イブーの眼

ちょっとまてよ、それでいいのかな~、森の孤独な哲学者・イブー(hibou)は考える。

小保方切りで一件落着としたい理研保身に思惑

2014-04-11 | 時評
記者会見に見る限りでは小保方さんには悪意とか故意はなかったのだと思われる。

彼女の言い分は、STAP細胞という結果は変わらないのだから、それを見やすくするため(それは許されると思って)修正しただけであり、また、学位論文からの画像拝借は、パワーポイントに保存し何回もバージョンアップしたものからダウンロードしたのであるが、学位論文のそれとは気がつかずに貼り付けてしまったのだという。

それはきっとその通りで、悪意や故意などいう意図的ものはなく、ただうかつとしか言いようのないものだったのであろう。
だから、それを捏造だの不正だの言われるのは気分としては全く心外だというわけだ。

問題はそれが一番肝心なSTAP細胞存在証明のくだりでなされたことで、うかつでは済まされないものがある。

いくら200回も目視で確認したと主張してもそれを正しい記録で示し、且つ第三者が再現実験で確認できない限り、はいそうですかとはならない。
真偽は依然藪の中と言わざるを得ない。

であれば、改めて証明し直してもらえばいいようなものを、なぜ、こういう対立の構図になったのであろう。
論文発表後すぐに外部から出てきたようなチェックをなぜ事前にできなかったのであろう。

ひとつには、理研が小保方さんをして未熟とか、実験ノートがずさんだとか他人事のように断罪するまさに研究の基本的なあり方について理研自体の基準も、また論文公開までの組織プロセスを持たず、研究者へのお任せであったことがあるのではないか。
だから、この際その個人に責任の一切を負わせようとしているのだ。

もうひとつは、世界の研究所との競争に伍してゆくため、安倍政権で検討されている優遇法案に優先して適用されるためにも、その格好のアピールにと小保方チームを急ごしらえし、突っ走らせたことにその背景があるのではないか。

そのようなムードで一気にネイチャーへの発表に走り、割烹着のパフォーマンスまで披露して浮かれていたところへ、突然の外部からのクレームに慌てふためき、本人からの弁明の機会も設けず、いきなり未熟と不正を前提にした調査へと走ったのだ。

証明画像をまるで顔写真の如くに修正する軽さは、科学者としてあるまじき行為だとする意見の多く、それはその通りではあるが、しかし、大発見というのは往々にしてどこか常識破りの、また、当たり前とする手続き無視のような状況で生まれるものだ。

理研は大見得を切った以上、内部での再現実験などその見得を覆すような結論を出すはずがない。

それに、ある事象が“ある”ことの証明はそれを提示しさえすればいいが、“ない”ことの証明などほとんど不可能と言っていい(考えうる全てのケースを検証しなければならないからだ)。

真偽の究明はさておいて、小保方さんという個人を犠牲にして事態を収拾し理研の体面を保持せんとする姿が垣間見える。


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