秋津洲ap

無為自然 陽沈宵闇 暗闇戯闇 暁東雲曙 囁眩言記

車中泊/注意点

2018-01-21 17:49:31 | 記録
弁護士ドットコムニュース
道の駅やSAで見かける「車中泊」、犯罪に巻き込まれるリスクもあるので要注意
10:03弁護士ドットコム

休暇を使っての遠出や宿泊費を浮かすためなどに、高速道路SA(サービスエリア)や道の駅の駐車場でする「車中泊」。この年末年始も様々な事情でした人がいるのではないか。

全国的な状況を把握するのは難しいが、国土交通省は「道の駅は休息施設であるため、駐車場など公共空間で宿泊目的の利用はご遠慮いただいています」(同省HP)としており、車中泊を歓迎する道の駅は多くなさそうだ。

「車中泊お断り」の場所で行えば、警察に通報される可能性もある。また、過去には仮眠中の女性に対する強制わいせつ容疑で男性が逮捕される事件も起きており、注意が必要。飲んだお酒が抜けずに、車中泊後に飲酒運転で検挙されたという書き込みもインターネット上で散見される。

マナーを守って、防犯に気をつければ楽しいはずの車中泊。違反した場合、どのような罪に問われるおそれがあるのか。逆に、どのような犯罪被害に遭うおそれがあるのか。自らも車中泊の経験があるという西村友彦弁護士に聞いた。

スマホ充電や火気使用は犯罪にあたるおそれ
「車中泊が禁止されていない場所であっても、宿泊施設の感覚で利用すると犯罪に該当する行為をしてしまう可能性があります。例えば、トイレなどの電源を無断で使用してスマートフォンの充電などをすると、電気窃盗(刑法235条、245条)となるおそれがあります。

また、駐車場にコンロやバーナーなどを出し、火気を使用して料理などをすると、軽犯罪法違反(1条9号)や火災予防条例など条例違反となります。キャンプなどのアウトドア全般で共通しますが、独りよがりにならず、皆が気持ちよく利用できることを心がけたいですね」

窓ガラスに目隠しをして、きっちり施錠はしておくべき
「反対に、強制わいせつ等の性犯罪被害も報道されています。その他にも、施錠せずに車を離れている間に車内の物を盗まれたり、施錠していても窓ガラスを割られて車内の物を強奪されたりする被害に遭う可能性もあります」

では、そのような被害に遭わないようにするためには何に気をつけるべきか。

「被害に遭う可能性をできるだけ低くするためには、人気のない場所に駐車することは避け、外部から車内の様子が見えないように窓ガラス全てに目隠しをし、きっちり施錠することは必ずしておくべきです。そして、自らの身を守るためには、危険を感じた際にすぐに車を発進させられるように飲酒は控えておくべきだと考えます」

【取材協力弁護士】
西村 友彦(にしむら・ともひこ)弁護士
京都弁護士会所属 京都大学卒(大学時代アメフト部)
事務所名:加藤・藤田法律事務所

キャンピングカー/初心者向

2018-01-21 16:57:07 | 記録
朝日新聞DIGITAL
キャンピングカーで行こう!
渡部竜生

「サポカー」って? キャンピングカーの安全運転サポート機能(2018/1/17)

 最近、車のテレビコマーシャルを見ていると、各社ともこぞって自動ブレーキシステムなど、安全性向上のための機能をアピールしています。政府も経済産業省が中心となって「サポカー」の生産を奨励しています。

「サポカー」ってなんだ? と思われるかもしれません。衝突防止機能やペダルの踏み間違え防止機能などが搭載された、「安全運転をサポートする車」のことをこう呼ぶそうで、官民連携で安全性向上に寄与する車両の普及啓発に取り組んでいるというわけです。

キャンピングカーのベース車両は?

 速度や天候など様々な条件によって効果は左右されますが「障害物を見つけて自動でブレーキをかけてくれる」「ペダルを踏み間違えても急発進しない」など、確かに人間のケアレスミスを未然に防いでくれる機能は頼もしいものです。

 そんな安全運転サポート機能ですが、さて、キャンピングカーはどうでしょうか。旅する車と考えると長距離走ることも珍しくありませんから、ここはぜひとも欲しい機能です。が、こればかりは「後からオプションで」という訳にはいきません。ベースとなる車両に、最初からその機能が付いているかどうか、ということになります。

 キャンピングカーには様々なベース車両がありますが、カテゴリーごとに、その状況を見ていきましょう。

軽キャンピングカー

 今のところ国内のどのメーカーも、軽キャンピングカーのベースに採用されるような軽トラックや軽バンには、安全サポート機能を搭載していません。「軽乗用車」なら、搭載車種も出始めていますが、ベースにそうした乗用車タイプを採用している商品はほとんどないのが実情です。

バンコン

 トヨタ・VOXYや日産・セレナなど、乗用車系ミニバンがベースの場合は、ほぼ安全サポート機能を搭載しています。では、貨物系バンではどうでしょうか。

・日産
 NV350キャラバンがサポート機能を標準装備。

・トヨタ
 先日マイナーチェンジをしたハイエースは標準装備。なのですが、キャンピングカーベースとして供給される車両には非搭載。

キャブコン

 キャブコンならトヨタ・カムロード。コンパクトキャブコンならマツダ・ボンゴが主流ですが、いずれもいまのところ安全サポート機能搭載の車両はありません。ハイエースをボディーカットしてキャブコンを作っているメーカーもありますが、事情はバンコンと同様非搭載。

バスコン

 ベース車両はマイクロバスで、トヨタ・コースター(または日野・リエッセII)、日産・シビリアン、三菱・ローザの3種類。いずれも安全サポート機能は搭載していません。

 このように、ほとんどのキャンピングカーにはサポート機能が搭載されていないのが現状です。その理由とは、一体何なのでしょうか。

コストとのせめぎ合い

 安全サポート機能には、各種センサーやカメラ、センサーからの情報を処理するコンピューターが不可欠です。こうした機器類は当然、コストアップにつながります。キャンピングカーのベースに採用されるのは低コスト最優先の商用車が多いですから、コスト増が嫌われるという側面があります。

 また、一般的に商用車は乗用車に比べて、車種の寿命が長い傾向にあります。サポート機能が登場してきたのはここ数年のことなので、現行モデルでも、設計当時にはこうした機能は想定されていませんでした。簡単に後付けできるものでもなく、大きな設計変更が必要になる場合もあります。

 軽自動車に搭載が少ないのも、同様の事情によるものです。軽自動車に取り付けても、高級セダンに取り付けても、センサーはセンサー、コンピューターはコンピューターです。実は増えるコストはあまり変わりません。そう考えると、定価700万円の車と定価200万円の車とでは原価率は大きく変わります。

 とはいえ、「日産・NV350」を始め、小型商用車にも安全サポート機能搭載車種が増え始めました。安全性の向上は何よりも優先されるべきテーマです。

すでに大型トラックには、

新型車……平成26年11月1日以降
継続生産車……平成29年9月1日以降

の製作車に衝突被害軽減ブレーキの装着が義務化されています。

 ハイブリッドカーや低燃費カーなど、さまざまなベクトルで進化を続けるクルマの世界。安全サポート機能もさまざまありますが、いまのところ万能というわけではありません。搭載されていようがいまいが、基本的にはドライバーの安全運転が大前提。車の機能と自分の運転を過信することなく、セーフティードライブで楽しい旅行を!。 せっかく「寝られる車」なんですから、しっかり休憩をとることもお忘れなく。


---------------

過去記事一覧

キャンピングカー、どう選ぶ? どこで買う?(2018/1/10)
先日、こんな質問を受けました。「キャンピングカーが欲しいんだけれど、どこで買えるの?」また別の日、雑誌の取材を受けていて編集担当さんに言われました。「これ、元に…

キャンピングカー 国産車にする? 輸入車にする?(2017/12/27)
キャンピングカーの購入を考えるとき、出てくるポイントのひとつに「国産車にするか/輸入車にするか」ということがあります。それぞれにメリット・デメリットがありますが…

レンタルキャンピングカーでペットも一緒に(2017/12/20)
昨今のキャンピングカーの人気ぶりを受けて、キャンピングカーのレンタル業も好調です。これまではキャンピングカー専門のレンタカー会社が中心でしたが、最近では大手レン…

キャンピングカー、DIYは慎重に!(2017/12/13)
先月13日の午後、長野県内の国道でキャンピングカーの車両火災が発生しました。消防によって、火は消し止められましたが、車両は全焼。幸い乗員2人は脱出して無事とのこ…

ミドルクラスのベース車両ってどんな車?(2017/12/6)
「軽キャンパーだとちょっと小さい」「軽自動車の走行性能に不満」「キャブコンやハイエースサイズのワンボックスじゃ大きすぎる」……。そんなユーザーに受けているのが、…

トヨタ「ハイエース」がマイナーチェンジ 衝突回避支援と新エンジン搭載(2017/11/29)
11月22日、キャンピングカーのベース車両として人気の車種、トヨタ「ハイエース」のマイナーチェンジが発表されました。大きなポイントは二つ。衝突回避支援パッケージ…

キャンピングカーは“2WD”と“4WD”どっちがいいの?(2017/11/22)
北国から雪の便りが聞こえるようになってきました。“冬旅”の準備にいそしんでいる方もいらっしゃるでしょう。毎年、この時期になるとキャンピングカー・ユーザーの間で、…

船長が選んだ「陸の相棒」、私がキャンピングカーを買ったわけ(2017/11/15)
常定信吾さん(38)妻・由香さん、長男・湊悟くん(4)、二男・由朔くん(2)車種:カトーモーター社 ディーディー今回ご紹介するユーザー、常定信吾さんの仕事は貨物…

トレーラー人気、ますます上昇中、専門のショーに行ってみた(2017/11/8)
増え続けている、キャンピングカーの登録台数。その中でも、特にキャンピングトレーラーの人気が急上昇中です。2016年のトレーラー販売台数は国産車が50台。たった5…

新型「コースター」ベースのバスコンがいよいよ充実(2017/11/1)

愛犬家向けキャンピングカー発売!(2017/10/25)

「横向き座席禁止」ハイエースのキャンピングカーに規格変更車両が登場!(2017/10/18)

重量約600Kg! おしゃれなアメリカ製トレーラー、日本デビュー!(2017/10/11)

オフ会で聞いてみた“子供たちのキャンピングカーライフ”(2017/10/4)

13年ぶりの復活「トヨタ・ハイラックス」、キャンピングカーにも期待!(2017/9/27)

リアダブルタイヤのカムロードがベース車デビュー!(2017/9/21)

キャラバンサロン2017リポート その3(2017/9/13)

キャラバンサロン2017リポート その2(2017/9/6)

速報! キャラバンサロン2017リポート その1(2017/8/30)

キャンピングカーの冷蔵庫って、どうなってるの?(2017/8/23)

トラックキャンパーって、どんなもの?(2017/8/16)

キャンピングカー人気ベース車両、ハイエースのモデルチェンジを勝手に予想!(2017/8/9)

キャンピングカー、レンタル会社が遊び方をプロデュース?(2017/8/2)

人気のバンコン「横向き座席禁止」が施行開始! 対応する新しいレイアウト案は?(2017/7/26)

日本のキャンピングカー 総保有台数10万台を突破!(2017/7/19)

車体の一部がニョキニョキと……、スライドアウトって何?(2017/7/12)

速報! 東京キャンピングカーショー2017で見つけた新型車(2017/7/5)

私がキャンピングカーを買ったわけ(10)(2017/6/28)

ベテランユーザーのキャンピングカー遍歴(4)(2017/6/21)

ペット連れOKのフェリー、対応する船が続々!(2017/6/14)

超豪華なキャンピングカー! アメリカン・クラスAを拝見(2017/6/7)

コンパクトだけど実力派! 小型トレーラーに注目(2017/5/31)

キャンピングカー旅に役立つアプリ8選(2017/5/24)

キャンピングカーにぜひ備えておきたい! 小物&ツール8選(2017/5/17)

キャンピングカーの運転を考える(2017/5/10)

速報! 規格外の小型とデビューしたての軽キャンパー(2017/4/26)

キャンピングカーで「長期旅行のススメ」(2017/4/19)

キャンピングカー乗りは忘れずにいたい! 一宿一飯の恩義(2017/4/12)

キャンピングカーの『トイレ』事情(2017/4/5)

知っておくべきタイヤの知識(3)基本を知っておこう!(2017/3/29)

ベテランユーザーのキャンピングカー遍歴(3)(2017/3/22)

ちょっと変わったキャンピングカー・ベース車両に注目!(2017/3/15)

キャンピングカーとチャイルドシート(2017/3/8)

「レンタルキャンピングカー」元年となるか?(2017/3/1)

日産のリチウムバッテリーがキャンピングカーを変える?(2017/2/22)

国内販売なるか? フィアット・デュカト(2017/2/15)

ジャパンキャンピングカーショー2017、今年の傾向は?(2017/2/8)

「キャンプ大会 in 廃校」に行ってみた!(2017/2/1)

私がキャンピングカーを買ったわけ(9)(2017/1/25)


PROFILE
渡部竜生(わたなべ・たつお)キャンピングカージャーナリスト
サラリーマンからフリーライターに転身後、キャンピングカーに出会ってこの道へ。専門誌への執筆のほか、各地キャンピングカーショーでのセミナー講師、テレビ出演も多い。著書に『キャンピングカーって本当にいいもんだよ』(キクロス出版)がある。エンジンで輪っかが回るものなら2輪でも4輪でも大好き。飛行機マニアでもある。旅のお供は猫7匹とヨメさんひとり。

車中泊キャンプへ

2018-01-20 02:53:35 | 記録
レスポンス(Response.jp)
ハイエース “リラクベース” で家族の思い出を作る…はじめての車中泊キャンプへ
2017年12月21日(木) 17時00分

ここ数年、キャンプをはじめアウトドアレジャーがとても盛り上がっている。それとともに楽しむ人が増えているのが車中泊キャンプだ。実は、車中泊キャンプは小さな子供を連れたファミリーにこそオススメである。

その理由はいくつもあるけれど、もっとも大きいのはテントを立てる準備や折り畳む手間から解放されること。キャンプ上級者ならともかく、年に数回しかキャンプをしない人にとってテント張りは想像以上に面倒な作業。手間だけならまだしも、キャンプ場についてからの“貴重な”時間だって取られてしまうのだから。

◆ハイエース “リラクベース”でキャンプに行こう!

そこが車中泊だったら煩わしいテント張りの必要がなく、キャンプ場についてサッとテーブルやイスなど最小限の準備だけすれば思いきり遊べる。この違いはけっこう大きい。パパが慣れないテント張りに時間を取られることなく、遊びたい盛りの子供とすぐに一緒に遊べるのはテントを張るキャンプではちょっと得られないメリットだ。そのうえ車内で寝る際にカギをかけられるからセキュリティにおいても安心できるし、寝心地がいいのもやっぱりうれしい。

しかもそれだけじゃない。小さな子供が一緒の場合はひときわ車中泊のメリットが感じられることがある。それは悪天候時の備え。テントだと不意の雨や強い風などによる音で夜中に子供が不安がることもある。車中泊キャンプならそれを回避できるのだから安心だ。

もうひとつ、キャンプ場以外の場所においても気軽に寝られるのも車中泊の大きな魅力。たとえば車中泊を許可している道の駅の駐車場にサッとクルマを停めて、その中で寝ることだってできる。そんな多くのメリットがある車中泊キャンプだから、一度はじめるとテント宿泊には戻れないという声も多く聞こえてくるのも当然だろう。初心者はもちろんだけど、自由な時間を最大限に満喫するために、そして子連れの不安を解消するためにも車中泊キャンプはオススメなのだ。

ところで、そんな車中泊派のなかで最近増えているのがミニバンではなくキャブオーバーバンを愛車とすることらしい。そのメリットは果たしてどこにあるのか? 実際に感じてみようと、ハイエース “リラクベース”(以下“リラクベース”)とともに4歳の子供を連れたファミリーがはじめての車中泊キャンプにでかけてみた。

◆抜群の積載量で生まれる、心の余裕

とはいえ、なにも設備がない場所でいきなり車中泊をするのはさすがにハードルが高いので、目的地はしっかりと環境が整ったオートキャンプ場がいい。いくら自然を楽しむためのアウトドアとはいえ、しっかり管理されたトイレや炊事場がないと快適には過ごせないからだ。車中泊なのでテントはいらないけれど、タープにテーブルに複数のチェア、そして人数分の寝袋やブランケット、さらにたき火セットや調理道具とキャンプ道具は意外に多くてかさばる。子供がいれば遊び道具だってたくさん持って出かけたいし、自転車があれば行動範囲が広がって楽しくなる。

しかし、気をつけなければいけないのはクルマに積める荷物には限度があるということ。持っていきたいものがすべて積めるわけではないのだ。そんな時に心強いのがSUVやステーションワゴンよりも積載量が多いミニバンだ。ミニバンの空間効率は偉大で、3列目を畳めばだいたいのキャンプ道具+遊び道具をラゲッジスペースに飲み込んでしまう。

だけど、“リラクベース”のようなキャブオーバーバンの積載能力はさらにその上。ミニバン(トヨタ・ヴォクシー/ノア8人乗り)の3列目を畳んだ状態での荷室奥行は1020mmだけど、荷物運搬も考えた“リラクベース”の後席使用状態は1855mmの広さをほこる。その差なんと1.8倍! これは心強い。この違い、キャンプに出かけてみればすぐわかる。写真はすべてが“リラクベース”に詰めた荷物だが、左に分割した部分(自転車2台含む)は5ナンバークラスのミニバンには積めなかったもの。こうして比較すれば違いは一目瞭然で、予想以上に差があることに驚く。それはそうだ、奥行きは約1.8倍も違うのだから。基本的なキャンプ道具はもちろんミニバンにも積めるけど、あれもこれも持っていこうと思うとミニバンではちょっと無理があるのだ。“リラクベース”の実力には驚くばかり。

注目したいのは+αの遊び道具。自転車やギターをファミリーのキャンプ道具に加えてミニバンに積み込むのは難しい。でも “リラクベース”なら心配することはない。そして実際に積み込んでみて感じたのは、荷室の広い“リラクベース”ならば空間の余裕だけでなく心の余裕も違うということ。ここまで荷室が広くないクルマであれば「あれは持っていくのはやめよう」とか「これも積めればいいけど」なんて荷物を減らしたり積み込みの心配をしないといけない。

だけど広大な荷室の“リラクベース”ならそんな心配はいらないし、積み込み作業も荷物の形にあわせて細かい積み方を考える必要なんてなく、手早く端から積み込んでいけばいい。高い積載能力が積み込みの作業だけでなく精神的な疲れや煩わしさからも解放してくれる。それが高い積載能力ゆえの“リラクベース”の便利&安心なのだと思う。

◆オートキャンプ場にレッツゴー

積み込みも終わったらキャンプ場へ向けて出発! 室内が広いから荷物を積んでも居住スペースは十分以上だ。信じられないほどたっぷりの荷物を積んでいるのに後席にもゆったり座れるのだ。空間が広いからキャンプ場までのロングドライブが快適なのに加え、 “リラクベース”であればバン登録ながら後席にも大きなシートが備わっていて、2段階のリクライニングやシートスライドだって可能。ファミリーユースではこういう部分が大切だけど、“リラクベース”なら安心できる。さっきまで興奮気味だった子供も、高速道路に入って気が付いたら寝息を立てていた。ここでたっぷり休んでおくのがいいだろう。きっとキャンプ場についたらはしゃぎまくるのだろうから。

強調しておきたいのは、今回の “リラクベース”に採用されていた新しいディーゼルエンジンンの実力。「1GD-FTV」と呼ばれる新しい2.8リットルのクリーンディーゼルエンジンを新搭載している。『ランドクルーザー プラド』にも搭載され好評なだけあってアウトドアグッズを満載していてもとにかく力強い。キャンプ場の近くには急な上り坂があったけれど、それを感じさせないほどグイグイ登っていく姿には感動を覚えるほどだ。

急な上り坂で一時停止した後の再発進だってたやすいことにも驚いた。300N・mという自然吸気ガソリンエンジンでいえば排気量3.0リットル級の太いトルクをわずか1000回転から発生する実力は伊達じゃない。また、トランスミッションが6速ATなので、状況に合わせてより最適なギヤを選べる効果も大きいのだろう。もちろん多段ATのメリットは、峠道だけでなく市街地走行でも加速フィーリングの向上や高速道路での静粛性向上でも実感できた。まるでワンランク上のクルマに乗っているような印象だ。

◆いざキャンプ、荷物を降ろすのも楽々

“リラクベース”の力強く快適な走りのおかげで順調にキャンプ場へ到着。一般的なキャンプならまずはテントを張る手間と時間が要るけれど、その必要がないのが車中泊キャンプのいいところ。キャンプサイトにクルマをとめて手早く荷物を降ろしたら、さっそく子供と一緒に遊ぼう。

クルマから荷物を降ろす時にも、“リラクベース”のメリットに気が付いた。開口部がとても広いから、大きな荷物も簡単に降ろせるのだ。たとえばリヤゲートの開口部は幅が1310mmで高さは1270mmもあるから、自転車の積み下ろしがしやすい。横にまわるとスライドドアだって大きくて、開口幅が1180mmもある。いくらミニバンのスライドドアが便利とはいっても、こんな広い開口部をもつミニバンは見当たらない。こういう部分でもハイエースはキャンプに向いているのだとあらためて実感させられる。

