現実を解読するための手掛かりとして書物を読むのではなく、書物を解読するための手掛かりとして現実経験を活用する、ということがある。そして、不思議なことに、そのように活用することによって初めて、現実の具体的な日常経験自体が、真に腑に落ちる仕方で理解されてくるということがしばしばある。
— 山本芳久 (@201yos1) 2016年8月13日 - 15:06
最新の画像[もっと見る]
- 1月04日(月)のつぶやき 15年前
現実を解読するための手掛かりとして書物を読むのではなく、書物を解読するための手掛かりとして現実経験を活用する、ということがある。そして、不思議なことに、そのように活用することによって初めて、現実の具体的な日常経験自体が、真に腑に落ちる仕方で理解されてくるということがしばしばある。
— 山本芳久 (@201yos1) 2016年8月13日 - 15:06