ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロのウィットブレッド賞に輝く出世作「浮世の画家」(1986年英国で刊行)を取り上げ、NHKは初の8Kドラマ渡辺謙主演「浮世の画家」を昨2019年春に制作している。小野益次という画家を主人公としたそのドラマに、物語の各シーンで鍵となる絵画作品の制作を三人の現代作家に依頼し、それぞれのテーマ毎製作される過程をNHK日曜美術館が取り上げている(2019/3月)。それぞれの画家がイシグロの小説を読み、葛藤しつつ戦前・戦中・戦後の作品を制作する過程は、芸術家が何を考えどう表現しようとしていたかを、その言葉や表現方法を通して覗き見ることができると云う意味で、すこぶる興味深いものであった。更に、イシグロが提示した普遍的な問い、時代の変化に翻弄される人々や、戦後戦争協力者として批判にさらされる画家の抱えた精神的な戸惑いは、現世における藤田嗣治らの画家の戸惑いとか苦悩を想起させる。同様に画家達だけではなく、俳句・短歌・小説などの文学者らも戦後批判に晒されたことなどを振り返らせてくれる。また、国家主義への協力・服従を喧伝された全体主義の時代において、個人はどうそれに対処すべきなのか、「浮世の画家」という文学作品には多くの問題提起が含まれている。この雑文ではその辺りのことを、画家という芸術家の目を通して色々と考えてみたい。
東京裁判における戦争犯罪人A級戦犯28人の一人であった岸信介は、自分の犯した過去の行為に対する責任からいつまでたっても逃げ回ろうとする手合いの一人であった。そんな祖父の血をひく現首相安倍晋三が、自らの国家イデオロギーにしがみつき、国家権力私物化の様々の事実を前に、嘘を重ねて逃げ回る姿を見るにつけ、責任回避を旨とする血筋の凄まじさ恐ろしさが改めてまざまざと想起させられる。彼を取り巻く日本会議系議員(麻生太郎・岸田文雄・菅義偉・萩生田光一・下村博文・高市早苗・世耕弘成・稲田朋美・塩崎恭久・加藤勝信・衛藤晟一・茂木敏充・甘利明等多数)や官僚らの忖度集団も同様に、自らの損得とかを優先して結果責任から逃げ回るに違いない手合いが多いと思われる。そういう手合いに振り回される国民は、先の大戦時と同様にいずれ理不尽で不条理なツケを払わされることになるのは、ほぼ明白なのである。そう想いを巡らせると、国家のお仕着せに対して個人としてどう対応すべきか、と云う「浮世の画家」においてカズオ・イシグロが取り上げた問題提起を深く考えてみることは、個人個人により多くの知恵と教養が求められるがゆえに、現世においても大切な課題であるに違いない。そんな意味合いからもこの機会に私自身考え整理しておきたいと思った次第。
<「浮世の画家」のストーリーから>
カズオ・イシグロのこの作品は一人称の独白で書かれていて、物語の進行に連れて次第にその職業・家庭・師匠・友人関係が明らかにされ、主人公小野益次という画家が歩んだ戦前・戦中・戦後の状況が浮かび上がってくるという仕掛けになっている。小野益次の画家人生や、その作風に影響を及ぼした師匠森山誠治の画風とその存在、第一の弟子であった小野やその取り巻き仲間との人間関係、「日本国民に意義ある貢献をするような作品」を求める松田知州の出現、独自の作品を描き始め師匠森山からの離反・独立、戦前退廃を否定する作風に変化した小野を持ち上げる人々や、技量を持つ画家黒田ら仲間からの称賛、戦後黒田ら昔の仲間は小野から離反し接触を避け、加えて娘紀子の結婚話は小野の戦争中の活動に対する世評の影響からかなかなかスムーズに進まない。1948/10月・1949年/4月・1949年/11月・1950年/6月という戦後の時間軸毎に、娘の幸せを願う小野の行動を通じてそのような過去がぶり返されていくという形で物語が進行する。画風の変化における小野の葛藤とか、黒田ら取り巻き仲間らの離反に垣間見える人間の性、松田との戦後の再会における過去への共感、娘紀子の結婚話に絡む家族や娘婿からの扱われ方など、さまざまのエピソードを通じて主人公小野益次が自らの過去の過ちを直視する姿勢を持つ、尊厳ある人物像が明らかになっていくという物語である。
カズオ・イシグロはかなり入念に戦前・戦後の日本の芸術家たちの有り様を調べたように思える。1954年生まれのイシグロは、1960年五歳のとき家族と共に渡英していて、日本の様子を詳しく知っていたわけではないから、両親からの伝聞とか、英国での学校生活において入手した英国視点からの情報しか手に入らなかったはずである。戦意高揚協力者としての画家・音楽家・文学者は、従軍した方々も含め多数いたのである。戦後の批判に対しそれぞれに思うところがあったはずであるが、その心情の詳細は伝えられてはいない。例えば、「アッツ島玉砕」(1943年)を描いた藤田嗣治は、「戦争画を描いてこの世に生まれた甲斐のある仕事をした」と語っていたらしいが、あの作品は戦争の悲惨さを現わしてはいるものの、戦争を礼賛しているあるいは玉砕を称賛している作品とは思えない。しかし、戦時中の評価とは一変し、非難されるという戦後の世の中になり、矢面に立たされる。ある後輩の画家から「あなたに責任をとってもらいたい」と頼まれた藤田は、再び渡仏後フランスに帰化し、名前をレオナール・フジタと改め再び日本の地を踏むことはなかったのである。物語では、戦意高揚の歌を作り大きな役割を果たしていた那口幸雄という作曲家が、政治家や将軍たちと一緒に責任を取ろうと自殺したことを、孫から質問を(詰問されている?)受けるというかたちで取り上げられるなど、かなり当時の芸術家たちの状況を踏まえて書かれている。
<ドラマ用に制作された三枚の絵画>
