★日本に来て10日経ちました フィリピンのロックダウン 欧州気まま旅 番外
2020年8月1日フィリピン航空343便で、成田に降り立ちました。
5か月+ブリの日本です、そのうち4か月+はフィリピンロックダウン生活でした。
フィリピンはだいぶ早い時期から国外からフィリピンに入ってくる人の制限を始めました。
しかし、徐々に新型コロナウイルスの感染者が増え始め、ロックダウンが始まりました。
私は高齢者なので、(フィリピンでは高齢者は60歳から)真っ先に外出禁止令が出ました、高齢者と18歳以下に人は家から外に出てはいけませんというお触れです。
フィリピンセブ島特にセブ市周辺の市に住んでいる外国人はほとんど、「サブディビジョン」という集合住宅(数十、大きいと百を超える家が壁の中に立っている)か、コンドミニアムに住んでいます、サブディビジョンもコンドミニアムもガードマンが常駐しています。泥棒対策ですね、それでも時々は泥棒騒ぎが起きます。
ということなので、とりあえず、私の場合は、サブデビジョンの中だけは庭のようなものなので散歩することができました、外周ぐるりで、約10分ぐらいの小規模のサブデビジョンです。これはラッキー、毎朝暑くなる前に1時間程度のウオーキング。
今は夏は過ぎたのですが、日中の外の気温は30度をはるかに超えます。
そのうちに徐々に規制が厳しくなり、そのうちに中程度に厳しいロックダウンになり、家族の中で一人だけ、それも「バランガイ」(フィリピンの地方自治組織の最小の単位)に申請をして、外出ができるパスをもらいます、しっかりと写真も張ってごまかしができません、このパスを持っていない人が外出すると罰せられます。
勤め人は雇用先から就労証明書をもらいチェックポイントでそれを提示します。
チェックポイントとは何かというと、私の住んでいる市は『マンダウエ市』です、そして隣接しているのが、『セブ市』『ラプラプ市』その他と隣接しています。その市境にチェックポイントが設けられていて、そこで証明書をチェックされます、証明書の無い者はほかの市には入れません。
私の住んでいる市でも、街を歩く人は姿を消しました。市といっても、日本の地方の郊外にあるような規模のエリアです、車で走れば10分もあれば端から端まで行ってしまいます。
そのうちにセブ市は爆発的に感染者が増加しました、特に貧困層の人が住むエリアです、セブ市は厳しいロックダウンということとになり、ほかの市とは厳しく隔離され、その上に、感染爆発のバランガイは、そのエリアにロープが張られ、バリケードが置かれ、警察が要所要所に配置されるという物々しさでした。
7月ごろには、フィリピン全体の感染者はますます増え、セブ市でも、その周辺の市でも医療機関はひっ迫していました。
セブ市では、サブデビジョン内の散歩も禁止されて、人々は一時家の中だけの生活を余儀なくされました。
私は、3月22日から帰国した8月1日まで、途中厳しいロックダウンとなり、中心部のセブ市の買い物にも行けなくなった期間も含め4か月+の間ほとんど家の中だけの生活を経験しました。
家族はその前に日本に戻っていましたので、家には、私と二人のヘルパーだけという生活になり、通常は日本語を話さない生活になりました。
私はかなりたくさんの趣味があるので、何とか1日のリズムを自分で作りながら、その趣味をやることとしましたが、さすがに2か月も半ばを過ぎたころには、何もないのに神経がささくれだつようなこともありました。
人間にとって必要な外からの刺激が遮断されるわけですから、心のバランスが崩れてしまいます。
毎日が修行だと思い耐えた日もあります。いい経験をさせてもらいました。
この貧困なアジアの小国である、フィリピンそれでも大統領の『デュテルテ』は先頭に立ち、国民に語りかけ、よくやっていると思います。
そうです、あの乱暴な麻薬撲滅活動で、有名になった大統領です、海外では評価は悪いですが、国内では今でも70%を超える支持を維持していると思います。
日本であと4日でおうち生活は終わります、でも、コロナの感染者数は増え続けています、高齢者にとってはコロナは大敵です、皆さん最大の注意を払ってこの難局を乗り切ってください。
最後に、私はセブ島で小さなリゾートを経営しています、日本人が大半のリゾートなので、3月半ばからお客様は一人もいません、フィリピンに安心して日本の皆さんが来られるようになるのはいったいいつになるかはわかりません。
何とかその時まで持ちこたえて、事業を維持していきたいと考えています、その日が来たらぜひセブ島を訪れてみてください。
画像は私たちが経営する「ルビ・リゾート」という小さなリゾートです、場所はセブ市から車で4時間ほど南に行きます。
そこのハウスリーフです。