何となくの毎日

想いのまま。。
気の向くまま。。。綴

心の儘に。

2012-03-30 12:58:49 | 日記
たった今、書のカレンダーが届きました


全体的に~強い激しい感じの書が多いのかな
出来れば~半分くらいは…
優しい愛で包まれた、温かい感じの言葉が欲しかったかな(笑)
上手に・・アメとムチを使い分けるような感じで(笑)

これでは~毎日…彼に喝を入れられているようで
気が抜けないかも(笑)


その中に、私の好きな書がありました
私…前からこの言葉が大好きです


でも?これ・・どうやって飾るの(笑)
正直、このカレンダー扱いに困ります
いちいち差し替えていたら・・
この箱は、1年ももたずに、ズンダラボロボロになる事・・間違いなしだよね
出来れば~普通の卓上型で、良かったような・・・


だったらせめて、このバージョンの2012が…欲しかったです


ここで訴えても・・ダメですね~(笑)

BOND OF SIX/Story of SHUN-5

2012-03-30 11:50:00 | 日記

自分自身に正直でありたい
相手の想いを裏切ったコトもありますよ。それを裏切らない、というのはカッコつけすぎですね。
裏切られたくないから「俺を裏切らないでくれ、わかってくれよ」っていうのが出ちゃうのかもしれない。だから裏切られた時には200倍にのショックがあるというか(笑)
ヤンキーや不良は、よく"悪いヤツ"って言われるけど、本当に悪いヤツなんて100万人に1人くらいしかいないんですよ。
何を持って悪いと判断するかってコトですよね。
この世界って、なんでも多数決で決まるところがあるし、みんながいいと言えばいいし、悪いと言えば悪いし。そこはしょうがないとは思うのですが、本当に悪いと言われているヤツだって、絶対にいいモノを持っていると思うんですよね。普通の人だっていいモノも悪いモノも持っているじゃないですか。
そこを理解しないうちから"悪いヤツ"って決めるのはやめて欲しいなと思うんですよね。
アホなコトばかりしてた俺がこんだけ普通になれるんだから、よっぽどでない限りアホはいないですよ(笑)

初恋は小3年の時で、中1か中2までずっと好きだったんですけど、俺のライバルで、運動神経がよくて頭のいいサッカーマンと付き合っていたから、今でもムカついているんですよ(笑)俺の青春を……って思って(笑)
照れ屋を理由に、中2か中3まで付き合ったことがないんですよ。「俺は硬派だよ!」みたいな感じで(笑)
付き合ったのも今まで2、3人だし、全部フラれてるしな~(笑)
真面目な人が好きで、ちゃんとした普通の人が好きです。
「いただきます」「ごちそうさま」と言えたり挨拶出来たり、そう言う普通の人と結婚したいなっていうのは、ありますね。

一途でもないですね。男ですから(笑)時には遊んじゃうんじゃないかな。
好きな人がいたらどうかなって言うのは、自分の中では常に疑問で、浮気をしない男はいないんじゃないかな!?だって、無理でしょ。
相手に求めるモノは理解力。お互いが相手を理解する理解力がハマる理解というか。1人の人間としてリスペクトして、尊重しなくちゃいけないというか。
恋愛ってことだけじゃなくで、理解することが一番大事じゃないかな。
理解しようとするから、好き嫌いの感情が生まれるわけだし、だからまず理解しないと…。
自分の価値観を主張する側になって、理解されたいんだったら、理解しなくちゃいけないんだなぁっていうのも、何となくわかってきたし。
まだまだだな~って思うんですけどね。
割りきった人にはすごくクールだったりもするんで(苦笑)

正直じゃないと、嘘をつくと潰れちゃいそうで。
今、うまくいってるからこそ、ちょっとしたことで傷付いちゃうんですよね。
すごくいい環境に恵まれてるのに、ちょっとでも傷付くことがあると、すごく怖くなってきて不安になるというか。そういうのが多くて……。