もうひとつ気が付いたのは、後席乗り降りの際。高さを実感するものの、地面と床の間に広いステップが設けられていることで子供でも無理なく乗り降りできるのだ。実際に子供を乗り降りさせる前は高い床を心配したけれど、それは杞憂だった。4歳児の背の高さでも楽しそうに乗り降りしている。

乗り降りといえば、スライドドアやバックドアには「イージークローザー」が備わっていて半ドア状態まで閉めればあとは電動で引き込んで完全に閉めてくれる。大きなドアでも力はいらないし、オプションでデュアルパワースライドドアも装着できることもトピックだ。

◆一日遊んで夜はゆったり

遊びつくして、食事して、焚火の炎も満喫したらおやすみタイム。ハイエースのフラットな床のおかげで、家族3人で並んで一緒に寝られるのは本当に幸せだ。妻はいつも以上に笑顔だし、子供も成長したのだろう、なんだか顔が頼もしく見える。

テントで寝るといくら寝心地のいいマットを敷いても床のちょっとした傾斜や地面の凹凸、小石など“寝床の些細なこと”が気になることが多いけど、車中泊ならそんな安眠妨害とは無縁。このフラットな床も、普通のミニバンでは真似できないキャブオーバーバンならではのメリットだ。そのうえ、天井が高いから圧迫感がないことで落ち着ける。ネットやフックを使って天井にランタンなどを吊り下げられるし、子供を着替えさせる時にも無理がない。

また、今回の“リラクベース”にはベッドキットが装着されている(オプションで設定可能)。床よりも400mmほど高い位置に奥行1740×幅1430mm(幅は床よりも広くてダブルベッドサイズ)のボードを設置して3人がゆったり横になれるベッドを簡単に組み立てられる仕掛けで、車中泊にはぴったりだ。このボードに倒した後席を組み合わせることで、奥行きはフラットな状態を保ったまま約2.5mにまで広がるからかなりの余裕がある。床がフラットになって快眠をサポートするだけでなく、床の下に荷物を置けるといった機能性の高さからも注目のアイテムだ。

さらにオプションメニューで用意されている補助バッテリーも魅力的なアイテムである。走行中に自動充電されてエンジン停止時に電源を供給できるバッテリーは容量100Ahでインバーターは正弦波で350W。スマホやタブレット、ノートパソコンの充電はもちろん、冷え込む夜のキャンプでは電気毛布を使うのもいいだろう(50Wの電気毛布を約12時間使用可能)。

突然の雨や強い風など気象の変化に強くて頼もしいだけでなく、フラットな床と広いスペースで快適に車中泊でき、ニーズに合わせてオプションも充実。キャンプ場での“リラクベース”は、一緒に過ごせば過ごすほど新しい優しさを見せてくれる。

◆ハイエースに乗って家族の思い出を

こうして車中泊キャンプのパートナーとして一緒に過ごしてみた“リラクベース”。ハイエースといえば仕事で使われるクルマというイメージがあったけれど、実際に使ってみると日常使いでも大きなメリットを実感できた。

たっぷり荷物を積める積載能力はどの車種にも負けないし、絶対的に荷室が広いからまるでスーツケースのパッキングをするかのように荷物を効率重視で隙間なく詰める必要もない。開口部が広いから荷物の積み下ろしだって楽々。そして夜は親子3人がフラットなベッドで快適に寝られ、ベッドキットを装着すればベッドの下に大事な荷物も置ける。これもキャブオーバーバンならではの使い方だ。

はじめてで不安もあったキャンプだったけど、ミニバンでは真似できない快適な車中泊でとことん楽しむことができた。同時に、ワークユースだけではないハイエースの魅力をひしひしと感じる体験となった。さて、次はどこに出かけよう。

福島第一原発の今

2018-01-13 07:47:46 | 記録
WEDGE REPORT
廃炉にオールジャパンで挑む福島第一原発の今
2017/12/30
石井孝明 (経済・環境ジャーナリスト)
 東京電力の福島第一原発を2017年11月に取材した。事故から6年半が経過し、危険のあった現場は様変わりしていた。最新技術を使い、日本のインフラ企業が総出で支え、放射線被害が拡散するリスクはなくなった。廃炉までの道のりは完全に見通せないものの、状況は一歩一歩改善している。

オールジャパンの支援

 建屋の水素爆発、住民の避難と社会混乱、地域の崩壊――。福島原発事故で、報道やSNSで拡散した衝撃的な光景が人々の脳裏に今でも残る。

 しかし危険は大きく減っていた。取材で筆者らは3時間ほどを福島第1原発内ですごしたが、被ばく量は0.1マイクロシーベルト(μSv)。日本の他地域よりやや高い程度だ。構内の95%では通常の作業服を着て、マスクも簡易なもので作業している。もちろん一部には高い放射線量で間近には行けない場所もある。

 三菱重工、日立、東芝などの原子力企業、鹿島や大林組などの大手ゼネコン。原発の入口の建物の壁には、この大工事に関わる日本を代表する企業の名前と社章が、鼓舞するようにかかげられていた。東電は協力企業約40社に工事を発注し、そこからさらに約1000社がかかわる。最盛期には1日7000人、11月時点で5000人が働く巨大な工事現場になっていた。まさに「オールジャパン」の体制である。

 東電は、現場で働く人の環境整備に力をいれる。同社は14年に事務棟(現在は協力企業が利用)、15年に現場で働く人向けの大型休憩所、そして16年10月には新事務本館を作った。各建物には休憩スペースがあり、食堂では福島産の食材を使う温かい食事が380円で提供されている。種類も豊富だ。休憩所内にはコンビニもあり、夏場にアイスが売れる。取り組みは大変好評という。事故直後は構内の建物の大半が地震と津波の影響、さらに放射性物質の汚染で使えず、主に事故処理の指揮をした免震重要棟で東電の事務や協力企業の休憩や作業準備が行われた。事故直後は常に免震棟はごった返しており、食事も乾パンやクラッカーなどしかなかった。

 今は全国的に好景気で人手不足が生じている。東電は人を確保するために、長期、さらに随意の契約をして、取引先が人の手配をしやすくしている。「廃炉までの道のりは長い。協力企業の皆さまに、安全に、そして長く働いていただける環境を整えています」(東電広報)という。

 現場には悲壮感はなく、落ち着いた通常の工事現場になっていた。東電社員は行き交う人に「お疲れ様です」「ご安全に」という声をかけていた。これは他の電力会社の現場での光景と同じだ。

廃炉作業に最新技術

 それでは事故を起こした原子炉は今、どのようになっているのか。事故では6つの原子炉のうち稼動中の1、2、3号機は地震で緊急停止したものの、津波で冷却装置が壊れたことで加熱、燃料が溶解した。1号機、3号機が漏れた水素が引火し建屋が爆発した。3号機とつながる4号機も水素が流れこみ建屋が爆発した。

 各号機の炉の状況は、燃料の大半が格納容器・圧力容器の中にあると思われるものの詳細は不明だ。遠隔操作ロボットなどで情報を集めている。

 東電はまず、建屋内に保管された使用済み核燃料を取り出す予定だ。1号機と2号機は23年度末を目処に取り出し作業を開始する予定だ。すでに4号機からは14年中に取り出した。今は破損した各号機の建屋上部の片付けを進め、3号機では18年度中頃に取り出し作業を開始する方針だ。見学時点では、3号機には建屋上部を覆う屋根カバーが設置されていた。放射性物質の拡散を止めるためだ。

 東電によると、3号機の最上階の放射線量は、事故直後は、毎時800mSv程度あった。除染や防護壁を設けたことで今は毎時0.8mSv程度まで低下した。しかし長時間の作業は人体に悪影響をもたらす可能性がある。そのために原則は遠隔操作のクレーンで、保管プールからの取り出し作業を進めるという。工事の進む3号機と違い1、2号機では線量の高いところが残るため、その確認を行いながら作業をする。

 一連の福島原発の事故対策では、最新技術が活用されている。経産省は13年に技術研究組合国際廃炉研究開発機構(IRID)を官民共同でつくり、日本と世界各国から福島の廃炉に役立つ技術を集め、開発を支援している。

 3号機では他の原子炉と違って、炉に注入した水の漏れが少なく、下部に水がたまっていた。そこで、IRIDが協力して開発されたロボットが活躍した。愛称は「ミニマンボウ」。外見はユーモラスだが、水中で小回りがきき、映像を送れる。炉の状況把握に役だった。

 福島第一原発では、12年頃からは「水との戦い」が問題になっていた。原子炉を水で冷やすることにより発生する汚染水、建屋周辺に流れ込む地下水への対応だ。それらの対策も進んでいた。

 冷却用の水は循環させ、汚染された場合には特殊な装置で放射性物質を取り除く仕組みが13年に完成した。人体に影響を与えかねない放射性物質に汚染された水は外部に出ない状況だ。その処理水は現在100万トン以上になっておりタンクに溜めている。人体に悪影響を与えないトリチウムという放射性物質は取りのぞけない。海に放出する解決策が考えられるが、現在、安全面のみならず社会的影響も含め国・東電・地元で慎重に検討が進められている。タンクは今830基ほど作られて構内を埋め尽くしている。いずれ敷地を埋め尽くしてしまい、タンクの建設コストも膨らむ一方だ。問題の早急な解決が必要だ。

 地下水に関しては、井戸でくみ上げ、水を海に流す水路をつくるなどして、原子炉の建屋周囲に流れ込む水を減らした。また雨水が地下に染みこみ地下水が増えないように、また土中の汚染物質が広がらないように、構内の大半はフェイシングという形でモルタルに覆われていた。地下水の一部が破損した原子炉の下部で、溶解した燃料と接して、水を汚染する可能性がある。水の流入を止めることで、汚染した地下水が外部に流れ出る可能性は減る。

 建屋内への地下水流入量を抑制する凍土壁の凍結が順調に進んでいる。地中30mの深さまで打ち込んだ凍結管から特殊溶液を出し、土に含まれる水を凍らせる工法だ。建屋周囲の地中に全長約1.5kmの氷の壁ができ水の流入を遮断している。訪問時点では、3つの炉の全周の凍結が始まり、表土を見るとカチカチに凍っていた。東電は18年初頭にかけて、効果を検証していくという。これはゼネコンなどがトンネル工事などに使う新しい技術だ。

 これらの重層的な対策により建屋内には、かつて1日400トンの地下水が流れ込んだが、今は同130トン程度に減っている。また海側に800メートルの遮水壁をつくった。こうした一連の対策で、事故現場から出る水で海や外部環境を汚染するリスクは大幅に減った。

 新しい課題は廃棄物だ。工事で出た廃棄物は全部構内に溜め込んでいる。その焼却と保存設備を、構内に建設中だ。ロボット、土木などの日本の産業界の持つ技術の強みが、廃炉作業に生きている。

最新技術、廃炉ビジネスへの期待

 IRIDは世界にトリチウム除去技術を公募しており、ロシアのロスアトムから、その技術の提案を受けている。これは一例だが、福島第一の廃炉作業は、世界から技術を集め、さらに原子力関係者の注目を集めている。国際エネルギー機関(IEA)によれば、この先25年間で、世界全体にある約200基の原子炉が閉鎖される予定だ。その大半は欧米に集中している。福島で得られた知見は、廃炉ビジネスに結びついていくかもしれない。

 廃炉をめぐる巨大な工事は、国の試算によれば総額8兆円程度かかるとされている。東電と政府の決めたロードマップによれば、50年ごろをめどに作業を終える目標だ。事故炉から核物質を取り出すことを最終目標にすることを国と東電は目標にしている。しかし現状は、事故を起こした原子炉の状況把握も難しい。安全に作業をするための一段の技術開発がない限り、その道のりは大変遠いと認識した。

 しかし一歩一歩進んでいる面もある。そして事故を起こした責任に向き合い、その処理を続ける東電の人々、さらに協力企業の人々の努力がある。この事実は、なかなか社会に広がっていない。

 現実をしっかり受け止め、働く人に敬意を持ちながら、日本全体で福島第一原発の廃炉に関心を向け、協力をしていかなければならないだろう。

 速やかな廃炉は、福島の完全な復興につながる。

キャンピングカー/ベース車

2017-12-30 18:10:32 | 記録
キャンピングカーで行こう
国産車に?/輸入車に?
渡部竜生 2017年12月27日

 キャンピングカーの購入を考えるポイントのひとつに「国産車にするか/輸入車にするか」があります。それぞれメリット・デメリットがあります、車の性能やデザインだけでなく居室部分の使い勝手を検討すると問題は複雑になります。

日本で使うなら国産車がベストは本当か
 軽キャンピングカーからバスコンまでサイズもレイアウトもバラエティーに富んでいるのが、日本製キャンピングカーです。日本の地形や余暇の過ごし方、道路事情など、あらゆる「日本独自の事情・使い方」に配慮がされているので「日本で使うなら日本車が一番」というのは一理ありますが弱点もあります。

◎国産キャンピングカーの魅力
・レイアウト
 日本のキャンピングカーユーザーは「ファミリーで使う人が多い」のが現状です。それに合わせて、複数人数で使いやすい機能とレイアウトを備えている、大きな車でない、この二つの両立を目指している車種が多いです。

・「自立」を考えた装備
 電源付きサイトや汚水処理ができるダンプステーションのあるキャンプ場やRVパークが少ない、道の駅や高速道路のPA・SAなどで仮眠利用されることが多いため外部電源に頼らなくても自立できるなど、それ一台で家として機能できるだけの設備を備えているのが特徴です。

・ベース車のサービス体制が安心
 国産のキャンピングカーは、ベース車両が国産車です。キャンピングカーのビルダーやディーラーは、そこら中にあるとは言えなくても、トヨタや日産のサービス拠点は全国各地にあります。万が一、旅先で車両トラブルが発生しても安心という心強さはあります。

▲国産キャンピングカーの弱点
・インテリアのデザイン性
 最近はインテリアデザイナーを起用する会社も出てきましたが、欧米の車と比較すると、工夫の余地があるのがデザイン性。数週間にわたって寝泊まりをしなくても“動く家”と考えたら、内装デザインは居心地の良しあしに直結します。デザイン的に洗練された国産キャンピングカーが増えてくれるとよいです。

・走行性能は
 ほとんどの国産キャンピングカーは、経済性優先の商用車をベース車両に採用しています。そのため走行性能は高くありません。バスコンや一部の車両を除き、大抵はトラックやカーゴバンとなれば、装備は最低限で燃費重視、ロングドライブに適した走りではありません。貨物輸送用の車両は、乗り心地は乗用車と違います。「全国各地を旅して回る」とか「長時間運転は体がしんどい」という人は安全な旅のために走行性能や乗り心地は大事なポイントになります。

洗練されたデザインと動力性能が魅力の欧州車
 ヨーロッパのショーでは、創業50年以上のビルダーが出展しています。大手のビルダーは、日本全国の年間販売台数を上回る数を、1社だけで生産する規模です。その一方、近年はサイズもレイアウトも似たりよったりのところがあります。

 そんな中、日本に入ってきている欧州車はどんなものでしょうか。以前から輸入されている老舗ブランドに加え、近年は新興ブランドも増えてきて、バラエティー豊かになりつつあります。

◎欧州キャンピングカーの魅力
・洗練されたデザイン
 ヨーロッパでは、主にキャンピングカー選びの主導権を握っているのは女性といわれています。キャンピングカーは家庭生活の延長であり女性の意見が重んじられるからです。そのため、各社ともインテリアデザイナーに女性を起用するなどして女性層に向けたデザインに力を入れています。

・コンパクトでもフル装備
 日本は「電気の支援設備がない場所」での寝泊まりに備えての装備ですが、コンビニや食堂が充実し、あちこちに温泉があるなど生活インフラは整備されています。そのため、車内で調理したりシャワーを浴びたりする人はあまりいません。欧米ではバンコンでもキッチンやトイレ完備、電源が使える汚水処理ができる施設は各所にあり食事や入浴は自前でという方式です。

・低燃費、かつ高性能
 ヨーロッパでは国と国が地続きで陸路での移動距離が平均して長距離です。一般の車両も平均速度が高く長距離を走るので、クリーンディーゼルエンジンが主流。低燃費で、非常に高い走行安定性を持っています。長距離を走りたいキャンピングカーユーザーにとっては、車両性能の高さは大きなメリットです。

・フルフラットで使い勝手がよい
 運転席と居室部分に段差がない車両がほとんどでフルフラット。コックピットから居室への移動がスムーズです、運転席・助手席ともにぐるりと回転させれば停泊中、食卓椅子やソファにもなってスペース効率も良いというわけです。

▲欧州キャンピングカーの弱点
・少々大柄です
 全長6mクラスでも2人旅仕様。ファミリーユースとなると7mクラスと、特に長さ方向に大きい特徴があります。もちろんその分、車内空間はゆったりですが日本の駐車場の規格、2×5m枠には収まらないことも。また大きいために運転に自信がないと敬遠する人がいます。

・維持費は高め
 居室部分については国産車と変わりませんが、車部分の維持費は国産車よりもお高くなります。故障した際の部品が高価だというのもありますが、日本車ではあまり交換しないような部品も、欧州車では「消耗部品」扱いだということがあります。これはキャンピングカーに限った話ではありませんが、国産車と輸入車では「常識」が違う部分があります。国産車と同じに考えていると「壊れやすい」「お金がかかる」という印象につながってしまうようです。それを高いと感じるかどうかは、全体のメリット・デメリットをてんびんにかけて、総合的に考える必要があるでしょう。

ダイナミックさが魅力のアメリカ車
 年間の新車販売台数が40万台超という、キャンピングカー大国アメリカですが、2000年ごろから大型化が進み、車幅2.5m超のモデルが主流になってきました。日本の道交法では車幅2.5mまでしか登録できません。しかし最近では、フォード・トランジットやダッジ・プロマスターなど新世代のベース車なども登場。ややコンパクト化の傾向がみられたことで少しずつですが日本で販売されるモデルも増えてきました。

◎アメリカンキャンピングカーの魅力
・たっぷりしたスペース
 アメリカンキャンピングカーに乗って実感するのは彼らの国民性です。とにかく旅先、キャンプ先でも「普段の便利さを手放したくない」のだなと思います。スペースはゆったり。スライドアウト車(壁の一部が外にせり出して居室が広くなる機構)ともなれば、とても車とは思えない広さになります。

・頑丈でシンプル
 色々なところがとにかく頑丈にできています。国土の広いアメリカらしく、拠点から拠点への距離が遠いためかもしれません。ちょっとやそっとでは壊れません。その点はベース車両にもいえることで、エンジンに多少の不具合が発生しても、止まってしまう・走らなくなる、ということはめったにありません。また、操作スイッチなども非常にシンプルでわかりやすくつくられています。

▲アメリカンキャンピングカーの弱点
・大柄なサイズ
 「アメリカの基準で」コンパクトと分類されるモデルでも、全長は7m超。大型ともなれば10mを超えるサイズもざらです。それだけ大きいと、目的地に制限が出る場合も。私も友人からキャンプに誘われた際、そのキャンプ場に入るためのゲートの幅と、坂道の高低差や斜度を事前に確認したことがあります。

・品質管理は不得意かも
 日本製品の品質の高さを基準に考えてしまうと、お世辞にも「繊細」とは言い難いのがアメリカ製です。細かく見るとアラもありますし、左右一対のはずのものが、非対称だったりもします。「使えればよし」「機能に問題なければ気にしない」といった割り切りが要求されることもあります。

 それぞれ、メリット・デメリットがあるのは、乗用車と同じ。悩ましいところではありますが、そこを悩むのもまた楽しいもの。「外車」=ぜいたく、壊れやすいとは言えない昨今、無条件に敬遠してしまうのはもったいない、ぜひ、自分の使い方、家族構成人数、目的地などを考えて検討してみましょう。可能ならば輸入車も国産車も使っている人に見せてもらったり、話を聞いたりする機会があるとベストです。

渡部竜生(わたなべ・たつお)キャンピングカージャーナリスト


シルクロード

2017-12-27 18:32:39 | 記録
Wikipedia

シルクロード
中国と地中海世界の間の歴史的な交易路

曖昧さ回避 「シルクロード」のその他の用法については「シルクロード (曖昧さ回避)」をご覧ください。
シルクロード(絹の道、英語: Silk Road, ドイツ語: Seidenstraße, 繁体字:絲綢之路, 簡体字:丝绸之路)は、中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称である。絹が中国側の最も重要な交易品であったことから名付けられた。そのごく一部が「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」としてユネスコの世界遺産に登録されている。

目次
概要

「シルクロード」という名称は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが、その著書『China(支那)』(1巻、1877年)においてザイデンシュトラーセン(ドイツ語:Seidenstraßen;「絹の道」の複数形)として使用したのが最初であるが、リヒトホーフェンは古来中国で「西域」と呼ばれていた東トルキスタン(現在の中国新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交易路、いわゆる「オアシスの道(オアシスロード)」を経由するルートを指してシルクロードと呼んだのである。リヒトホーフェンの弟子で、1900年に楼蘭の遺跡を発見したスウェーデンの地理学者ヘディンが、自らの中央アジア旅行記の書名の一つとして用い、これが1938年に『The Silk Road』の題名で英訳されて広く知られるようになった。

シルクロードの中国側起点は長安(陝西省西安市)、欧州側起点はシリアのアンティオキアとする説があるが、中国側は洛陽、欧州側はローマと見る説などもある。日本がシルクロードの東端だったとするような考え方もあり、特定の国家や組織が経営していたわけではないのであるから、そもそもどこが起点などと明確に定められる性質のものではない。

