秋津洲ap

無為自然 陽沈宵闇 暗闇戯闇 暁東雲曙 囁眩言記

秋田県に到着

3030-03-03 03:03:03 | 旅記

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西賀茂ランチ

2018-03-10 15:22:27 | 旅記
美味しかった
て・あっしゅ
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夕食/豊前市

2018-03-07 18:46:53 | 旅記

仲間がお見送りを
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車中泊/注意点

2018-01-21 17:49:31 | 記録
弁護士ドットコムニュース
道の駅やSAで見かける「車中泊」、犯罪に巻き込まれるリスクもあるので要注意
10:03弁護士ドットコム

休暇を使っての遠出や宿泊費を浮かすためなどに、高速道路SA(サービスエリア)や道の駅の駐車場でする「車中泊」。この年末年始も様々な事情でした人がいるのではないか。

全国的な状況を把握するのは難しいが、国土交通省は「道の駅は休息施設であるため、駐車場など公共空間で宿泊目的の利用はご遠慮いただいています」(同省HP)としており、車中泊を歓迎する道の駅は多くなさそうだ。

「車中泊お断り」の場所で行えば、警察に通報される可能性もある。また、過去には仮眠中の女性に対する強制わいせつ容疑で男性が逮捕される事件も起きており、注意が必要。飲んだお酒が抜けずに、車中泊後に飲酒運転で検挙されたという書き込みもインターネット上で散見される。

マナーを守って、防犯に気をつければ楽しいはずの車中泊。違反した場合、どのような罪に問われるおそれがあるのか。逆に、どのような犯罪被害に遭うおそれがあるのか。自らも車中泊の経験があるという西村友彦弁護士に聞いた。

スマホ充電や火気使用は犯罪にあたるおそれ
「車中泊が禁止されていない場所であっても、宿泊施設の感覚で利用すると犯罪に該当する行為をしてしまう可能性があります。例えば、トイレなどの電源を無断で使用してスマートフォンの充電などをすると、電気窃盗(刑法235条、245条)となるおそれがあります。

また、駐車場にコンロやバーナーなどを出し、火気を使用して料理などをすると、軽犯罪法違反(1条9号)や火災予防条例など条例違反となります。キャンプなどのアウトドア全般で共通しますが、独りよがりにならず、皆が気持ちよく利用できることを心がけたいですね」

窓ガラスに目隠しをして、きっちり施錠はしておくべき
「反対に、強制わいせつ等の性犯罪被害も報道されています。その他にも、施錠せずに車を離れている間に車内の物を盗まれたり、施錠していても窓ガラスを割られて車内の物を強奪されたりする被害に遭う可能性もあります」

では、そのような被害に遭わないようにするためには何に気をつけるべきか。

「被害に遭う可能性をできるだけ低くするためには、人気のない場所に駐車することは避け、外部から車内の様子が見えないように窓ガラス全てに目隠しをし、きっちり施錠することは必ずしておくべきです。そして、自らの身を守るためには、危険を感じた際にすぐに車を発進させられるように飲酒は控えておくべきだと考えます」

【取材協力弁護士】
西村 友彦(にしむら・ともひこ)弁護士
京都弁護士会所属 京都大学卒(大学時代アメフト部)
事務所名:加藤・藤田法律事務所
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キャンピングカー/初心者向

2018-01-21 16:57:07 | 記録
朝日新聞DIGITAL
キャンピングカーで行こう!
渡部竜生

「サポカー」って? キャンピングカーの安全運転サポート機能(2018/1/17)

 最近、車のテレビコマーシャルを見ていると、各社ともこぞって自動ブレーキシステムなど、安全性向上のための機能をアピールしています。政府も経済産業省が中心となって「サポカー」の生産を奨励しています。

「サポカー」ってなんだ? と思われるかもしれません。衝突防止機能やペダルの踏み間違え防止機能などが搭載された、「安全運転をサポートする車」のことをこう呼ぶそうで、官民連携で安全性向上に寄与する車両の普及啓発に取り組んでいるというわけです。

キャンピングカーのベース車両は?

 速度や天候など様々な条件によって効果は左右されますが「障害物を見つけて自動でブレーキをかけてくれる」「ペダルを踏み間違えても急発進しない」など、確かに人間のケアレスミスを未然に防いでくれる機能は頼もしいものです。

 そんな安全運転サポート機能ですが、さて、キャンピングカーはどうでしょうか。旅する車と考えると長距離走ることも珍しくありませんから、ここはぜひとも欲しい機能です。が、こればかりは「後からオプションで」という訳にはいきません。ベースとなる車両に、最初からその機能が付いているかどうか、ということになります。

 キャンピングカーには様々なベース車両がありますが、カテゴリーごとに、その状況を見ていきましょう。

軽キャンピングカー

 今のところ国内のどのメーカーも、軽キャンピングカーのベースに採用されるような軽トラックや軽バンには、安全サポート機能を搭載していません。「軽乗用車」なら、搭載車種も出始めていますが、ベースにそうした乗用車タイプを採用している商品はほとんどないのが実情です。

バンコン

 トヨタ・VOXYや日産・セレナなど、乗用車系ミニバンがベースの場合は、ほぼ安全サポート機能を搭載しています。では、貨物系バンではどうでしょうか。

・日産
 NV350キャラバンがサポート機能を標準装備。

・トヨタ
 先日マイナーチェンジをしたハイエースは標準装備。なのですが、キャンピングカーベースとして供給される車両には非搭載。

キャブコン

 キャブコンならトヨタ・カムロード。コンパクトキャブコンならマツダ・ボンゴが主流ですが、いずれもいまのところ安全サポート機能搭載の車両はありません。ハイエースをボディーカットしてキャブコンを作っているメーカーもありますが、事情はバンコンと同様非搭載。

バスコン

 ベース車両はマイクロバスで、トヨタ・コースター(または日野・リエッセII)、日産・シビリアン、三菱・ローザの3種類。いずれも安全サポート機能は搭載していません。

 このように、ほとんどのキャンピングカーにはサポート機能が搭載されていないのが現状です。その理由とは、一体何なのでしょうか。

コストとのせめぎ合い

 安全サポート機能には、各種センサーやカメラ、センサーからの情報を処理するコンピューターが不可欠です。こうした機器類は当然、コストアップにつながります。キャンピングカーのベースに採用されるのは低コスト最優先の商用車が多いですから、コスト増が嫌われるという側面があります。

 また、一般的に商用車は乗用車に比べて、車種の寿命が長い傾向にあります。サポート機能が登場してきたのはここ数年のことなので、現行モデルでも、設計当時にはこうした機能は想定されていませんでした。簡単に後付けできるものでもなく、大きな設計変更が必要になる場合もあります。

 軽自動車に搭載が少ないのも、同様の事情によるものです。軽自動車に取り付けても、高級セダンに取り付けても、センサーはセンサー、コンピューターはコンピューターです。実は増えるコストはあまり変わりません。そう考えると、定価700万円の車と定価200万円の車とでは原価率は大きく変わります。

 とはいえ、「日産・NV350」を始め、小型商用車にも安全サポート機能搭載車種が増え始めました。安全性の向上は何よりも優先されるべきテーマです。

すでに大型トラックには、

新型車……平成26年11月1日以降
継続生産車……平成29年9月1日以降

の製作車に衝突被害軽減ブレーキの装着が義務化されています。

 ハイブリッドカーや低燃費カーなど、さまざまなベクトルで進化を続けるクルマの世界。安全サポート機能もさまざまありますが、いまのところ万能というわけではありません。搭載されていようがいまいが、基本的にはドライバーの安全運転が大前提。車の機能と自分の運転を過信することなく、セーフティードライブで楽しい旅行を!。 せっかく「寝られる車」なんですから、しっかり休憩をとることもお忘れなく。


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PROFILE
渡部竜生(わたなべ・たつお)キャンピングカージャーナリスト
サラリーマンからフリーライターに転身後、キャンピングカーに出会ってこの道へ。専門誌への執筆のほか、各地キャンピングカーショーでのセミナー講師、テレビ出演も多い。著書に『キャンピングカーって本当にいいもんだよ』(キクロス出版)がある。エンジンで輪っかが回るものなら2輪でも4輪でも大好き。飛行機マニアでもある。旅のお供は猫7匹とヨメさんひとり。
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車中泊キャンプへ

2018-01-20 02:53:35 | 記録
レスポンス(Response.jp)
ハイエース “リラクベース” で家族の思い出を作る…はじめての車中泊キャンプへ
2017年12月21日(木) 17時00分

ここ数年、キャンプをはじめアウトドアレジャーがとても盛り上がっている。それとともに楽しむ人が増えているのが車中泊キャンプだ。実は、車中泊キャンプは小さな子供を連れたファミリーにこそオススメである。

その理由はいくつもあるけれど、もっとも大きいのはテントを立てる準備や折り畳む手間から解放されること。キャンプ上級者ならともかく、年に数回しかキャンプをしない人にとってテント張りは想像以上に面倒な作業。手間だけならまだしも、キャンプ場についてからの“貴重な”時間だって取られてしまうのだから。

◆ハイエース “リラクベース”でキャンプに行こう!

