく聴いてくれた。オリジナル曲をやると、同じ音楽活動をしているギターケース背負った人たちがたくさん聴いてくれたり、話しかけてきてくれたりした。中には毎週来てアツミの曲を覚え、ハモってくれる人まで現れ、歌うたいの知り合いが増えた。
今頃、あの時のみんな、なにやってるんだろう?
東京のような大都会と違って、アツミの地元磐田は、夜8時くらいでバスも終わるそんな田舎で、だから高校生といえど、そんな夜遅くに出歩かない。そりゃそうだ、家に帰る手段がなくなる。だから夜に浜松駅で歌う娘を、母は随分心配していた。けど、母はやりたいことをやらせてくれた。確か父には黙っていたと思う。
やり始める前までは、自分がやると思ってなかった。でもとてつもなく歌いたいって言う気持ちがあったし、路上ライブをやることで、自分に達成感があった。
その路上ライブをやっていた頃、カクカクしかじかで前の事務所に声をかけられ、静岡からの事務所通いが始まって、やがて上京。東京で路上ライブをやることになる。
東京の路上ライブは、浜松の路上ライブとは比べ物にならないほど危険で、警察で、スリリングであった。
では、この話は、また。
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