NHKはやはり資金力がある。ドラマの一部にほんの一瞬しか登場しないと想われる絵画を、三人の画家に依頼して制作させている。ここではその作品と、制作に至る芸術家達の思考を取上げてみたい。
宮崎優の作品: 現代的な美人画を独学で学び得意とする若手画家への課題は、小野益次の師匠森山誠治の画風による作品で、享楽的な色ごとや遊郭における遊郭の女性を描くことである。小説の中では「現代の歌麿」と呼ばれていた森山は、遊女や芸者の絵を得意とすると書かれている。「女の表情よりも、女が手に持ったり、身にまとったりしている織物によって感情を表現するとか、輪郭線で形を表現する伝統的な技法は…捨てて、色彩ブロックを用いたうえ、光と影で立体効果を出すことを好んだ。モリさんの最も重要な原則-つまり、地味な色彩の使用という原則-をうち立てた。モリさんの念願は、描いた女たちのまわりに、ある種の愁いを帯びた夜の雰囲気を醸し出すことであった。絵のどこかに必ず行燈とか提灯の存在が感じられるというのが、一種の通り相場になっていた」、と書かれているモリさんの作風を受けて、宮崎優の描いた作品は、風呂上がり畳に座った浴衣姿の遊女が、見返り美人風に左下方に振り返りながらその黒髪を櫛で梳いている。畳の目とか遊女の浴衣の柄とかはリアルに描かれ、遊女の左側には行燈があり、その光がもたらす光と闇の揺らぎが背景に描かれている、といった風である。
・宮崎優のコメント- 「浮世」には、享楽的な色事や遊郭という意味がある。女性の中の光と影そのものを表わすのに、髪を墨で描くと云うのが、一番すごく私がしっくりくるというか、美しいのではないかなと、水の動きから出る柔らかい空間は日本画ならではのものなのかなと思う。まったく今まで(の宮崎の描く絵の雰囲気)とは違う。女性の表情を書いている途中で、これはモリさんの絵だなと思った。普段の私が描いて視えている絵からは生まれてこないしぐさだ。畳の目を描くか悩んだ、結局細かい目までしっかり描き込んで、主張しすぎずに空気感をだせるのだなと、それを汚して空気感を出した。全体に光と闇の揺らぎの反復がすごく強くあるなと感じた。浮世絵の風俗もまさに光と闇の境界線、あいまいなところに存在しているのかもしれないと感じた。私自身の絵も、女性の中の光と闇を表現するところが美しいと感じるところだ。そこと通じるものがあった。モリさんが愛した世界は、文化の美しいところとか詰まっていて、集まってくる人とのつながりを貴い、と思っていた人ではないかと想像するのが楽しかった。
近藤智美の作品: 師匠森山誠治から離反し、松田知州(「日本精神」なる理想を掲げ美術活動をしている)に誘われて通った貧民窟で遊ぶ少年たちなどから想起した、「独善」という小野益次の作品制作が課題である。小説の中では、「むさくるしい道端に立ってしかめっ面をわれわれの方に向けたり、棒切れを振り回したりしている三人の男の子の姿…それを「独善」の中心的なイメージとして用いた。いまや戦いを始めようとする若武者の表情になって…伝統的な剣道の構えで帽を振り上げていた。三人の子供の頭上で絵がぼかしてあり、別のイメージに連なっている…豪華なバーで酒を飲みながら談笑している三人の身なりのいい、でっぷり太った男たちで…彼らの顔は退嬰的であり、情婦についての冗談か何かを交している様子であった。この対照的なふたつのイメージは日本列島の海岸線のなかにはめ込まれていた。右側の余白には肉太の赤い字で『独善』とあり、左手にはやや小さい字でアッピールが書き込まれていた-『ソレデモ若者ハ自己ノ尊厳ヲ守ルタメニ戦ウ覚悟ヲ決メテイル』」と述べられている。貧しい人を救おうと「王政復古」を掲げている松田らの美術組織は、小説ではまるで「八紘一宇」という理想を掲げた戦前の日本の姿そのものであるように書かれている。近藤智美が描いた作品は、小説中の言葉通りであり、絵の下部、日本列島の海岸線の伊豆から房総ラインの下には、学徒出陣式らしき雨中行進している風なあまたの軍足の列が描かれている。絵を見たカズオ・イシグロが自分のイメージ通りだったと語ったように、想像力を働かせた近藤智美とイシグロの大きな共鳴は、驚愕に値する。(※「八紘一宇」はアジアへの侵略を正当化するためのスローガンで、日本書記の中の神武天皇の詔勅の言葉を根拠に、田中智学が1903年に日本的な世界統一の原理として造語したもので、1940年近衛内閣が「皇国の国是は八紘一宇とする肇国の大精神に基づく」と述べ、広く唱えられたという経緯を持つ言葉である。また、田中智学(1861~1939)は日蓮宗に飽き足らず在家信者団体「国柱会」を創立し、後に日本国体学の体系化を進めた人物である)。
・近藤智美のコメント- 「浮世」には、その漢字のイメージの他に、現実=今の世(憂き世)という意味がある。その人の環境と時代背景とその背負っているトラウマなどから、こういう画風だろうと云う想像は出来たし、油絵の技術的には想定できたものの、役になり切らないと書けない部分は確かにあった。近藤は、小野益次の思想に入れないので、正面から向き合おうと昭和館へ足を運び、戦争絵画や戦争中の人々の様子について調べている。最初は資料等の劣化を見て気持ち悪いと思ったと云う。広島生まれの彼女は、怖くて嫌な気分になるので戦争をモチーフに描くことをこれまで避けてきた。注目したのは藤田嗣治で(1886~1968)、「アッツ島玉砕」(1943)などの戦争絵画は、全国を巡回し戦争へと向かう時代の空気を創り出していった。どんな考えがあっても描いている時は思想・テーマ・コンセプト(戦意高揚と云う)が飛ぶので、ただ筆が乗って作品が仕上がったその後に、考えた(戦意高揚絵画について)ことはあったかもしれない。作品の日の丸は近藤が描き加えたもので、主人公の精神を理解し説得力を持った絵を描くのは簡単なことではなかったと云う。小野益次にも畏れ・戸惑い・葛藤があったのではないか、(だから)腕力にまかせた筆使いだったのではないかと考えた。何度も塗りなおし画面を汚す描き方をして、醜いスタイルを受け入れねばという葛藤があったのではないかと言い、謎が解けそうな気がすると語っている。