現在の日本でこの言葉が使われるときは、特にローマ帝国と秦・漢帝国、あるいは大唐帝国の時代の東西交易が念頭に置かれることが多いが、広くは近代(大航海時代)以前のユーラシア世界の全域にわたって行われた国際交易を指し、南北の交易路や海上の交易路をも含める。つまり、北方の「草原の道(ステップロード)」から南方の「海の道(シーロード)」までを含めて「シルクロード」と呼ばれるようになっているわけである。

「草原の道」

中国から北上して、モンゴルやカザフスタンの草原(ステップ地帯)を通り、アラル海やカスピ海の北側から黒海に至る、最も古いとみなされている交易路。この地に住むスキタイや匈奴、突厥といった多くの遊牧民(騎馬民族)が、東西の文化交流の役割をも担った。

現在の中国国鉄集二線は、部分的にほぼこの道に沿っている。

モンゴルのツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領が同名の中露蒙経済回廊を主張していることでも有名である[1][2]。

「オアシスの道」

東トルキスタンを横切って東西を結ぶ隊商路「オアシスの道」が、リヒトホーフェンが名付けたところの「シルクロード」である。長安を発って、今日の蘭州市のあたりで黄河を渡り、河西回廊を経て敦煌に至る。ここから先の主要なルートは次の3本である。西トルキスタン(現在のウズベキスタン、トルクメニスタンなどを含む地域)以西は多数のルートに分岐している。このルート上に住んでいたソグド人が、シルクロード交易を支配していたといわれている。東トルキスタンの興亡史については、「西域」「楼蘭」「ホータン王国」「中国の歴史」などを参照のこと。

西域南道
敦煌からホータン、ヤルカンドなどタクラマカン砂漠南縁のオアシスを辿ってパミール高原に達するルートで、漠南路とも呼ばれる。オアシスの道の中では最も古く、紀元前2世紀頃の前漢の時代には確立していたとされる。このルートは、敦煌を出てからロプノールの北側を通り、楼蘭を経由して砂漠の南縁に下る方法と、当初からロプノールの南側、アルチン山脈の北麓に沿って進む方法とがあったが、4世紀頃にロプノールが干上がって楼蘭が衰退すると、水の補給などができなくなり、前者のルートは往来が困難になった。
距離的には最短であるにもかかわらず、極めて危険で過酷なルートであるが、7世紀に玄奘三蔵はインドからの帰途このルートを通っており、楼蘭の廃墟に立ち寄ったと『大唐西域記』に記されているので、前者のルートも全く通行できない状態ではなかったものとみられる。13世紀に元の都を訪れたマルコ・ポーロは、カシュガルから後者のルートを辿って敦煌に達したとされている。
現在のG315国道は、部分的にほぼこの道に沿って建設されており、カシュガルからホータンまでは、2011年に喀和線が開通している。

敦煌からコルラ、クチャを経て、天山山脈の南麓に沿ってカシュガルからパミール高原に至るルートで、漠北路ともいう。西域南道とほぼ同じ頃までさかのぼり、最も重要な隊商路として使用されていた。このルートは、楼蘭を経由してコルラに出る方法と、敦煌または少し手前の安西からいったん北上し、ハミから西進してトルファンを通り、コルラに出る方法とがあったが、楼蘭が衰退して水が得られなくなると、前者は通行が困難になった。
現在トルファンとカシュガルを結んでいる南疆線は、概ね後者のルートに沿って敷設されており、1971年に工事が始まり、1999年に開通した。G314国道も部分的にほぼこの道に沿っている。
天山北路
敦煌または少し手前の安西から北上し、ハミまたはトルファンで天山南路と分かれてウルムチを通り、天山山脈の北麓沿いにイリ川流域を経てサマルカンドに至るルートで、紀元後に開かれたといわれる。砂漠を行く上記ふたつのルートに比べれば、水や食料の調達が容易であり、平均標高5000mとされるパミール高原を越える必要もない。
現在のG312国道や蘭新線、北疆線は、部分的にほぼこの道に沿っている。

「海の道」

中国の南から海に乗り出し、東シナ海、南シナ海、インド洋を経てインドへ、さらにアラビア半島へと至る海路は「海のシルクロード」とも呼ばれる。海のシルクロードの起点は福建省泉州市。

すでにプトレマイオス朝の時代からエジプトは紅海の港からインドと通商を行っており、エジプトを征服した古代ローマ(共和政ローマ、ローマ帝国)はこの貿易路も継承して、南インドのサータヴァーハナ朝との交易のために港湾都市アリカメドゥ(英語版)(現ポンディシェリ近郊のポドゥケー遺跡)などいくつかの商業拠点を築き(『エリュトゥラー海案内記』も参照)、絹を求めて中国にまで達したことは中国の史書にも記されている。古代には、マラッカ海峡は水深が浅い上、岩礁が多くて座礁しやすいためあまり使われず、マレー半島のクラ地峡を横断するルートが多かった[要出典]。このルートでセイロン(獅子国)やインド、ペルシアの商人も中国に赴いたのである。しかし、陸のシルクロードが諸国の戦争でしばしば中断を余儀なくされたのと同様、海のシルクロードも荒天や海賊の出没、各国の制海権の争奪などによって撹乱され、必ずしも安定した交易路とはいえなかった。

7世紀以降はペルシアの交通路を継承したイスラム商人(アラブ人、ペルシア人等の西アジア出身のイスラム教徒商人)が絹を求めて大挙中国を訪れ、広州などに居留地を築く。中国のイスラム教徒居留地は、唐末に広州大虐殺(英語版)や黄巣の乱によって大打撃を受け、一時後退した。

宋代になると再び中国各地(泉州市、福州市など)に進出し、元代まで続いた。元のクビライ・ハーンは東シナ海、南シナ海からジャワ海、インド洋を結ぶこの貿易路で制海権を握るために日本(元寇)や東南アジアに遠征軍を次々とおくった。

明は朝貢貿易しか認めない海禁政策を取り、鄭和艦隊で知られるように、海上交易路を海賊から保護した。鄭和はアフリカのマリンディまで航海している。

その後インド洋は、オスマン帝国・マムルーク朝・ヴェネツィア共和国が制海権を握っていたが、16世紀に喜望峰経由でポルトガルが進出し、1509年のディーウ沖海戦で敗れたため、イスラム商人の交易ルートは衰えた。

1622年、イングランド王国・サファヴィー朝ペルシア連合軍が勝利した(ホルムズ占領)のを皮切りに、1650年にはヤアーリバ朝(現オマーン)がインド洋の制海権を握り、ポルトガルとスペインの商人が追放された。また中近世以降は、中国から大量の陶磁器が交易商品となったので「陶磁の道」とも称された。

19世紀に、1809年ペルシャ湾戦役の結果、イギリスが制海権を握った。

中華人民共和国は真珠の首飾り戦略から制海権を握ることを目指しているとされ、この貿易路を「21世紀海上シルクロード」と呼称している。

シルクロードと日本

日本には、奈良の正倉院に中国製やペルシア製の宝物が数多く残っており、天平時代に遣唐使に随行してペルシア人の李密翳[3](り・みつえい)が日本に来朝したことに関する記録[4]なども残されている。当時の日本は唐代の東西交通路の東端に連なっていたと認識されており、摂津国の住吉津(現在の大阪市住吉区)は「シルクロードの日本の玄関」、飛鳥京や平城京は「シルクロードの東の終着点」と呼ぶことがある。なお、ユーラシア交易と直接的な関係はないが、幕末から明治にかけて、日本の主要な輸出品であった絹を横浜港に運ぶ交易路が存在し、その集積地があった八王子から横浜にかけての道が「絹の道」や「シルクロード」と呼ばれることもある。

シルクロードに関しては近年の日本における学校教育でも取り上げられていたが、歴史やヘディンの著書などに関心を持つ一部の人たち以外には、さほど興味を引く存在ではなかった。しかし、中華人民共和国との文化交流が進む過程でNHKが中国中央電視台とともに1980年に共同制作した『NHK特集 シルクロード-絲綢之路-』によって、喜多郎のノスタルジックなテーマ音楽とともに、一躍シルクロードの名が広く知れ渡ることとなった。日本ではシルクロードという語は独特のエキゾチシズムやノスタルジアと結びついており、西安や新疆、ウズベキスタン、イラン、トルコなどへの海外旅行情報やツアーの広告には必ずと言ってよいほど「シルクロード」という言葉が記されている。この80年代の「シルクロードブーム」を受け[5]、1988年に日中両政府は日中友好環境保護センターの設立を決定した。また、シルクロードの世界遺産登録をユネスコに中国政府とともに働きかけた[6][7]平山郁夫は平山郁夫シルクロード美術館を設立している。

シルクロードプロジェクト

「シルクロード (世界遺産)」も参照
シルクロードが世界遺産に登録されたことを契機に、ユネスコの人文・社会科学局が推進する「異文化間の対話」プログラムにおいて、「シルクロード-対話、多様性、開発」プロジェクトが始まった[8]。これはシルクロードほど多様な人種・文化・宗教・自然環境などが混在する地域はなく、そのことが歴史的には係争の舞台ともなってきたことから、シルクロードを平和の象徴にしようという主旨。

具体的にはユネスコを代表する事業となった世界遺産をシルクロードに広げてゆき、各地域に無形文化遺産・記憶遺産・生物圏保護区・ジオパーク・創造都市ネットワークなど(海の道においては水中文化遺産保護条約も)各種ユネスコ事業を総投入展開し、可動文化財や少数民族言語の保護にも取り組む。ユネスコ公式サイトでは、「シルクロード・オンラインプラットフォーム」を立ち上げた。

一方で、このプロジェクトの主たる旗振り役が中国であり、中国による一帯一路計画の文化面政策として利用される懸念もある[9]。

脚注

^ “習近平主席がモンゴル国のエルベグドルジ大統領と会談、両国の全面的な戦略パートナーシップの絶え間な位発展を推進すると強調”. 新華社. (2015年11月11日) 2016年5月19日閲覧。
^ “習近平主席が中露蒙首脳会議に出席”. 人民日報. (2015年7月10日) 2016年5月19日閲覧。
^ 松本清張の歴史小説『眩人』でも知られる人物。
^ 『続日本紀』巻第十二 聖武天皇 天平八年(736年)
^ 王坤「中国側から見る日中経済協力 : 1979~1988年の『人民日報』の対中ODA 報道を中心に」OUFCブックレット 3, 313頁, 2014-03-10
^ 日本ユネスコ協会連盟 『世界遺産年報2015』pp. 18 講談社、2014年
^ 日本ユネスコ協会連盟 『世界遺産年報2005』p. 40 平凡社、2005年
^ SILK ROAD DIALOGUE, DIVERSSITY & DEVELOPMENTUNESCO
^ 「中国『経済ベルト』戦略 / シルクロード 世界遺産」『読売新聞』2014年6月23日(朝刊)4面

参考文献

『シルクロード 砂漠を越えた冒険者たち』「知の再発見」双書、創元社、1992年
ジャン=ピエール・ドレージュ、長沢和俊監修、吉田良子訳
『ローマ皇帝の使者中国に至る 繁栄と野望のシルクロード』
ジャン=ノエル・ロベール、伊藤晃。森永公子共訳 大修館書店、1996年
宇山智彦 『中央アジアの歴史と現在』東洋書店、2000年
長沢和俊 『シルクロード』講談社学術文庫、1992年-ほか多数
長沢和俊編 『シルクロードを知る事典』東京堂出版、2002年
三杉隆敏『海のシルクロードを調べる事典』芙蓉書房出版、2006年
『サマルカンドの金の桃 唐代の異国文物の研究』アシアーナ叢書2、勉誠出版 2007年
エドワード・H. シェーファー、伊原弘(日本語版監修)、吉田真弓訳

シルクロードを題材とした作品


駱駝に乗る西方人の像(中国唐代、陶磁器製〈唐三彩〉。上海博物館)
テレビ番組
NHK特集
『シルクロード』、『海のシルクロード』
NHKスペシャル『新シルクロード』
BSプレミアム 激走!シルクロード104日の旅
音楽
NHK特集『シルクロード』 オリジナルサウンドトラック(喜多郎)
NHK特集 『海のシルクロード』 オリジナルサウンドトラック(S.E.N.S.)
交響組曲「シルクロード」 (團伊玖磨)上田仁指揮・東京交響楽団
異邦人 -シルクロードのテーマ- 久保田早紀が1979年にリリースしたデビュー・シングル曲
写真集
秘宝・草原のシルクロード(並河萬里)
写真集シルクロード(NHK取材班)大村次郷ほか
シルクロード(篠山紀信)

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、シルクロードに関連するメディアおよびカテゴリがあります。
カルラエの戦い(紀元前53年)
桓帝(166年) - ローマ帝国皇帝マルクス・アウレリウスからの使節が後漢に送られた。
タラス河畔の戦い(751年) - 紙の製法がイスラム圏に伝わり、1144年にヨーロッパで初めての製紙工場がムワッヒド朝支配下のイベリア半島のシャティヴァに作られた。
シルクロード鉄道
一帯一路
最終編集: 1 か月前、匿名利用者
関連ページ
カザフスタンの世界遺産
ウィキメディアの一覧記事
キルギスの世界遺産
ウィキメディアの一覧記事

Wikipedia

大陸横断鉄道

2017-12-27 18:26:35 | 記録
Wikipedia

大陸横断鉄道

大陸横断鉄道(たいりくおうだんてつどう、Transcontinental Railroad)は、広義では大陸の端から端までをつなぐ鉄道網一般を指す。ただし、鉄道網が縦横無尽に発達しているヨーロッパ大陸を横断する鉄道は通常はこれには含まれない。

目次

アメリカ大陸

パナマ
1855年にパナマ地峡に建設されたパナマ地峡鉄道は、大西洋と太平洋とを最初に結んだ鉄道である。長さは 77 km(48マイル)である。

アメリカ合衆国
アメリカ合衆国では、東海岸(メキシコ湾岸を除く)から西海岸までの路線を一つの会社が通して所有したことは過去になかった。これは東部の鉄道会社が西部の線路まで保有すれば、他の鉄道会社の路線への相互乗り入れが難しくなるためである。現在でも、ミシシッピー川をはさんで東西に2つずつの大きな鉄道会社がある。このため、アメリカ合衆国で大陸横断鉄道といえば、ミシシッピー川の西側の、中西部と西海岸とを結ぶ路線のことを指す。

1869年、最初の大陸横断鉄道が開通した。ユニオン・パシフィック鉄道とセントラル・パシフィック鉄道による路線が、オマハからサクラメントまでの 2,826 km(1,756マイル)を結んだ。
1882年、アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道が、カンザス州アッチソンからニューメキシコ州デミングまでの路線を完成させ、東部とロサンゼルスとをつなぐ第二の路線となった。
1883年、サザン・パシフィック鉄道が、ニューオーリンズとロサンゼルスとの間で開通し、メキシコ湾岸から太平洋までをつないだ。
1883年、ノーザン・パシフィック鉄道が、シカゴとシアトルとをつないだ。
1893年、グレート・ノーザン鉄道が、ジェームズ・ジェローム・ヒルによって連邦の財政援助を受けずに建設された。セントポールとシアトルの間を結んだ。
1909年、シカゴ・ミルウォキー・セントポール・パシフィック・ロード(ミルウォーキーロード)が、シアトルまでの延伸を完成させた。
1900年代に、ジョージ・グールドは大陸を横断する経路を計画し、1909年にサンフランシスコからオハイオ州トレドまでが繋がった。これはウエスタンパシフィック鉄道、デンバー・リオグランデ鉄道、ミズーリ・パシフィック鉄道、ウォーバッシュ鉄道からなる経路であった。しかし1907年の恐慌の影響で、トレドから先の計画はストップした。
1919年、サンディエゴ・アリゾナ鉄道がジョン・スプレッケルズによって完成され、サンディエゴと東部を直接結んだ。

カナダ
カナダでは、1885年にカナディアンパシフィック鉄道が西海岸への路線を開通させた。同社は1889年にメーン州への国際鉄道を開業したことで、北米において東海岸と西海岸とを単一の企業体でつないだ最初の鉄道会社となった。
カナダでは他に2つの大陸横断鉄道が建設された。1912年、カナディアンノーザン鉄道が西海岸まで開通した。1917年、グランド・トランク・パシフィック鉄道とナショナル・トランスコンチネンタル鉄道は、ケベック橋の完成によって、2社を合わせて東海岸から西海岸までがつながった。これらの鉄道会社は後にカナダ政府によって国有化された。

南アメリカ
1910年、チリのバルパライソおよびサンチアゴと、アルゼンチンのメンドーサとをつなぐ鉄道が完成したが、1978年に旅客運送を終了し、貨物運送も4年後に終了した。現在これを復活させようという計画(Transandino 計画)がある。
チリのアリカからボリビアのラパスとアルゼンチンのブエノスアイレスまでは鉄道は接続されているが、現在は貨物運送が行われているのみである。

ユーラシア大陸
1905年に完成したシベリア鉄道は、ユーラシア大陸を横断する、唯一の鉄道である。長さは 9,289 km(5,772マイル)あり、世界で最も長い鉄道として知られる。
日中戦争期から太平洋戦争期の日本では大東亜縦貫鉄道の構想があった。
中国から中央アジアを経てイランへと通じる鉄道も存在するが、この区間には軌間の違いという問題がある。また、義鳥市からマドリードまでの義鳥=マドリード路線や、中国からモンゴルを経由してモスクワに達する直通列車K3/4次列車が運行されている。
国際連合アジア太平洋経済社会委員会はアジア横断鉄道の構想を提唱している。

オーストラリア大陸
オーストラリア大陸では、1917年にポートオーガスタとカルグーリーとを結ぶ鉄道が完成し、さらに同鉄道が延伸されてシドニーからパースまでを結ぶオーストラリア横断鉄道が完成した。この経路はかつて 1,435 mm、1,600 mm、1,067 mm の3種類の軌間が混在していたが、1969年に 1,435 mm への統一がなされた。途中のナラバー平原を通る部分は、世界の鉄道で最も長い直線区間とされている。現在、シドニーからパースまでの区間で長距離旅客列車のインディアンパシフィックが運行されている。
2004年、オーストラリア縦断鉄道が完成し、ダーウィンからアデレードまでオーストラリア大陸を南北に縦断した。同区間で長距離旅客列車のザ・ガンが運行されている。

アフリカ大陸
アフリカ大陸を東西に鉄道で横断する方法はいくつかある。1つは1929年に開通したベンゲラ鉄道である。ベンゲラ鉄道はアンゴラのロビトを出発し、カタンガでザンビアの鉄道網と接続している。ザンビアからはインド洋のいくつかの港へ通じている。アンゴラ内戦によってベンゲラ鉄道は多くの区間が不通となったが、修復の努力がなされている。
他のルートとしては、ナミビアのワルビスベイかルデリッツから、南アフリカの鉄道網を通り、インド洋へ至るルートがある。
アフリカ大陸を南北に横断するルートとしては、かつてセシル・ローズがケープ・カイロ鉄道を提唱した。これはイギリス帝国のアフリカ植民地支配の根幹となるはずの構想であったが、未完成のまま終わった。フランスによるトランスサハラ鉄道計画も同様の結果に終わった。
現在、アフリカ連合はアフリカ大陸を網羅する鉄道を計画している。

脚注
最終編集: 3 か月前、ひななみ
関連ページ
最初の大陸横断鉄道
ゴールデン・スパイク
マットの鉄道万歳!