そこが車中泊だったら煩わしいテント張りの必要がなく、キャンプ場についてサッとテーブルやイスなど最小限の準備だけすれば思いきり遊べる。この違いはけっこう大きい。パパが慣れないテント張りに時間を取られることなく、遊びたい盛りの子供とすぐに一緒に遊べるのはテントを張るキャンプではちょっと得られないメリットだ。そのうえ車内で寝る際にカギをかけられるからセキュリティにおいても安心できるし、寝心地がいいのもやっぱりうれしい。

しかもそれだけじゃない。小さな子供が一緒の場合はひときわ車中泊のメリットが感じられることがある。それは悪天候時の備え。テントだと不意の雨や強い風などによる音で夜中に子供が不安がることもある。車中泊キャンプならそれを回避できるのだから安心だ。

もうひとつ、キャンプ場以外の場所においても気軽に寝られるのも車中泊の大きな魅力。たとえば車中泊を許可している道の駅の駐車場にサッとクルマを停めて、その中で寝ることだってできる。そんな多くのメリットがある車中泊キャンプだから、一度はじめるとテント宿泊には戻れないという声も多く聞こえてくるのも当然だろう。初心者はもちろんだけど、自由な時間を最大限に満喫するために、そして子連れの不安を解消するためにも車中泊キャンプはオススメなのだ。

ところで、そんな車中泊派のなかで最近増えているのがミニバンではなくキャブオーバーバンを愛車とすることらしい。そのメリットは果たしてどこにあるのか? 実際に感じてみようと、ハイエース “リラクベース”(以下“リラクベース”)とともに4歳の子供を連れたファミリーがはじめての車中泊キャンプにでかけてみた。

◆抜群の積載量で生まれる、心の余裕

とはいえ、なにも設備がない場所でいきなり車中泊をするのはさすがにハードルが高いので、目的地はしっかりと環境が整ったオートキャンプ場がいい。いくら自然を楽しむためのアウトドアとはいえ、しっかり管理されたトイレや炊事場がないと快適には過ごせないからだ。車中泊なのでテントはいらないけれど、タープにテーブルに複数のチェア、そして人数分の寝袋やブランケット、さらにたき火セットや調理道具とキャンプ道具は意外に多くてかさばる。子供がいれば遊び道具だってたくさん持って出かけたいし、自転車があれば行動範囲が広がって楽しくなる。

しかし、気をつけなければいけないのはクルマに積める荷物には限度があるということ。持っていきたいものがすべて積めるわけではないのだ。そんな時に心強いのがSUVやステーションワゴンよりも積載量が多いミニバンだ。ミニバンの空間効率は偉大で、3列目を畳めばだいたいのキャンプ道具+遊び道具をラゲッジスペースに飲み込んでしまう。

だけど、“リラクベース”のようなキャブオーバーバンの積載能力はさらにその上。ミニバン(トヨタ・ヴォクシー/ノア8人乗り)の3列目を畳んだ状態での荷室奥行は1020mmだけど、荷物運搬も考えた“リラクベース”の後席使用状態は1855mmの広さをほこる。その差なんと1.8倍! これは心強い。この違い、キャンプに出かけてみればすぐわかる。写真はすべてが“リラクベース”に詰めた荷物だが、左に分割した部分(自転車2台含む)は5ナンバークラスのミニバンには積めなかったもの。こうして比較すれば違いは一目瞭然で、予想以上に差があることに驚く。それはそうだ、奥行きは約1.8倍も違うのだから。基本的なキャンプ道具はもちろんミニバンにも積めるけど、あれもこれも持っていこうと思うとミニバンではちょっと無理があるのだ。“リラクベース”の実力には驚くばかり。

注目したいのは+αの遊び道具。自転車やギターをファミリーのキャンプ道具に加えてミニバンに積み込むのは難しい。でも “リラクベース”なら心配することはない。そして実際に積み込んでみて感じたのは、荷室の広い“リラクベース”ならば空間の余裕だけでなく心の余裕も違うということ。ここまで荷室が広くないクルマであれば「あれは持っていくのはやめよう」とか「これも積めればいいけど」なんて荷物を減らしたり積み込みの心配をしないといけない。

だけど広大な荷室の“リラクベース”ならそんな心配はいらないし、積み込み作業も荷物の形にあわせて細かい積み方を考える必要なんてなく、手早く端から積み込んでいけばいい。高い積載能力が積み込みの作業だけでなく精神的な疲れや煩わしさからも解放してくれる。それが高い積載能力ゆえの“リラクベース”の便利&安心なのだと思う。

◆オートキャンプ場にレッツゴー

積み込みも終わったらキャンプ場へ向けて出発! 室内が広いから荷物を積んでも居住スペースは十分以上だ。信じられないほどたっぷりの荷物を積んでいるのに後席にもゆったり座れるのだ。空間が広いからキャンプ場までのロングドライブが快適なのに加え、 “リラクベース”であればバン登録ながら後席にも大きなシートが備わっていて、2段階のリクライニングやシートスライドだって可能。ファミリーユースではこういう部分が大切だけど、“リラクベース”なら安心できる。さっきまで興奮気味だった子供も、高速道路に入って気が付いたら寝息を立てていた。ここでたっぷり休んでおくのがいいだろう。きっとキャンプ場についたらはしゃぎまくるのだろうから。

強調しておきたいのは、今回の “リラクベース”に採用されていた新しいディーゼルエンジンンの実力。「1GD-FTV」と呼ばれる新しい2.8リットルのクリーンディーゼルエンジンを新搭載している。『ランドクルーザー プラド』にも搭載され好評なだけあってアウトドアグッズを満載していてもとにかく力強い。キャンプ場の近くには急な上り坂があったけれど、それを感じさせないほどグイグイ登っていく姿には感動を覚えるほどだ。

急な上り坂で一時停止した後の再発進だってたやすいことにも驚いた。300N・mという自然吸気ガソリンエンジンでいえば排気量3.0リットル級の太いトルクをわずか1000回転から発生する実力は伊達じゃない。また、トランスミッションが6速ATなので、状況に合わせてより最適なギヤを選べる効果も大きいのだろう。もちろん多段ATのメリットは、峠道だけでなく市街地走行でも加速フィーリングの向上や高速道路での静粛性向上でも実感できた。まるでワンランク上のクルマに乗っているような印象だ。

◆いざキャンプ、荷物を降ろすのも楽々

“リラクベース”の力強く快適な走りのおかげで順調にキャンプ場へ到着。一般的なキャンプならまずはテントを張る手間と時間が要るけれど、その必要がないのが車中泊キャンプのいいところ。キャンプサイトにクルマをとめて手早く荷物を降ろしたら、さっそく子供と一緒に遊ぼう。

クルマから荷物を降ろす時にも、“リラクベース”のメリットに気が付いた。開口部がとても広いから、大きな荷物も簡単に降ろせるのだ。たとえばリヤゲートの開口部は幅が1310mmで高さは1270mmもあるから、自転車の積み下ろしがしやすい。横にまわるとスライドドアだって大きくて、開口幅が1180mmもある。いくらミニバンのスライドドアが便利とはいっても、こんな広い開口部をもつミニバンは見当たらない。こういう部分でもハイエースはキャンプに向いているのだとあらためて実感させられる。