まして、ひとりじゃないですか。親も兄弟も近くにいないっていう。
メンバーはみんな近くに親も友達もいるから、すごくうらやましいですけどね。
でも、これに勝てば、また先が見えるだろうし……。
悩みはいっぱいあるんですけど、もっと人間っぽく生きたいというか、
一生懸命な自分を一生懸命自分で理解してやんなきゃって思うし、
自分中心かもしれないけど、今は自分の時間を大事にしたいですね。


今は歌が楽しくて、生きることが楽しくて。幸せいっぱいなんですよ。
家族だったり仲間だったり歌だったり、大事なモノをこれからどんどん増やしていきたいですね。

俺は人が好きだし、ひとりでは絶対無理なんですよね。
だから、親だったり友達だったり、大切な人と常にいっしょにいたいんですよ。

BOND OF SIX/Story of SHUN-4

2012-03-30 11:45:00 | 日記
山口オーディション
結婚式の二次会かなんかでカラオケ屋に入ったら、オーディションの貼り紙があって。
仕事の後輩や友達が「最後にこれ受ければいいじゃない」、「お前だったら絶対受かるよ」って言ってくれて、
賞金の10万円をもらったら、みんなで飲みに行こうっていう話になって、受けることにしたんですよ。

地元で開かれるオーディションだったから、別に調子に乗ってるわけじゃなくて、「優勝して当たり前だろ」みたいなのはあったんです。

最終オーディションはテレビでも放送されたんですけど、そのときにエイベックスの人がいっぱい来てて……。

そんときも、ちゃんとしなくちゃいけないっていうのがないから、超派手なスーツでグラスが斜めになったようなサングラスかけて歌ってたんですよ(笑)

エイベックスの人にも「仕事もしてるし、これが最後、もう歌はやらないって決めてるんです」って話したら、「もったいないから、絶対歌を続けた方がいいよ」って。
で、「今ここでスカウトするとは言えないけど、1週間だけ待ってくれ」って言われて。

それから3日か4日後に「1週間後、東京に来てくれ」って言われたんですよね。
で、行ったらいきなりオーディションだったという。

EXILEオーディション
3日後くらいに「これを歌ってください」って「Follow Me」のカセットが届いたんですよ。

当時はR&Bとか興味がなかったし「こんなキーの高い曲歌えるか!」って思って(笑)
でも俺は極限まで練習しないと気が済まないから、それから3日後、毎日4~5時間歌ってましたね。
生の声を自分で聴かないとダメだと思って、近くのトンネルに車で行って、カーステレオから大音量でカセットを流しながら練習してました。

で、やっと覚えて東京に行ったら、今度はブースという、今までに入ったことのない世界で歌わされて。
たぶん、それまで培ってきた根性がなかったら、その時点でビビってた。それまでいろんなことをしてたから、そこでも生の自分が勝っちゃって「オラァ~!」ってなって。


「1週間後に東京に来てくれ」って言われたから、その1週間で仕事を任す人間や若いヤツひとりひとりに、
納得のいくように説明して、それで東京に行ったんですよ。

親は俺は、言われても聞かないから別に何も言わなかったですよ。
ただ「5年はやりたい放題やって、それでもしダメだったら、帰ってきてしっかり仕事しろ」って。

母ちゃんは歌のことはあんまわからないんで。テレビに出てる息子を見るのが好きなんですよね(笑)
親父も「ちょっとはうもうなった(うまくなった)」とか言ったことはあるけど、あんまり褒めないんですよ。生まれて2回しか褒められたことないから。


父からのTEL
ファーストアルバムが出たあと、友達とカラオケに行ってたときに自宅から電話があったんですよ。

親はいつも10時くらいには寝てるのに、12時くらいだったから、何かあったのかな?って思ってすぐ出て。

そしたら親父が「ソロ(それが僕だから)聴いたけど詞いいなぁ」って。
普段、そんなこと絶対言わないのに……。昔の俺と今の俺とリンクするからなんでしょうけど、
「最後まで聴けない」って兄貴には言ってたらしいです。

