2019/11/21(木) 晴
今月はいろいろ所用が多く、残念ながら1回/週くらいしか自転車に乗れない。
今日も夕方からの所用のため、目的を近場の放牛石仏(地蔵)巡礼としてポタリングに出る。
Googleマップで横手に放牛石仏があることを知り、城西小学校から四方池(よもち)橋方向に坂を下る途中に「放牛上人の墓」の標識(写真1参照)を見る。
私にとっては想定外の発見。これも放牛上人様のお引き合わせか。
その登り口に、城西校区まちづくり委員会の説明板(写真2参照)がある。
階段を上り熊本かがやきの森支援学校の東側に墓地があり、その中ほどに標識がありその奥に墓所(写真3参照)が見える。
新しい墓石の群の間に、錫杖を持った姿の石仏(写真4参照)がある。
これが上人様の墓石のようだ。
曲がりくねった旧道と思える道を辿ると、一見個人宅とも見える公民館の前に石仏(写真5参照)を観る。
エプロンをかけた25体目の放牛石仏(写真6参照)を観る。
この道を西に辿ると右手に小さな池(写真7参照)がある。
この池が四方池の池とある。
その横に御堂(写真8参照)がある。池の守護神を祀ったものと思う。
水道が普及する以前は、大事な生活用水、農業用水であったであろうと想像する。
その御堂の外に祀られているのが38体目の放牛石仏(写真9参照)。
熊本市が設置した説明板(写真10参照)がある。
弥生時代の鏡が出土した遺跡があるという戸坂地区を通り、井芹川沿いに下り高橋西神社(写真11参照)に立ち寄る。
由緒書(写真12参照)を見る。
若宮社とあるので、その本宮をしりたいところであるがよくわからない。
更に坪井川沿いを下り、上松尾町方向(写真13参照)を見る。
田の稲も刈られ、すっかり秋景色になっている。
上松尾の集落向かって道を上ると右手崖地に21体目の放牛石仏(写真14参照)がある。
ここの放牛地蔵尊(写真15参照)もエプロンをかけ、造花とはいえ花が手向けられている。
ここまでが予定したコースであったが、スマホのgoogle地図アプリで「放牛」を検索したところ、熊本駅近くに5体目の放牛石仏があるらしいので万日山のトンネルを潜り東進する。
すると、思いがけない街路樹の秋景色(写真16参照)が目に留まった。
県道227からJR線路沿いに左折して、更に花岡山に上がる道に左折した右手に5体目の放牛石仏(写真17参照)はあった。
この放牛石仏は、小さな御堂に安置(写真18参照)されている。
更に放牛石仏8体目A・Bと探訪する。
8体目の放牛石仏は、島崎の薬品系量販店の駐車場道向かいの墓地の中(写真19参照)にあった。
他の墓石群に隠れて分かり辛いが、放牛石仏8体目A(写真20参照)はある。
放牛石仏8体目B(写真21参照)は、島崎5丁目の小山の頂付近、元古墳ではなかったかと思える塚状の墓地の最奥にあった。
今日の放牛石仏巡礼は、放牛上人墓所、5体目、8体目A・B、21体目、25体目、38体目と7か所巡った。
その後は、午後から所用に備え早目に帰宅する。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)13km→上松尾町放牛石仏15km→熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3時間) 総計28km 走行累計30,158km
放牛地蔵(88/107体中)
2018/ 9/11(火) 晴
高橋東神社の楠の前に88体目の放牛地蔵(写真1参照)が鎮座する。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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