福井欧夏の作品: 小野益次と同じく森山誠治に学んでいて、離反した小野の信望者として振舞い、むしろ国策に沿った小野の絵画を積極的にほめそやしていた黒田、彼の作風の影響を多大に受けている戦後の弟子たる円地という画学生の作品である。太平洋戦争に突入するころ、黒田は小野と袂を分かち別の絵画を目指したようだ。その絵画の画風の詳細は不明なるものの、開戦前年の冬、黒田は警察のガサ入れにより逮捕される。黒田の家に駆け付けた小野益次は、画家で内務省文化審議会の一員に加え非国民活動統制委員会の顧問に任命されている旨を、警官に告げる。証拠となる作品以外の黒田の作品は、「非国民のクズめ」という罵りと共に彼らの手で焼き捨てられてしまう。その場で小野は、焼き捨てられたと云う作品の中に優秀な作品がたくさんあったと、焼く捨てる必要はなかったと主張する。戦後、黒田は終戦に伴う釈放の後、何年もの獄中生活が黒田にとって大きな名誉となり、ある種の団体はいつも彼をもてはやし、生活の面倒までみてもらうと云う暮しを手に入れ、ある大学の美術専任教員の職を与えれれた。娘の結婚に絡み黒田と会って話をしようと訪れたとき、小野という名前を出した途端に、円地から黒田が帰宅後に手紙を出すように伝えるから即帰ってくれとぞんざいに応対される。そして会いたくないとの黒田からの手紙が小野に届く。このように森山誠治と小野益次と黒田の入り組んだ人間関係から窺えるのは、基本的には森山の画風の上に、八紘一宇という国家主義的なテーマに取り組み始めた小野と、労働者とか社会主義・共産主義的なテーマ(非国民扱いされる)に転身した黒田、とうい相違点である。その黒田の画風の影響を大きく受けている円地の作品はどういうものなのか。福井の出した結論は、暗い配色の背景に和服姿の女性の表情が輝いて見え、右45度を向く女性の顔の他に輝いて見えるのは若干背中を見せるようにひねってあるポーズの鮮やかな和服の襟の輝きである。ドラマでその絵は、庭に面した和室の暗めの壁に掛けられていた。暗い壁に掛けられた作品は、その人物が浮かび上がるように明るい。
・福井欧夏のコメント- 「浮世」には、つらくはかない世の中という意味がある。黒田宅を訪れた小野は、暗い壁の中に人物が浮き上がって見える絵を発見する。戦後筆を折っていた小野益次にとって、戦後出会ったその絵(最初黒田の作品と思っていた絵)を見て、こういう時代があったと懐かしいものを感じたのではないか。小野が褒めた黒田の弟子の絵、小野は羨ましかったのではないか。(福井としては)一瞬に宿る美を描いた。浮世にはつらくはかないと云う意味があり、ほとんどの作家(画家)が浮世の画家で、はかなく美しいときを求めている。哀しい状況でも皮肉にも美しく見える一瞬がある、(その一瞬の)はかなく消える表情を(これからも)描き留めたい。
<カズオ・イシグロへのインタビュー> - 作家小野正嗣による
NHK日曜美術館では、日本における初版本の解説を書いている作家小野正嗣(番組のMCをも務めている)によるカズオ・イシグロへのインタビューを行っていたので、その概要を下記に列記した。
テーマを画家にした理由: 芸術家の義務とか、芸術家にのしかかる様々な影響とか重荷について、いろいろと問いかけてみたかった。日本やヨーロッパで人々が辿った運命のようなものに興味を持ち始め、世界大戦・ファシズム・軍国主義時代に育った人々は、必ずしも悪い人間ばかりではなく、誠実な人もたくさんいた。ごく普通の人だったがゆえに歴史の波にもまれてしまった。平穏な暮らしをしたいと、何か自分に出来ることはないかと、ただただ頑張っていただけなのに、当時の情勢に流されてしまった。そして年老いてからいったい自分は何に貢献したのか恥じ入る。これがこの作品のテーマです。
「浮世」という言葉の多義性は意識したか: 水商売(浮く・浮世)のつかの間の喜びを祝する浮世の画家でいるのは嫌だ、と小野は現実に即した絵を求める。しかし、それも浮世だった。たぶん生きているこの世が浮世なのだ。小野の葛藤が見えてくる。心落ち着かない自分、いやこのスタイルでやらねば、情熱やエネルギーが新たな方向に動いていくのか、葛藤が絵に現れている。二つの浮世、芸術家は自分の世界の追求と現実の社会との間で、どういうバランスをとればいいのか、これは皆が直面する難問だ。それは芸術家というだけではなく、市民としての義務があるからだ。だからその矛盾は普遍的なものである。でも個人的には、政治的・歴史的背景を意識した芸術作品に敬意を抱く。僕は、芸術家はこの世界での人間としての位置づけを理解するべきだと思う。なかでも大切なのは、自分が政治的・経済的・歴史的にどう存在するのかを理解することだ。だから、美しい芸術作品を創るためにも、これと同じく様々な影響関係を理解しなくてはいけないのではないか、といつもそんなことを考えている。