もうひとつ気が付いたのは、後席乗り降りの際。高さを実感するものの、地面と床の間に広いステップが設けられていることで子供でも無理なく乗り降りできるのだ。実際に子供を乗り降りさせる前は高い床を心配したけれど、それは杞憂だった。4歳児の背の高さでも楽しそうに乗り降りしている。

乗り降りといえば、スライドドアやバックドアには「イージークローザー」が備わっていて半ドア状態まで閉めればあとは電動で引き込んで完全に閉めてくれる。大きなドアでも力はいらないし、オプションでデュアルパワースライドドアも装着できることもトピックだ。

◆一日遊んで夜はゆったり

遊びつくして、食事して、焚火の炎も満喫したらおやすみタイム。ハイエースのフラットな床のおかげで、家族3人で並んで一緒に寝られるのは本当に幸せだ。妻はいつも以上に笑顔だし、子供も成長したのだろう、なんだか顔が頼もしく見える。

テントで寝るといくら寝心地のいいマットを敷いても床のちょっとした傾斜や地面の凹凸、小石など“寝床の些細なこと”が気になることが多いけど、車中泊ならそんな安眠妨害とは無縁。このフラットな床も、普通のミニバンでは真似できないキャブオーバーバンならではのメリットだ。そのうえ、天井が高いから圧迫感がないことで落ち着ける。ネットやフックを使って天井にランタンなどを吊り下げられるし、子供を着替えさせる時にも無理がない。

また、今回の“リラクベース”にはベッドキットが装着されている(オプションで設定可能)。床よりも400mmほど高い位置に奥行1740×幅1430mm(幅は床よりも広くてダブルベッドサイズ)のボードを設置して3人がゆったり横になれるベッドを簡単に組み立てられる仕掛けで、車中泊にはぴったりだ。このボードに倒した後席を組み合わせることで、奥行きはフラットな状態を保ったまま約2.5mにまで広がるからかなりの余裕がある。床がフラットになって快眠をサポートするだけでなく、床の下に荷物を置けるといった機能性の高さからも注目のアイテムだ。

さらにオプションメニューで用意されている補助バッテリーも魅力的なアイテムである。走行中に自動充電されてエンジン停止時に電源を供給できるバッテリーは容量100Ahでインバーターは正弦波で350W。スマホやタブレット、ノートパソコンの充電はもちろん、冷え込む夜のキャンプでは電気毛布を使うのもいいだろう(50Wの電気毛布を約12時間使用可能)。

突然の雨や強い風など気象の変化に強くて頼もしいだけでなく、フラットな床と広いスペースで快適に車中泊でき、ニーズに合わせてオプションも充実。キャンプ場での“リラクベース”は、一緒に過ごせば過ごすほど新しい優しさを見せてくれる。

◆ハイエースに乗って家族の思い出を

こうして車中泊キャンプのパートナーとして一緒に過ごしてみた“リラクベース”。ハイエースといえば仕事で使われるクルマというイメージがあったけれど、実際に使ってみると日常使いでも大きなメリットを実感できた。

たっぷり荷物を積める積載能力はどの車種にも負けないし、絶対的に荷室が広いからまるでスーツケースのパッキングをするかのように荷物を効率重視で隙間なく詰める必要もない。開口部が広いから荷物の積み下ろしだって楽々。そして夜は親子3人がフラットなベッドで快適に寝られ、ベッドキットを装着すればベッドの下に大事な荷物も置ける。これもキャブオーバーバンならではの使い方だ。

はじめてで不安もあったキャンプだったけど、ミニバンでは真似できない快適な車中泊でとことん楽しむことができた。同時に、ワークユースだけではないハイエースの魅力をひしひしと感じる体験となった。さて、次はどこに出かけよう。
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時間を買おう

2018-01-15 10:33:22 | 経済
ロイター 2018年1月14日 09:49
コラム:幸せになる秘訣「モノではなく時間を買おう」
Gail MarksJarvis

[シカゴ 10日 ロイター] 2018年をもっと幸せな1年にするために、幸福について研究する専門家のアドバイスを聞こう。それは、「モノではなく、時間を買いなさい」ということだ。

加ブリティッシュ・コロンビア大学の心理学教授であるエリザベス・ダン氏は、ベビーシッターを夜間に数日雇うことで、夫と充実した時間を過ごすことができたとし、このことは自身が手掛ける幸福学の研究結果を裏付けているという。

「とても高かったが、その価値は十分にあった」とダン氏は話す。同氏は著書「『幸せをお金で買う』5つの授業―HAPPY MONEY」の共同執筆者である。

世界は「時間の飢餓」に苦しんでいると、社会学者は指摘する。時間に対するプレッシャーは不安や肥満など、さまざまな病気を引き起こす可能性があることが研究から分かっているが、人々は嫌な仕事を渋々こなしている。

時間を自由にするためにおカネを使うことは、クローゼットを新しい買い物で埋め尽くすよりも幸福をもたらすことが、ダン氏の新たな研究「Buying Time Promotes Happiness」で明らかとなっている。だが、所得や国籍にかかわらず、それを実践している人はわずか28%にすぎない。

家事代行や雪かきを頼んだりすることによって、幸福度は上がるかもしれない。バスではなく、タクシーやライドシェアを利用することで、プレッシャーの大きかった1日が変わる可能性がある。

ダン氏の願いは、ただ不眠を改善したかったというものだった。「ハードな仕事に、子ども、結婚生活、そのどれも手放したくない」と同氏は言う。

幸福を圧迫するようなタスクは個人によってさまざまだが、共通するものもある。ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマン氏の研究によれば、多くの人にとって、1日のうちで最も不快なのは、朝の通勤だという。

<幸福度テスト>

ダン氏とハーバード大学ビジネススクールのアシュリー・ウィランズ助教は、前出の研究「Buying Time Promotes Happiness」のために米国、カナダ、デンマーク、オランダで約6000人を対象に調査を行った。その結果、日常のつまらない仕事をするのに他の誰かにカネを支払ってやってもらっている人はほとんどいなかった。

カナダのバンクーバーでは、各参加者は支出に関する指示とともに40ドルが与えられた。モノを買う日では、シャツやワインなどが購入された。何らかのタスクにカネを使わなければならない日では、掃除や、友人のパーティーのために豆のディップを作ってもらうことなどに使われた。

1日が終わると、参加者は自分がどう感じたかについてはっきりと自覚していたとウィランズ氏は言う。モノを買った場合の幸福度は平均3.7であった一方、自分のために時間を節約した場合のそれは4に上昇した。

ダン氏は現在、なぜ人は時間を節約することにカネを使わないかというテーマについて研究している。

障害となるのは、責任を人にまかせることに対する罪の意識である。ある仕事をしてもらうのに、たとえ対価を払っていても、だ。

また、掃除や食料品を買ってきてもらうのに誰かを雇うには、事前の計画が欠かせない。計画を立てるのが遅すぎてしまうと、多くの人は結局、自分でその仕事をするはめになると、ダン氏は語る。

また、自分がどのようにカネを使っているかについて、人々はあまり考えていない。ダン氏の研究では、所得にかかわらず、チャリティーに寄付したり、何かを経験することにカネを使ったりする方が、モノを買うよりも喜びをもたらすことが分かった。

つまり、モノを買って得られる喜びは長続きしない傾向にあるが、何かを経験した思い出や時間的制約からの不安軽減は長続きする、というのが教訓だろう。

*本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにロイターのコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。

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福島第一原発の今

2018-01-13 07:47:46 | 記録
WEDGE REPORT
廃炉にオールジャパンで挑む福島第一原発の今
2017/12/30
石井孝明 (経済・環境ジャーナリスト)
 東京電力の福島第一原発を2017年11月に取材した。事故から6年半が経過し、危険のあった現場は様変わりしていた。最新技術を使い、日本のインフラ企業が総出で支え、放射線被害が拡散するリスクはなくなった。廃炉までの道のりは完全に見通せないものの、状況は一歩一歩改善している。

