南国の風にゆられて一人暮らす

生きていれば誰にでも老いは来る、しかし人は年を重ねただけでは老いない 夢 目標を失った時に初めて老いが来る

欧州連合EUの基礎を作ったオーストリア人の母親は日本人

2014-07-21 19:26:52 | 教育

EUの基礎を作ったオーストリア人の母親はヨーロッパの母と称えられる日本人

 

東京府牛込で骨董品屋を営む青山喜八と妻津禰(つね)の三女として生まれた(旧名:青山みつ)。 1892年当時のオーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理大使として東京に赴任してきた骨董好きなハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーに見初められ、120年前、18歳で日本人初といわれる国際結婚をして、3年後オーストリアへ渡り、貴族でもある夫のロスペルク城に腰を据え、大勢の子宝にも恵まれ幸せな時を過ごす。

 しかし突然 夫が心臓発作で帰らぬ人に(47歳)。 31歳で子供7人のシングルマザーとなってしまう。 その後は、波乱万丈の人生を送る事となったクーデンホーフ・光子(1874~1941年)

 

夫ハインリヒは子供たちが完全なヨーロッパ人として成長することを望み、日本人の乳母を帰国させ光子に日本語を話すことを禁じた。 光子は多忙な夫以外に心を打ち明けられる人間がいなくなり、強烈なホームシックにかかってしまう。

夫婦仲は良かったが、18ヶ国語を理解し、特に哲学に関しては学者並みの知識を持つ教養豊かな夫と、尋常小学校を卒業した程度の学力しかない妻とでは全く教養のレベルの差がありすぎて、子供たちのこと以外に夫婦でつながりを持てるものは少なかったが、彼女も渡欧後に自分の無学を恥じて、歴史・地理・数学・語学(フランス語・ドイツ語)・礼儀作法などを家庭教師を付けて猛勉強をした。

 

1905年に日露戦争が起こり、日本の国際的地位が高まると、光子への偏見も和らぐが、翌1906年5月14日にはハインリヒが心臓発作を起こし急死してしまう。ハインリヒの遺産は全て光子が相続するように遺言がなされていたが、一族が財産を巡り訴訟を起こす。しかし、光子は受けて立ち、勝訴する。

夫の遺産を相続し、伯爵夫人として家政を取り仕切る。 その後子供たちの教育のため財産を処分しウィーンへ居を移す。

 

女で一つで、7人の子供を育て上げた背景には、外交官である夫が任務を終え帰国しようとする時、明治天皇と謁見することになった、

その際、妻として招かれた光子は、昭憲皇太后・明治天皇の皇后【旧名・一条美子(いちじょう はるこ)】さまから優しいお言葉を

異国にいても  日本人の誇りを忘れないで下さい

この御言葉は、その後 一人で生きていく光子の人生の、大きな支えとなった。

 

次男リヒャルト(1894年11月16日 - 1972年7月27日)は、オーストリア切手にもなる程の功績を残す

1914年に王政時代最高レベルの高校テレジアヌムを卒業

しかし当時、時代の大きな流れが襲う

1914年、時を同じくして 第一次世界大戦が勃発

ヨーロッパ人同士が殺しあう悲惨な戦場、それを目の当たりにしたリヒャルトの胸に、ある想いが込み上げてきます。

 

 

努力によって異文化の中で生活していける事を、母は実証してみせたのに、似たような文化やルーツを持つ欧州の人間が、なぜ殺し合うんだ。

 

異国の地で 女で一つで自分を育てた母を見てきた リヒャルトは、

同じヨーロッパ人同士なら戦争などせず必ず一つになれる、と強い信念を持つようになる。

そして、1923年(29歳)の時、汎ヨーロッパ運動を始める。

「汎ヨーロッパ運動とは、欧州全体を一体的に捉え 共通の法律・通貨等を設け地域の混乱を緩和しようとする運動」

この活動は、現在の欧州連合EUの前身と言われている。

EUの基礎を作ったリヒャルトは、ヨーロッパの父と称えられ

リヒャルトを育て上げた母は、ヨーロッパの母

長男と次男(リヒャルト)は日本生まれ。

現在 EUの問題は多いがそれらは、現代人が知恵を絞って考えればいい。

 

ウイーンにあるクーデンホーフ・光子の墓には、亡くなって70年以上経つ今でも彼女への尊敬の念を込めて折り鶴を手向ける人が後を絶たない。

 

〈夫を失ってからは日本風に厳格に管理しようとしたため、成長した子供たちは光子に反発し彼女の元を去った。 晩年の光子と同居し、未婚のまま光子の死を看取った次女オルガは、母 光子を「鬼婆のようだった」と語っている。

1925年には脳溢血「のういっけつ ⇒脳出血」により右半身不随となるなど不幸な生活を送った。 その後はウィーン郊外で唯一の理解者であった次女・オルガの介護により静養の日々をすごすようになる。 このころの唯一の楽しみはウィーンの日本大使館に出かけて大使館員たちと日本語で世間話をし、日本から送られてくる新聞や本を読むことであった。

 

1941年8月27日、第二次世界大戦の火の手がヨーロッパを覆う中、光子はオルガに見守られながら静かに目を閉じる。 オーストリアに渡ってから45年間 ついに日本に帰ることはなかった。〉 今の日本に存在しない大和撫子でしょう。

 

彼女が亡くなった当時の日本の新聞には、望郷の思いを綴った直筆の詩(うた)が

黒髪の  しらがまじりて  老ゆる迄  故郷を思わぬ  時も日もなし

 

 

日本人としての誇りを持てない多くの日本人。 教育・躾・核家族等に問題がある。 私の子供の時は、耳にタコが出来るぐらい 人から後ろ指を指される人間になるな! と祖母 母から言われました。 この、言葉 の中には多くの意味が込められている。(殺人犯・放火犯・泥棒・強姦・詐欺・痴漢・万引き・常識はずれ等)

号泣県議の映像を昨日初めて眼にし、言葉が出てこない。 多くの大人が幼稚になっている日本、隣の国を批判する前に自国の教育・道徳・躾に真剣に目を向ける必要がある。 幼稚とは、自分勝手で先のことを考える力がないこと。

 

幼稚ですな!

女性巡査って薄給なの? 独身寮で同僚の現金盗む 京都府警

2014.7.17

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140717/waf14071717510029-n1.htm

 

甘やかし 躾の出来ない親が増えている!

「家族や社会に不満」 名古屋車突入で容疑者

2014/2/25 19:07

 JR名古屋駅前の歩道に車が突入し13人が重軽傷を負った事件で、殺人未遂容疑で逮捕された無職、大野木亮太容疑者(30)が「家族や社会、自分に不満があった。(自分が)受け入れられていない感覚を持っていた」と話していることが25日、愛知県警中村署捜査本部への取材で分かった。

 

 捜査本部によると、大野木容疑者は定職に就かず、昨年7月までコンビニや警備会社などでアルバイトをしていた。1年ほど前から一戸建てで一人暮らしをするようになり、両親からの仕送りで生活していたという。

 

日本人のために汗水流してくれるトニー・マラーノ氏

【痛快!テキサス親父】国連人権委は学級会以下だ NGOが捏造した議案を精査なし(1/2ページ)

2014.07.18

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140718/dms1407181140001-n1.htm

 

 

都合の悪い事には まだ途上国だ と言い張る 呆れた支那人!

習主席、「大国関係」主張しつつ環境規制には「中国は途上国だ」 米中対話ほぼ平行線

2014.7.10

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140710/amr14071008340002-n1.htm

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