Wikipedia

日本の文化

2017-12-26 16:53:18 | 記録
Wikipedia

日本の文化

本項では日本の文化全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。

分類については、まだ発展・整理の途上であり、正式なものではない。日本発祥のもの以外でも、日本に深く根付いているものはこの記事に含まれる。

なお、日本の文化に関係する人物(文化人)は、原則として記述しない。人名一覧を参照のこと。
各年ごとの分野別の文化・流行などは年表からたどった各年の記事内の「芸術・文化・ファッション」の項を参照。
(例:2000年#芸術・文化・ファッション)
都道府県別の文化に関しては、Category:日本の文化 (都道府県別)を参照

目次
概要

文化という言葉は、芸術や学問など人間が生み出した高い達成度を持つもの(ハイカルチャー)を指すとともに、人間の社会が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系を指す。後者の意味では衣、食、住などの日常生活全般に関わる慣習や、芸能、道徳、宗教から政治、経済といった社会構造まで、その範疇は非常に幅広い。日本の文化も単純にひとくくりにできるものではなく、様々な要素を含んでおり、古代から中世にいたっては中国を中心としたアジアの近隣諸国、そして明治以降の近~現代では欧米からの影響を受け、吸収・取捨選択を繰り返し、様々な手が加えられて独特な展開を遂げている。日本の伝統文化は、神道を基軸として、外来の文化を取り込みながら、時代とともに変遷してきたが、表面的に大きく変化していても、その中に一貫する極めて日本的な要素や傾向を指摘できる面もある(例:住居が和風の座敷から洋間に変わっても、室内に靴を脱いで上がる点では変わらない)。

日本文化を特徴的に示す概念として、「和(わ)」という言葉がしばしば用いられる(例:和語、和文、和歌、和服、和食、和風旅館など)。「和」は古くから日本を示す言葉で、漢(中国)や洋(西欧)など外国からの事物に対比して使われる。また「大和(やまと)」という言葉が使われる場合もある(例:大和言葉、大和魂、大和撫子、大和絵など)。「大和」は本来、奈良地方を指すが、同時に日本全体を示す古い言葉でもある。古代からこの国において不変と考えられる事象を示して呼ぶことが多い。

日本の文化と宗教の関わり

日本も他国と同じく、古くからシャーマニズムやアニミズム、太陽神崇拝、先祖崇拝といった汎神論的自然崇拝、精霊崇拝があり多神教に基づく宗教文化がある。沖縄の信仰にもその古来の形態を残している。

それは多神教でも独自の特徴があるとすれば、道具や言葉、吐息にまで命が宿るという何でも来いの考え方であり、具体的には、針供養[1]、道具塚や言霊、息吹という表現や、侵略してきた敵さえも祀るという考え方(例えば、蒙古塚)は、その祟りを畏れてである。中華文化では儒教から発展した考え方も多少はあり「敵は死者でも鞭を打て、恨みは石に刻め」などとするが、日本では畏れ畏れて「敵であっても死者には鞭を打たず、恨みは水に流す」とするのである。

遠くインドを起源とする「仏教・密教」[2]を大陸から受け入れて、独自の仏教・密教文化を定着させてきた。さまざまな伝統や慣習のうちには仏教を起源とするものも多く見られ、神道と相互に影響しあいながら日本の信仰や文化の基盤を形作ってきた。また、ヒンドゥー教は、ほとんど直接には日本に伝わってはいないが、仏教・密教に多大な影響を与えているので、日本の仏教や神道においてヒンドゥー教由来の神々が存在し文化的影響がある。

他の東アジア諸国と同様に「儒教」[3]や「道教」も受け入れたが、その影響は朝鮮半島や中国ほどではない。儒教は寄親・寄子の制度や、戸主や家督制度などの社会性に影響を及ぼしている。明治維新によって学問としてのは立場を失ったが、宮中の保守的な漢学者の影響によって思想が教育勅語などに取り入れられた。道教は、そのものより陰陽五行や八卦や宿曜道などが奈良時代から平安時代に隆盛を極め、陰陽師の台頭と共に現在もその思想が風俗となって受け継がれているが、儒教と同様に日本独自のものに変化している。具体的な例としては、干支や家紋の九曜やちらし寿司の四色や五色の彩などが陰陽五行に基づいている。武道も神道が基軸となり、それに儒教や道教や禅宗などが加わって修練による開眼精神と哲学を持った芸になったといわれる。

日本は永らく神道と仏教とを神仏習合(神仏混淆)させてきたが、明治初頭、神道と仏教は再分離され、廃仏毀釈の波の中で多くの仏教や神道の遺産が失われた。神道は国家神道とされて仏教や土着の習俗と引き離され、皇室を中心とする信仰に再編され、政治・教育と結びつけられた。日本の伝統仏教も、この時代に勢力を拡大した新宗教やキリスト教の脅威に対抗するためこれに協力し、江戸時代に引き続き日本の社会に強い影響力を持ちつづけた。大日本帝国憲法では信仰の自由が規定されたが、政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という解釈に立脚し、神道・神社を他宗派の上位に置いた。しかし、第二次世界大戦後に国家神道は国家覇権の手段となったとされ、GHQの指示によって、神道は政治・教育と分離されて他の宗教と同列の信仰としての位置づけがなされた。仏教も「葬式仏教」と揶揄されるほどに宗教としては形骸化する傾向があり、日本人の日常の生活意識から、神道と仏教を中心とした文化的価値観は薄れてきている。

純粋な宗教的価値観の具現化でないとしても、古来からの神道が礎となってその上に仏教・密教や儒教や道教、あるいはキリスト教[4]をも含め、さまざまな外来の宗教を混在させながら、今日ある日本の精神や文化の土壌は形成された。これらの宗教混在に基づく価値観は日本の風俗習慣、文化に深く根ざしており、祭礼、伝統芸能、武道、農業、林業、水産業、建築、土木、正月、七五三など、さまざまな場面に影響を及ぼしており、神道を主体とする宗教を抜きにして日本の文化や精神の本質は語れないという側面がある。現代世界が抱える諸問題において、このような日本的な宗教的価値観が有効とされる場合もあり、これを方法論としてみた場合、たとえば「里山」あるいは「鎮守の森」の文化や「もったい(物体)ない」の考え方は環境保全に対し、「大豆文化(倹約、醸造は神事)」の伝統は食糧危機に対し、問題の解決を示唆する可能性もある。

伝統芸能や伝統のスポーツ、あるいは日常生活におけるお辞儀・礼儀作法・食事作法などにおいて、広範に見られる特徴として「型(形)」の尊重という点が挙げられ、日本の美点ともされてきた。これらにはあらゆるところから取り入れてきた道徳(各学問からの影響が大きい)の影響や、人と衝突するのを避け和を尊ぶという心性から、無言の内に相手への敬意・配慮の念が込められていることも多い。近年では生活様式の欧米化により「エチケット」や「マナー」などに置き換えられ、これらの日本の伝統的な規範意識の形骸化を憂慮する声もある。

歴史

原始
縄文時代以前のはるか昔、北方からやってきた日本人の祖先が日本列島に定着してから、大陸や南方から渡ってきた人々が文化をもたらすことはあったと考えられるが、早い時期から大陸とは異なる日本固有の文化が育ってきた。日本語と系統関係が証明された言語は存在しない。

該当する文化: 旧石器文化、縄文文化、弥生文化

古代
前漢の時代頃から中国の王朝に積極的に朝貢し初め、先進文化国だった中国の文物を受け入れるようになった。金属器(玉、鏡、刀剣類など)や漢字、仏教などがその代表である。後には遣隋使、遣唐使が派遣され、留学生が先進文化を学び、日本に持ち帰ってきた。こうして日本固有の文化の上に外来の文化が取り入れられていった。

9世紀半ばの承和年間の派遣をもって遣唐使が途絶し、894年に遣唐使が計画されたものの菅原道真の意見で中止になった。それ以降は、中国の文物(唐物)や文化などは中国人海商によってもたらされるようになり、貴族社会で唐物は珍重され続けた。それと同時に、外国からの影響が日本独自に消化されてゆき、「国風文化」時代を迎えた。貴族の女性の間で漢字からかな文字が生まれ、源氏物語や枕草子に代表される和歌や物語、日記文学など文芸が盛んになった。芸術の分野でも、法隆寺や唐招提寺の建築には中国などの影響が強く見られたのに対して、宇治平等院では日本人好みの表現になっている。こうした文化様式を和様と呼ぶ。

該当する文化: 古墳文化、飛鳥文化、白鳳文化、天平文化、弘仁・貞観文化、国風文化、院政期文化

中世
古代末から中世に武士が台頭してくると、流鏑馬、犬追物など武士特有の文化が生まれ、合戦をテーマにした軍記物語(平家物語など)も生まれた。彫像も、力強い肉体を持った物へと代わっていった(金剛力士像等はその代表といえる)。都や農村では猿楽や田楽などの舞踊が発達した。平清盛の宋との貿易以降、日宋貿易が盛んに行われた。この時代には禅宗僧の往来がしきりで、禅宗とともに持ち込まれた文化(精進料理、水墨画、喫茶の習慣など)はその後の日本文化の発展に大きな影響を与えた。天竜寺船、勘合貿易により中国との往来は絶えることはなく、銅銭が大量輸入され、唐物が珍重された。室町時代は戦乱の世であったが、東山文化の時代を中心にして、猿楽(能)、茶の湯、書院(書院造)などが発展し、今日「日本的」といわれる文化の多くがこの時代につくられた。

該当する文化: 鎌倉文化、室町文化(北山文化・東山文化)

近世
安土桃山時代にヨーロッパの新しい異文化がもたらされた(南蛮文化)。鉄砲が戦闘形式を一変させ、天下統一への道を開いたほか、外来語、天ぷらなど飲食物も伝えられた。イエズス会などの宣教師たちがキリスト教の布教を進めたが、徳川幕府がスペイン・ポルトガルの領土的野心疑うと共に、特定宗教が国内における大勢力になることを嫌ったため、宣教師は追放され、次いで禁教の施策が取られた。こうして江戸幕府はキリスト教の禁止および鎖国の道を選ぶことになる。この時期には宣教師及び朝鮮出兵で捕虜となった技術者が活版印刷の技術を伝え、刊行本が世に出回り始めた。

政権が安定し、鎖国により外国と隔絶された日本では、平和な時期が長く続き、再び独自の文化が発達した。寺子屋や藩校の普及により読み書き算盤が広く浸透し、幕府奨励の儒学のほかに本草学などの自然科学が育った。庶民の間では芝居(歌舞伎、人形浄瑠璃)や刊行物(浮世草子、読本など)、そして浮世絵が愛好され、世俗的な文化が栄えた。大相撲興行が始まったのもこの頃である。また日本本来の伝統を捉え直そうという国学も興り、幕末の尊皇攘夷運動の思想的土壌を作った。

鎖国体制の中でも、制限された形で中国・朝鮮との交流は続いていた。西洋との交流は厳しく制限されたものの、長崎の出島を通じてオランダとの交易が行われた。長崎から入ってくる中国文化や西洋文化は知識人の好奇心を刺激し、洋学や蘭学(医学)、漢方医学が発達した。この流れは、幕末に帝国主義時代の欧米の接近に際して対応する力となり、開国の原動力のひとつになった。

該当する文化: 桃山文化、寛永文化、元禄文化、天明文化、化政文化

近代
幕末の開国、明治維新を経て、欧米の文物・制度を取り入れ日本の近代化を図ることが国家目標になった。新奇な風俗が次々にもたらされ文明開化の風潮が広まった。政府主導で積極的な西洋文化の導入が図られ、鹿鳴館時代には皮相的に急激な西洋化が図られたが、日本の伝統を見直そうという反動の動きも起こった。「和魂洋才」という言葉もよく使われた。啓蒙的な思想家が封建的な思想や習慣を否定し、西洋の政治制度、文物を紹介し、新聞、雑誌などのメディアや鉄道など交通機関の発達は各地に新しい文化を広め、庶民生活に大きな影響を与えた。しかし、都市部から離れた地域(農村部)では依然として、農業を基盤とした伝統的な行事や生活習慣が続いていた。

大正時代頃には進学率の上昇などを背景に、都市を中心に洋風の文化が次第に浸透し、デパートに代表される消費文化、大衆文化が成立した。アメリカの大衆文化の影響もあって、都市にはカフェーや映画館などの享楽的な文化も広まり、エロ・グロ・ナンセンスが流行した。一方で貧富の格差も増大し、労働争議や社会主義運動が起こるようになる。都市のスラム化も社会問題となった。

昭和初年の大恐慌により経済は疲弊し、農村は荒廃した。国民の期待は軍部に集まり、弱腰であると非難されていた政治家は信頼を失った。やがて日中戦争が始まると、共産主義・社会主義への弾圧が強まり、自由主義も弾圧された。戦意高揚のために日本及び日本民族の優秀さが説かれた。国際的には英米などから批判を受けて、日独伊三国同盟を結んだ。世界から孤立した日本は真珠湾攻撃により太平洋戦争を開戦し、第二次世界大戦に参戦、国家総力戦のため食料や資源が統制された。

太平洋戦争末期には、連合国の海上封鎖と空襲、働き盛りの男性が徴兵されたことによる労働力不足のために、日本は深刻な食糧難と物資不足に見舞われることになる。戦争遂行のため大衆文化や伝統文化も政府に統制された。

近代文化: 文明開化、明治維新、大正デモクラシー、昭和文化

現代
日本がポツダム宣言を受け入れて降伏し、アメリカ軍を主体とする連合国軍に占領されると、日本の大半はGHQの管轄下におかれた。GHQの指示により日本政府は特権階級、武装及び軍国主義の排除・解体・追放と産業・経済の民主化を進めた。旧植民地およびソ連軍占領地域からの引き揚げや戦地からの復員が進み、日本人は戦後しばらくの間は苦しい生活を強いられた。

戦後はアメリカの近代文化が国民の憧れとなり、高度経済成長により日本は飛躍的な工業化と都市化を遂げる。これに伴い従来の生活習慣は革命的な変化をとげ、伝統的な生活習慣の多くが失われていった。しかし戦後日本はアメリカのコピーではなかった。アメリカの近代的な文化を受け入れながら、独自の日本的な形に昇華し、多彩で豊かな食文化、アニメや漫画などをはじめとする新しい日本の文化が生まれた。アメリカに次ぐ経済大国となった日本は自信を回復し、1970年の大阪万博では「人類の進歩と調和」が謳いあげられた。

東アジアを除く諸外国では、近年にいたるまでもっぱら「サムライ」「ゲイシャ」などの一部の伝統的な文物が日本文化として知られていたが、バブル時代後の1990年代以降、諸外国にも現代的な日本の大衆文化やサブカルチャーに興味を持つ人々が増えてきた。特にゲームやアニメ、漫画、映画、音楽、インターネット、携帯電話、パーソナル・コンピューターなどのコンテンツや、食文化は欧米やアジアの都市部に浸透し、それらに関する店や施設(寿司バーや漫画ショップ)が多数みられるようになっている。

現代文化: 昭和文化、大衆文化、サブカルチャー、ハッカー文化、ヤンキー文化、アンダーグラウンド (文化)、貧困の文化

総括
日本文化は有史以来、中国文化圏に属し輸入文化・翻訳文化の側面を持ち、積極的に外国の文化を摂取し、これを在来の文化と融合して日本化することで独自の文化を形成してきた。しかし、同じく中国文化の絶大な影響を受けた韓国・ベトナムと異なり、政治的には中国の諸王朝の支配に入ったことは一度もなかった。平安期と江戸期に日本は外国との交流を絶ったが、この時期に日本独自の文化が顕著に熟成されたという特徴がある。

強大な中華帝国唐が盛んな時代には、貴族は中国文化を模範とした天平文化を築き、留学生が学んできた先進文化が政策上の規範になった。漢文を流暢にこなすことは、貴族にとって重要なことだった。

遣唐使が中止された後は「国風文化」が興ったが、この時期までの文化の中心は貴族と寺院であった。平安末期の平氏政権期から鎌倉時代にかけて日宋貿易が行われ、新しい仏教とともに精進料理や文人画などの中国文化が流れ込んだ。その後の日本の伝統文化にもこの時期に宋から取り入れられた文物の流れをくむものが多い。鎌倉時代には関東を中心にした武士の文化が京都の王朝文化と並び立つものとして勃興する。

室町時代には日明貿易によって引き続き中国文化が持ち込まれ、この時期に輸入された織物や陶器、書画などは、現代に残る伝統工芸品の技術に流れ込んでいる。室町時代から安土桃山時代には、戦国大名により各地に地方色豊かな文化が生まれた。

江戸時代、鎖国の世にも長崎を通じて中国との交流は続き、儒学者などの間には中国崇拝の風潮が強く残っていた。一方では日本の独自性への自覚から伝統への回帰として国学などの学問も興った。また、江戸時代は江戸・京都・大坂の3大都市を中心に町人の文化が栄えた時期である。

その後、近代日本の文化は、明治維新と連合国占領時代の2度、大転換期を迎えた(もっとも、これは都市部を中心とする視点であり、民俗学などでは、むしろ第二次世界大戦と高度経済成長によってもたらされた文化の断絶が強調されている)。われわれ現在の日本人がイメージする伝統的文化にも明治以降に生まれたもの(例:神前結婚)や俗に言う外国文化であるもの(例:“コウノトリが赤ちゃんを運ぶ”という伝説。これはヨーロッパの民話であるが、日本でも地域的に定着している)も多い。「明治維新以降-第二次世界大戦降伏まで」の時代には、帝国主義国が植民地争奪を繰り広げる国際環境の中、西洋の圧倒的な文明と先進文化を前に日本のアイデンティティをどう捉えるかが課題であった。

第二次世界大戦以前の帝国主義時代には、日本を強国にするため積極的に西洋の文物や価値観を取り入れようとする動き(脱亜思想)と、独立のために伝統を強調しようとする動き(国粋主義)、そして西洋文明に対抗してアジア諸国の連合を目指す動き(アジア主義)が存在した。この3つの潮流はしばしば衝突し、極端な西洋崇拝になったり、日本文化のアジア進出に結びついたり、また西洋文明を蔑視するようになったりもした。最終的にはこの3つの流れは合流し、大東亜共栄圏へとつながっていく。

第二次世界大戦後は、アメリカ文化を積極的に受け入れる(アメリカナイゼーション)動きが優位となり、日本文化のアメリカ化が進むものの、この3つの価値観は日本の外来文化をめぐる態度の底流として影響を与え続けていると見られる。

日本文化論

日本文化、あるいは日本人を特徴づけると考えられる概念を中心にした日本文化論・日本人論も多く提唱されている(日本人論の項目を参照)。

日本人の気質と主張されるもの
日本でも個人が自己の利益を図り、利益の対立する他者と競合するのは当然であるものの、一応表向きは、自己主張を抑える奥ゆかしさが美徳とされるので、そのような価値観の比較的薄い社会の人間と比べた場合、その表向きの建前を崩さずに、時には逆に利用して相手を出し抜いて自分の利益を達成することが多くなりがちといわれることが多い。これは他の『○○文化論』同様、ひとつのナラティブであるという異論も強い。真偽は別にして、具体的には以下に挙げたようなものがある。

お辞儀・敬礼:日本ではこのような礼法が発達したことについては多くの意見がある。無論、心の底はまた別である。
本音と建前:表向き、『和』を重んじることになっているので、表向きは無難なことだけを言い、真意は相手に「察してもらう」ことを期待する傾向が強いとされる。私的な空間や利害関係のない相手と向き合っているときなど、『和』という表向きの約束事にも配慮する必要がないときは、より露骨に自分の本音を出すようになる傾向があるといわれる。
「ハレ(晴れ)」と「ケ(褻)」
あいさつ:いただきます、ごちそうさま(でした)、ただいま、おかえり(なさい)、いってらっしゃい、いってきます、失礼します(した)、お邪魔します(した)など。
根回し : 非公式な打ち合わせで、事前に利害を調整しておく交渉のやり方。
談合:上層部による話し合いで問題を解決するやり方。解決に至った場合は手打ちという儀式行為が成される。水枯れ期の田圃への取水についての村落同士の話し合いなどを発生起源とし、近年では土木・建設をはじめ多くの公共事業の分配方法の商慣習として蔓延していた。諸外国におけるカルテル同様、商行為上の犯罪行為として摘発されるようになってきている。
「恥」の文化・「謙遜」の文化
義理の倫理
「お上」への従順さ、政治に対する無関心。
をかし
もののあわれ

外国から見た日本

日本文化がヨーロッパでまず注目されたのは浮世絵などの美術品であった。その後、非ヨーロッパ国として初めて近代化に成功し、日清・日露戦争に勝利した日本に対して世界的な関心も高まった。外国からイメージされた「日本」の文化は、特に欧米圏では、キリスト教文化とは全く系統の異なる文化への好奇心(エキゾチズム)から、ある一面が誇張され、あるいは中国などと混同され、ステロタイプ(ステレオタイプ、紋切り型)化されて伝わる傾向があり、日本人から見れば「偏った認識」と思われるものが多く見受けられた。

しかし近年では、ゲーム、J-POP、ファッション、アニメ、日本の漫画、カラオケ、インターネット、携帯電話、パーソナル・コンピュータやMade in Japanなどのポップカルチャーが海外で注目され、今までとは違った「日本」のイメージを持つ者も増えてきている。ハリウッド映画にも、本気で日本を描こうとする作品が作られたり、日本映画をリメイクしたり、日本人監督を起用するなどの動きが見られる。ただし2000年代に入ってからは、若者を中心に日本のイメージがポップカルチャーに偏重してきているという指摘もあり、伝統文化や生活文化、ハイカルチャーを含めた文化発信が課題になっている。

ジャポニスム - 19世紀末、浮世絵・琳派などの日本美術が印象派やアール・ヌーヴォーに影響を与えた。
富士山、天ぷら、芸者、寿司、忍者、侍、蕎麦、禅 - 明治期の開国で訪日した人の報告・訪欧した人の主張や、日清・日露戦争に勝利した日本を見て広まった印象・把握。
日本食 - 回転寿司、醤油、豆腐、すき焼き、照り焼きなど。海外で知られる日本食は日本のそれとは別物である場合もある。
エコノミック・アニマル、ジャパン・インコーポレイテッド - 高度経済成長期からバブル期の日本人の経済活動を揶揄した言葉。(揶揄ではないとの意見もある。『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史』多賀敏行著))
古典園芸植物 - 江戸時代に高度に育種され発展を遂げた菊などの園芸植物が19世紀後半にヨーロッパに伝えられ、西欧の花の美意識を変えるほどの影響を与えた。また盆栽や日本庭園も欧米の園芸、庭園術に影響を与えている。
津波 - お宅 - 引きこもり - アニメ、カラオケ - 昭和から平成期の日本が外へ発信した。
日本映画 - 黒澤明、小津安二郎、北野武らの作品が海外で高く評価された。
ヴィジュアル系、テクノポップ、ジャパニーズ・ハードコア
J-POP - 1990年代、アジアを中心に、世界に影響を与えた。
ファッション - コム・デ・ギャルソン、ヨウジ・ヤマモトなどのブランド。裏原宿系、ロリータ・ファッション、ギャル・ファッションなどの日本独自のムーブメント。
可愛い - いい印象、好ましいイメージ、目指したい姿像を表す言葉・概念「カワイイ」が、2005年頃、海外に広がりを見せる。
もったいない - 複数の意味を現した外国語にない日本語の一つ。環境保護活動家ワンガリ・マータイが感銘して世界にMOTTAINAI運動を広める。
大和撫子
企業戦士
日本株式会社
Made in Japan
パーソナルコンピュータ
トランジスタグラマー