オールジャパンの支援

 建屋の水素爆発、住民の避難と社会混乱、地域の崩壊――。福島原発事故で、報道やSNSで拡散した衝撃的な光景が人々の脳裏に今でも残る。

 しかし危険は大きく減っていた。取材で筆者らは3時間ほどを福島第1原発内ですごしたが、被ばく量は0.1マイクロシーベルト(μSv)。日本の他地域よりやや高い程度だ。構内の95%では通常の作業服を着て、マスクも簡易なもので作業している。もちろん一部には高い放射線量で間近には行けない場所もある。

 三菱重工、日立、東芝などの原子力企業、鹿島や大林組などの大手ゼネコン。原発の入口の建物の壁には、この大工事に関わる日本を代表する企業の名前と社章が、鼓舞するようにかかげられていた。東電は協力企業約40社に工事を発注し、そこからさらに約1000社がかかわる。最盛期には1日7000人、11月時点で5000人が働く巨大な工事現場になっていた。まさに「オールジャパン」の体制である。

 東電は、現場で働く人の環境整備に力をいれる。同社は14年に事務棟(現在は協力企業が利用)、15年に現場で働く人向けの大型休憩所、そして16年10月には新事務本館を作った。各建物には休憩スペースがあり、食堂では福島産の食材を使う温かい食事が380円で提供されている。種類も豊富だ。休憩所内にはコンビニもあり、夏場にアイスが売れる。取り組みは大変好評という。事故直後は構内の建物の大半が地震と津波の影響、さらに放射性物質の汚染で使えず、主に事故処理の指揮をした免震重要棟で東電の事務や協力企業の休憩や作業準備が行われた。事故直後は常に免震棟はごった返しており、食事も乾パンやクラッカーなどしかなかった。

 今は全国的に好景気で人手不足が生じている。東電は人を確保するために、長期、さらに随意の契約をして、取引先が人の手配をしやすくしている。「廃炉までの道のりは長い。協力企業の皆さまに、安全に、そして長く働いていただける環境を整えています」(東電広報)という。

 現場には悲壮感はなく、落ち着いた通常の工事現場になっていた。東電社員は行き交う人に「お疲れ様です」「ご安全に」という声をかけていた。これは他の電力会社の現場での光景と同じだ。

廃炉作業に最新技術

 それでは事故を起こした原子炉は今、どのようになっているのか。事故では6つの原子炉のうち稼動中の1、2、3号機は地震で緊急停止したものの、津波で冷却装置が壊れたことで加熱、燃料が溶解した。1号機、3号機が漏れた水素が引火し建屋が爆発した。3号機とつながる4号機も水素が流れこみ建屋が爆発した。

 各号機の炉の状況は、燃料の大半が格納容器・圧力容器の中にあると思われるものの詳細は不明だ。遠隔操作ロボットなどで情報を集めている。

 東電はまず、建屋内に保管された使用済み核燃料を取り出す予定だ。1号機と2号機は23年度末を目処に取り出し作業を開始する予定だ。すでに4号機からは14年中に取り出した。今は破損した各号機の建屋上部の片付けを進め、3号機では18年度中頃に取り出し作業を開始する方針だ。見学時点では、3号機には建屋上部を覆う屋根カバーが設置されていた。放射性物質の拡散を止めるためだ。

 東電によると、3号機の最上階の放射線量は、事故直後は、毎時800mSv程度あった。除染や防護壁を設けたことで今は毎時0.8mSv程度まで低下した。しかし長時間の作業は人体に悪影響をもたらす可能性がある。そのために原則は遠隔操作のクレーンで、保管プールからの取り出し作業を進めるという。工事の進む3号機と違い1、2号機では線量の高いところが残るため、その確認を行いながら作業をする。

 一連の福島原発の事故対策では、最新技術が活用されている。経産省は13年に技術研究組合国際廃炉研究開発機構(IRID)を官民共同でつくり、日本と世界各国から福島の廃炉に役立つ技術を集め、開発を支援している。

 3号機では他の原子炉と違って、炉に注入した水の漏れが少なく、下部に水がたまっていた。そこで、IRIDが協力して開発されたロボットが活躍した。愛称は「ミニマンボウ」。外見はユーモラスだが、水中で小回りがきき、映像を送れる。炉の状況把握に役だった。

 福島第一原発では、12年頃からは「水との戦い」が問題になっていた。原子炉を水で冷やすることにより発生する汚染水、建屋周辺に流れ込む地下水への対応だ。それらの対策も進んでいた。

 冷却用の水は循環させ、汚染された場合には特殊な装置で放射性物質を取り除く仕組みが13年に完成した。人体に影響を与えかねない放射性物質に汚染された水は外部に出ない状況だ。その処理水は現在100万トン以上になっておりタンクに溜めている。人体に悪影響を与えないトリチウムという放射性物質は取りのぞけない。海に放出する解決策が考えられるが、現在、安全面のみならず社会的影響も含め国・東電・地元で慎重に検討が進められている。タンクは今830基ほど作られて構内を埋め尽くしている。いずれ敷地を埋め尽くしてしまい、タンクの建設コストも膨らむ一方だ。問題の早急な解決が必要だ。

 地下水に関しては、井戸でくみ上げ、水を海に流す水路をつくるなどして、原子炉の建屋周囲に流れ込む水を減らした。また雨水が地下に染みこみ地下水が増えないように、また土中の汚染物質が広がらないように、構内の大半はフェイシングという形でモルタルに覆われていた。地下水の一部が破損した原子炉の下部で、溶解した燃料と接して、水を汚染する可能性がある。水の流入を止めることで、汚染した地下水が外部に流れ出る可能性は減る。

 建屋内への地下水流入量を抑制する凍土壁の凍結が順調に進んでいる。地中30mの深さまで打ち込んだ凍結管から特殊溶液を出し、土に含まれる水を凍らせる工法だ。建屋周囲の地中に全長約1.5kmの氷の壁ができ水の流入を遮断している。訪問時点では、3つの炉の全周の凍結が始まり、表土を見るとカチカチに凍っていた。東電は18年初頭にかけて、効果を検証していくという。これはゼネコンなどがトンネル工事などに使う新しい技術だ。

 これらの重層的な対策により建屋内には、かつて1日400トンの地下水が流れ込んだが、今は同130トン程度に減っている。また海側に800メートルの遮水壁をつくった。こうした一連の対策で、事故現場から出る水で海や外部環境を汚染するリスクは大幅に減った。

 新しい課題は廃棄物だ。工事で出た廃棄物は全部構内に溜め込んでいる。その焼却と保存設備を、構内に建設中だ。ロボット、土木などの日本の産業界の持つ技術の強みが、廃炉作業に生きている。

最新技術、廃炉ビジネスへの期待

 IRIDは世界にトリチウム除去技術を公募しており、ロシアのロスアトムから、その技術の提案を受けている。これは一例だが、福島第一の廃炉作業は、世界から技術を集め、さらに原子力関係者の注目を集めている。国際エネルギー機関(IEA)によれば、この先25年間で、世界全体にある約200基の原子炉が閉鎖される予定だ。その大半は欧米に集中している。福島で得られた知見は、廃炉ビジネスに結びついていくかもしれない。

 廃炉をめぐる巨大な工事は、国の試算によれば総額8兆円程度かかるとされている。東電と政府の決めたロードマップによれば、50年ごろをめどに作業を終える目標だ。事故炉から核物質を取り出すことを最終目標にすることを国と東電は目標にしている。しかし現状は、事故を起こした原子炉の状況把握も難しい。安全に作業をするための一段の技術開発がない限り、その道のりは大変遠いと認識した。

 しかし一歩一歩進んでいる面もある。そして事故を起こした責任に向き合い、その処理を続ける東電の人々、さらに協力企業の人々の努力がある。この事実は、なかなか社会に広がっていない。

 現実をしっかり受け止め、働く人に敬意を持ちながら、日本全体で福島第一原発の廃炉に関心を向け、協力をしていかなければならないだろう。

 速やかな廃炉は、福島の完全な復興につながる。
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キャンピングカー/ベース車

2017-12-30 18:10:32 | 記録
キャンピングカーで行こう
国産車に?/輸入車に?
渡部竜生 2017年12月27日

 キャンピングカーの購入を考えるポイントのひとつに「国産車にするか/輸入車にするか」があります。それぞれメリット・デメリットがあります、車の性能やデザインだけでなく居室部分の使い勝手を検討すると問題は複雑になります。

