ところが解離的傾向がある人は、不快な言葉を聞くと心ここにあらずの状態になってその言葉をそのままにしてしまいます。
それは子供のときの親に対する態度に起因しているようです。
小さな子供にとって親に歯向かうことは死にも値するので、親の一方的な言いがかりともいえる理不尽な仕打ちも無視することが許されないのです。
そんなとき子供は、肉体はそこにあって言葉を聞いていても、心はその場から離れてしまいます。
意識してそうするわけではなく、いつも対応しているうちに無意識に苦しみから逃れる方法としてそうなったのでしょう。
これが他の人と話しているときも無意識に働いてしまうようで、親とは違い、そんなことをしなくてもいいのにそうなってしまうのです。気がつくのはいつも後になってから。
今度こそ、何か不快なことを言われたらその場で言い返そうと決意するのですが、上手くいきません。
その解離した心がどこにあるかというと、相手の立場になっていたりするのです。
だからその場の話を納得してしまったりするのですね。
そして、後に我に返ったとき、ふつふつと怒りが湧いてくるというわけです。
こんな思いをしている人は、けっこういるような気がします。
まさか、それが「解離」だとは気がつかずに。
解離については前にも書いています。今日書いた内容とダブル部分もありますが、良かったらご覧ください。→「解離」って案外身近なことかも
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