画家の戦争責任について: 人として懸命に義務を果たそうとした実に誠実な心の持ち主に同情を抱く。一方で、ある大義がどんな結果をもたらすのか十分に意識しながら、それに加担したような人には強い怒りを感じるし、非難すべきだとも感じる。だから、ユダヤ人が例えば迫害され殺されることが分かっていながら、そうしむけるようにプロパガンダにユダヤ人を描いたような人間に対しては、全く同情の余地がない。そういう画家は非難すべきだと思う。だけど、ほとんどの人間は、自分が歩んでいる人生に関しては、視野がすごく限られている。だいたいは自分の小さな世界の中で人生を送ることになって、囲いの外を見ることは難しい。社会に生きるごく普通の人間が、自分の行為がどのような影響をもたらすのか、見定めることが大変難しい。そういうことを(この作品の中で)言いたかった。だから、当時を振り返ってやつらは「あんなことをしたじゃないか」と誤って非難してはいけないと感じる。
芸術を「はかないもの」と考えているか: ほとんどの人が、自分が生きている時代と、何らかの形ですごく関連している芸術に価値を見い出す。そして世界が変わるとともに芸術の意味も変わる。僕ら芸術家の作品がいつまでも変わらないという期待はできない。人生の中で永遠なるものをつかむことはとても難しい、ということは大切なテーマである。芸術で言えば、数々の「はかないもの」を、はかないものとして祝福しようではないかという発想から(芸術が)生まれた。美というものはつかの間の中にだけ存在する。そしてそれを掴めるのは一瞬だけで、消えてしまうのも喜びだから、尚更祝福したいという発想から生まれたものだ。美や真実は何処に存在するのか、という問題は僕にとってすごく重要なものなのだ。
芸術とは何か: はっきりと定義できない。僕にとって絵画を見たり音楽を聴いたり本を読んだり映画を観たりしたとき…心を動かしてくれるものに、何らかの感動をしたい。別に涙が止まらないと云う意味ではなくて、怒り・悲しみさらにもっと複雑な感情をもたらすもの、つまり心をひくようなものだ。僕にとっては、そうでなければ芸術作品とは言えない。人間がお互いに心を通い合わせることができないものなら、僕は興味がない。人々が人生について思い・考え・感じていることを共有する、これは全ての人が持つ本能で、この本能が生きているということなのだ。(芸術は)この気持ち感情を共有したい、君も同じかと呼びかけている。これが根本にあって、人間であること、人々が集い・社会ができ・関係を築き、結婚して家族ができ親子の絆を結ぶ為の、非常に貴重な要素だと思う。これらは人々にとって非常に大事なことだと思う。
<社会心理学の視点から考える> -小坂井敏昌「社会心理学講義」から
カズオ・イシグロの小説には、既に取り上げた小野益次・師匠モリさん(森山誠治)・黒田の他に様々な個性を持った画家が登場する。先に書いたように黒田は、小野を持ち上げ自らも戦意高揚の絵を率先して描いていたにもかかわらず、ある時点から小野益次や松田知州らとは袂を分かつ。他の例をあげると、カメさんという字を持つ中原康成という中学高の美術教師、生真面目で臆病なその画家は皆の足手まといになる人物だったらしいが、小野は彼をかばったりする。そのカメさんはモリさんを深く尊敬する余り、後に画風を変えモリさんと袂を分かつことになる小野を、裏切り者だと非難することになる。あるいは、松田知州の下で絵を描いていた時の小野益次の仲間でおどおどしている信太郎は、戦後高校への就職成就の為に任用審議会(占領軍当局の息のかかった)へ、小野益次とは意見の不一致があったと云う一筆を書いてくれと要請しに来る。画家たちは当時の軍部の圧力に対し、実際には夫々に異なる対応を取るのだが、そこに現れる人間の心理について、社会心理学の視点から彼らの「人間の意志と行動」を眺めて視る。
社会心理学では認知不協和理論というものがある。簡単に説明すると、人間は簡単に影響される。しかし同時に、自分自身で考え、行動を選び取ると云う感覚も我々は持つ。意志が行動を決めると我々は感じているが、実は因果関係が逆で、外界の力により行動が引き起こされ、その後に、発露した行動に合致する意志が形成される。そのため意志と行動の隔たりに我々は気付かない。つまり人間は合理的動物ではなく、合理化する動物である。行動に合致するように態度が変化するとは、どういう意味か。態度とずれる行動がそもそもなぜ生まれるのか。それは他人の意志に反する行動を社会が強要するからである。我々は幼少のころから、両親・親戚・近所の知り合い・学校教師、そして後には会社の上司などによって社会規範を押し付けられる。理不尽でも上司の命令には従えなどと言われながら人間は社会の規則を内在化する。強制の下に行動しながら、我々の態度・意志・信条が作られる。つまり、強制された行動に合致するように態度が変化する。人間の意識が存在を規定するのではなくて、逆に社会的存在形態が意識を規定する。「嫌ならいいですよ。強制する気はありません」と言われると、本当は外的強制力が原因で引き出された行為であるのに、その事実が隠蔽されあたかも自ら選び取った行為だと錯覚する。ここには自由意志などなくあるのは自由の虚構である。つまり私達は「意志と行動の乖離」に気付いていなかったのである。
他人に影響されず自分自身で何でも決める個人主義者と、周囲に影響されやすい個人主義的傾向の弱い人を受けやすい人を比較してテストしてみると、個人主義者の方が、行動に合致するように意見を変更しやすい。自分の信条と矛盾する行動をするとき、自信が強く、他人に頼らないで判断しようとする者の方が、周りの評価を気にしがちな者に比べて認知不協和がより強くなり、認知不協和を低減する為に、自信のある人間の方が意見を変えやすい、また、知能の高い者ほど意見を変えると云う。これはフェスティンガーという社会心理学者の実験結果を基にした影響力の大きな説で、多くの議論を巻き起こした。もちろん実験結果の多数派に基づいた理論であるから、個々の人間にフィードバックした場合にはそれぞれに異なる結果となることは言うまでもないことだが、大衆心理とか知識人の心理とかに当て嵌めて考えると、特に先の大戦戦時下の全体主義体制を理解する上では納得させられる理論である。カズオ・イシグロの小説に登場する画家たち、例えば黒田とカメさんの行動における対比を見ると、当にこの理論に該当しているように思えし、このような事例は皆さんの人生の過程においても経験済みの事象ではなかろうか。カズオ・イシグロは、認知不協和理論というものを知らずとも、そういう人間の「性」を取上げたのだろうと思われる。こんな処にもカズオ・イシグロの物語における普遍性というものが見て取れるのであった。