日本で使うなら国産車がベストは本当か
 軽キャンピングカーからバスコンまでサイズもレイアウトもバラエティーに富んでいるのが、日本製キャンピングカーです。日本の地形や余暇の過ごし方、道路事情など、あらゆる「日本独自の事情・使い方」に配慮がされているので「日本で使うなら日本車が一番」というのは一理ありますが弱点もあります。

◎国産キャンピングカーの魅力
・レイアウト
 日本のキャンピングカーユーザーは「ファミリーで使う人が多い」のが現状です。それに合わせて、複数人数で使いやすい機能とレイアウトを備えている、大きな車でない、この二つの両立を目指している車種が多いです。

・「自立」を考えた装備
 電源付きサイトや汚水処理ができるダンプステーションのあるキャンプ場やRVパークが少ない、道の駅や高速道路のPA・SAなどで仮眠利用されることが多いため外部電源に頼らなくても自立できるなど、それ一台で家として機能できるだけの設備を備えているのが特徴です。

・ベース車のサービス体制が安心
 国産のキャンピングカーは、ベース車両が国産車です。キャンピングカーのビルダーやディーラーは、そこら中にあるとは言えなくても、トヨタや日産のサービス拠点は全国各地にあります。万が一、旅先で車両トラブルが発生しても安心という心強さはあります。

▲国産キャンピングカーの弱点
・インテリアのデザイン性
 最近はインテリアデザイナーを起用する会社も出てきましたが、欧米の車と比較すると、工夫の余地があるのがデザイン性。数週間にわたって寝泊まりをしなくても“動く家”と考えたら、内装デザインは居心地の良しあしに直結します。デザイン的に洗練された国産キャンピングカーが増えてくれるとよいです。

・走行性能は
 ほとんどの国産キャンピングカーは、経済性優先の商用車をベース車両に採用しています。そのため走行性能は高くありません。バスコンや一部の車両を除き、大抵はトラックやカーゴバンとなれば、装備は最低限で燃費重視、ロングドライブに適した走りではありません。貨物輸送用の車両は、乗り心地は乗用車と違います。「全国各地を旅して回る」とか「長時間運転は体がしんどい」という人は安全な旅のために走行性能や乗り心地は大事なポイントになります。

洗練されたデザインと動力性能が魅力の欧州車
 ヨーロッパのショーでは、創業50年以上のビルダーが出展しています。大手のビルダーは、日本全国の年間販売台数を上回る数を、1社だけで生産する規模です。その一方、近年はサイズもレイアウトも似たりよったりのところがあります。

 そんな中、日本に入ってきている欧州車はどんなものでしょうか。以前から輸入されている老舗ブランドに加え、近年は新興ブランドも増えてきて、バラエティー豊かになりつつあります。

◎欧州キャンピングカーの魅力
・洗練されたデザイン
 ヨーロッパでは、主にキャンピングカー選びの主導権を握っているのは女性といわれています。キャンピングカーは家庭生活の延長であり女性の意見が重んじられるからです。そのため、各社ともインテリアデザイナーに女性を起用するなどして女性層に向けたデザインに力を入れています。

・コンパクトでもフル装備
 日本は「電気の支援設備がない場所」での寝泊まりに備えての装備ですが、コンビニや食堂が充実し、あちこちに温泉があるなど生活インフラは整備されています。そのため、車内で調理したりシャワーを浴びたりする人はあまりいません。欧米ではバンコンでもキッチンやトイレ完備、電源が使える汚水処理ができる施設は各所にあり食事や入浴は自前でという方式です。

・低燃費、かつ高性能
 ヨーロッパでは国と国が地続きで陸路での移動距離が平均して長距離です。一般の車両も平均速度が高く長距離を走るので、クリーンディーゼルエンジンが主流。低燃費で、非常に高い走行安定性を持っています。長距離を走りたいキャンピングカーユーザーにとっては、車両性能の高さは大きなメリットです。

・フルフラットで使い勝手がよい
 運転席と居室部分に段差がない車両がほとんどでフルフラット。コックピットから居室への移動がスムーズです、運転席・助手席ともにぐるりと回転させれば停泊中、食卓椅子やソファにもなってスペース効率も良いというわけです。

▲欧州キャンピングカーの弱点
・少々大柄です
 全長6mクラスでも2人旅仕様。ファミリーユースとなると7mクラスと、特に長さ方向に大きい特徴があります。もちろんその分、車内空間はゆったりですが日本の駐車場の規格、2×5m枠には収まらないことも。また大きいために運転に自信がないと敬遠する人がいます。

・維持費は高め
 居室部分については国産車と変わりませんが、車部分の維持費は国産車よりもお高くなります。故障した際の部品が高価だというのもありますが、日本車ではあまり交換しないような部品も、欧州車では「消耗部品」扱いだということがあります。これはキャンピングカーに限った話ではありませんが、国産車と輸入車では「常識」が違う部分があります。国産車と同じに考えていると「壊れやすい」「お金がかかる」という印象につながってしまうようです。それを高いと感じるかどうかは、全体のメリット・デメリットをてんびんにかけて、総合的に考える必要があるでしょう。

ダイナミックさが魅力のアメリカ車
 年間の新車販売台数が40万台超という、キャンピングカー大国アメリカですが、2000年ごろから大型化が進み、車幅2.5m超のモデルが主流になってきました。日本の道交法では車幅2.5mまでしか登録できません。しかし最近では、フォード・トランジットやダッジ・プロマスターなど新世代のベース車なども登場。ややコンパクト化の傾向がみられたことで少しずつですが日本で販売されるモデルも増えてきました。

◎アメリカンキャンピングカーの魅力
・たっぷりしたスペース
 アメリカンキャンピングカーに乗って実感するのは彼らの国民性です。とにかく旅先、キャンプ先でも「普段の便利さを手放したくない」のだなと思います。スペースはゆったり。スライドアウト車(壁の一部が外にせり出して居室が広くなる機構)ともなれば、とても車とは思えない広さになります。

・頑丈でシンプル
 色々なところがとにかく頑丈にできています。国土の広いアメリカらしく、拠点から拠点への距離が遠いためかもしれません。ちょっとやそっとでは壊れません。その点はベース車両にもいえることで、エンジンに多少の不具合が発生しても、止まってしまう・走らなくなる、ということはめったにありません。また、操作スイッチなども非常にシンプルでわかりやすくつくられています。

▲アメリカンキャンピングカーの弱点
・大柄なサイズ
 「アメリカの基準で」コンパクトと分類されるモデルでも、全長は7m超。大型ともなれば10mを超えるサイズもざらです。それだけ大きいと、目的地に制限が出る場合も。私も友人からキャンプに誘われた際、そのキャンプ場に入るためのゲートの幅と、坂道の高低差や斜度を事前に確認したことがあります。

・品質管理は不得意かも
 日本製品の品質の高さを基準に考えてしまうと、お世辞にも「繊細」とは言い難いのがアメリカ製です。細かく見るとアラもありますし、左右一対のはずのものが、非対称だったりもします。「使えればよし」「機能に問題なければ気にしない」といった割り切りが要求されることもあります。

 それぞれ、メリット・デメリットがあるのは、乗用車と同じ。悩ましいところではありますが、そこを悩むのもまた楽しいもの。「外車」=ぜいたく、壊れやすいとは言えない昨今、無条件に敬遠してしまうのはもったいない、ぜひ、自分の使い方、家族構成人数、目的地などを考えて検討してみましょう。可能ならば輸入車も国産車も使っている人に見せてもらったり、話を聞いたりする機会があるとベストです。

渡部竜生(わたなべ・たつお)キャンピングカージャーナリスト

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日産・キャラバン

2017-12-27 18:33:23 | 調査
Wikipedia

日産・キャラバン
キャラバン(CARAVAN)は、日産自動車が販売している商用車ならびに乗用車。海外ではNV350アーバン(NV350 URBAN)の名で販売される。生産は4代目までは日産車体で、5代目からは同社子会社の日産車体九州。

