永井荷風「摘録 断腸亭日乗(上)」P85
八月三十日。
風ありてやや涼し。
曝書(ばくしょ)の傍(かたわら)久しく見ざりし書物何といふことなく読みあさるほどに、
暑き日も忽ち西に傾き、つくつく法師の啼きしきる声せはしなく、
行水つかふ頃とはなるなり。
予は毎日この時刻に至り、独り茫然として薄暮の空打ちながめ、
近鄰の家より夕餉の物煮る臭の漂ひ来り、
垣越しに灯影(ほかげ)のちらほら輝き出るを見る時、
何とも知らず独(ひとり)無限の詩味をおぼえて止まざるなり。
(引用終わり)
抜き書きとしては気の利かない箇所かも知れないけれど、
荷風散人のこういう何気ない文章にも惹かれる。
日本語を大事に使っているなぁと思う。
日本語と言えば、最近再び高島俊夫の本を読み始めた。
至福の朝、「本が好き、悪口言うのはもっと好き」を拾い読み。
タイトルは毒々しいが、言葉への愛情が詰まっている。
何度読んでも「へぇーーそうだったのかぁ」。
また数年経ったら読もっと。
好きな作家の共通点。
夏彦翁も周五郎も高島さんも、とにかく自分の文章を削る。
削りに削って、これ以上削るといくらなんでも意味が通じなくなるという寸前まで削る。
文章家や名文家と呼ばれる人は皆そうなのでしょうね。
それから言葉を大事にしている。
以前何かで読んだと思うのだが、褒めた文章に悪いものは無いという。
とすると貶した文章はやはり読んでいて気分のいいものではない。
にも拘らず高島さんの文章は面白い。
日本語への愛が勝っているからだろう。
それと「おかしみ」「笑い」がちりばめられているからだろう。
夏彦さんも再三再四言っていたなぁ。
八月三十日。
風ありてやや涼し。
曝書(ばくしょ)の傍(かたわら)久しく見ざりし書物何といふことなく読みあさるほどに、
暑き日も忽ち西に傾き、つくつく法師の啼きしきる声せはしなく、
行水つかふ頃とはなるなり。
予は毎日この時刻に至り、独り茫然として薄暮の空打ちながめ、
近鄰の家より夕餉の物煮る臭の漂ひ来り、
垣越しに灯影(ほかげ)のちらほら輝き出るを見る時、
何とも知らず独(ひとり)無限の詩味をおぼえて止まざるなり。
(引用終わり)
抜き書きとしては気の利かない箇所かも知れないけれど、
荷風散人のこういう何気ない文章にも惹かれる。
日本語を大事に使っているなぁと思う。
日本語と言えば、最近再び高島俊夫の本を読み始めた。
至福の朝、「本が好き、悪口言うのはもっと好き」を拾い読み。
タイトルは毒々しいが、言葉への愛情が詰まっている。
何度読んでも「へぇーーそうだったのかぁ」。
また数年経ったら読もっと。
好きな作家の共通点。
夏彦翁も周五郎も高島さんも、とにかく自分の文章を削る。
削りに削って、これ以上削るといくらなんでも意味が通じなくなるという寸前まで削る。
文章家や名文家と呼ばれる人は皆そうなのでしょうね。
それから言葉を大事にしている。
以前何かで読んだと思うのだが、褒めた文章に悪いものは無いという。
とすると貶した文章はやはり読んでいて気分のいいものではない。
にも拘らず高島さんの文章は面白い。
日本語への愛が勝っているからだろう。
それと「おかしみ」「笑い」がちりばめられているからだろう。
夏彦さんも再三再四言っていたなぁ。