私は現染太郎の娘、初代女将はるの孫でございます。
本当の名前は染子ではございません。
私が小学生の頃、私のことをそう呼ぶ友達がいたのです
。
私の通った小学校は浅草合羽橋にほど近く、第二次ベビーブーム
の私たち、合羽橋道具街の子供、合羽橋本通り商店街の子供、
多数の屋号を持つ子供が通い、校内では屋号で呼ばれることも
しばしば。おまけに弟は「太郎」
なぜおまえは「染子」
ではないのかと問う友人が多くいたのも仕方ありません
。
受け止めようによってはいじめになるのかもしれませんが、クラス大半
がそうなので、まあ普通の出来事になります
そして、そして染太郎の名前・・・
ホームページにも詳しく書いてありますが、
本名:風流お好み焼き 染太郎
これが正式な店舗名です。
これは私の祖父の芸名(林家染太郎)が由来しており、
祖父が戦地に赴き、その間初代女将はるが女手ひとつで
できる商売、それがお好み焼き屋だったのです。
そして店の名を祖母が考えていた頃、当時祖父母と親交があった
作家の高見順さんが染太郎の店なので、ということで上記の名前に
なったそうです。
そして高見順さんの「如何なる星の下に」という作品の舞台にも
して頂き、長くお付き合いさせていただいたそうです。
詳しくは浅草染太郎公式ページに載っております。
そして今日の染太郎があるのです。
本当の名前は染子ではございません。
私が小学生の頃、私のことをそう呼ぶ友達がいたのです

私の通った小学校は浅草合羽橋にほど近く、第二次ベビーブーム
の私たち、合羽橋道具街の子供、合羽橋本通り商店街の子供、
多数の屋号を持つ子供が通い、校内では屋号で呼ばれることも
しばしば。おまけに弟は「太郎」

ではないのかと問う友人が多くいたのも仕方ありません

受け止めようによってはいじめになるのかもしれませんが、クラス大半
がそうなので、まあ普通の出来事になります

そして、そして染太郎の名前・・・
ホームページにも詳しく書いてありますが、
本名:風流お好み焼き 染太郎
これが正式な店舗名です。
これは私の祖父の芸名(林家染太郎)が由来しており、
祖父が戦地に赴き、その間初代女将はるが女手ひとつで
できる商売、それがお好み焼き屋だったのです。
そして店の名を祖母が考えていた頃、当時祖父母と親交があった
作家の高見順さんが染太郎の店なので、ということで上記の名前に
なったそうです。
そして高見順さんの「如何なる星の下に」という作品の舞台にも
して頂き、長くお付き合いさせていただいたそうです。
詳しくは浅草染太郎公式ページに載っております。
そして今日の染太郎があるのです。