日産・キャラバン
販売期間 1973年 -
製造国 日本 フィリピン マレーシア 南アフリカ共和国
ボディタイプ 4/5ドアキャブオーバー
駆動方式 FR
4WD(3代目 - )
別名 日産・アーバン(日本国外名)
5代目からは、日産・NV350キャラバンを参照。
本項では輸出仕様のアーバン(URBAN)も述べる。

目次
概要

キャブオーバー型のバン(1・4ナンバー)とコーチと呼ばれるバス(2ナンバー)、ワゴン(3・5・7ナンバー)が販売されているほか、いすゞ自動車にコモとしてOEM供給されていた。トヨタ・ハイエースが長年の競合車種である。 E24型までは完全な1BOX型であったが、E25型からは衝突安全基準の見直しで、クラッシャブルゾーンを設けた1.2BOX型となった。

縦置きトーションバースプリングのダブルウィッシュボーン式フロントサスペンションと、リーフスプリングのリジッド式リアサスペンションをもち、ブレーキはフロント側がディスク式、リア側がドラム式である。

ガソリンエンジンとディーゼルエンジンの設定がある。

海外ではURVAN(アーヴァン、E26は「NV350 URVAN」)という名称で販売されており、香港、タイ、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド向けは日本から輸出され、フィリピン、マレーシア、アフリカ諸国では現地生産されている[注釈 1][注釈 2]。

歴史

初代(E20型)
販売期間 1973年-1980年
乗車定員 3-15人
ボディタイプ 4/5ドアキャブオーバー
駆動方式 FR
-自動車のスペック表-

ライバルの2代目ハイエースに比べ、ホイールベースがやや長く、リアオーバーハングが短い設計でトヨタとニッサン、二社のこの思想の違いは次世代以降にも引き継がれることになる[注釈 3]。

1973年2月
E20型を発表。標準ボデーとロングボデーの2種類。3/6人乗りのバン、9人乗りコーチ、15人乗りマイクロバスが設定された。エンジンは1500ccのJ15型と1600ccのJ16型の2種類。
1976年1月
車名のみを変更した日産・プリンス店(スカイライン販売会社、日産プリンス沖縄販売ではキャラバンを販売)向けのキャラバンの姉妹車として「ホーミー」が発売。なお、ホーミーは旧プリンス時代の1965年に初代が登場している。
バンとコーチはNAPSにより昭和50年排出ガス規制適合。J16型エンジンを廃止(J15型エンジン搭載車は79年まで継続)、H20型 2000ccガソリンエンジンへ変更される。

1977年3月
一部改良。コーチは昭和51年排出ガス規制(C-KPSE21型)に適合。全車フロントシートベルト(中央席を除く)をELR装置付きに変更、電装系ではリアワイパー・パッシングライト装置を新設し駐車灯を左右同時点灯方式に変更。
1978年5月
初のマイナーチェンジ。外観ではフロントグリルを一新、室内ではスピードメーターが扇型から角型になり、同時にインパネのデザインも変更される。SD22型 2200ccディーゼルエンジンとハイエースに対抗したハイルーフのバンを追加。同時にマイクロバスはハイルーフ化。
1979年4月
バンはガソリン・ディーゼル共に昭和54年排出ガスならびに騒音規制(E21型)に適合する。J16型ガソリンエンジンがJ15と代わるかたちで復活する。同時にコーチのガソリンエンジン搭載車は昭和53年排ガス規制適合(E22型)のZ20型(105馬力のシングルキャブレター仕様)に変更される。

2代目(E23型)
販売期間 1980年-1986年
乗車定員 3-15人
ボディタイプ 4/5ドアキャブオーバー
駆動方式 FR
全長 4,350mm
全幅 1,690mm
全高 1,950mm
ホイールベース 2,350mm
車両重量 1,930kg
-自動車のスペック表-

キープコンセプトのデザインを採った。フロントウインドシールド、フロントドアおよびドアガラスは後にデビューする「アトラス」と共通で、ドア裾のホイールアーチの大きさのみが異なる。ホーミーとの違いは横基調のラジエーターグリルのみ。

1980年8月
E23型にモデルチェンジ。搭載エンジンは乗用モデルのコーチには直列4気筒SOHC・Z20型ガソリンエンジンと直列4気筒OHV・SD22型ディーゼルエンジンの2機種、バンには直列4気筒OHV・J16型およびH20型ガソリンエンジンとSD22型ディーゼルエンジンが設定された。SD22型ディーゼルエンジンは燃料噴射ポンプをE20系時代の列型から軽量、安価な分配型に変更し、特性も旧型より多少高速化している。バングレードにおいては、前列中央席の座面を跳ね上げると運転席から直接ラゲッジスペースへと移動できるというウォークスルー機構が採用された。このE23型になってディーゼル車はオーバードライブを持った5速ミッションに改められた。グリップと対転がり抵抗に優れるラジアルタイヤがオプション設定された。バンの最上級グレードであるGLには他者に先駆けてパワーステアリングがオプション設定され、加えてハイエースより遅れたものの、フロントベンチレーテッドディスクブレーキも設定されるようになった。コーチにはニッサンマチック(AT)、電動サンルーフ、パワーステアリング、回転対座シート、派手なデカールなどの設定があり、装備の充実を図ると共にRV化が進んでいった。この代からエアコンも従来の吊り下げ式クーラーからヒーター組み込み型のマルチエアコンになる。しかし、バングレードでは先代モデル末期に標準装備化されたELR機能付き3点式シートベルトがGL仕様のみの設定となる等の変更もなされた。
1981年7月
コーチSGL特別仕様車「シルクロード」発売。
1981年10月
第24回東京モーターショーに「キャラバン フレグラント」を参考出品。「ビジネスエリートのための動く専用室」とのコピーを与えられ、キックアップしたルーフにより室内高を拡大し、セカンドシート以後をソファーへ変更する。後の「ロイヤル」や「エルグランド ロイヤルライン」に通ずるコンセプトである。
1982年5月
一部変更で運転席ドアの三角窓(元々はめ殺しで開閉しないものだった)が廃止、メーターパネルのデザイン変更、バンのディーゼルエンジンはこの時、SD23型ディーゼルエンジンへ更新された。新たに設定されたSD23エンジンは、それまでのSD22型とはほとんどが別物(正確にはSD20型のボアアップ版であり、クランクシャフトが5ベアリング化される等大幅な設計変更がされた)でハイエースのL型ディーゼルと比較すると相変わらず低回転域のトルクを重視したものであったが、時代にあった性能に進化していた。ニッサンマチック(AT)も設定されたがオーバードライブを持たない旧式な3速式であった。バン系は一部のグレードを除いてラジアルタイヤが標準装備化された。コーチはAT/MT共にフロアシフト化。セカンドシートをキャプテンシートとし、7人乗りとした「シルクロードリムジン」を追加。コーチのディーゼル車はターボが付き、LD20Tに変更。その他モデルもディーゼル車の昭和57年排出ガス規制適合。バンのガソリン車は56年排出ガス規制適合と同時に、H20からZ18S / Z20Sに変更。Z型を名乗るが、商用車用ということで排ガス規制が緩く、シングルプラグ式のヘッドと、キャブレターの組み合わせである。
1983年4月
マイナーチェンジでフロントグリルの変更。コーチSGL系は角形4灯ヘッドランプおよび大型バンパーを採用し、精悍な面持ちとなった。SGLシルクロードとGLの間に角形4灯ライトの「FL」を設定。「ロング10人乗りDX」を追加。
1985年1月
バンに3/6/9人乗り追加及びバン、マイクロバスの時計、メーター、ディーゼルエンジンの予熱回路を変更。合わせて快適性に優れるパワーステアリング、経済性に優れるラジアルタイヤ、安全性に優れる運転席・助手席ELR機能付き3点式シートベルト、フロントベンチレーテッドディスクブレーキの拡大採用が行われ、商品性の向上に努めた。また、バンのガソリン車はオーバードライブを持つ5速MTに改められた。
1985年5月
8人乗りに「SGLシルクロードリミテッド」を追加設定。