民話・伝承・昔話

日本各地に様々な言い伝えや民話・昔話などが伝わっている。

都市伝説・噂
学校の怪談
迷信

日本の主な民話・昔話
桃太郎、金太郎、浦島太郎、花さかじいさん、さるかに合戦、一寸法師、舌切り雀、鶴の恩返し、笠地蔵、おむすびころりん、うりこひめとあまのじゃく
怖い話・怪談の中には、講談、芝居など様々な文学ジャンルで採り上げられているものがある。
百物語、皿屋敷(播州皿屋敷、番町皿屋敷など)、四谷怪談(東海道四谷怪談など)、小泉八雲『怪談』所蔵:小豆とぎ・耳無し芳一・雪女、牡丹燈籠(灯篭)、おいてけ堀、八反坊、鍋島藩の化け猫騒動
妖怪 神道、特に八百万の神とかかわりが深い。



古く縄文時代の遺跡から見つかる勾玉などの装身具(アクセサリー)、日本神話に見られる三種の神器(勾玉・鏡)などから初期の衣類を含めた身体装飾には権威的・呪術的な意味があったと考えられている。

後に律令制を導入すると官製を中心に本格的に身分・階級の違いを表すようになっていく。一時的に大陸文化を遮断した平安時代には国風の平安装束も発達した。

その後、時代によって衣装はめまぐるしく変わりながらも、身分によってある程度分類されていた。明治時代以降、軍隊や官庁、学校などから次第に西洋風の服が採用されるようになり、今日では日常的には洋服を着用し、晴れの日やめでたい日(「ハレとケ」)など和服を着る、といったスタイルが多くなっている。

伝統衣装
装束の詳しい種類や詳細は和服及びCategory:和服を参照。

現在一般的に知られている服
和服、着物、背広、浴衣、筒袖、留袖、色留袖、狩衣(かりぎぬ)、訪問着、付け下げ、小紋、色無地、紬、ウール着物、羽織、束帯、十二単(じゅうにひとえ)、甚平、法衣、丹前
現代の一般的な冠婚葬祭の装束
礼服
文金高島田、角隠し、綿帽子
喪服(白装束)
晴れ着、振袖、羽織、袴
履物
雪駄(せった)、下駄(げた)、草履(ぞうり)、草鞋(わらじ)、かんじき
その他
制服
割烹着、もんぺ、モンスラ
付属品・携行品
布巾、手ぬぐい、風呂敷
腹巻、腰巻、帯、帯揚げ、帯締め
足袋(たび)、地下足袋(じかたび)
ふんどし、襦袢(じゅばん)、半衿、羽織ひも
ショール、コート
手甲、脚絆、道中差し
扇子、筥迫(はこせこ)、懐紙
根付、印籠、矢立、煙管(きせる)
蓑、傘、笠、陣笠
甲冑、陣羽織
ランドセル
化粧・装飾
口紅、お歯黒、白粉、櫛、簪、勾玉
織物、裁縫関連
日本各地の織物の伝統工芸品については、伝統工芸を参照。
裁縫、洋裁、和裁
織物、染物、組み紐
針供養
時代による変遷
貫頭衣
狩衣(かりぎぬ)、烏帽子(えぼし)、直垂(ひたたれ)、裃(かみしも)
十二単、小袖
結髷、散切り頭
洋服(西洋化)
軍服、制服(詰襟)、セーラー服
国民服
配給洋服、化学繊維製の衣服などの洋服の普及
海外のファッションの流入。アイビー・ルックやアメリカン・カジュアルなどカジュアルな洋服の流行、装飾品の多様化
原宿系など日本独自の洋服のファッションの流行
2000年代に入る頃から、激しい流行の移り変わりは終焉し、日本のファッションは多様化の時代となった。
定番のファッション
コンサバ・ファッション、きれいめ系
大衆的ではないもの
ゴスロリ、コスプレ、ボディコン、ギャル・ファッション



日本の料理は「和食」(学術的には「日本料理」)と呼ばれており、欧米や西アジアの料理とはかなり異なっているが、東アジアや東南アジア諸国には、日本と類似した料理、食材などが数多く見られる。

しかし、食のマナーの面では他の東アジア諸国と比べても独特なものがある。東アジア諸国での食事の仕方は鍋物や大きなお皿に盛った料理に皆で取り分ける食べ方が多くみられる。日本では平安時代の貴族の間で儀礼・酒宴として食された大饗料理がこの形態であり、主人と客が椅子に着座して机がおかれ、「台盤」と呼ばれる卓上に大皿の料理が置かれ、これを取り分けられた。

中世には大饗料理に代わり、武家における儀礼・酒宴の料理として本膳料理が確立する。本膳料理は主人と客が床に着座し、個人専用の食器(属人器)に複数の料理を配膳する銘々膳が特徴とされる。

他の東アジア諸国では取り箸を使わず、各人の箸で料理を取り分ける直箸が親愛の表現とされるが、日本では直箸はマナー違反である(最近は衛生上の理由から、東アジア各国でも取り箸を使う習慣が定着してきている)。また、碗や皿などの食器を持つことが許され、箸だけで食事をするのは日本だけとされる(箸を使う習慣のある他の地域では、汁物や米を食べる時に匙を使うのが一般的である)。蕎麦やうどんなどの汁麺を音をたててすすることが許されていることなど、日本以外では見られないような習慣が多い[要出典]。近年は低脂肪の日本食が評価され、健康的な食事とも言われる。

郷土料理は、比較的狭い地域でも山間部と平野部、沿岸部と内陸部で食生活の違いがあるほか、江戸時代から明治初期の廃藩置県前までの藩政時代に基盤をもつものが多い。このため、食文化は都道府県よりも細かい地域ごとに多彩な食文化が存在している。

今日の日本人は朝・昼・夜と3回の食事を取るのが一般的である。保存技術の発達により、日本のどこでも新鮮な海産物が手に入る(日本は魚介類の消費が世界一である)。家庭で料理するより、外食・中食で済ませる機会も多くなっている。20世紀以降、海外の食文化を積極的に取り入れたために、伝統的な和食のみを食べる人々は減ってきている。

日本人が魚介類や卵を生で食べること、海草を食べること、それらの食文化を奇異に感じる日本国外の人もいる。

また、各食の分野にはそれぞれ技があり、長年の訓練と経験を積んだ専門職人がいる(例:寿司職人)。

料理
「日本料理#日本料理の分類と一覧」を参照
飲み物
お茶
緑茶、麦茶、番茶、煎茶、ほうじ茶、玄米茶
アルコール類
日本酒、どぶろく、甘酒、焼酎、泡盛
ジュース
清涼飲料水
葛湯、昆布茶、桜湯
食品・食材・材料
庶民的な食品・食材からブランド品まで含む。
肉類

鹿
鯨 江戸時代以前は魚肉に分類。
和牛
魚介類
鮪(まぐろ)、鰹(かつお)、鮭(さけ)、秋刀魚(さんま)、鰯(いわし)、河豚(ふぐ)、鯖(さば)、鯵(あじ)、鮒(ふな)、鰻(うなぎ)
海老(えび)、烏賊(いか)、蛸(たこ)、蟹(かに)、海鼠(なまこ)
ハマグリ、アサリ、シジミ、サザエ、アワビ、スガイ、カキ
海藻
海苔(イワノリ、カワノリ、フノリ)、アオノリ、昆布(コンブ)、ワカメ
野菜
小松菜、サラダ菜、ワケギ、大根、白菜、カブ、葱、茄子、胡瓜
穀類・豆類
大豆、アズキ、ササゲ、ウズラマメ、エンドウ
米、麦、粟(アワ)、ヒエ、キビ、コウリャン
芋類
サトイモ、サツマイモ、クワイ、ヤマノイモ、コンニャクイモ、馬鈴薯
茸類
椎茸、松茸、シメジ、マイタケ、エノキタケ、なめこ
果物
ウリ、マクワウリ、カキ、クリ、ギンナン
柑橘類
温州みかん、キンカン、ザボン、ダイダイ、イヨカン、柚子、カボス
加工食品
納豆、豆腐、おから、豆乳、ゆば、油揚げ
漬物、沢庵、福神漬
鰹節、かまぼこ、炒り子、干貝、のしいか、松前昆布、たたみいわし、寒天
ふりかけ、麩
片栗粉、コンニャク
調味料
味噌、醤油、みりん、酒(日本酒など)、出汁(だし)
和菓子
甘納豆、外郎(ういろう)、求肥、練り切り、饅頭、羊羹、落雁、きんつば、飴(あめ)、汁粉

草餅、桜餅、煎餅、柏餅、ぼたもち、大福、あられ、安倍川もち、あんころ餅
団子
吉備団子、みたらし団子
調理方法
かまど、七輪、コンロ、電気コンロ、ガスレンジ、電子レンジ、炊飯器
ざる、すり鉢、串
食器、マナー
食器(和食器)

割り箸、菜箸、鉄箸
匙、散蓮華、しゃもじ、おたま
茶碗、湯呑み、急須
丼(どんぶり)、小鉢
徳利、お猪口(おちょこ)、ぐいのみ
漆器(ジャパン)、和陶器(せともの)、弁当
氷コップ
マナー
マナー違反
嫌い箸 : 箸の持ち方や使い方に関するマナー
座りかた
正座、あぐら、横座り
食いあわせ
日本料理の種類
精進料理
本膳料理
会席料理
懐石料理
日本の郷土料理
アイヌ料理
江戸料理
沖縄料理
京料理
薩摩料理

住まい・建築

日本の住宅
詳細は「日本の住宅」を参照
家具については#生活を参照。
庭園については日本庭園を参照。
日本各地では、古くからその土地にあった建材を利用した住宅が建てられてきた。そのような地域差がありながらも、日本全国どこでも木を使った住宅(日本家屋、和風住宅)が建てられてきた。この背景には、豊富な木材と、湿度の高い気候、木の性質をよく知った技術者の存在などがあった。

住宅は近年までほとんどが木造であったが、現在は鉄筋コンクリート造や鉄骨構造の住宅(戸建て、集合住宅)も多くなってきている。また、木造住宅でも現在は輸入材の使用が一般的で、品質の規格化・均一化が進んでいる。

日本建築
「日本の世界遺産」および「日本建築史」を参照
古墳時代以前のものは遺跡も参照。
木造の建築様式
神社建築(流造、春日造、神明造など)、寺院建築(和様、禅宗様、大仏様など)、校倉造(正倉院)
御所・離宮
京都御所、修学院離宮、桂離宮
神社
伊勢神宮、出雲大社、熱田神宮、日光東照宮、宇佐神宮
寺院
法隆寺西院伽藍・夢殿、薬師寺東塔、東大寺(法華堂など)、唐招提寺(金堂など)、平等院鳳凰堂、中尊寺(金色堂など)、毛越寺、三十三間堂、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、清水寺
城郭
松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、名古屋城、大阪城、熊本城、首里城、五稜郭など
詳細は「城」を参照
民家
今西家住宅、箱木家住宅、古井家住宅、吉村家住宅など
近代・現代建築
明治時代以後、ヨーロッパの建築様式・技術が伝えられ、日本の建築も大きく変わっていった。
国会議事堂、迎賓館(赤坂離宮)、日本銀行本店
東京駅
太陽の塔
高層建築:霞が関ビル、サンシャイン60、横浜ランドマークタワー、東京都庁
タワー建築:東京スカイツリー、東京タワー、京都タワー、通天閣、福岡タワー、名古屋テレビ塔、さっぽろテレビ塔
競技場:国立代々木競技場、国立霞ヶ丘陸上競技場、日本武道館、さいたまスーパーアリーナ、両国国技館
ドーム型野球場:東京ドーム、大阪ドーム、ナゴヤドーム、福岡ドーム、札幌ドーム
日本人の空間概念・意識 編集
間仕切り(襖・障子・衝立・屏風・欄間・暖簾)・格子、縁側
結界・鬼門/恵方
借景・見立て・生垣(垣根)・築地(ついじ)
里山・鎮守の森

生活

伝統工芸
日本各地で、「ご当地~~」と呼ばれる土産品があるが、それらの日用品は、地域の自然や歴史、産業、伝統などに見合った製品を作ろうとしてきた地域の人々の工夫の賜物である。また、日用品も、現代では多くが大企業の工場で作られるようになったが、その技術も、古くから培われてきた伝統工芸品の技術を応用して生産されているものが多い。

街頭文化
他の国では見られない、または少ない、日本の街中での特徴を示す。

自動販売機 - 日本では街じゅうに多種多様な自動販売機が設置してある。最も多いのは飲料を販売するものである。日本全国の設置台数は800万台を超える。これは諸外国と比べて格段に多く、日本の大きな特徴になりつつある。
ティッシュの無料配布
コインパーキング
コンビニエンス・ストア
コインランドリー
現金自動預け払い機
駄菓子屋

日本の葬式
宗教意識が薄れている現代にあって、葬式は、特に宗教上の信念があってキリスト教式や新宗教の様式で行われる場合、また神式の神葬祭を除けば、仏教の形式を用いる仏式葬儀が行なわれることが多い。

中世以降、庶民の間でも家が成立し、その繁栄や継続が重視された。また、中世は戦乱や災害が多発した時代であり、庶民は弔いを強く求めた。鎌倉仏教の僧侶は、そのような状況を踏まえつつ、身分の貴賤に変わらず庶民を救う観点から、葬式や祖先供養を積極的に行うようになった。その結果、日本の仏教は大衆化する過程で「葬式仏教」となり、庶民は菩提寺と檀家の関係が確立していき、江戸時代に一般化した。その状況が、現代まで引き継がれた結果のもので、純粋な宗教行事というより、習俗化したものといえる(現代においては「葬式仏教」は、葬式代や戒名代の高さが注目され、否定的な意味合いでとらえられることもある)。

近年はビジネス化された仏式葬儀に疑問を持つ人びとも増えつつあり、簡素な神式の葬儀も増加している。さらに自然葬(散骨、宇宙葬、森林葬など)もひとつの形式として浸透し始めている。

通夜、葬儀・葬儀場、埋葬、服喪、回忌、墓・墓参、法事、盂蘭盆会、彼岸

日本の婚礼
見合い、結納、仲人、婚礼・結婚式・結婚式場、三々九度、お色直し、床入り、新婚旅行
通過儀礼・儀式 編集
七五三、入学式、卒業式、成人式、送別会、還暦・古希・喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿、若衆宿、元服、隠居、出家・得度・剃髪
家族制度 編集
本家・分家、家督、養子、入り婿、部屋住み・やっかい者、後家・行ず後家、名字・屋号
付き合い・交流について 編集
寄合い、町内会、回覧板、隣組、連絡網、コンパ・合コン、各種サークル活動
贈答・儀礼 編集
中元、歳暮、年賀、暑中見舞、寒中見舞、火事見舞、病気見舞、快気祝、内祝、熨斗・水引、香典・香典返し、冠婚葬祭、無尽講・頼母子講、お返し
祭儀 編集
地鎮祭、定礎、上棟式、~開き(事務所・ピアノ・鏡、etc.)、中締め・お開き、一本締め・三本締め

就学制度・教育機関
(詳しくは「日本の教育」「学校制度」その他の項を参照の項を参照)

母子健康手帳、保育園、幼稚園、認定こども園、就学前教育、授業参観
特別支援学校(養護学校・盲学校・聾学校)
学校教育、社会教育、生涯教育
義務教育、小学校、中学校
高等学校、高等専門学校
大学、国立大学、私立大学、短期大学、大学院
学士、修士、博士、教諭、教授、准教授(助教授)
専門学校(専修学校)、各種学校、夜学(夜間教育)、通信教育
文部科学省、教育委員会、教育庁、教育委員長、教育長、教授会、主幹、主査、主任、副校長、教頭、校長(学長)、先生、教員免許、教育実習
入試、お受験、中高一貫教育
文化祭、運動会、図書館、博物館、公民館、公文書館、自動車教習所、塾、学習塾、予備校、同窓会、学童保育
学校週5日制、ハッピーマンデー制度

ハンディキャッパーとの共住
(詳しくは「高齢者福祉」、「社会福祉」その他の項を参照)

高齢者介護、ホームヘルパー、介護センター、老人ホーム、姥捨山、後期高齢者医療
特別養護老人ホーム、有料老人ホーム、老人福祉施設、認知症高齢者グループホーム、介護ロボット
障害者支援施設、児童福祉施設、学童保育、介護老人保健施設、老人会、消防団、同窓会、人間ドック、健康診断
デイケア
託児所(託児施設)
ホームレス
グループホーム
ケアホーム
地域活動支援センター
小規模作業所
授産施設
リハビリテーション
介護保険
自立支援
高額療養費
年金
健康保険
生活保護
奨学金
農業機械
公認心理師

ペット(愛玩動物)
生活用品・日用品
家具
日本の家具
箪笥、茶箪笥、船箪笥、長持、行李
ちゃぶ台
座椅子
衝立・屏風
その他
畳、座布団
暖簾(のれん)、床の間、掛け軸
囲炉裏、火鉢、ストーブ、煙草盆、蚊帳・蚊遣り・蚊取り線香、扇子・団扇(うちわ)
籠、背負い子(しょいこ)、風呂敷
蓑(みの)・傘、草鞋(わらじ)、手甲(てっこう)・伽半(きゃはん)
電気製品・家庭用ロボット・介護ロボット
日本独特の家電製品 - 炊飯器、こたつ(※電気製品の一覧、家電機器も参考に。)
三種の神器、新・三種の神器、新々・三種の神器
携帯電話 - 日本の携帯電話 - 日本の携帯電話文化
PHS - テレビ電話 - パーソナルコンピュータ - インターネット - スマートフォン - タブレットPC - タブレット (コンピュータ) - ウェアラブルコンピュータ

日常の移動
通勤電車、自家用自動車、バス、タクシー、ハイヤー、代行車、バイク、自転車、車椅子
集団登校、乳幼児の送迎(スクールバス)

行事

日本のこよみ
日本のこよみについては、Template:季節の話題、Template:今日のこよみ、Template:今日は何の日も参照。

暦注の内容
二十四節気、七十二候
六曜、九星、三隣亡(さんりんぼう)
節句、雑節、月齢、
暦記法
元号、西暦、和暦
日にち、曜日
干支
暦注
旧暦
元嘉暦、儀鳳暦、大衍暦、五紀暦、宣明暦、貞享暦、宝暦暦、寛政暦、天保暦
新暦
グレゴリオ暦
紀元
神武天皇即位紀元

年中行事

花見

七夕の笹飾り

除夜の鐘
宗教的なものが濃い年中行事は#宗教に記載。
各日の行事については、メタリンク 365日を参照。
農業類に関する行事も戦前ごろまで大きな行事であったが、農家の減少や機械化により少なくなっている。(農事暦参照)
1月 - 正月(三が日は1日〜3日)、新年、正月飾り、初夢、年賀状、新学期、初詣、七草粥、新年会、鏡餅(鏡開き)、左義長
2月 - 節分、春分、春闘、バレンタインデー(14日)
3月 - 雛祭り(3日)、卒業、春の彼岸、ホワイトデー(14日)
4月 - 入学、新学期、四月馬鹿(エイプリルフール)(1日)
5月 - メーデー(1日)、端午の節句(5日)、ゴールデンウィーク(3日、4日、5日を中心に連休の長さにより毎年変動)、母の日(第2日曜)
6月 - 衣替え、父の日(第3日曜)
7月 - 七夕(7日)、暑中見舞い
8月 - 残暑見舞い、お盆、お中元
9月 - 新学期、防災(1日)、秋分、十五夜、秋の彼岸、敬老の日(第3月曜)
10月 - 衣替え - ハロウィン(31日)
11月 - 七五三、ブラックフライデー(第4金曜日)
12月 - お歳暮、忘年会、クリスマス(24日、25日)、大晦日・除夜の鐘(31日)、年越し蕎麦

期日が定まっていないもの
主に春のもの - 花見
主に夏のもの - 海開き、山開き、海水浴、水泳、花火、夏祭り
主に秋のもの - 運動会、文化祭、学芸会、月見、秋祭り
主に冬のもの - 雪祭り、雪見、ウィンタースポーツ
祭り⇒下の項目“日本の祭り”へ。
季節
国土の大半が温暖湿潤な気候帯に属し、春夏秋冬がはっきりと推移するこの国においては、この気象条件から、稲作による定住生活が生活の基盤となった。それゆえ、この国に棲む人々は四季の移ろいに敏感で、穏やかではあるが自然に対して感受性の鋭い国民性が育まれた。また、周囲を海に囲まれ個立した島国であることで、他民族との接触に一定の制御が加えられ、前記の特質に加えてさらに、独特の繊細で豊穣な文化を醸し出す下地ともなってきた。
春 - 春雨、春の嵐
夏 - 梅雨、暑中、残暑
秋 - 秋雨、台風
冬 - 寒中、降雪、吹雪
四季、二十四節気、歳時記、季語
祝日
国民の祝日
その他
冠婚葬祭