そのあとのライブも観に来なかったし……。
ちょうど、あの詞のとおり悩んでた時期だったから、褒められて俺もすごいうれしくて、
ひとりでずっとカラオケ店の外で泣いてたっていう……(笑)


葛藤
説明するの、難しいんですけど“EXILEのSHUN"と“清木場俊介"は違うんですよ。どちらも自分なんですね。

だけど、プライベートで街を歩いてるときに「あ、EXILEだ!」って言われても「いや、俺はEXILEじゃないんだよ、俺は清木場俊介なんだよ」って思うんですね。

そこがうまく切り替えられるほど器用じゃないんだけど、切り替えなきゃいけない……。
ずっとEXILEのSHUNじゃ無理だし、EXILEで清木場俊介としてずっと歌ってくのも無理だし……。

すごい葛藤はありますよね。最近、そのふたりがすごく戦ってますね。
だからファンに手紙とか書くときには絶対“EXILE・SHUN→清木場俊介"って書くんですよ。
「ふたりの意味があるよ。だから勘違いしないでくれよ」っていうことなんですけど……。

歌詞も清木場俊介の書く歌詞とEXILEのSHUNの歌詞は違う。それは振り分けて書いてるんですよね。
EXILEのSHUNの歌詞は、曲が上がったときにしか書けない、つまり曲から思い浮かぶ詞なんですよ。
だけど、清木場俊介の詩は常に書ける。その詩はEXILEでは絶対に出せないんですよ、すごく濃いんで。


今、ようやくまともに普通のレベルで聴けるぐらいの状態で歌えるようになったから、自信はだんだん付いてますね。

前の俺は伝えることしかないって思ってたから、うまくなりたいとは思わなかったんですよ。
テクニックを付けると、伝える部分がどんどんどんどん削られていくようで怖かったっていう。

だから、テクニック50、伝える50より俺の場合、伝える100でいいんですよ。
テクニックってあとからついてくるもんじゃないですか。

それに、どんなにうまくても伝わらない人はたくさんいるし、自分の感情を思いっきり前に出さないで、
テクニックばっかりで歌ってる人を見ると「それで楽しいのかな?」って思うんですよ。

でも、まぁその人なりのやり方があって、それがその人にとってはいちばんいい表現方法かもしれないですけど、俺はそういう部類ではなかったっていう……。

あと、EXILEとしての自分も“自分"であることにまったく変わりはないんですけど、歌うにあたっては切り替えないとしょうがないんですよ。

「俺は尾崎が好きだから、尾崎の曲しか歌わないです」って、EXILEで言ってたら仕事になんない。
だから、そこは自分でうまくやんないと……。

歌はどれもいっしょなんだ、歌えるだけでいいんだっていうのを俺はわかってるんだけど、その中でまたいろいろ葛藤があって……。

EXILEでは最低限の自分のレベル保って、その中で伝えなくちゃいけないって思ってますね。

俺は、感情が高ぶったときに、ライブで泣いたりもするし、笑ったりもする。
機械じゃないんだから、思うままに歌えればいいって思っていて。

ファンから「もうちょっと落ち着いて歌えばいいじゃない」みたいな意見が来るんですけど、落ち着いて歌っちゃったら、俺じゃなくなるんだよって思う。
そこをわかってもらえない人は、たぶん一生、俺の歌い方をわからないでしょうね。

まぁ俺の伝え方不足なのかもしれないですけどね、それも。
もっとうまい表現の方法があるのかもしれないし……。
わからない人にも伝えたいんだけど、やっぱりそれぞれ好き嫌いもあるから。
「好き」って言ってくれる人は絶対裏切らないですよ。技術に逃げたり絶対にしない。