日産・キャラバン(3代目)
E24型
販売期間 1986年-2001年
乗車定員 2-15人
ボディタイプ 4/5ドアキャブオーバー
エンジン 2L Z20/NA20S/KA20DE
2.4L KA24DE
3L VG30E
直4 ディーゼル
2L LD20T
2.3L TD23
2.7L TD27/TD27T/TD27Ti/TD27ETi
3.2L QD32
駆動方式 FR/4WD
変速機 4AT/5MT
全長 4,420-5,010mm
全幅 1,690mm
全高 1,950-2,395mm
ホイールベース 2,375-2,645mm
-自動車のスペック表-

1986年9月
E24型にモデルチェンジ。コーチ(乗用モデル)のキャッチコピーは「ROYAL1BOX CARAVAN」。当初は「シルクロードリムジン」が最上級グレードであり、デジタルメーターが装備された。搭載エンジンは、コーチがZ20型ガソリン、及びLD20T・II型のディーゼルターボ、バンがTD23型ディーゼルエンジン、Z20型ガソリンエンジンとなった。
同時に荷室左側の窓を大型化したエポックメイキングなモデル、「ビックリウインドウ」がロング平床バンDXに設定された。MT、AT車共にすべてフロアシフトになった。AT車はオーバードライブ付4速式にアップデートされた。
1987年2月
バンに全高を2,400mmにアップしたスーパーハイルーフを追加。  
1987年10月
TD27型ディーゼルエンジン搭載のパートタイム4WD車とリヤのオーバーハングを350mmストレッチしたスーパーロング(バンと15人乗りマイクロバス)を追加。既存モデルは一部変更。シルクロードにタコメーターを標準装備した。
1988年1月
特別仕様車シルクロード リミテッド88を地域限定発売。
1988年8月
特別仕様車シルクロード、シルクロードブラネタルーフ発売。
1988年10月
コーチにVG30Eガソリン(2WD)、TD27Tディーゼルターボ(2WD・4WD)を搭載した「GTシリーズ」(ガソリン車のみ3ナンバー登録)を追加発売。キャッチコピーは「1BOX INNOVATION」。グレードは「GTリムジン」「GT」の2つのみで同社のバネット・ラルゴに設定された「クルージング系」と共に、走行性能を意識した1BOXの登場といえるものであった。これにより「シルクロードリムジン」は廃止された。商用系のディーゼルエンジン車はTD27型に統一。
1989年8月
「GTクルーズ」を追加。
1990年10月
マイナーチェンジ。コーチ系は「GTリムジン」と「GTクルーズ」に搭載されていたTD27TをTD27Ti(インタークーラーターボ)に変更するとともに(コーチのTD27T搭載車は「GT」のみ存続、5ナンバーのまま)、コーチはフロントグリルの形状変更(DX除く)やテールランプの大型化(DXとGL除く)が行われ、8人乗りモデルの最上級グレードとして「リムジン」とE23型以来の7人乗りモデルであり、コーチ系の最上級グレードであるロングボディでキャプテンシートを持つ「ロイヤル」がそれぞれ設定される。この2つのグレードには当時の1BOX車としては初めて本革シートがオプション設定された。また、バンはコーチ・シルクロードと同等の外装、装備を持った「VX」を追加した。
バンのガソリンエンジンがZ20からNA20Sに、コーチのLD20Tエンジン(2WD車)はTD27型(85馬力)にそれぞれ変更された。また、NA20S車にはロックアップつきのATが新設定された。
1993年5月
一部変更でTD27Tターボディーゼル搭載の「GT」が廃止/エアコンの代替フロン化/テールゲート中央に「NISSAN」のCIマークが付く。
1994年11月
コーチを一部変更。装備品の見直しで値段を下げたサンルーフ付の「GTクルーズS」とサンルーフなしの「GTクルーズS Limited」を追加し、オーテックジャパンの手による特別仕様車「フウライボウ」のベース車を「GTクルーズS」へ変更。「シルクロード・プラネタルーフ」は廃止。
1995年8月
コーチを一部変更。ラジエータグリルの意匠変更のほか、ディーゼルターボエンジンをTD27Ti型からTD27ETi型へ変更。コーチのガソリン車はV6のみに集約。「GTクルーズSプラネタルーフ」を追加と同時に「シルクロード」は消滅。「フウライボウ」のベース車を「GTクルーズSプラネタルーフ」へ変更。全車運転席エアバッグを標準装備した。同月、いすゞ自動車へのOEM供給を開始。当初の名称は「いすゞ・ファーゴ」だった。搭載するエンジンはTD27ETi型(LS)、およびTD27型(LDロングボディー)の2機種。キャラバンとホーミーの外観の違いはラジエータグリルが異なる程度である。
1996年9月
バンのAT車に新型ディーゼルエンジンのQD32型が追加された。TD27よりも黒煙排出量が激減した。ただしターボチャージャーが付いていないのでパワフルになったわけではない。
1997年5月
乗用専用モデル「キャラバン・エルグランド」「ホーミー・エルグランド」登場(1999年7月、車名を「エルグランド」に統一)。E24型乗用モデル(コーチ)は継続生産となったが、グレードの大幅縮小(GLとDXのみ)が行われた。またバンはVXを除きフロントフェイスを一新し、コーチの初期型に近いものとなり、内側にフォグランプが追加された異形ヘッドランプとなった。MT車のディーゼルエンジンもQD32へ変更された。ガソリンエンジンはNA20のまま。このマイナーチェンジで車種記号が日産共通の18桁化された。
1999年6月
マイナーチェンジに伴いホーミーをキャラバンに統合。同時に乗用モデル「コーチ」設定廃止。商用及びマイクロバスのみの展開となる。搭載エンジンは直列4気筒DOHC KA20DE型、KA24DE型および直列4気筒OHVディーゼル QD32型の3機種。「2.0 TWINCAM」、「2.4 TWINCAM」、「3.2D」のエンジンを表すデカールがテールゲート下に貼られることになった。ガソリン車のATが4ATからE-ATになった。
バンの2WDの平床仕様はサスペンションの改良とホイールの15インチ化で積載量を1250kgに増量。
1999年12月
オーテックジャパンによる圧縮天然ガス仕様車「キャラバンCNGV」を追加。
発売当初のみ、キャラバンとホーミーのバンのロングボディー標準ルーフ平床DXに左側のクオーターウィンドウを745mm×1450mmという超大型の引き違い窓とした「ビックリウィンドウ」が設定されていた。荷役の他、対面販売や宣伝用途も考慮されたこの窓は荷室側面の雨といとスライドレールの間がほとんどガラス張りという大胆なスタイルであったが、車外からの施錠・開錠と開閉に対応する鍵穴と取っ手も備わっており、実用面での抜かりも無かった。ただ、中古車市場においても、街中においても見かけることは滅多にない様であり、販売台数は極端に少なかったものと予想される。この時期の日産社内ではパイクカー計画も進行中であり、デザインを統括していた前澤義雄の下、これ以降、商用車においても、エスカルゴやAD-MAX、アトラスロコといった、日本車離れしたスタイルのクルマを積極的に投入していく。ビックリウィンドウを含む平床車のリアタイヤは、205/60/R14.5という超扁平小径ワイドタイヤで、このサイズも国内初登場であった。

日産・キャラバン(4代目)
E25型
販売期間 2001年-2012年
乗車定員 2 - 12人
ボディタイプ 4/5ドアキャブオーバー
エンジン 直4 2.4L KA24DE
直4 2L KA20DE
直4 2L QR20DE
直4 2.5L QR25DE
4気筒 3L ZD30DD/ZD30DDTi
駆動方式 FR/4WD
変速機 5MT/5AT(5E-ATx)/4AT(E-ATx)
サスペンション 前: ダブルウィッシュボーン
後: リジッドリーフ式
全長 4,690mm(前期型ロング)
4,695mm(後期型ロング)
4,990mm
(前期型スーパーロング)
4,995mm
(後期型スーパーロング)
全幅 1,690mm
全高 1,990mm(標準ルーフ)
2,285mm(ハイルーフ)
ホイールベース 2,415/2,715mm
別名 日産・アーバン
-自動車のスペック表-