地域の祭り
地域の祭りについてはCategory:日本の祭り
日本全国で有名のものや主のものについて挙げる。
青森ねぶた、三社祭、祇園祭、天神祭、阿波踊り
日本で古くから行われている祭りでは神を祭る行事として神輿や御神体を使って行われていることが多い。神を称え、豊作や健康を祈ったり、邪悪なものを吹き飛ばすというような意味合いも込められる。祭りは時期を問わずさまざまなものが行われ、キリスト圏でいう「クリスマス」や「ハロウィン」というように祭りが一日に集中するような日というものは特にないが、季節で見ると夏に多く行われ、盆踊りや花火大会が多く開催される。

宗教

詳細は「日本の宗教」および「日本#宗教」を参照
日本では、仏壇(仏教に従って先祖や故人をまつる)と神棚(神道の神をまつる)が両方あるという家庭もあり、いっぽう近年では、そのどちらもないという家庭も増えている。

特定の宗教・宗派に個人的に関わる人も多いが、日本人は全体として宗教意識が希薄であり、事実上の無宗教に近い人々が多数派である。一般的に葬礼は仏式で行われることが多く、結婚式はキリスト教式あるいは神式で、といった宗教形式の混在現象が見られる。日常的に特定の宗教を熱心に信仰するというよりも、事ある毎に個人や家族あるいは団体で、適宜宗教行事として関わるという傾向が顕著である。墓式に関しては、家族の関わる仏教各宗派に属するものが圧倒的に多いが、最近では無宗教のものも増えている。宗教施設の中には神仏習合の権現として参拝の対象になっている例も存在する。また現世利益(世俗)的なものもあるが願掛けなど宗教行為をおこなう所が民間信仰に限らず寺社の中にもあり、これらは観光名所になっている事も多い。

神道
八百万の神
鎮守神、産土神、氏神
神社 - 神道信仰のための施設。大小含めて日本全国に11万ほどある。
神社建築、鎮守の森
鳥居 - 神域と人間が住む俗界を区別するもの。
狛犬 - 神社を守るとされている想像上の獣の像。
神体
神棚、神具

神事、神楽、神酒、神饌、直会
例大祭、新嘗祭、祈年祭、歳旦祭、紀元祭、天長祭、大嘗祭
神幸祭、神輿、御旅所、地鎮祭、上棟祭
祝詞
禊、祓
神典
日本神話
高天原、葦原中国、黄泉
日本の神の一覧
神道用語一覧
神社一覧、神社本庁
神職
氏子組織

拍手

仏教
仏陀
仏教公伝
日本の仏教
寺(寺院) - 出家者が起居し宗教的儀式を行う施設。日本全国に7万ほどある。
本堂
山門
仏塔
本尊
仏像 - 仏を模した像。
仏壇、仏具
法要
灌仏会、成道会、涅槃会、盂蘭盆、彼岸、除夜の鐘
仏典、経典
奈良仏教、平安仏教、鎌倉仏教
密教
浄土、極楽、念仏
禅、坐禅
仏教用語一覧
仏の一覧
日本の寺院一覧
僧侶
檀家組織

合掌

神仏習合・民間信仰
定義上、上記2項目に含まれているものもある。

本地垂迹
権現 - 仏教の仏を本地仏としているが、実質上神と同一視し祀っているもの。
神宮寺
修験道、山岳信仰
陰陽道、風水
七福神、えびす信仰
庚申信仰
銅鑼

キリスト教
各地にキリスト教会があり、クリスマスなどの行事は多くの日本人に親しまれているが、キリスト教の信徒は人口の0.8%程度と少ない。カトリック系が最も多い。

その他の宗教
新宗教
イスラム教
信徒は少ないがやや増加の傾向もある。
ユダヤ教
信徒はごく少ない。
その他
憲法において「信教の自由」が謳われており、少数でありながらも様々な宗教が信仰されている。
神仏習合・神仏分離
政教分離の原則

言語

日本の言語について、詳しくは日本語の方言や日本を参照。
日本の法律、公文書等には日本語が用いられており、日本語が公用語である(裁判所法第74条に裁判では日本語を使うことが規定されているほかは、法律上の明文はない)。実際に使用される場面も日本語が最も多い。

古代から使われてきた言葉は大和言葉であるが、中国の影響もあって高い割合で漢語が使用されるほか、明治時代以降は英語などの外来語やそれを翻訳した和製漢語も多く使われている。英会話が苦手だという日本人は多いが、英語に由来する外来語(例:グローバルスタンダードなど)は好んで使われ、和製英語という日本独自の「英語」も生まれている。歴史的経緯や国際化の進展によって、標識や看板などで英語や朝鮮語(韓国語)、中国語、ポルトガル語、ロシア語などの併記も行われるようになってきている。

日本語には多様な方言があり、地域によってかなりの違いがある。しかし明治時代に東京方言を基盤に標準語・共通語が整備されて以降、学校教育やマスコミ等の影響で東京をも含め全国で伝統的な方言は衰退していく傾向にある。

日本語
共通語、標準語
上代日本語、中古日本語、中世日本語、近世日本語
日本語の音韻、日本語の起源、日本語の表記体系、日本語の方言
漢字
漢字制限、当用漢字、常用漢字、教育漢字、人名用漢字
音読み、訓読み、国字
仮名
ひらがな、カタカナ、万葉仮名、変体仮名、ローマ字
現代仮名遣い、歴史的仮名遣い
文法
敬語
品詞
その他
日本語の乱れ
言霊
国語
沖縄県と鹿児島県奄美群島における諸方言は、総称として「琉球方言」と呼ばれる。琉球諸島の言語は本土と口頭では互いに通じないほどの違いがあり、また島が違うと意思疎通が困難なほどの著しい多様性を持っていたため、言語として「琉球語」ないし「琉球諸語」とも呼ばれている。。現在、沖縄県においてはウチナーヤマトグチと呼ばれる日本語の新方言が話されている。

日本語以外
アイヌ語
日本では北海道を中心に千島、樺太でも使用されていた。アイヌ人が使用していたが、現在では日常会話に使っている者はほとんどおらず、話者が激減し数百名しか話せる人がいない、危機言語(話者がいなくなるおそれのある言語)である。
その他
日本に数多く暮らす在日朝鮮人・韓国人は、日本語を使う者が多数派になっている。朝鮮語(韓国語)も使われており、日本では日本語に次いで話者が多い。しかし、日本で話される朝鮮語は日本語の影響を受け、在日朝鮮語と呼ばれる日本化した朝鮮語になっている。
他にもブラジル人のポルトガル語などが一部地域でよく話されている。

娯楽・レジャー

娯楽
比較的古く(近世以前)からある娯楽
能、狂言、歌舞伎、文楽、落語、講談(講釈)、浪花節(浪曲)、寄席
比較的新しい(近代以降)もの
演芸、演劇、お笑い、漫才、コント、手品(和妻)、サーカス(曲馬団)、ミュージカル、レビュー
賭博
パチンコ、パチスロ
公営競技
競馬
競輪
競艇
オートレース
富籤
宝くじ
スポーツ振興くじ
娯楽施設
遊園地、テーマパーク、映画館、シネマコンプレックス(シネコン)
飲酒
居酒屋、焼き鳥屋・焼き豚屋、おでん屋、料亭、スナック、クラブ、バー、屋台
外食
蕎麦屋、うどん屋、牛丼屋、寿司屋・回転寿司、カレーショップ、ファミリーレストラン、定食屋、お好み焼き屋、カフェ・喫茶店、出前・ケータリング

旅行・観光・行楽

道後温泉本館(重要文化財・近代和風建築)
日本人は旅行好き、観光・行楽好きと言われる。

公園 - 国定公園、国立公園、国営公園
温泉、湯治 - 日本の温泉地一覧、日帰り入浴
観光地 - 日本の観光地
ツアー(団体旅行)、海外旅行、パック旅行
修学旅行、遠足、キャンプ
卒業旅行、新婚旅行、慰安旅行
講(お伊勢参り・富士講など)、七福神めぐり、巡礼、初詣、彼岸参り
宴会、芸者遊び、カラオケ、名曲喫茶、歌声喫茶、ジャズ喫茶、ジャズクラブ
イベント(催し物)

遊び
「こどもの文化」も参照
伝統的

ボードゲーム - 双六、福笑い
カードゲーム - かるた、花札
美術 - お絵かき、ぬり絵
手先 - お手玉、折り紙、あやとり、せっせっせ、リリヤン、プラモデル、竹とんぼ
賭け事 - ビー玉、めんこ、べーごま、おはじき
射的 - ぱちんこ(スリングショット)、ゴム鉄砲、吹き矢、空気鉄砲
曲芸 - 凧揚げ、剣玉、独楽、竹馬、ホッピング、フラフープ
社会 - ままごと、人形ごっこ、忍者ごっこ、探偵ごっこ、電車ごっこ
鬼 - 鬼ごっこ、かごめかごめ、かくれんぼ、缶けり、だるまさんがころんだ、ドロケイ(ドロジュン、泥棒と巡査、泥棒と警官)
陣取り - ひまわり、Sけん(エスの字けんけん)、はないちもんめ、馬乗り
競技 - ゴムとび、羽根突き、石蹴り、馬跳び
戦い - 相撲、チャンバラ、銀玉鉄砲、水鉄砲
食べ歩き - 縁日、駄菓子屋、お祭り
自然

川遊び、磯遊び、砂遊び、山歩き
木登り、花摘み、昆虫採取(亀、トカゲ、清水蟹、ヘビなどの小動物の採取)、釣り(ザリガニ、クチボソ)、探検(下水道、防空壕、離れ小島)、基地作り


つくし採り、山菜取り


海水浴、花火、潮干狩り、肝試し、怪談話、サーフィン、ヨット


たき火、銀杏採り、各種秋の味覚狩り
冬・雪

おしくらまんじゅう、かまくら、雪合戦、雪だるま
スキー、スケート、そり、スノボー
学校・球技

枕投げ、一輪車
野球(三角ベース、キックベース、ゴロベース、はさみ鬼)、ソフトボールサッカー(フットサル)バスケットボール(ストリートバスケ、3on3)、ドッジボール
近代的

テレビゲーム、ゲームセンター
プリクラ、シール(遊び)
テーブルトークRPG
サバゲー
ネットサーフィン
オンラインゲーム
携帯電話の絵文字[5]。

スポーツ

「日本のスポーツ」も参照

伝統のスポーツ
大相撲、柔道、空手道、合気道、日本拳法、少林寺拳法、なぎなた
剣道、弓道、杖道、居合道、古武道
蹴鞠(けまり)、流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)・鷹狩(たかがり)
日本泳法

近代以降のスポーツ
明治時代以降、海外の影響を受けて野球、テニス、ボート、陸上などの競技が学校を中心に導入された。特に野球は人気が高く、草野球でも楽しまれるほか、プロ競技の観戦も好まれる。ゴルフは社交として戦後盛んになり、接待で行われることも多い。

選手の育成・技能の向上
スポーツクラブ、各種運動部会、合宿練習、稽古、試合、道場
アマチュア・プロ選手

レクリエーションとしてのスポーツ
アウトドアスポーツ(いずれも日本では趣味としての認識が強い。)
マインドスポーツ(日本ではスポーツとしてではなく趣味や娯楽として認識されている。)
ジム、フィットネス、ヨガなど
運動会(体育祭)、スポーツ少年団、各種サークル活動
スポーツ観戦
大相撲、プロ野球、高校野球、Jリーグ、格闘技(プロレス・K-1・空道)、天皇杯、駅伝、ラグビー、

趣味・嗜好・教養

和歌、俳句、短歌、川柳、狂歌
都々逸、小唄、三味線、尺八、民謡、カラオケ
茶道、香道、華道(いさかさはやけばな)、盆景
将棋、囲碁、オセロ
ラジオ講座・テレビ講座、カルチュア・スクール、生涯教育(社会教育)、各種サークル活動
嗜好品
収集展示施設(博物館法による博物館)
博物館、資料館、美術館、文学館、歴史館、科学館、水族館、動物園、植物園

文学・美術・音楽・映画など

文学
日本文学
日本の詩、和歌、短歌、俳句、川柳、連歌、狂歌、漢詩、かな文学
純文学、大衆文学、私小説、ケータイ小説、ラノベ、読本(よみほん)、円本
漫画、コミック
美術

詳細は「日本美術史」を参照
日本の絵画
大和絵
日本画
浮世絵
工芸・陶芸
蒔絵、螺鈿、彫金、紙工芸
陶器、磁器、漆器、籐編み
日本人形、木目込み人形
七宝焼き
芸道
日本の芸道
書道、茶道、華道、香道
舞、日本舞踊
伝統芸能
音楽
Category:日本の音楽
邦楽、J-POP
演歌
雅楽
現代雅楽
民謡
声明
吹奏楽
Category:日本の伝統音楽
邦楽のジャンル一覧
日本の楽器(和楽器)
琴、箏、三味線、琵琶
和太鼓、鼓(つづみ)
鉦(かね)
尺八、笙、篳篥(ひちりき)
映画
日本映画
日本の映画作品一覧
アニメーション映画
特撮映画
年度別日本公開映画
園芸
園芸植物
菊・朝顔・桜草・花菖蒲・万年青・イワヒバ・カラタチバナ・万両・ヤブコウジ・松葉蘭・長生蘭・富貴蘭・東洋ラン・桜・椿…
盆栽
学問
国学、蘭学
儒学
算道、和算
地震学、本草学
その他
日本庭園 - 枯山水

情報・通信・マスメディア

情報・通信・マスメディアの発達は日本文化に大きな影響を与えている。

Portal:メディア
放送
放送局
プロジェクト:放送局
プロジェクト:放送番組
プロジェクト:テレビドラマ
プロジェクト:コミュニティ放送局
プロジェクト:ケーブルテレビ局
印刷物関係
新聞
新聞社・新聞販売店
出版・書店
教科書、辞書・辞典
本(単行本・文庫・新書)
雑誌(月刊誌・週刊誌)、フリーペーパー、瓦版
新刊書店、中古書店
図書館、貸本屋
広告・宣伝・広報(公報)
広告代理店、通信社
放送広告(CM:コマーシャル)・新聞広告
屋外広告・看板、ポスティング(チラシ配布)
政府広報、自治体広報
その他
インターネット
ウェブサイト、メール、メッセ、チャット、掲示板、ソーシャル・ネットワーク・サービス
ケーブルテレビ、ひかりテレビ
バーチャルリアリティ
電話、電報、ファックス、ケータイ(携帯電話)
郵便、宅配便
新幹線、宅急便
デスクトップパソコン - ノートパソコン - タブレット (コンピュータ) - タブレットPC - タブレット端末 - Ultrabook - スマートフォン - カーナビゲーション - UMPC - 現金自動預け払い機 - 複合機 - 電子書籍 - 3Dプリンタ - IP電話 - テレビ電話 - テレビ付インターフォン - ウェアラブルコンピュータ

大衆文化など

日本のインターネット
ラジオ体操
日本のロック、日本のヒップホップ
アニメ - 漫画
お宅 - 腐女子
少女文化
特撮
ヤンキー - ヤクザ
日本のゲイ文化
家事
MRJ - HondaJet
萌え - 燃え
巡礼 (通俗)

脚注

^ 針供養などの、針を含めた道具にも魂が宿るとする考えは仏教では、邪道とされた
^ 仏教と密教を別の宗教とする宗教学上の見解も多い
^ 儒教は哲学や思想であるが宗教ではないとする見解もある
^ 古くはキリシタン文化
^ 「カラオケ、エモジ…」 オバマ氏、日本語交え、安倍総理を歓待産経新聞2015.4.28

関連項目

日本化
日本文明
折り畳み
日本を意味する和の一覧

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、日本の文化に関連するカテゴリがあります。
皇室に伝わる文化 - 宮内庁
文化庁
文化遺産オンライン (文化庁)
日本文化構造学研究会 Research Center of Japanese Culture Structural Studies, The Japan code/Principle & Origin of Japanese culture
欧米人から見た日本-日本関係の英語文献紹介-
日本文化の検索エンジン JapanType
「菊と刀」と日本人
最終編集: 4 時間前、匿名利用者
関連ページ
伝統宗教
神道事務局
神道系包括団体一覧
Wikipedia

本州

2017-12-26 10:43:34 | 記録
Wikipedia

本州
日本の主要な島の一つ

本州(ほんしゅう)は、島国である日本の最大の島である[3][4][5]。極東そして東アジアの沿岸沖に位置し、最高標高3,776m、面積227,942.85km2[1]。世界の島の中では、面積はインドネシアのスマトラ島に次ぐ第7位[6]、人口はジャワ島に次ぐ第2位である[7]。

本州
座標 北緯35度0分0秒 東経135度0分0秒 / 北緯35.00000度 東経135.00000度
面積 227,942.85[1] km²
海岸線長 10,084[2] km
最高標高 3,776 m
最高峰 富士山
最大都市 東京
所在海域 太平洋(日本海・フィリピン海)
所属諸島 日本列島
所属国・地域 日本
地質学や考古学などでは本州島という名称も使用される[8][9]。

本州には34の地方公共団体がある(1都2府31県)。日本国内では、本州とその付随する島を合わせて「本州地方」と言うが、単に「本州」と呼称する場合もある[10]。本州は、北海道からは「内地」、沖縄や他の島からは「本土」などと呼ばれることもある。

「本州」という名は、日本の主要な島であることに由来し、古代の呼称は「秋津島」・「秋津洲」(あきつしま、あきづしま)などが知られる(本州#歴史書における呼称)。

目次
地理

「日本の地理#本州」も参照
ユーラシアの東端(欧米から極東と呼ばれる地域)そして東アジアの中でも特に東方の沿岸沖に位置し、北海道島、四国島、九州島、付随する島とともに日本列島を構成している。日本列島は日本海を囲むように弓状に伸びており(写真参照)、こうした形状はプレートの境界域に形成された列島によく見られる弧状列島の特徴である。

本州は主に付加体(プレートテクトニクスにより、海洋のプレートが海溝に沈み込む際に、海洋プレートの上に堆積したさまざまな岩石が陸側のプレートに押しつけられて付加したもの)と火山活動による岩盤からなる。

地質学的には、ユーラシアプレート東端、北アメリカプレート南西端、フィリピン海プレートの北端がこの本州付近で衝突しており、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界線がフォッサマグナとなっている。また、このフォッサマグナを中心に、本州の東西軸と南北軸が入れ替わり、弓状となっている。

本州は日本の国土の面積の約60%を占め、人口の約80%を擁する。同島内に都府県庁所在地を置く都府県の2005年(平成17年)国勢調査人口の合計(本州と付随する島を含む)は1億333万9272人[11]、2014年(平成26年)10月1日の面積合計(本州と付随する島を含む)は227,943.05km2[12]。

首都たる東京都は、太平洋側で、島のほぼ東西軸と南北軸が入れ替わる中央に位置する。34の都府県に分かれる。

日本列島の他の主要な3つの島(北海道、九州、四国)とは青函トンネル、本州四国連絡橋、関門橋、関門トンネルで連結されている。

北端:青森県下北郡大間町の大間崎(北緯41度33分)
南端:和歌山県東牟婁郡串本町のクレ崎(北緯33度26分)
東端:岩手県宮古市のとどヶ崎(東経142度4分)
西端:山口県下関市の毘沙ノ鼻(東経130度51分)

行政

東北地方
青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県・福島県
関東地方
茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県
中部地方
新潟県・富山県・石川県・福井県・山梨県・長野県・岐阜県・静岡県・愛知県
近畿地方
三重県[13]・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県
中国地方
鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県

歴史書における呼称

詳細は「国産み」を参照
日本は6,852の島で構成される島国であるが[4]、日本最古の歴史書 『古事記』 (712年献上) では、「日本」を「大八島国」(おおやしまのくに)と呼び、「八つの島」の総称としている。(登場順に現代の呼称表記で、淡路(あわじ)、四国、隠岐(おき)、九州、壱岐(いき)、対馬(つしま)、佐渡、本州 )

この中で8番目に登場する「本州」の原文での呼称表記は2つ示されており、「大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)」と「天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)」である。

『日本書紀』(720年完成)では、「日本」を「大八洲国」(おおやしまのくに)、「本州」を、「大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)」と表記している。

脚注

^ a b “平成28年全国都道府県市区町村別面積調 島面積 (PDF)”. 国土地理院 (2016年10月1日). 2017年2月27日閲覧。
^ 『日本統計年鑑 平成26年』(2013年)p.17 - 1986年(昭和61年)、海上保安庁による計測。
^ 『理科年表 平成19年版』(2006年)p.565によると、日本の島の面積上位10島は、本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬
^ a b 島国(領土がすべて島から成る国)である日本を構成する6,852の島に対する『国土交通省』による区分け 6,852島(本土 5島 ・ 離島 6,847島)。[出典] “アーカイブされたコピー”. 2007年11月13日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年8月22日閲覧。 『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識)2009年11月27日閲覧。
ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。(島 :オーストラリア大陸の面積未満で、四方を水域に囲まれる陸地)
^ 【参考】 島国一覧 (領土がすべて島で構成される国)
^ 世界の島の面積順位より抜粋 ( 出典 List of islands by area )
第1位 グリーンランド
第5位 バフィン島 (カナダ) * 人口10,745人(2006年) - 本州の2.23倍、日本の1.34倍の面積
第6位 スマトラ島 (インドネシア共和国)
第7位 本州
第8位 ビクトリア島 (カナダ) * 人口1,707人(2001年) - 本州の95%、日本の57%の面積
第9位 グレートブリテン島 ( イギリス(イングランド・スコットランド・ウェールズ) )
第20位 アイルランド島 ( アイルランド共和国およびイギリス(北アイルランド) )
第21位 北海道
第27位 デヴォン島 (カナダ) * 世界最大の無人島
第36位 スピッツベルゲン島 (ノルウェー)
第37位 九州
第49位 バナナル島 (ブラジル) * 世界最大の川の中の島
第50位 四国
^ 世界の島の人口順位(島の一覧 (人口順))
^ “地球ダイナミクス講座”. 竹内 章 富山大学理学部教授. 2009年4月閲覧。
^ 本州島東北部の弥生社会誌. 六一書房. (2004年6月). ISBN 978-4947743220.
^ 海外では、「本州」の表記として、「Honshu」、「Honshu Island」、「the main island of Japan」などが、一般的にまた報道分野においても使用されている。
^ 平成17年 都道府県・市区町村別統計表(一覧表)(独立行政法人統計センター「平成17年国勢調査」)
^ 島面積 平成26年10月1日時点 (PDF) 国土地理院
^ 東海3県として中部地方に入れられることもある。

