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遠賀川流域の天忍穗耳命。


 磐境(いわさか)とは、大石、巨岩をもって神霊の依代とする自然崇拝的な祭祀。が、その古代祭祀の磐境は人頭ほどの礫石を並べ敷きつめたもので、ひとの手に依るものだけに太古にそれを造った人々の息遣いなどが感じられて、畏敬の念といったものをよけいに覚える。
 小高い丘陵の半ば、神日本磐余彦尊が祀ったとされるその神蹟は、木立ちの中で厳かな佇まいをみせた。神域をしめす柵の中、手前に磐石を円形に敷きつめたもの、奥に方形のものとふたつの磐境が祀られて、そこには古代の叡智が漂っている。


 八幡(やはた)西区の山寺に「一宮神社」が鎮座する。この宮は王子宮、大歳神社、諏訪神社の三社が合祀された宮で、古く、稀に見る大社であったといわれる。また、王子宮は神武東征の折、宇佐より岡田の宮へ至った神日本磐余彦尊が、一年の間、この地に滞在した旧蹟という。

 王子宮の祭神は「天忍穗耳命(あめのおしほみみ)」。神日本磐余彦尊は自身の祖神として天照大神の御子(王子)、天忍穗耳命を祀っている。ふつう、天皇が祖神を祀るのであれば天照大御神か、天孫の邇邇芸命(ににぎ)ではないだろうか。などと、磐境を前に思っていた。

 天忍穂耳命はこの域において、田川の香春岳にも祀られている。香春岳に祀られる神は三座。今は山体を失った一ノ岳に辛国息長大姫大目命。二ノ岳に忍骨命こと天忍穂耳命。三ノ岳に豊比売命が祀られる。和銅2年、山麓に香春神社を鎮座させ、山頂の社を麓に下ろしたとする。平安初期、この社の社格は高く、豊前国一宮は宇佐神宮なのであるが、古い記録にはこの社を豊前国一宮としたものがあるという。

 そして、この域の天忍穂耳命祭祀の本所が英彦山であった。英彦山は九州北部の神奈備。古代より神霊の山として信仰され、天忍穂耳命を祀ることから日の御子の山、日子山(ひこさん)と呼ばれる。

 八幡(やはた)の王子宮、香春の二ノ岳、霊峰、英彦山へと「天忍穂耳命」の神霊が、遠賀川流域の象徴神のように連鎖して祀られる神祇。この域では添田の岩石山や山田の神奈備、帝王山などにも天忍穂耳命が祀られる。遠賀川流域で皇祖を天孫の邇邇芸命ではなく、天忍穂耳命として祭祀する訳とは。


 九州北部域において、英彦山は広大な山域を誇る。筑紫の平野あたりからも。その神々しい山容を遠望する。古い火山である英彦山は峡谷や岩峰など、変化に富んだ侵食地形を発達させ、その神々しさは霊峰と呼ぶにふさわしい。殊に、国の曙の地とされる九州北部域の神奈備であった。

 英彦山の山頂直下に高木神を祀る「産霊神社(むすび)」なる祠が在る。鎮座地は往古、高木神祭祀の旧地とされ、聖武期に再建されたものであるという。英彦山には古く、高木神が祀られていた。
 そして、英彦山神領の四十八大行事社(末社)が「高木神社」とされ、祭神を英彦山主神の天忍穂耳命ではなく、高木神としている。これらの事象は、英彦山本来の神が高木神であったことを示している。

 高木神(高皇産霊神、たかみむすび)とは造化三神の一柱。神話において、高木神は女(むすめ)の万幡豊秋津師比売命(よろずばたとよあきつし)を天照大御神の御子、天忍穂耳命に嫁がせることで皇祖神ともなる。
 この域の天忍穂耳命祭祀とは、命が高木神の女(むすめ)、万幡豊秋津師比売命を娶ったことに因るともみえる。遠賀川流域の神祇は古く、高木神祭祀であった。


 天忍穂耳命が高木神の女(むすめ)、万幡豊秋津師比売命を娶り、英彦山を譲り受ける神祇とは、天忍穂耳命に由来する氏族が、遠賀川流域に在った高木神を奉祭する氏族を婚姻をもって帰属させたという事象の投影とも思わせる。

 さすれば、天忍穂耳命の御子、邇邇芸命(ににぎ)の降臨とは何を意味するのであろうか。神話において、天照大御神と高木神は天忍穂耳命に葦原中国を治めようとさせるが天忍穂耳命はそれを断り、御子の邇邇芸命を降臨させる。そして、高木神の子、思金神(おもいかね)が邇邇芸命に随伴している。

 遠賀川流域での太古の事象が高天原神話の原初なのであろうか。県神社誌は「英彦山は、古く、高千穂と呼ばれていた。」と記し、この山が天孫が降臨した襲の高千穂峰に纏わることを暗示させ、英彦山神宮の宮司(座主)家は「高千穂」姓を名乗っている。(了)

 

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◎鷹の神祇。九州北半の高木神祭祀

九州北半、遠賀川水系において、鷹に纏わる神社群や鷹の地名を散在させる「鷹」の神祇とは、高木神祭祀に由来する軍事(兵杖)氏族の痕跡。この域の古層には神武東征以前に大和に在ったとされる饒速日命の王権や、高天原神話に投影された太古の謎が秘められる。

 

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