<ハンナ・アーレントに学ぶ> -その著作から
ハンナ・アーレント(1906~1975)はドイツ系ユダヤ人で、ナチスの迫害から逃れてアメリカに亡命した政治思想家である。「浮世の画家」を読みカズオ・イシグロのNHKインタビュー映像を見ていて、彼がこの小説を書くにいたる道程の中で、題材としての日本人画家藤田嗣治等の他に、ハンナ・アーレントを読んでいるに違いないと云う確信を私は抱いた。ユダヤ人が迫害され虐殺されるに至る、プロパガンダを描いた“人”への彼の強い非難口調は、ハンナ・アーレントが同胞であるユダヤ人から非難の的になった、ユダヤ人指導層のナチス協力への批判に至る顛末を思い出させる。
「イェルサレムのアイヒマン」: ヒトラー支配の時代(1933~)ユダヤ民族としての国家・政府・軍隊を持っていなかったものの、ユダヤ人自治組織や政党や福祉団体は存在していた。ユダヤ人が暮らしているところには一般に認められたユダヤ人指導者が存在していた。しかし、これらの指導者は例外なく何らかの形でナチに協力した。ユダヤ人評議会の指示に服さなかったら、虐殺による犠牲者のおよそ半数は助かっただろうとアーレントは批判する。ユダヤ人指導者は名簿と財産目録を作成し、移送と絶滅の費用を移送させるものから徴収し、空家となった住居を見張り、ユダヤ人を捕らえて列車に乗せるのを手伝う警察力を提供すると云う仕事を任されており、最終的没収の為にユダヤ人自治体の財産をきちんと引き渡したのだ。もちろんこの批判に関して、ユダヤ人指導者たちが言語に絶する監禁状態のもとで働かなければならなかった事実を伝える努力を怠っているという非難があった。確かにユダヤ人の「協力」は自発的なものではなく、ナチスの強制による、ユダヤ人評議会設置の威圧・脅し(報復するぞと云う)があった。彼らが恐ろしい決断を下す際に抵抗の可能性はなかったかもしれないが、何もしないという選択肢はあった(はずだ)、指導層にはまだ一定の限られた決断と選択の自由は残されていた、とアーレントは反論している。
ユダヤ人評議会のメンバーを正当化する議論、「もし死ななければならないのなら、同族によって選別されたほうがよい」とか、「百人の犠牲者で千人の犠牲者を救うつもりだ」という意見に対し、即ち善良な人間が最悪のことをしてしまうということに対し、道徳的行為が何れも違法であり、合法的行為が犯罪になってしまう場合(つまりユダヤ人氏指導者の置かれていた状況)、人が公共的生活から身を引くことの、つまり何もしないことの重要性を、彼女は指摘する。何らの確かさを持って包摂する一般的規則もない状況、手摺なしで考え判断し行動しなければならない場合、そこにおける思考や判断力の役割をアーレントは指摘しているのである。「イェルサレムのアイヒマン」という、ナチス親衛隊将校が1960年イスラエル秘密警察に逮捕され、1962年死刑判決を受けるまでの裁判過程を書いた単行本で、アーレントはそう主張している。(※アイヒマン裁判の顛末では、未だ捉えられていない元ナチス党員の行為を放置してアイヒマンに焦点を絞り、これと引き換えにイスラエルにアイヒマンと武器を提供する、という西ドイツとイスラエルの取引が裏にあったのである)
国民全体が道徳的瓦解に直面した国が、殺人を法として制定し、殺人を法的義務に変えた(尋常でない虐殺の)体制の中で、忠実な法の遵守者だったアイヒマンを、普通の正常な人間であるとアーレントは見做した。彼らに共通する思考停止あるいは判断力の欠如があったとしても、尚、アーレントは、判断することへの拒否、構想力の欠如、代表(表象)せねばならない他者を考慮に入れないことは過ちなのだと、「判断力」の欠如という概念を取上げ断罪する。アイヒマンが大量虐殺組織の政策を実行し、それ故積極的に支持したという事実は変わらない。政治においては服従と支持は同じものなのだ。つまり、アイヒマンが政治(ユダヤ人虐殺という)を支持し実行したからこそ、君が絞首刑にされねばならぬ唯一の理由だとアーレントは結論付けている。このような状況下で信頼できる人は、疑う者、懐疑主義者である、というのはそのような人々は「物事を吟味して決心すること」に慣れているからだ、とアーレントは言う。
「全体主義の起源」: アーレントが1951年に刊行したこの著作は、彼女の該博な知識と綿密な資料に裏打ちされた記念碑的な作品で、その名を世界に知らしめた。今回は、その著作から全体主義に特徴的な言説を取上げる。「大衆」とは共通の利害で結ばれておらず、特定の達成可能な有限の目標を設定する個別的な階級意識を持たない存在である。無力な政党の背後に立っていた潜在的な多数派が、絶望して憎悪を燃やす組織されない無構造の「大衆」へと変容した。彼らの社会的特徴は自己保存本能の退化とでもいうべき没我(自分自身など問題ではない。自分はいつでも取り換えがきく)の感覚と自分の幸福への無関心、共通の世界の喪失による無世界性である、自分自身の死や他人の個人的破壊に対するシニカルな無関心、常識や日常性への軽蔑、残酷さや愚かさや無教養でもなく、他人との繋がりの喪失と根無し草的性格がそれである。共通の世界が破壊され、単に孤立しているばかりではなく、自分自身以外の何者にも頼れなくなった相互に異質な個人が、同じ型にはめられて形成する「大衆」社会が成立したとき初めて、全体主義社会は何物にも阻まれず、自己を貫徹したのである。