参考文献

国立天文台編 『理科年表 平成19年版』 丸善株式会社、2006年。ISBN 4621077635
総務省統計局 『第六十三回 日本統計年鑑 平成26年』 総務省統計局、2013年。

関連項目
ウィキメディア・コモンズには、本州に関連するメディアおよびカテゴリがあります。
日本、日本列島、本土、離島、四島
日本の地理、日本の地域、東日本、西日本
島、島国、島国一覧(領土がすべて島で構成される国)
世界の島の面積順位・英語版
世界の地理、アジアの地理、アジア、東アジア
国の一覧 (大陸別)

外部リンク

島面積 平成27年10月1日時点 国土地理院
最終編集: 3 か月前、InternetArchiveBot
関連ページ
本土
四島
ウィキメディアの曖昧さ回避ページ
日本の島の一覧
ウィキメディアの一覧記事
Wikipedia

日本一周

2017-12-25 10:15:05 | 記録
Wikipedia

日本一周

曖昧さ回避 この項目では、日本をひとまわりすることについて説明しています。田山花袋の紀行文については「日本一周 (田山花袋)」をご覧ください。

日本一周(にほんいっしゅう、にっぽんいっしゅう)とは、日本各地を巡り、日本をひとまわりすることである。

目次
概要

広義には、日本各地を巡ることであるが、一口に「日本をひとまわりする」といっても、その解釈は様々である。

主なものとして

日本の外周(海岸線沿い)を一周すること(後述)
日本全ての都道府県(47都道府県)を踏破すること
全国各地にある、特定の事象をすべてめぐること(全ての道の駅を回る、スタンプラリーを行う、など)
などが挙げられる。このため、日本一周が必ずしも同じ行程を指すとは限らず、むしろ日本一周を実行した個人個人により行程もルールも様々である。ただし、例えば本州だけを回っても、通常はこれを日本一周とは呼ばないなど、ある程度の制限も存在する。

交通手段では自転車やオートバイや自動車など特定の手段のみを用いることをルールとしたり、鉄道や路線バスなどの公共交通機関だけを利用することをルールとしたり、逆に全行程を徒歩のみで移動することをルールとするなど、様々な制約を設けることがある。

行程についても、スタートからゴールまで中断なく一周しなければならないとする者(この場合はかなりまとまった余暇が取れることが条件となる)や、ルートの途中で旅を中断しても後に中断地点から再開すれば良いとする者など、行程面でどのような制約を設けるかについても様々である。時間制限を設ける場合もあるが、それも一定ではない。したがって日本一周にかける期間も様々である。

海岸線を一周

日本は島国であり、海岸線に沿ってゆけば日本の周囲を回って戻ることができる。海岸線沿いに四島(あるいは三島)を回って日本一周ということもできる。単純に海岸沿いを踏破するケースもあるが、海岸から最も近い道路(あるいは公共交通機関)を通行するケースが多く見られる。また、海岸沿いの幹線道路を通ることで一周とするケースもある。このほか、日本海・太平洋の両方を経るなどによって、船により、海から日本列島の周囲を一巡することもある。

ただし、この場合は海岸線に面していない京都市などの内陸都市を巡っていなくても日本一周とすることになる。都道府県単位で見ても、海に面していない栃木県・群馬県・埼玉県・山梨県・長野県・岐阜県・滋賀県・奈良県の8県は(海岸線一周としての)日本一周からは外れることになる。

また、この場合は沖縄諸島などの離島の扱いも人により様々である。離島を除外する者も多いが、種村直樹の連載「日本外周気まぐれ列車」のように南西諸島・壱岐・対馬など特定の島嶼部を含めて踏破する者も少なからず存在する。

列島縦断と列島横断

日本列島は南北に長いため、日本列島に沿うように縦(=南北、厳密には南西~北東方向)に通り抜けることを列島縦断と呼び、日本海側と太平洋側を結ぶように日本列島を横切ることを列島横断と呼ぶ。

関連項目

世界一周
完乗 (乗り潰し)
いい旅チャレンジ20,000km - 国鉄全鉄道路線の完乗を目的とする
列島縦断 鉄道乗りつくしの旅〜JR20000km全線走破〜 - JR全鉄道路線の完乗を目的とする
列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜 - JR片道切符
ザ!鉄腕!DASH!! - 「ソーラーカー 一筆書きで日本一周」としてソーラーカーによる日本一周の旅のコーナーを放送した
サイクル野郎 - 主人公が自転車で日本一周をするマンガ作品
大日本沿海輿地全図 - 江戸時代末期に伊能忠敬とその弟子が日本全土を周り、実測して作り上げた地図
長距離自然歩道 - 環境省が中心となって各都道府県が整備している、複数の都道府県間を結ぶ歩道
くろまる (音楽グループ) - 日本一周ツアーを2011年から2012年にかけて達成。
最終編集: 1 年前、山田晴通
関連ページ
完乗
宮川泰夫
列島縦断
Wikipedia

探検

2017-12-25 10:11:42 | 記録
Wikipedia

探検

探検(たんけん、探険)とは、未知の地域へ赴いてそこを調べ、何かを探し出したり明らかにする行為のことであり、一般には危険を伴うものとされる。探険の文字を使う場合、危険を冒すという意味合いが強くなる。踏査、検分などが類義語として挙げられる。

冒険との違い

使われている漢字から意味を考えると『冒険』は危険を冒すと書き『探検』は探り、しらべると書く。冒険は危険な事にチャレンジし克服する事を目的とするが、探検の場合、未知なることを探りしらべる事が目的であり、その過程で危険を伴うことが多いため両者は混同されやすいが『けん』の字が異なるように本来別の意味である。全ての冒険が探検でないように、全ての探検が冒険ではない。しかしながら、これまで行われてきた探検の中には、命を危険にさらすようなものも少なからずあり、古い時代であったり、過酷な環境下ではことさら危険度が高かった。そうした探検は特に「探険」と表記され、探検と区別されたが、現在では同義語として扱われる場合もある。探検と冒険は共に名詞で、日本語では語感が似ているために、混同されているという見方もあるが、両者を意味する単語の語感が似ていないような国でも、欧米(例:英語ではそれぞれ explorationとadventure)ではマスメディアの影響などで混同されることも多い。

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、探検に関連するカテゴリがあります。
探検家
博物学、地理学
調査、地域調査、フィールドワーク
巡検
測量
民族誌、民俗採集
植民地
登山
洞窟潜水

執筆の途中です この項目は、地理用語に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:地理学)。
最終編集: 2 か月前、YiFeiBot
関連ページ
冒険小説
探検家
冒険

Wikipedia

冒険

2017-12-25 10:08:49 | 記録
Wikipedia

冒険

冒険(ぼうけん)とは、日常とかけ離れた状況の中で、なんらかの目的のために危険に満ちた体験の中に身を置くことである。あるいはその体験の中で、稀有な出来事に遭遇することもいう。こうした冒険の体験者は多くの場合その体験報告を書いたりするが、荒唐無稽と一笑に付されることもあれば、またその内容に驚嘆されることもある。

こうした冒険に敢えて挑戦する人のことを冒険者(ぼうけんしゃ)と呼ぶ。冒険には危険や、成果を上げられる確率の低さがつきもので、この意味でいつの時代にも未知なものへの挑戦、探検もすべて冒険と呼ばれてきた。新しい海路の開拓、山岳、アフリカの奥地、知られざる文明や文化の探索、自動車や航空機の速さへの挑戦など、すべて広い意味での冒険である。

語義は「険(けわし)きを冒(おか)す」。あぶないところにあえて(勝手に、ひそかに)入っていく意。英語のadventureは投機、山師の意を含む。語源はラテン語のad+venio(あることに向かって行く、あることに挑む)。

目次
神話・創世記のなかの冒険

詳細は「貴種流離譚」を参照
神話学の一つの視点としてモノミスMonomyth(en)の理論がある。これは、すべての文明に見られる神話にはある種の基底構造があるとする仮説であり、ジョーゼフ・キャンベル(en)は『千の顔を持つ英雄』(en)モデルを提示している。この中でジョーゼフは、全ての神話上の英雄には基本的に同じパターン(ヒーローズ・ジャーニー)が見られるとする[1]。日本ではスサノオ神話やヤマトタケルの物語、マヤ神話ではフンアフプーとイシュバランケーの冒険譚、ギリシャ神話ではオイディプースやヘーラクレースの神話などが有名である。

古代の冒険

文書で残された最初の冒険といわれるのは、ギルガメシュ叙事詩だろう。古代にはその他にも報告として残されている冒険がいくつかある。例を挙げれば、古代地中海世界での屈指の冒険的な事件、トロイア戦争の経緯とその後日談を描いた「イリアス」、オデュッセイアがまず挙げられるだろう。後者は、トロイア戦役からのギリシア軍の参謀役であったオデュッセウスの帰国の旅を描いたもので、当時の海洋航海の危険を虚実取り混ぜて描いている。同じくギリシア神話の中の冒険としては、アルゴー遠征隊の冒険が、物語や映画にもなって広く年齢を超えて、古代の冒険としては親しみのあるものになっている。 アジアでも、秦の時代、徐福が不老不死の薬を求めて、日本などに遠征の旅に出されている。 また、戦争や戦役を重ねての個人史の記録もまた、冒険的な日々を物語るものと考えられるなら、カエサルの『ガリア戦記』もこの方面の最も古い記録として留意されるべきだろう。

中世の冒険

中世の初期には、ゲルマン民族の大移動などに関連して、騎士や英雄たちの物語の幾つかが例として挙げられる。例えばアーサー王伝説、「ローランの歌」、ニーベルンゲンの歌など、枚挙に暇がない。 ヨーロッパの中世で、最大の冒険といえば十字軍の遠征が挙げられるだろう。度重なる遠征には、宗教上の動機の他、さまざまな利害、名誉、権勢への欲望も混入していたが、少年十字軍のような純粋な動機が、逆に悲劇を生み出したといったものもある。

ゲオルギウス伝説のような竜退治の冒険譚は、他の中世的モチーフと共に、後世のファンタジー・ロールプレイングゲームのストーリー原型となった。

近世・現代の冒険

ルネサンスから今日に至る発見の数々は、その時代にあっては確かに冒険であった。例を挙げるなら、アメリカ大陸を発見したり、フィリピンまで到達したスペイン人やポルトガル人航海者が挙げられる。とりわけ、アレクサンダー・フォン・フンボルトやデイヴィッド・リヴィングストンのような人たちの研究探索旅行、極地探検家としてのジョン・フランクリンなど、彼らもまた冒険者の名に値するだろう。今日の宇宙空間への飛行もまた「人類の最大の冒険」という呼び方をされるのは周知のことである。

ただ議論の余地があるのは、戦争への従軍を冒険と呼ぶか否かというケースである。フランス革命以降、軍隊の主力が傭兵から市民兵に移行し始め、また王立軍の中核に志願兵が参加し始めたことなど、とりわけクリミア戦争におけるトルストイやスペイン内戦におけるヘミングウェイなど、後の偉大な文学者が兵士として参戦したことなども、従軍を冒険と捉える傾向に大きく影響している。第一次世界大戦あたりまでは、戦争をそのように美化する傾向もなかったわけではない。戦記物や従軍記は書き手の筆致により冒険小説のような痛快さを演出することがあるものの、戦場の現実が明らかにされるようになるにつれ、その本来の危険性(危険を冒す)もまた明らかになった。

「強制され集団的に戦地に送られたものであって、自発的な冒険の名には値しない」として否定する向きが多い。さらに戦争という行為を遂行すること自体、個人を人に対する戦いという集団的な狂気に飲み込んでいくようなもので、冒険の名はふさわしくないとされることも多い。T・E・ロレンスの『知恵の七柱』などのように従軍記録を元にしたすぐれた文芸作品も多く存在するが、実際の行為の正当性については多く議論が分かれる。

現在は未開の地はほとんどないが、エベレストや南極大陸など人類の多くが足を踏み入れる事が困難な場所に行くことも冒険といえるだろう。しかし、この場合探検と区別がつきにくいので、冒険の定義はやや曖昧となってしまう。

学術調査としての冒険

自然科学の発展と冒険の歴史は密接不可分であり、多くの冒険は現地踏査を目的として行われてきた。常人の立ち入れない領域に分け入り測量し、動植物や鉱物等の蒐集や観察を行うことは博物学の主要な研究手法である。近世では地図作成を目的とした航海や登山、秘境・極地踏査など、またダム建設や鉄道敷設のための実査がさかんに行われた。博物学者ダーウィンが乗船したのは英国海軍の測量船であった。現代でも宇宙探査や深海探査、ケーブダイビングなど人間を現地に送り込む手法での調査が行われる。実査や実証において、生身の人間が現実に踏査するという行為は、論理的な妥当性以上に価値があると見なされる。火星や金星に無人観測機は到達しているが、多くの人にとって人類はまたそれらの惑星に到達したとは考えられていない。地理的な冒険だけではなく、不測の事態を前提としたある種の実験には冒険的要素が多分に含まれる。その結果として爆発事故や環境汚染など、医薬品や医療器具の生体実験の場合では深刻な後遺症や生命の危険をもたらすことがある。(参照:探検)

挑戦と冒険

現代的な冒険の多くは、新たな記録に挑んだり、より困難な手法で目標を達成するといった挑戦(challenge)の傾向が強い。単独無寄港世界一周や無着陸世界一周などといった挑戦、世界最高峰への無酸素単独登頂などの冒険は人間や技術の可能性に挑戦する目的での冒険である。また個人が特別な覚悟をもって挑戦するものもあり、ドーバー海峡遠泳やアメリカ大陸横断レースなどがこの種の冒険に挙げられる。

冒険の文学的表現

冒険物語の典型としての貴種流離譚は自然発生的で、世界の各地に見られる物語の形態である。ヘラクレスの冒険やスサノオとヤマタノオロチ、マヤ神話にも双子の英雄による冒険譚が描かれている。近代の文学的な表現形態として、冒険小説というものがある。海洋国家としての伝統あるイギリスには、海洋冒険小説の伝統がある。またSF小説、ファンタジー小説の世界では秘境冒険小説が大ブームとなったことがある。

ゲームとしての冒険

冒険という言葉は、ロールプレイングゲームとして紙の上で筆記用具を用いて行われるテーブルゲームにも使われている。ここでは完全に完結した空間の中で物語が終結することになる。しかし、一つ一つの冒険というものは、ひとつの戦役、キャンペーンとは違って、ひとつの冒険がまたつぎのそれを生み出し、一続きになっていくものが多く、ゲームとして完結した冒険はいささかその真の意味からは逸脱した要素を持っているといわなくてはならないだろう。

脚註

^ もっともこのモノミス(en)理論は神話研究の主流派には認められているものではない。Myth-Placed Priorities: Religion and the Study of Myth、Religious Studies Review. Northup, Lesley, 5-10.

関連項目

探検
冒険小説
冒険映画
冒険遊び場
轟轟戦隊ボウケンジャー - 冒険がモチーフとなっているスーパー戦隊シリーズのひとつ。
洞窟潜水
愚行権
冒険活劇
最終編集: 2 か月前、Noriak iwamoto
関連ページ
冒険小説
日本冒険小説協会
探検

Wikipedia

放浪

2017-12-25 10:05:10 | 記録
Wikipedia

放浪

放浪(ほうろう)は、さすらうこと、あてもなくさまよい歩くことを指す語である[1][2]。さすらい、流浪(るろう)、彷徨(ほうこう)とも。英語では wandering .

目次
概要

古来より遊牧民は生活のために放浪を繰り返してきた歴史がある。単に生活のためではなく、人生の意味を求めて放浪をする場合もあり、若者に特にそうした傾向が見られる。また特に何らかの意図を持たずに放浪を繰り返すものも多く、放浪の体験やそこから得た印象を元に文学や絵画をはじめその他芸術に昇華したものも多い。

西洋では、とくに英語ではローム( roam )、ノーマッド( nomad )、バガボンド( vagabond )、ストレンジャー( stranger )、ストロール( stroll )、ドリフター( drifter )などの表現がありそれぞれニュアンスは異なる[要出典]。例えばロームとは、なんのあてもないまま歩き回るという意味であり、ノーマッドは牧歌的放浪、ストロールとは、散歩などの場合に使用されぶらつくというような意味合いが強い[要出典]。ドリフター、バガボンドなどはそれぞれ漂泊者、来訪者・異邦人の意味で使われる。

放浪をした有名人

日本
西行
松尾芭蕉
井上井月
尾崎放哉
種田山頭火
山下清
間宮純一
山田喜代春
ダモ鈴木
加藤拓人
宮川アジュ


フランス
アルチュール・ランボー

イタリア
ジュゼッペ・ガリバルディ

シンガポール
マイア・リー

作品

「放浪」を主題にした作品のおもな一覧である。

放浪 (小説) - 岩野泡鳴の長編小説(1910年)
放浪記 - 林芙美子の長編小説(1930年)
彷徨 - 小椋佳のアルバム(1972年)
ほうろう (曲) - 小坂忠の楽曲・アルバム(1975年)

脚注

[ヘルプ]
^ 放浪、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年9月20日閲覧。
^ 放浪、大辞林 第三版、コトバンク、2012年9月20日閲覧。

参考文献

『青年は荒野をめざす』、五木寛之、文春文庫、文藝春秋、1974年1月 ISBN 4167100010
『黄泉の犬』、藤原新也、文春文庫、文藝春秋、2009年12月4日 ISBN 4167591057

関連項目

さすらい (曖昧さ回避)

巡礼
遍歴
吟遊詩人
門付
無宿 - 宗門人別改帳から外された者(江戸時代)
熟練職人(英語版)
ゲゼレ(ドイツ語版)
ジャーニーマン
ノマド
ホーボー

外部リンク

ウィクショナリーに流浪の項目があります。
デジタル大辞泉『放浪』 - コトバンク
大辞林 第三版『放浪』 - コトバンク
散歩から流れ者まで...言葉でたどる放浪者の概念
執筆の途中です この項目は、社会科学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:社会科学)。
執筆の途中です この項目は、歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。
最終編集: 3 か月前、匿名利用者
関連ページ
休校
ウィキメディアの曖昧さ回避ページ
つく舞
内接と外接
ウィキメディアの曖昧さ回避ページ

Wikipedia

旅行

2017-12-25 09:59:40 | 記録
Wikipedia

旅行

曖昧さ回避 「旅」はこの項目へ転送されています。
雑誌については「旅 (雑誌)」をご覧ください。
かつて存在した缶ジュースのブランドとしての旅については「東日本旅客鉄道千葉支社#その他」をご覧ください。
本項目では旅行(りょこう)、旅(たび)について解説する。

目次
概説

広辞苑によると、旅とは、定まった地を離れて、ひととき他の土地(場所)へゆくこと[1]、である。大辞泉には「住んでいる所を離れて、よその土地を訪れること」とある[2]。 [3] [※ 1]

柳田國男によれば、旅の原型は租庸調を納めに行く道のりのことである。食料や寝床は毎日その場で調達しなければならないものであり、道沿いの民家に交易を求める(物乞いをする)際に、「給べ(たべ)」(「給ふ〔たまう〕」の謙譲語)といっていたことが語源であると考えられる、と柳田は述べている[4]。

旅の歴史を遡って概観してみれば、人類は狩猟採集時代から食糧を得るために旅をしていたのであり、農耕が行われる時代になった後も、すべての人々が定住していたわけではなく、猟人、山人、漁師などは食糧採集のための旅を行っていた。 その後、宗教的な目的の旅がさかんに行われていた時代があり、ヨーロッパでは4世紀ころには巡礼が始まっていた。日本でも平安時代末ころには巡礼が行われるようになった。イギリスでは近世になると裕福市民層の子が学業仕上げのグランドツアーや家庭教師同伴の長期にわたる海外遊学などを行うようになった。日本では江戸時代にいくつもの街道が整備され、馬や駕籠も整備され、治安も改善されたので、旅がさかんになった。 近代になり西欧で鉄道や汽船などの交通手段が発達すると、ますます旅はさかんになった。→#歴史

現在の旅は非常に多様であり、さまざまに分類することが可能である。→#旅の分類

歴史

現代では一般庶民にも移動の自由が公に認められているわけであるが、昔はそうではない場合のほうが多く、人々は宗教的な巡礼、神社仏閣への参拝を理由に旅をすることが多かった。

ヨーロッパでは4世紀ごろには巡礼が始まっており、中世にはキリストの聖杯・聖遺物、あるいはその使徒の遺物が安置されているといわれる大聖堂、修道院への巡礼が盛んに行われるようになっていた。主な巡礼路には、旅する人に宿泊場所を提供し世話をしたり、旅の途中で病になってしまった人をケアするための施設も造られていた(これが、現在のホスピスや病院の起源である)。