BOND OF SIX/Story of SHUN-3

2012-03-30 11:40:00 | 日記
力仕事
15歳からずっと力仕事をしてて、同級生に大工とか仕事のできるヤツが4人くらいいたんで、いつかみんなで会社を作りたいなって話してたんですよ。
それぞれが頭になって若いのを使って仕事をする。その四つの行程で家もビルも建つ。
何も遠慮しないで一からできる。どんな仕事だって取れるし、何も怖いものはない。
そういうのを夢見てやったんだけど、なかなか会社を作れる人間っていないんですよね。
で、結局それを実現したのは俺だけで。

会社作ったのは20歳くらいかな。でも現実になったとき、やっぱ甘くね~んだなって思いましたよ。
最初にいきなりすごい赤字出しましたけど、それを1ヶ月で返してからは、もうバンバン稼いで。
やりたい放題でした(笑)

そのときも友達が「お前いいよな」ってずっと言ってて。「俺は決して楽してやってるわけじゃない。
自分がやりたいことやってるほうがいいし、頭なんか下げたくない。
でも、若い衆10人の人生があるから、その区切りがつくまでは面倒見ないといけない」って説明するんだけど、それが回りくどいらしいんですよね。
だからたぶん、熱い人間じゃないと合わないのかもしれない。普通の人と話してると、どうも暑苦しがられる、というか。
頼まれれば絶対形にして返します。でも、今は「そのかわり……」っていうのはないですね。

その当時、俺の中で「俺はこんだけお前に自分っていう人間を見せるから、お前も100%俺っていう人間を信じてくれ」ってタイプだったんですよ。

でも、なかなか本気で人にさらけ出すみたいなのってないじゃないですか。
なのに、俺は常にそれを人にやってて、疲れたっていうか、バカ正直だったなっていう。

小っちゃいころから両親にすげえかわいがられてたから、それが当たり前だと思ったっていう。
だから、ちょっとでも人に冷たくされたりすると、さびしさが倍になるっていうのかな。


会社をやりながら音楽もやってました。会社で納得いかないことがあると、夜詩を書いたりしてたし。
だから俺にとっては詩を書くこと=音楽というより、生きる=音楽だったり、仕事=自分の中の歌だったり詩だったり……。
音楽とは常につながってたっていうか。仕事行くときもバンバン音楽聴きながら、ノリノリで行ってたし。

ASAYANオーディション
会社を起こして順調に仕事が回り始めてたから、今度は自分が本当に好きな歌で、どこまで通じるのかやってみたかったというか。
でも、また変なプライドが邪魔したりするんですよ。周りにも「お前がオーディション受けるの!?絶対無理だよ」みたいなことを言われたし。
そういうなかで“人に連れていかれた"っていう言い訳を、自分の中で作ってたのかもしれない。

実際、その人が積極的に連れて行ってくれたんですけどね。
その人はいつも、「やりたいことやればいいじゃん」って言ってくれますね。

俺、モロいじってる、アホみたい車で会場に行ったんですよ。しかも派手な格好で。
そしたらみんな、「なんだこれは!?」って見るじゃないですか(笑)
それで一次が受かってますからね、「見たか!格好じゃね~んだよ。ハートなんだよ!」って(笑)
根拠のない自信はありましたね。
ちょっとしたことで「無理かな」ってビビってたりもするんだけど、「俺は行けるよ、俺はやるよ」っていう。
でも、そういう気持ちは誰にも言わなかったんですけどね。
友達も「お前が受かるわけね~じゃん」みたいに言ってたから。
「一次、受かったよ」って言っても、誰も信じてくれないし(笑)

山口県は『ASAYAN』が映る地域と映らない地域があったから、なおさらなかなか信じてもらえなくて。
でも、それが本当だってわかったら周りの目が変わってきたというか。
“派手な車に乗ってるヤンキー"というよりは、「ASAYANに出てる人だ」ってだんだん言われるようになって。

