インドの聖人夫妻「ヴァカバン&アンマ」がゴールデンシティを中心に広めているムーブメントが「ディクシャ」。これは高次元からのエネルギーを頭頂部から注ぎ込み、脳の物理的な構造を変革して「悟り」を啓かせるという、かなり強引なメソッド。曰く、人間はどんなに努力しても悟りを啓く事は不可能。シャカをはじめ、全ての過去の聖人も、修行によってではなく、天からのエネルギーを得て悟りが啓けた。問題は、どうやったら天からのエネルギーを受けられるようになるかで、それを求めて修行を行なったに過ぎない。しかしディクシャは半ば強制的にこのエネルギーを注ぎ込むので、極めて短期間(数日~数週間)で悟りが啓ける、と言う。
私がこのメソッドに興味を持ったのは、「悟り」や精神世界の構造に対する考え方が、私の想像するものと非常に似ていたから。「悟り」=「差取り」であり、我々の肉体の世界である3次元と、精神の世界である4次元、5次元、6次元といった高次世界との差を取ると言うこと。その為には高次元との通信手段である「脳」の活性化が不可欠であり、強制的に通信電波を脳に叩き込む事により脳内の通信システムを励起させてしまおうというわけだ。
日常生活で脳が活性化されない理由は色々ある。通信用である筈の脳が構造的には汎用メモリと同じである事から不要なデータの蓄積に流用されてしまい、本来の用途で使える部位が不活性化しているらしい。蓄積されるデータというのは、人間が生活をより楽に行なうためのサブルーチン群。例えば、注ぎ口から蒸気が噴き出しているヤカンがある。中には沸騰した湯が入っているのだろう。だからヤカン自体も100度近い温度だろう。100度は熱いから、触ったら火傷するだろう。といった一連の思考をまとめて、「湯気の出ているヤカン」=「素手で触ったら危険」という1個のサブルーチンができあがる。これにより、通常の生活においては判断と対応がかなり迅速に(本人が考えなくても自動的に)行なえるわけだ。ところが、ヤカンの中には水とドライアイスが入っていて、炭酸ガスが噴出している場合でも、このサブルーチンが起動して「熱くて危険」と判断してしまう。こうしたサブルーチンを称して先入観(ディクシャの中では「マインド」)と呼ぶ。
ディクシャは外部から脳内にエネルギーを強制注入する事により、こうしたマインドを1個づつ消去して行くテクニックでもある。本人も何故か分からないのに猫が怖い、という人がいる。それは本人も覚えていない幼児期に、猫に襲われた深層記憶が眠っているのかもしれない。それが「猫=危険」という先入観、トラウマを作っていたりする。ディクシャのエネルギーは、そうしたマインドの原点を本人に自覚・追体験させる事により、1個づつ潰して行く。その過程では、忘れていた記憶が呼び戻され、楽しい事もあれば、忘れていたかった辛いことや恐ろしいこともあり、かなりヘビーな体験となる。
そうしたマインドがどれだけ深く積み重なっていたかで、ディクシャに要する期間も、それを乗り越えるのに必要な体力・精神力も異なる。また、悟りの深さ(通信可能な次元の深さ)についても、どれだけアンテナがクリアになってきたかで異なるわけで、人それぞれに異なるようだ。「ディクシャを3回受ければ悟りが啓ける」と言われているのは不動産屋の誇大広告のようなもので、実際には「ディクシャを3回受けると悟りを啓くプロセスが始まる」つまりマインドの存在を自分で認識でき始めるようになる、と言うのが正しいと思う。ディクシャの会に3回参加すれば、全ての苦悩から開放されて、悟りの境地に到れる・・・のではなく、ディクシャの会に3回参加すると忘れていたかった過去の苦悩や恐怖を思い出さされて、悟りに到るための精神修行が始まるわけだ。
私がこのメソッドに興味を持ったのは、「悟り」や精神世界の構造に対する考え方が、私の想像するものと非常に似ていたから。「悟り」=「差取り」であり、我々の肉体の世界である3次元と、精神の世界である4次元、5次元、6次元といった高次世界との差を取ると言うこと。その為には高次元との通信手段である「脳」の活性化が不可欠であり、強制的に通信電波を脳に叩き込む事により脳内の通信システムを励起させてしまおうというわけだ。
日常生活で脳が活性化されない理由は色々ある。通信用である筈の脳が構造的には汎用メモリと同じである事から不要なデータの蓄積に流用されてしまい、本来の用途で使える部位が不活性化しているらしい。蓄積されるデータというのは、人間が生活をより楽に行なうためのサブルーチン群。例えば、注ぎ口から蒸気が噴き出しているヤカンがある。中には沸騰した湯が入っているのだろう。だからヤカン自体も100度近い温度だろう。100度は熱いから、触ったら火傷するだろう。といった一連の思考をまとめて、「湯気の出ているヤカン」=「素手で触ったら危険」という1個のサブルーチンができあがる。これにより、通常の生活においては判断と対応がかなり迅速に(本人が考えなくても自動的に)行なえるわけだ。ところが、ヤカンの中には水とドライアイスが入っていて、炭酸ガスが噴出している場合でも、このサブルーチンが起動して「熱くて危険」と判断してしまう。こうしたサブルーチンを称して先入観(ディクシャの中では「マインド」)と呼ぶ。
ディクシャは外部から脳内にエネルギーを強制注入する事により、こうしたマインドを1個づつ消去して行くテクニックでもある。本人も何故か分からないのに猫が怖い、という人がいる。それは本人も覚えていない幼児期に、猫に襲われた深層記憶が眠っているのかもしれない。それが「猫=危険」という先入観、トラウマを作っていたりする。ディクシャのエネルギーは、そうしたマインドの原点を本人に自覚・追体験させる事により、1個づつ潰して行く。その過程では、忘れていた記憶が呼び戻され、楽しい事もあれば、忘れていたかった辛いことや恐ろしいこともあり、かなりヘビーな体験となる。
そうしたマインドがどれだけ深く積み重なっていたかで、ディクシャに要する期間も、それを乗り越えるのに必要な体力・精神力も異なる。また、悟りの深さ(通信可能な次元の深さ)についても、どれだけアンテナがクリアになってきたかで異なるわけで、人それぞれに異なるようだ。「ディクシャを3回受ければ悟りが啓ける」と言われているのは不動産屋の誇大広告のようなもので、実際には「ディクシャを3回受けると悟りを啓くプロセスが始まる」つまりマインドの存在を自分で認識でき始めるようになる、と言うのが正しいと思う。ディクシャの会に3回参加すれば、全ての苦悩から開放されて、悟りの境地に到れる・・・のではなく、ディクシャの会に3回参加すると忘れていたかった過去の苦悩や恐怖を思い出さされて、悟りに到るための精神修行が始まるわけだ。