地震が起きる前の時期、私は二度ほど転んでいます。今まで転んだことなど、ほとんどなかった私だったのに……。
一度目は昨年の暮れでした。家でのことです。少し薄暗かったり、置いてあった物の位置を変えたりしたせいなのか、段差のあるところで思いっきり踏み間違えてしまい、派手に真横に転倒してしまいました。ところが、その派手な転び方にもかかわらず、どこも何ともありませんでした。
二度目は今年2月の下旬、買い物した帰りのことです。道路のアスファルトの歪んだ部分に足をとられて前に転んでしまいました。このときは膝と手を少し擦りむきました。転ぶのを阻止しようと足を踏み出そうとしたのに、まったく足が動かなかったのです。
よく転ぶことに恐れをなした私は、出かけようとしていたその日(11日)、出かける前には般若心経を唱えようと決めていました。
御経を何度か繰り返し唱え、終わりに差し掛かってきた頃、一羽の小鳥の鳴き声が聞こえてきました。ここら辺では聞いたことのない変わった鳴き方で、まるで私に語りかけるように鳴いていたのを覚えています。(その時は、どこか他から来た鳥なのかしら?などと思っていたのですが、今考えると、異変を知らせる鳴き方をしていたのかもしれません)御経も唱え終わり、外出の用意をしようと思っていた矢先、あの大きな地震が起こりました。
あの日、般若心経を唱えようと思わなかったら、とっくに出かけていたことでしょう。そして、交通のマヒなどに巻き込まれていたかもしれません。
そう考えると、私が二度も転んだのは、何か見えない力が働いてのことなのかと思えてきます。守護霊さまが、私の外出を阻止するために、取り計らってくれたことなのかと。
一度目に転んだときは、私の気持ちにほとんどインパクトを残しませんでした。それで、再び転ばされたのだという感じがしました。
他にも、導きだったのではないかと思うことがあります。
地震が起こっている最中、ガヤトリーマントラを唱えたり、サイババのお名前を言ったりして、恐怖に傾く心をなだめることができたのですが、これらのことを知った経緯も不思議に感じるのです。
それは突如、私が霊的な苦しさを察知するようになったことから始まりました。そのうち身体的な危機にも陥ってしまい、もう、どうしていいのか分からなくなりました。色んなことを試してみたのですが、どれも駄目で、最後にすがる思いで心の中、サイババに助けを求め、徐々に状態が良い方に向かってきたのです。
普通の状態の私だったら、おそらくサイババのサイトを訪れることはなかったと思います。ところが、危機的状況になり助けてもらったと感じたことで、その重要性を認識することができたのです。それで、ガヤトリーマントラも覚えました。
また、断捨離の本を買ってきて、随分と物を処分したことも、導かれたことの一つだったのかもしれないと、今では思っています。
今回のこと(大きな地震)のような場合、少々手荒な手段を取ってでも、私を導くために物事は起こされたのでしょう。守護霊は大きな意味での自分とも言えますから、どうすれば、どう動くか熟知しているのです。
いつもメッセージを送ってくれているとは思うのですが、現世のことに強く囚われている私たちは、容易にそれを見逃してしまいます。
だから、少なくとも、朝目覚めたとき、夜寝る前に感謝の思いを伝えて、守護してくれる存在へ意識を向ける努力をした方が良いと思います。意識を向けるようにすれば、つながり易くなりますから。
自分の霊性意識を高める努力をしつつ、これからも守護霊さまに感謝の気持ちを伝えていきたいと思います。今回の出来事で、さらに強く、そう思った私でした。