街で弾き語りし始めて少し経ったところだったんですけど、歌いやすくなったんですよね。


三次は東京まで受けに行ったんですよ。
そこで平井堅さんの「WHY」を歌ったんですけど、審査員が俺を見ているときの雰囲気にすごくムカついて……。

プロとかアマチュアとか関係なく、一生懸命歌ってるヤツに対する見方があるだろうと思って、途中でやめちゃったんです。
「もう歌えないです」みたいなことを言って。そのあとの面接でも「何がやりたいの?」って聞かれて、「俺は歌が好きだから、歌が唄えればいいんですよ」って言ったら…
「そうなんだ。ところで長島一茂に似てるね」って言って笑ったんですよ。
そこで「もういいや」って思って「ありがとうございました」って帰ってきました。

「それはねーよな~」って思いましたね(笑)ひどいっすよね。でも、それでまたやる気になったんですけど。


BOND OF SIX/Story of SHUN-2

2012-03-30 11:35:00 | 日記

高校時代
中学を卒業してからは、すべて下り坂で辛かったです。
そのときには、まともになりたい自分もいたし、音楽やりたい気持ちがあるのにツッパっててやれないみたいなところがあって……。

ほんとはワルくないのに、恐怖心でワルくみせようとしてた自分に気づいたんですよ。
このままいったら俺じゃね~な、そういう俺はもう中学校で終わりだって思って……。

でも高校で、いろんな地域から集まってきた人たちと、また喧嘩しなくちゃいけなかったり、揉めなくちゃいけなかったりしたんですよね。
断ると、あいつが負けたっていう噂が違う高校にも広がっていって、外を歩けないぐらい恥ずかしいんですよ。
それが嫌で、2ヶ月ぐらい我慢してたんですけど、ある日、俺が授業をさぼってるのを見つけた先生が兄貴のことを侮辱したんですよ。
もうプチ~ン!ってキレて、思わず手が出てしまって。帰ったら、そのまま退学になったっていう(笑)

そのときも親父が謝ってくれたんですけど、理由は言わなかった。
自分の中で絶対に許せないんだけど、それを言っちゃいけないっていう矛盾があって……。
最近、その事を兄貴に言ったら、ちょっと悲しんでた。多分親父はまだ知らないと思う。

高校時代に半年ぐらいボクシングをやってたんですけど、中学生に負けてやめました(笑)

高校の時は、帰りに喧嘩で負けた方が飯をおごる。みたいなことばっかしてたんですよ。
自分の中ではどっかでビビってるんだけど、やらなくちゃいけない。そのうちに名前ばっかりどんどんデッカくなって……。
それがすごく嫌でしたね。

それからどんどんワルくなっていって、最後には集団で大きな傷害事件を起こすところまでいってしまって……。
俺に対して仲間のみんなの中に「ヤツならやってくれるよ」みたいなのがあったんですよね。
そうやって持ち上げられて、俺じゃない自分を勝手に自分で作ってたっていうか。
「もっと自分を大事にしてもいいかな」っていうのは、そんななかで学びました。

実は捕まった瞬間に「やっと自分が変われる」っていうホッとした気持ちもあったんです。それを望んでたんだろうと思いますね……。

親元を離れている間、親父が「心元気か?」から始まる手紙をくれ、その言葉がすごくあたたかくて。
「いくら泣いてもいい、悩んでもいい、怒ってもいい、キレてもいい、でも心だけは元気でいろ、笑っていろ」っていうのを、親父はずっと言ってて。

最初のころは意気消沈というか、次はこういうふうに生きていくんだっていうプランを立てる力も息絶えてましたけど、2ヶ月くらいして新しい自分が出てきて、「何かを見つけよう、何かをしなきゃまずいな」って思えるようになったんですよ。

2ヶ月の間に生まれ変わって、すごい決心して。
周りの人全部を傷付けてたから、もう何も傷付けまいと思って帰ってきたんだけど、俺がいない間にそこではまた‘新しい自分’が他の人によって作られてたっていう。

いろんな噂が各地で飛び交ってたんですよ。で「またツッパんなきゃいけないの?」みたいな。
そこでまた入っちゃいけない世界に入りかけたんですけど、事件に巻き込んだ後輩たちに対する償いはすべてやれたなって思った半年後に、完全に足を洗ったっていう……。