するとその「レジ」という言葉から、今まで忘れていた嫌な人物のことを思い出してしまったのです。
この本とは直接関係ないのに、なぜか急にそのシーンを思い出してしまい気分が悪くなりました。
思い出したその人物というのは、一方的にこちらに怒りをぶつけてくるような凄く感じの悪い人で、関わってはいけない注意人物だと私は感じました。
その出来事があった後も、その人(女性です)のことを思い出すと、なぜかとてもゾッとしてしまいます。
もしかすると、あの狂気に満ちた怒りを発した人物が、これまた狂気に満ちた怒りを発していた私の父と、シンクロしていると感じたからかもしれません。
そしてその人の背後に、彼女をあそこまでにさせた狂気に満ちた人物がいたのではないか?とも考えてしまいました。
地獄にでも引き込まれたかのように気持ちがズーンと重くなった出来事は、私の心に巣くっている怒りや憎悪を表わしたものだったのではないかと思いました。
きっと心の中にあった黒い嫌な気分と同調した人物が目の前に現れたのでしょう。
ある臨死体験者の話なのですが、その人はお世辞にも良い人とは言えない人物で、臨死体験をした際、自分が傷つけた人の立場になってその気持ちを逐一感じたそうです。
(人は皆つながっているということでしょうか)
それは、それは辛い体験だったとか。
この世によみがえることができてから、その人物の行いは百八十度変わったそうです。
何で、ここでそんな話を書いたかというと、たとえ相手に暴力など直接的な行為をしていなくても、「怒りの思いを持って憎む」などの感情を持っていたら、それも自分に跳ね返ってくるのではないか?ということなのです。
それは決して心地良くはないですよね。
だから「赦す(ゆるす)」ことが大切かと思いました。
ここで間違ってほしくないのは、相手を赦すとか、赦さないとかではないのです。
自分が自分の心に不快な感情を持ち込んでしまったということに対して赦すのです。
(すると、心がほっこり温かくなるような気がしました。)
相手の行いは、それが罪(宇宙の法則にそっていないの)であれば、それなりの反動があり、それをその人が受け取るのでしょう。
これは私が感じたことを書いたもので、もしかすると従来の考えとは違うかもしれません。
だから、その考えを押し付けるつもりはありません。
ただ少しでも参考になればと思い書いてみました。
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