難解な著作の全貌を理解・説明するには、解説本を読んだだけでは限界があるので、アーレントが見立てた「大衆」の性癖への洞察を引用(解説本から)する。「大衆」は目に見える世界の現実を信じず、自分たちのコントロール可能な経験を頼りとせず、自分達の五感を信用していない。「大衆」を動かすことができるのは勝手に作られた統一的体系の首尾一貫性だけである。現実から逃避し、事実から目を背けて必然性を信じようとするのが「大衆」の心性である。常識はまったく曖昧さのない現実、全てが完全に一致する現実などありはしないことを教える…(にもかかわらず)「大衆」がひたすら現実を逃れ矛盾のない虚構の世界を求めるのは…アナーキー(政治的社会的混乱状態)な偶然が支配するようになった世界にいたたまれなくなった彼らの故郷喪失のせいである。「大衆」はアトム化(孤立)によって社会の中に居場所を失ったと同時に、常識が機能しうる枠組みを為していた共同体的な人間関係の全領域を失ってしまった。一つのイデオロギーの硬直した狂気じみた首尾一貫性に身を捧げたほうが…最低限の自尊と人間としての尊厳を保障してくれると思えるからなのだ…そしてテロリズムが政治的行為の表現形式そのものになり、既成のものに対する自分たちの憎悪と盲目的な怨恨を表現する手段となった…とアーレントは「大衆」のメンタリティーを指摘している(もちろんこの見立てはドイツにおけるナチズムへのものであり、日本における皇国史観・八紘一宇とか国家総動員法なる戦時体制と完全に一致するものではないが…)。
全体主義の指導者はこの「大衆」の心性につけ込む形で、経験可能な現実の中から、フィクションに相応しい要素を持ち出し、それらを検証可能な経験から切り離された領域の中に持ち込み利用する。全体主義の組織はプロパガンダにおいて達成される虚構の世界の矛盾なさに正確に合致するように作られたのである。ナチス体制が最も力を注いだのがゲッペルス率いる宣伝省で、国民を一致団結させナチス国民革命のもとに結集させる、という精神的動員であった。メディアや文学・音楽などの芸術も画一化されナチスの方針に沿った世論作りに動員され、意見表明の回路も統制下に置かれた。ナチスの教義は曖昧であったが至上の価値であり、盲目の犠牲と完璧な忠誠が要求され、異民族に対する一方的な優越感が醸成されていった(この辺りは日本における八紘一宇という思想体系、アジアに対する優越思想と酷似している)。つまり、「イェルサレムのアイヒマン」の項で取り上げたように、アーレントの言う「判断力」欠如という批判・見立ては、こういうユダヤ人虐殺が合法化された状況下で、それ(強制収容・虐殺)が合法(当時のナチス体制で)だからといって自分に責任がないと言えるか、というアイヒマンへの強烈な問いだったのである。
<考察する>
芸術家の考え方について:
三人の現代作家のコメントは非常に興味深かった。日頃の自分の絵に存在する「私はこう見えた、こういう感情を抱いた」と云うテーマとはまったく異なる、物語の画家の感情に沿ったテーマの絵を描くと云う行為は、三人の画家を大いに悩ませた。三人ともそれぞれに自分との違いを意識し、物語の画家になり切って作品を描くという演劇体験のようなものに取り組み、更に「浮世」という多義性を含む言葉の意味を真剣に問うている。「享楽的な色事や遊郭」「現実=今の世(憂き世)」「つらくはかない世の中」という「浮世」について、カズオ・イシグロは「(小野益次は)つかの間の喜びを祝する浮世の画家であることを嫌い、現実に即した絵を求めたが、しかし、それも浮世だった」と、主人公の絵に現れる葛藤を述べている。宮崎優は自らが女性の光と闇の美しく感じるところを描くと語り、近藤智美が自ら画家は「浮世の画家」だと認めているように、また、福井欧夏がはかない一瞬の美しさを描き留めようとするように、画家たちは今の世(「浮世」)で発見したものを表現しようと躍起なのである。
カズオ・イシグロは小説で、妓楼の中に漂っている最も微妙で最も繊細な美は画家が何とか捉えることのできるものだが、「ある世界の妥当性そのものに疑問を持っているあいだは、その世界の美しさを鑑賞することなど、とてもできない」と、モリさんに語らせている。つまり、作者(画家)の感情を動かすことのないテーマは、それを鑑賞する人の感動を呼ぶことはできない。どうも芸術作品には、「この気持ちを共有したい、君も同じか」、と呼びかける力が必要であるようだ。そう鑑賞者に呼びかけるが故に、作者は自らの信念や自己満足に加え、「普遍性」を十分考慮に入れなくてはいけない、ということになる。色と形が織りなすこの世界・宇宙は当たり前に無限なのである。カズオ・イシグロの「浮世の世界」を取上げたNHK日曜美術館MC小野正嗣のコメントは、本当に芸術というものが、時代とか場所の制約を越えて人と人が感情を共有し合うあるいは交換し合う、それをこうやって更に未来へつなげていく、それを僕たちが受留めている、カズオ・イシグロと三人の現代作家とのインタビューを通じて、そんなことを感じた、と云うものであった。
戦争中の画家の作品について:
戦意高揚を目的としていたと云う、戦争絵画をたくさん見ているわけではないので、それが全体主義のプロパガンダに当てはまるのか否か、私自身どの作品がそういえるのか俄かには判断できない。ただ、考慮すべきことは、1923年(大正12年9/1)の関東大震災以降に生まれた世代、特に昭和生まれの人々は軍国少年・軍国少女としての体系的教育を受けている。1931年の満州事変以降は常時戦争状態と言えるから、その後国家総動員法が制定(1938年)される国家システムの中では、大正デモクラシーを実体験してこなかった同世代にとって、国家(皇国史観・八紘一宇を掲げる)への忠誠・犠牲精神を求められるものでしかなかった。そういう教育を受けた子供や青少年達が藤田嗣治の「アッツ島玉砕」を見たとしたら、自分らが国家の為に玉砕するのは当然のことという考えを抱いても不思議はない。つまり、絵画を見る目・見方・感じ方・考え方は国家から強制されていたのである。これが全体主義国家のやり方なのであった。一方で大正時代前半に生まれた世代は、大正デモクラシーを経験していたから、ものの見方・考え方には多様な選択肢があることを分かっていて、軍国主義をある程度相対的に見ることができたのである。
しかし、現代の私たちが藤田嗣治の「アッツ島玉砕」を観ても、玉砕に殉じなくてはという感情(精神的義務感)を抱くことはない。むしろ戦争の悲惨さを強く感じるだけであろう。こう考えると、当時の画家たちはただ懸命に義務を果たそうと誠実に仕事に取り組んだだけかもしれない。まして、イシグロの言うように、「小さな世界の中で生きている人間の視野は限られているので、囲いの外を見定めることは難しい」のである。とは言え、松本峻介のように、国家の「国策の為に筆を執ってくれ…」という要請に対し、沈黙することは賢い、と無視を決め込んでいた画家もいたことは(その判断力の「まともさ」故に)記憶されるべきである。
「まともさ」について:
ハンナ・アーレントが断罪(アイヒマンへ)する「思考停止」とか「判断力の欠如」は、別の言葉で言えば「まとも」さの欠如と置き換えられる。つまり、虐殺は「まとも」ではない、「判断力の欠如」と言っていい。同様の「判断力の欠如」という問題点は、大戦後マッカーシズムというレッド・パージの魔女狩りが吹き荒れた米国において垣間見られた。非米委員会に出頭を命じられたリリアン・ヘルマンという女性は、自分自身に関する質問にだけ答えて、知人・友人の情報には一切秘密を守ると云う線を押し通した。委員会の質問に答えて、しかもほかの人間を罪に陥れることを拒否した最初の証人となった。その後アーサー・ミラーなどが同様の立場をとったが、魔女狩りに立ち向かった最初の女性は、財政上でも損失を被りほとんど全部を失ってしまったが、「まとも(な判断)」というひそやかなものを獲得したと後に語っている(鶴見俊輔がこの事実を取上げていることを、雑文「美智子妃とのお別れ」で取り上げた)。広く特定のイデオロギーが蔓延している時代に「まとも」でいることは非常に難しい。「まとも」な判断力は通常「常識」などと呼ばれるが、時代の圧力に抗してその考え・信念を押し通すには、アーレントに言わせれば「物事を吟味して決心すること」に慣れている懐疑主義者でいるか、あるいはネガティブ・ケイパビリティなる留保意思を持つことが必要と思われる。(※「ネガティブ・ケイパビリティ」とは「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」(キーツ)であり、これが、対象の本質に深く迫る方法であり、相手が人間なら本当に思いやる共感に至る手立てで、寛容の灯を絶やさずに守るすべである、という考え方に立つ。但し、何もしない“棚上げ”とは意味が異なる)
「約束と許し」について:
再びアーレントの解釈を持ち出すと、生活の私的部分に対して公的部分を「活動」と名付けると、「活動」は予期せぬ出来事を行う人間の能力と結びつく。人間が生まれるごとに、新しい奇蹟が持ち込まれる。しかし、「活動」はその性質として、結果や終わりを確実に予言できない不可予言性を持ち、また自分が行ってしまったことを元に戻すことができない不可逆性も持っている。この二つの特質に対する救済が、前者が約束を守る能力であり、後者が許しの能力である。許しは「活動」から必ず生まれる傷を治すのに必要な救済策であり、人は知らずに行った行為から絶えず放免されねばならず、相互に開放されることによってのみ自由な行為者に留まれるから、再び新しいことを始められる。また、約束を守る能力は個人の意図が予測不可能であろうとも、「人間精神の暗闇」(人間が自分自身を頼れない、完全に信じれないということ)を取り払い、彼の権利を承認することにより法律や制度を樹立することを可能にする。アーレントの解釈を簡単に言い換えれば、トライ・チャレンジする権利・意欲をその約束を守る能力によって認め、同時にエラーという失敗を認めた人を許すことによって再チャレンジという新たなエネルギーを生かすという、このことが生活の公的部分(「活動」)には必要だ、という意味になる。
そういう見立てで、生活における公的部分の現実を見たとき、自らの過ちを認めずごまかしてうやむやにしようとする人間がたくさんいることに、改めて気付かされる。取り上げたカズオ・イシグロの「浮世の画家」では、戦意高揚絵画を描いたとして、戦後世間の冷たい目を浴びせられた小野益次にこう言わせている。「過去の責任を取ることは必ずしも容易なことではないが、人生行路のあちこちで犯した自分の過ちを堂堂と直視すれば、確実に満足感が得られ、自尊心が高まるはずだ。とにかく、強固な信念のゆえに犯してしまった過ちなら、そう深く恥じ入るにも及ぶまい。むしろ、そういう過ちを自分では認められない、あるいは認めたくないというほうが、よほど恥ずかしいことに違いない」と。ストーリーでは彼が娘紀子の縁談の見合いの席で、幾度かの苦痛を味わいつつも、慎重な状況判断によりこう発言したことにより、両家の会合は順調なものになった、と回顧している。実際の生活においては私的領域を除外したとしても、公的領域で多くの方は、幾度かの過ちを犯した経験をお持ちのことと推察する。その全てにおいて、こういう態度は執るにはかなりの覚悟が必要とも思われが、再度前を向く為には避けて通れない態度と言えまいか。