日本では8世紀ごろから西国三十三所、四国八十八箇所巡礼などが行われるようになった。[※ 2]

また、近世に入ってからは、イギリスの裕福な市民層の師弟の学業の仕上げとしての「グランドツアー」、家庭教師同伴の長期にわたる海外遊学が広く行われるようになり、それを世話する業者である旅行代理店が登場した。今日も存続しているトーマス・クック・グループは当時の創業になる。また、こうした流行が明治以降の日本に輸入されて、学校の修学旅行になった。

また、アメリカでは19世紀には金鉱の発見などにより、「西部開拓」という大移動、旅行ブーム(ゴールドラッシュ)を引き起こし、以後、放浪者、「ホーボー」や、ビートニクなどの運動でも旅行は新しい文化の呼び水になった。(ただし、21世紀現代の米国ではパスポート保持者は全国民の3割に過ぎず、外国へ旅行する人の半数は、行き先が、2007年までパスポートが不要だったカナダとメキシコだったという[5]。)

日本
狩猟時代、人々は食糧採集のために旅をしており、鳥獣を追って山野を歩き、魚をとるために川を上下した[6]。弥生時代に入ると農民は定住したものの、猟人、山人、漁師などによって食糧採集の旅は続けられており、また農民以外の職は行商人であったり歩き職人であったりした[6]。というのは当時は人口が少なく、待っていても仕事にならず、旅をして新しい客をつねに開拓する必要があったからである[6]。中世から近世にかけては店をかまえる居商人がしだいに増えたものの、かわらず旅をする商人・職人も多かった[6](例えば、富山の薬売りなど)ほか、芸能民、琵琶法師、瞽女等々もいた[6]。

行政によって強制された旅も多かった。防人では東国の民衆がはるばる九州まで赴いた。また庸調などの貢納品(租庸調という一種の税金)の運搬で、重い荷物を背負って都まで行かねばならず、途中で食糧もつき命を落とす者が絶えなかった[6]。近世に入り、運送の専門業者が出現したことで、こうした貢納のための強制された旅は激減した[6]。

やがて自由に自発的に行う旅が生まれ発展していった[6]。平安時代末期までは交通の環境は苛酷なまでに厳しかったので旅は苦しく、かつ危険であったのであるが、こうした苦難な旅をするのには強い動機があったわけで、それはほかならぬ信仰であった[6]。僧侶は修行や伝道のために旅をし、一般人は社寺に参詣するために旅をした。平安末から鎌倉時代は特に熊野詣が盛んであった[6]。室町時代以降、伊勢参りが盛んになり、また西国三十三所、四国八十八箇所のお遍路などが盛んになった[6]。

それまで徐々に発達してきた交通施設・交通手段が、江戸時代に入ると飛躍的に整備された[6]。徳川家康は1600年の関ヶ原の戦いに勝つと、翌年には五街道や宿場を整備する方針を打ち出し、20年あまりのうちにそれが実現したためである。宿場町には、宿泊施設の旅籠や木賃宿、飲食や休息をとるための茶屋、移動手段の馬や駕籠、商店などが並んだ[6]。また貨幣も数十分の一〜数百分の一の軽さのものに変わり、為替も行われ、身軽に旅ができるようになった[6]。またそれまで多かった山賊・海賊も、徳川幕府300年の太平の間にずいぶん減り、かなり安心して旅ができるようになった[6]。

江戸時代には駕籠や馬も広く使われてはいたが、足代(運賃)が高い事から長距離乗るのは大名や一部の役人などに限られ、一般人はそれを使うとしてもほんの一部の区間だけが多かった。船に乗る船旅も行われ、波の穏やかな内海は比較的安全で瀬戸内海や琵琶湖・淀川水系、利根川水系などでよく行われていたが、外海では難破の恐れもある危険なものであった。農民の生活は単調・窮屈・暗いものであったので旅をしたがったが、各藩のほうは民衆が遊ぶことを嫌い禁止したがった。だが参詣の旅ならば宗教行為なので禁止できなかったため、人々は伊勢参宮を名目として観光の旅に出た[6]。庶民の長旅できる機会は、一生に1度かせいぜい2度と、とても少なかったので、一度旅に出たからにはできるだけ多くの場所を見て回ろうとし、京・奈良などでは社寺の広大さに感嘆し、大坂では芸能浄瑠璃や芝居に酔った[6]。若者の中には宿場の遊女と遊ぶ者もいた[6]。ただし、京見物までするような長旅ができたのはかなり裕福な人や家長くらいのもので、貧しい人々などは近場で我慢したのであるが、ともあれ、旅が(貴族や武士だけでなく)一般民衆によって行われるようになったのである[6]。現代と比べて娯楽が少ない当時、旅の持つ意味ははるかに大きかった[6]。

また、江戸期には旅を題材とした旅文学・紀行文や絵画作品も多く作られた。

なお幕末から明治期の駐日イギリス外交官アーネスト・サトウはその著書「一外交官の見た明治維新」のなかで「日本人は大の旅行好きである」とのべている。そしてその理由として、「本屋の店頭にはくわしい旅行案内書(宿屋、街道、道のり、渡船場、寺院、産物などを記載したもの)、地図がたくさん置いてある」ことなどを挙げている[7]。

近代になり、鉄道と汽船が利用できるようになると、一般人でも長距離の移動が楽にできるようになった。1886年、修学旅行の嚆矢とも言われる東京師範学校の「長途遠足」が実施されるが、東京から銚子方面へ11日間軍装で行軍するという、軍事演習色の強いものであった[8]。

旅の分類

旅の分類と言ってもさまざまな方法があるが、例えば次のような分類が可能である。

(目的による)修学旅行、慰安旅行、帰省旅行、商用旅行、研修旅行、取材旅行(業務のための旅行は出張と称される。)
(動機による)新婚旅行、卒業旅行、傷心旅行
(参加者による)一人旅、夫婦旅行、家族旅行、社員旅行
(参加人数による)一人旅、グループ旅行(個人旅行)、団体旅行
(移動手段による)徒歩旅行、自転車旅行、オートバイ旅行(「(オートバイ・)ツーリング」)、自動車旅行、ヒッチハイク、バス旅行(バスツアー)、鉄道旅行、船旅、カヌー・ツーリング、飛行機旅行
(目的地による)温泉旅行 等々、国内旅行 / 海外旅行、宇宙旅行 [※ 3]
(形態による)自由旅行 / パッケージツアー、 滞在型旅行 / 周遊型旅行
(旅行業法による)募集型企画旅行、受注型企画旅行、手配旅行
(その他)無賃旅行(ヒッチハイクも関連)、マイル修行

目的地の有無

旅には目的地のある旅と無い旅がある。

一般的に言えば目的地を決めて行われており、目的地がある場合、それが複数の場合とひとつの場合があり、複数の場所(目的地)を移動してゆく旅は英語ではツーリングと言う。目的地では各人の好みで様々な活動をすることになり、例えば、自然を楽しんだり、温泉で身体を癒したり、のんびりと宿で(長期)滞在したり、文化財を楽しんだり、観光を楽しんだり、土地の産物の買い物をしたりするわけである。また、“目的地”は形式的に設定されているだけであまり重要でなく、実質は途中の移動や行為であるような旅、移動中にさまざまなものを見てゆくことのほうがむしろ主たる愉しみとなっている旅もある。

目的地を定めず期間だけを決めて旅に出る人、つまり行き先は成行き(旅先での偶然や必然)に任せてゆく、という旅をする人もいる。また目的地だけでなく期間も定めず、あてどもなく長期の旅に出る人もいる。「放浪の旅に出る」という表現もある。

目的地の例
さまざまありうるが、次のような場所はしばしば目的地に設定されている。

親友宅、親類宅、知人宅
温泉、避暑地、休暇村、海水浴場
景勝地(風景のよいところ)全般:高原、山麓、山頂、島、滝、洞窟、海岸、湖、湿原、砂漠、砂丘、国定公園、国立公園、世界遺産とされた自然
聖地や霊場、教会堂、神社、仏閣(それらの場所で宗教的な祭を観ることも行われている。)
史跡全般:世界遺産とされた建造物
都市、有名料理店、有名劇場、有名音楽ホール
美術館、博物館、動物園、植物園
テーマパーク、遊園地
文学や映画、テレビドラマ、アニメなどの作品のロケ地や舞台となった場所(コンテンツツーリズム)
ある国や土地の端:最北端・最南端・最東端・最西端、半島や岬の先端[※ 4]



旅の枕詞は「草枕」である。草枕とは、旅先で草で仮に枕を編んだことに因む。

脚注

脚注
^ (演劇、芸能などの)仕事のために遠方の地を転々とすることも旅と呼ぶ(「旅回り」とも)
^ 日本の初期の鉄道の多くが社寺参拝のために作られた(高野山へ行く南海、成田山へ行く京成、高尾山へ行く京王 等)。
^ 基本的にSFに留まるが、地底旅行という物語・概念もある。
^ 自転車旅行をする人や、オートバイ・ツーリングをする人はしばしばこうした場所を目的地に設定する。オートバイ雑誌や自転車雑誌のツーリング特集号などでもしばしば言及されている。

出典
^ 広辞苑 第五版、p.1669 【旅】
^ 大辞泉「旅」
^ 人が空間的物理的に移動すること、買い物、通勤、出張など単なる移動のこと[要出典]「商業旅行[要出典]」という表現が広く用いられている?。(JRや国土交通省などが使用する特殊用語[要出典]。JRの旅客営業規則のような約款における特殊用語としての「旅行」は、何かしらの交通手段を用いて移動すること全般を言う[要出典]。
^ 「豆の葉と太陽」『柳田國男全集〈12〉』筑摩書房、1998/02, p.267, ISBN 978-4480750723
^ 「なぜ米国人は海外旅行に行きたがらない?」CNN、2011年2月7日
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 世界大百科事典、vol7. 【旅】-【日本】新城常三 担当
^ アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新(上)』坂田精一訳、岩波書店(岩波文庫)1990年、260頁
^ [明治時代〜戦前の修学旅行の意義 http://shugakuryoko.com/museum/rekishi/museum4000-02.pdf]

関連項目
ウィクショナリーに旅の項目があります。
ウィキクォートに旅に関する引用句集があります。
「旅」を含む記事名一覧
「旅行」を含む記事名一覧
放浪
旅芸人
余暇
バカンス
世界旅行博
旅行ガイドブック、紀行文(旅行記、道中記)、
地図、時刻表、ナビゲーションシステム
キャンピングカー
ホームエクスチェンジ
旅行写真
観光、観光協会、政府観光局
旅行業法、宿泊施設、旅行代理店
ロードムービー
最終編集: 4 か月前、Sara-minori
関連ページ
鉄子の旅
一人旅
戸塚文子

Wikipedia

道の駅 東北一覧2017.11.17

2017-12-20 16:32:32 | 記録
青森県 しちのへ 第1回 H5.4 上北郡七戸町
青森県 はしかみ 第1回 H5.4 三戸郡階上町
青森県 虹の湖 第1回 H5.4 黒石市
青森県 わきのさわ 第5回 H6.4 むつ市
青森県 かわうち湖 第5回 H6.4 むつ市
青森県 しんごう 第5回 H6.4 三戸郡新郷村
青森県 ひろさき 第8回 H7.4 弘前市
青森県 奥入瀬 第8回 H7.4 十和田市
青森県 さんのへ 第10回 H8.4 三戸郡三戸町
青森県 なみおか 第10回 H8.4 青森市
青森県 十三湖高原 第12回 H9.4 五所川原市
青森県 いまべつ 第12回 H9.4 東津軽郡今別町
青森県 なんごう 第12回 H9.4 八戸市
青森県 もりた 第14回 H10.4 つがる市
青森県 浅虫温泉 第15回 H11.8 青森市
青森県 いかりがせき 第15回 H11.8 平川市
青森県 いなかだて 第15回 H11.8 南津軽郡田舎館村
青森県 よこはま 第15回 H11.8 上北郡横浜町
青森県 みんまや 第15回 H11.8 東津軽郡外ヶ浜町
青森県 こどまり 第16回 H12.8 北津軽郡中泊町
青森県 みさわ 第16回 H12.8 三沢市
青森県 とわだ 第17回 H13.8 十和田市
青森県 つるた 第17回 H13.8 北津軽郡鶴田町
青森県 ふかうら 第18回 H14.8 西津軽郡深浦町
青森県 おがわら湖 第19回 H15.8 上北郡東北町
青森県 たいらだて 第21回 H17.8 東津軽郡外ヶ浜町
青森県 ろくのへ 第24回 H19.8 上北郡六戸町
青森県 津軽白神 第48回 H29.9 西目屋村
岩手県 石鳥谷 第1回 H5.4 花巻市
岩手県 高田松原 第1回 H5.4 陸前高田市
岩手県 区界高原 第1回 H5.4 宮古市
岩手県 おおの 第5回 H6.4 九戸郡洋野町
岩手県 種山ヶ原 第5回 H6.4 気仙郡住田町
岩手県 いわいずみ 第5回 H6.4 下閉伊郡岩泉町
岩手県 のだ 第5回 H6.4 九戸郡野田村
岩手県 たろう 第8回 H7.4 宮古市
岩手県 たのはた 第10回 H8.4 下閉伊郡田野畑村
岩手県 みずさわ 第10回 H8.4 奥州市
岩手県 にしね 第10回 H8.4 八幡平市
岩手県 白樺の里やまがた 第14回 H10.4 久慈市
岩手県 みやもり 第14回 H10.4 遠野市
岩手県 紫波 第14回 H10.4 紫波郡紫波町
岩手県 はやちね 第14回 H10.4 花巻市
岩手県 やまだ 第15回 H11.8 下閉伊郡山田町
岩手県 遠野風の丘 第15回 H11.8 遠野市
岩手県 さんりく 第16回 H12.8 大船渡市
岩手県 錦秋湖 第16回 H12.8 和賀郡西和賀町
岩手県 くずまき高原 第16回 H12.8 岩手郡葛巻町
岩手県 石神の丘 第17回 H13.8 岩手郡岩手町
岩手県 雫石あねっこ 第17回 H13.8 岩手郡雫石町
岩手県 とうわ 第17回 H13.8 花巻市
岩手県 厳美渓 第17回 H13.8 一関市
岩手県 おりつめ 第17回 H13.8 九戸郡九戸村
岩手県 かわさき 第18回 H14.8 一関市
岩手県 やまびこ館 第20回 H16.8 宮古市
岩手県 みやこ 第21回 H17.8 宮古市
岩手県 三田貝分校 第24回 H19.8 下閉伊郡岩泉町
岩手県 くじ 第25回 H20.4 久慈市
岩手県 釜石仙人峠 第43回 H27.4 釜石市
岩手県 平泉 第46回 H28.10 平泉町
岩手県 むろね 第48回 H29.9 室根町
宮城県 七ヶ宿 第1回 H5.4 刈田郡七ヶ宿町
宮城県 津山 第5回 H6.4 登米市
宮城県 三本木 第8回 H7.4 大崎市
宮城県 路田里はなやま 第8回 H7.4 栗原市
宮城県 大谷海岸 第10回 H8.4 気仙沼市
宮城県 おおさと 第10回 H8.4 黒川郡大郷町
宮城県 米山 第14回 H10.4 登米市
宮城県 あ・ら・伊達な道の駅 第16回 H12.8 大崎市
宮城県 林林館 第19回 H15.8 登米市
宮城県 上品の郷 第20回 H16.8 石巻市
宮城県 みなみかた 第20回 H16.8 登米市
宮城県 村田 第33回 H22.3 柴田郡村田町
宮城県 三滝堂 第44回 H27.11 登米市
秋田県 たかのす 第1回 H5.4 北秋田市
秋田県 ふたつい 第5回 H6.4 能代市
秋田県 にしめ 第8回 H7.4 由利本荘市
秋田県 やたて峠 第8回 H7.4 大館市
秋田県 はちもり 第8回 H7.4 山本郡八峰町
秋田県 かづの 第8回 H7.4 鹿角市
秋田県 かみおか 第10回 H8.4 大仙市
秋田県 ことおか 第10回 H8.4 山本郡三種町
秋田県 東由利 第10回 H8.4 由利本荘市
秋田県 かみこあに 第10回 H8.4 北秋田郡上小阿仁村
秋田県 象潟 第12回 H9.4 にかほ市
秋田県 なかせん 第12回 H9.4 大仙市
秋田県 おがち 第14回 H10.4 湯沢市
秋田県 てんのう 第14回 H10.4 潟上市
秋田県 岩城 第15回 H11.8 由利本荘市
秋田県 しょうわ 第15回 H11.8 潟上市
秋田県 みねはま 第15回 H11.8 山本郡八峰町
秋田県 さんない 第15回 H11.8 横手市
秋田県 おおうち 第16回 H12.8 由利本荘市
秋田県 あに 第16回 H12.8 北秋田市
秋田県 ひない 第17回 H13.8 大館市
秋田県 五城目 第18回 H14.8 南秋田郡五城目町
秋田県 清水の里・鳥海郷 第20回 H16.8 由利本荘市
秋田県 雁の里せんなん 第20回 H16.8 仙北郡美郷町
秋田県 協和 第20回 H16.8 大仙市
秋田県 十文字 第24回 H19.8 横手市
秋田県 おおがた 第27回 H20.5 南秋田郡大潟村
秋田県 あきた港 第33回 H22.3 秋田市
秋田県 こさか七滝 第33回 H22.3 鹿角郡小坂町
秋田県 大館能代空港 第34回 H22.8 北秋田市
秋田県 うご 第45回 H28.4 雄勝郡羽後町
秋田県 おおゆ 第48回 H29.9 鹿角市
山形県 月山 第1回 H5.4 鶴岡市
山形県 河北 第1回 H5.4 西村山郡河北町
山形県 寒河江 第1回 H5.4 寒河江市
山形県 あつみ 第1回 H5.4 鶴岡市
山形県 にしかわ 第8回 H7.4 西村山郡西川町
山形県 いいで 第10回 H8.4 西置賜郡飯豊町
山形県 むらやま 第12回 H9.4 村山市
山形県 とざわ 第12回 H9.4 最上郡戸沢村
山形県 鳥海 第12回 H9.4 飽海郡遊佐町
山形県 田沢 第12回 H9.4 米沢市
山形県 白い森おぐに 第14回 H10.4 西置賜郡小国町
山形県 おおえ 第14回 H10.4 西村山郡大江町
山形県 庄内みかわ 第15回 H11.8 東田川郡三川町
山形県 たかはた 第16回 H12.8 東置賜郡高畠町
山形県 天童温泉 第20回 H16.8 天童市
山形県 尾花沢 第23回 H19.3 尾花沢市
山形県 白鷹ヤナ公園 第23回 H19.3 西置賜郡白鷹町
山形県 あさひまち 第43回 H27.4 朝日町
山形県 しょうない 第45回 H28.4 東田川郡庄内町
山形県 川のみなと長井 第46回 H28.10 長井市
山形県 米沢 第48回 H29.9 米沢市
福島県 つちゆ 第1回 H5.4 福島市
福島県 川俣 第5回 H6.4 伊達郡川俣町
福島県 たじま 第8回 H7.4 南会津郡南会津町
福島県 安達 第10回 H8.4 二本松市
福島県 喜多の郷 第12回 H9.4 喜多方市
福島県 裏磐梯 第12回 H9.4 耶麻郡北塩原村
福島県 ならは 第16回 H12.8 双葉郡楢葉町
福島県 そうま 第18回 H14.8 相馬市
福島県 はなわ 第18回 H14.8 東白川郡塙町
福島県 会津柳津 第18回 H14.8 河沼郡柳津町
福島県 ふくしま東和 第20回 H16.8 二本松市
福島県 にしあいづ 第20回 H16.8 耶麻郡西会津町
福島県 尾瀬街道みしま宿 第22回 H18.8 大沼郡三島町
福島県 たまかわ 第22回 H18.8 石川郡玉川村
福島県 羽鳥湖高原 第23回 H19.3 岩瀬郡天栄村
福島県 南相馬 第24回 H19.8 南相馬市
福島県 しもごう 第30回 H21.3 南会津郡下郷町
福島県 ひらた 第31回 H21.6 石川郡平田村
福島県 よつくら港 第32回 H21.7 いわき市
福島県 ばんだい 第32回 H21.7 耶麻郡磐梯町
福島県 ふるどの 第33回 H22.3 石川郡古殿町
福島県 番屋 第34回 H22.8 南会津郡南会津町
福島県 季の里天栄 第35回 H23.3 岩瀬郡天栄村
福島県 きらら289 第37回 H24.3 南会津郡南会津町
福島県 奥会津かねやま 第39回 H25.3 大沼郡金山町
福島県 さくらの郷 第39回 H25.3 二本松市
福島県 あいづ ゆがわ・会津坂下 第41回 H26.4 河沼郡湯川村
福島県 からむし織の里しょうわ 第41回 H26.4 大沼郡昭和村
福島県 猪苗代 第45回 H28.4 耶麻郡猪苗代町
福島県 国見(あつかしの郷) 第46回 H28.10 国見町
福島県 いいたて村の道の駅までい館 第47回 H29.4 飯舘村
福島県 尾瀬檜枝岐 第47回 H29.4 檜枝岐村
福島県 伊達の郷りょうぜん 第48回 H29.9 霊山町