私は、地元、鬼北町の近永小学校の卒業生だ。
その学校の話ではなく、公民館行事になるのだが、
近永公民館の事業で、
近永小学校の6年生を対象とする「わんぱく学級」というものがある。
日頃 体験できない野外活動や文化体験活動などを行なっているようである。
わんぱく学級は、40年近く ずっと継続されている。
その間、内容や目的は同じなのだろうか、変わったのか…。
私には分からないのだが、
実は、私は、わんぱく学級の 第1期生である。
わんぱく学級という名前は、私達の学年が話し合いで決めた。
当時、2クラスあった6年生の内、1クラスだけが対象で、
私のクラス 6年雪組が わんぱく学級に参加することに。
6年生になって、数ヶ月が過ぎた頃(記憶では秋)突然「全員 放課後残れ」と。
当時の公民館の○○さんがやってきて、説明を受けた。
小学生の私達には、正直 何のことやら分からん状態であった。
学校とは別で、このクラス全員で何かをするんやな、くらいは理解できた。
そこで、まず名前を決める事に。みんなで机を内側に向け、話し合い用の配置に。
その中で、
○○ちゃんの「わんぱく学級がいいと思います」の一声で名前が決まった。
第1回目の活動は、ボランティア活動。
土曜日の午後(当時は午前中は学校)役場に集合した記憶がある。
近永の町中のカーブミラーの掃除だった。汚れたミラーをきれいに拭く作業やったが、
途中で抜け出してアイスクリームを買って食べたら怒られた。
怒られて当たり前だ。 今となっては、いい思い出。
そのあとは、クリスマス会をしたような記憶。他は、覚えてない。
有意義な活動だと思うが、私達1期生は 数ヶ月の活動であったため
なんか物足りない状態で卒業を迎えた。
今現在は、充実してるんやろうなぁ、と思う。
私達、
わんぱく学級の第1期生による、
わんぱく学級の記念すべき 第1回目の活動が、
ボランティアでカーブミラーの掃除であった(多分)、
という事を思い出したので書いてみただけの話でした。
その学校の話ではなく、公民館行事になるのだが、
近永公民館の事業で、
近永小学校の6年生を対象とする「わんぱく学級」というものがある。
日頃 体験できない野外活動や文化体験活動などを行なっているようである。
わんぱく学級は、40年近く ずっと継続されている。
その間、内容や目的は同じなのだろうか、変わったのか…。
私には分からないのだが、
実は、私は、わんぱく学級の 第1期生である。
わんぱく学級という名前は、私達の学年が話し合いで決めた。
当時、2クラスあった6年生の内、1クラスだけが対象で、
私のクラス 6年雪組が わんぱく学級に参加することに。
6年生になって、数ヶ月が過ぎた頃(記憶では秋)突然「全員 放課後残れ」と。
当時の公民館の○○さんがやってきて、説明を受けた。
小学生の私達には、正直 何のことやら分からん状態であった。
学校とは別で、このクラス全員で何かをするんやな、くらいは理解できた。
そこで、まず名前を決める事に。みんなで机を内側に向け、話し合い用の配置に。
その中で、
○○ちゃんの「わんぱく学級がいいと思います」の一声で名前が決まった。
第1回目の活動は、ボランティア活動。
土曜日の午後(当時は午前中は学校)役場に集合した記憶がある。
近永の町中のカーブミラーの掃除だった。汚れたミラーをきれいに拭く作業やったが、
途中で抜け出してアイスクリームを買って食べたら怒られた。
怒られて当たり前だ。 今となっては、いい思い出。
そのあとは、クリスマス会をしたような記憶。他は、覚えてない。
有意義な活動だと思うが、私達1期生は 数ヶ月の活動であったため
なんか物足りない状態で卒業を迎えた。
今現在は、充実してるんやろうなぁ、と思う。
私達、
わんぱく学級の第1期生による、
わんぱく学級の記念すべき 第1回目の活動が、
ボランティアでカーブミラーの掃除であった(多分)、
という事を思い出したので書いてみただけの話でした。