ところが政治の分野では、こうした潔い行動を執った人物が極めて少ない。ざっと維新以降を振り返ってみて、そういう人物は西郷隆盛・原敬・後藤新平・高橋是清・浜口雄幸・広田弘毅位か、戦後では石橋湛山と宏池会系(池田隼人・大平正芳・宮沢喜一らの)位のものであろうか。岸信介・福田赳夫・森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三と続く清話会系はいただけない。ことに岸信介は東大卒入管組のリーダー格で、北一輝・大川周明の思想に共感し、1937年から満州国の経済軍事化(統制経済)計画を通じて、東条英機・星野直樹・松岡洋右・鮎川義介らと共に満州国を動かす2キ3スケと呼ばれた。革新官僚として軍部皇道派との繋がりを深め、帰国後1941年東条内閣の商工大臣となり、開戦の詔書に連著した戦時経済体制の実質的最高指導者である。1944年サイパン島陥落後、東条内閣の倒閣工作に加わり東条と対立していたと云う理由からか、A級戦犯不起訴となったものの、大政翼賛政治という全体主義を推進していた人物である。太平洋戦争において敗色濃厚となって以降も、大量に軍人を南方に送り出し、関東軍がその防衛ラインを縮小した後も終戦の年まで、満州移民を数万人規模で(非戦闘員移民27万人中8万人が死亡) 送り出していた内閣の、国家総動員法下経済体制の総元締めである。にもかかわらず、自らにその判断力の欠如を反省した様子はなくだれに許しを請うこともしていない人物の、その罪は罰せられなればならないのである。祖父の直情径行という気質は、間違いなく安倍晋三にも引継がれているのであった。
※あとが記 NHKが日曜美術館で取り上げたカズオ・イシグロの「浮世の画家」を、面白いと思い取り上げてみた。雑文にまとめようと思い実際に小説を読んでみると、多くの問題提起がなされていて、それぞれについて考えを整理しようと思ったら、関連する見立てをそれなりに取り上げざるを得なくなり、想定より長い雑文になってしまった。こういう時間が取れたのは、コロナウィルス感染禍で、短歌の歌・デッサン教室・コンサート等が軒並み自粛・中止となり、引き籠り生活における時間の余裕ができたからである。芸術家のものの見方・考え方には、その表現への見立てとかに必死さが込められていると、再認識させられた次第。
それにしても、絵画のテーマは時代により大きく変遷してくるものだ、ということを改めて振り替えざるを得ない。時代の雰囲気が如実に表れていることに驚かされる。翻って、現代絵画においても、画家個人個人が自ら見つけたテーマというものは、現代という時間・社会の隙間に入り込んでいることは間違いない。そして、そこにはそれぞれの画家の生い立ちからくる人生そのもの(内面との対話)が含有されていることも間違いない。草間彌生・片岡球子・堀文子・岩崎ちひろ等女性画家だけでなく、不銑鉄・田中一村・秋野亥左牟・スズキコージとかの絵画はまるで生き方そのものではないかとも感じさせてくれる。その画家の生き様とか“生”への見立てを見せてくれている気がする。
この雑文の補足として、ドイツにおいてナチズムへと繋がった思想潮流としてのドイツロマン派の思想を取上げておく。フランス革命後の動乱期に端を発したドイツロマン派は、ブルジョアジーの勢力が弱く、国家による殖産興業は自立的発展とブルジョアジーの独立心と自由を奪い、国家への依存を引き起こした、という風土の中で台頭してくる。社会体制ではなく日常への観念的な批判は独走する。外界との接点を持たない精神主義は、芸術・学問・思想の純粋性と自己目的性を不当に強調し、政治や経済への軽視へと連動していく。精神の貴族性・超俗性の偏重は自己相対化の視点を欠いているので、思想のファナティズム(狂信・熱狂)を招き、「生」に関わる政治と対立していく。政治と関わることは俗事と軽蔑され、妥協と対話が忌避され、観念の中で二元的対立(聖と俗、日常と非日常)が語られる。こうした過剰な観念性が硬直し固定化した精神を生み、「民族」という抽象的概念に依拠した、閉鎖的で偏狭な共同体主義を招来したと言える。この見立てもアーレント解説本からの紹介である。ここで取り上げた理由は、政治や思想面への影響だけでなく、外界との接点を持たない芸術、つまり普遍性を追求しない芸術はつまるところ自己陶酔とか独り善がりに堕してしまうに違いない、と思ったからである。啓蒙思想やフランス革命以降の個人主義の熱は、美術・音楽・文学という芸術面で個性的な様々な作品をこれまで生みだして来た。しかし、行きつくところまで行きついた、何でもありの芸術においても、やはり「人間がお互いに心を通い合わせることができる芸術」であるためには、カズオ・イシグロの「自分の世界の追求と現実の社会との間で、どういうバランスをとればいいのか」「芸術家はこの世界での人間としての位置づけを理解するべきだと思う」という言葉は、普遍性を追求する上での参考になる。つまり、この世のどういう処に芸術(美醜)の隙間を発見し、自らが感じるテーマとするのか、芸術を志す者にはよく考えてみることが大切であろうと思われる。
※参考文献 浮世の画家(カズオ・イシグロ、飛田茂雄翻訳、早川書房)、社会心理学講義(小坂井敏晶、筑摩選書)、ハンナ・アーレント(杉浦敏子、現代書館)、他
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