2001年4月26日
E25型発表。バン(1・4・8ナンバー)およびマイクロバス(2ナンバー)のみとなり、ロングボディとスーパーロングボディを設定。クラッシャブルゾーンを確保しつつも、ロングボディは4ナンバーサイズに収められている。搭載するエンジンは全て直列4気筒DOHCのKA24DE型、KA20DE型、およびZD30DD型直噴ディーゼルの3機種。当初GXとDXのエアバッグはオプション設定だったが後に標準装備となる。
AT車は全車コラムシフト、MT車は全車フロアシフトの設定。(コラムシフト車の設定は、先々代のE23型以来である)
クラッシャブルゾーンを確保した関係からマイクロバスは12人乗となり、乗車定員が減少した。
2001年5月14日
E25型発売。いすゞへのOEMモデルは「いすゞ・コモ」に名称変更。
2001年10月25日
サッカー日本代表チームのユニフォームと同じジャパンブルーの車体色、「Japan national team」のステッカー等を装備した限定車「サッカー日本代表モデル」を50台限定で発売。
2001年11月20日
「10人乗りコーチ」(3ナンバー)追加。搭載するエンジンはKA24DE型。オーテックジャパンの手による「ジャンボタクシー」を設定。
2002年1月
オーテックジャパンの手による5ナンバーサイズの幼児通園専用車を設定。
2002年9月30日
2WDのオートマチック全車に、ZD30DDTi型直噴ディーゼルターボエンジン搭載車を追加。4WD車はオーテックジャパンの手により設定。ハイエースが100系中期以降から既にフルタイム式を採用している一方、先代同様にパートタイム式を用いている。ZD30DDTi搭載車は、エンブレムの表記が以前の「3.0Di」から、「3.0Di INTERCOOLER」に変更。
2002年10月
第36回東京モーターショー(商用車)に「キャラバンデリバリーバージョン」、および「キャラバンCNG車」を出品。
2003年5月20日
マイナーチェンジ。内外装を一部変更、仕様・装備を見直した他、8人乗りコーチ(乗用モデル)のシルクロードを追加。シルクロードは8年振りの復活である。
2003年7月11日
日産車体により、子会社であるオートワークス京都が販売している「キャラバン救急車」をベースとするSARS(重症急性呼吸器症候群)患者対応救急車を京都府に寄贈。
2003年10月2日
オーテックジャパンの手により、バンにCNG車(圧縮天然ガス自動車)を設定。E24型のCNG車に対し、ガスタンクを小径とし、床下に複数搭載する方法に変更している。エンジンはKA20DE型をベースとしている。
2004年8月20日
一部改良。ディーゼルエンジンをZD30DDTi型のみとして出力向上。バンGXの内外装デザインを変更し、5ドア車を追加設定。
2004年10月
第38回東京モーターショー(商用車)に「キャラバン ボックス イン ボックス」を出展。
2005年12月26日
マイナーチェンジ。フロントグリル、フロントバンパー、ヘッドランプのデザインを変更し、フロント部分のデザインを一新。同時にヘッドライトレベライザーを全車に標準装備した。
2007年8月31日
一部改良。ディーゼルエンジン搭載車の新長期排ガス規制適合に加え、ガソリンエンジン搭載車のエンジンをQR型に変更、5速オートマチック車の採用(ガソリン車)が行われた。タコメーターが全車標準装備となる。
2007年11月
特別仕様車「スーパーGX」を設定。シルクロード同様の分割スライドとリクライニングを採用したセカンドシート、カプロン加工等を装備。パーソナルユーズを意識したグレードとなった。
2009年1月28日
仕様向上。特別仕様車として発売されていた「スーパーGX」をカタログモデルに昇格し、「スーパーDX」を廃止。外装面では「DX」にカラードバンパーとフルホイールカバーを、バンとコーチの「GX」にカラードフィニッシャーをそれぞれ標準装備化し、「GX」と「スーパーGX」専用ボディカラーを追加。さらに、バン全車にはハイマウントストップランプを追加すると共に、バン「DX」は助手席SRSエアバッグシステムも標準装備化された。尚、これを機にシルクロードは廃止された。
2009年12月22日
特別仕様車「DX V-Limited」を設定(2010年1月15日発売)。バン「DX」をベースに、フロントグリル・バックドアアウターハンドル・電動格納式リモコン広角ミラーなどにメッキパーツを採用し、力強いエクステリアを採用すると共に、内装にもフロント・セカンドシートにスエード調トリコット生地を採用して質感を向上すると共に、助手席パワーウィンドウ、プライバシーガラスなどを装備し、機能性を高めた。2010年3月までの期間限定販売。ボディカラーは専用色の「ミスティックブラック」を含む4色を設定した。
2010年8月30日
仕様向上。バン「DX」の2列目シート機構を見直し、2列目シート乗車時でも6尺合板の積載を可能とした他、バン「GX」・「スーパーGX」のインパネをシルバー塗装に統一するなどの変更を行った。また、バンのQR20DE型エンジン搭載車は「平成27年度燃費基準」を達成したことで、環境対応車普及促進税制に適合した。同時にオーテックジャパン扱いの福祉車両「ライフケアビークル」にはコーチをベースに電動式スライドステップや乗降用大型手すり等を装備した「アンシャンテ 送迎タイプ」を新たに設定。「チェアキャブ」は車いす固定フックの形状を変更し、使い勝手を向上した。
2010年12月24日
新たにポスト新長期規制に対応したZD30DDTi型ディーゼルエンジン車を追加。合わせて、2010年1月に発売した特別仕様車「DX V-Limited」のバージョンアップ仕様である「DX V Limited II」を発売。基本的な装備内容は「DX V-Limited」と同等だが、ボディカラーに専用色の「ディープカシス」を追加した。

5代目「NV350キャラバン」(E26型 2012年-)

前期型バン プレミアムGX
(ロングボディ・標準幅・標準ルーフ)
詳細は「日産・NV350キャラバン」を参照
11年ぶりとなるフルモデルチェンジを発表し、同日より販売開始(当初はガソリン車のロングボディ・標準ルーフ仕様のみ、ディーゼル車とスーパーロングボディ・ハイルーフ仕様は7月13日販売開始)。同時に車名を「NV350キャラバン」に改名した[1]。COOの志賀俊之は「小型商用車のトップブランド」と「クラス全体のシェア40%」を目指すべく、同クラスのトップセラーであり、長年のライバルでもあるハイエースを全ての面で圧倒するよう開発陣に指示した[2]。なお、チーフデザイナーはNV200バネット(NV200)も担当した倉岡亨一であり[3]、両サイドのプラグ式ウインドウも引き続き採用されている。

受賞歴

2012年12月12日
タイガーアイブラウン(PM)#KBE(エクステリア)×ブラック×グレー(インテリア) の組み合わせがオートカラーアウォード2013企画部門賞(OYAKATA MIND賞)を受賞。[4]

車名の由来

車名の由来は、「隊商」の意味。5代目のNVは「日産(Nissan)のバン(Van)」、350は「車両総重量3,500kgクラス」を意味する。

尚、ダッジ・キャラバン(日本名・クライスラー・ボイジャー)とは一切関係ない。

派生車種

エルグランド
ホーミー(姉妹車)

脚注

注釈
^ アフリカでの生産拠点は南アフリカ共和国。
^ フィリピンでは日産モータースフィリピンズでE24型が生産されている。
^ ハイエースは、標準、ロング、スーパーロングの3種類のホイールベースを設定していたのに対し、キャラバン/ホーミーは標準とロングの2種類のみで、スーパーロングはリアオーバーハングを延長することで対処していた。現在はハイエース、キャラバン共に、ロングとスーパーロングの2種となっている。

出典
^ 「NV350キャラバン」を発売 - 日産自動車 ニュースリリース 2012年6月15日
^ 小型商用車のシェア奪回へ、日産が“異例”の発表会東洋経済オンライン 2012年6月19日
^ 「NV350キャラバン」開発者インタビュー 〜プロダクトチーフデザイナー 倉岡亨一〜日産自動車 公式サイト内 2012年6月15日(2012年6月19日 閲覧)
^ オートカラーアウォード2013各賞決定!![リンク切れ]

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、日産・キャラバンに関連するカテゴリがあります。
日産・エルグランド
日産・パラメディック
日産・NV
いすゞ・ファーゴ
いすゞ・コモ
トヨタ・ハイエース
三菱ふそう・キャンターバン

外部リンク

日産:NV350キャラバン ビジネスセダン/バン Webカタログ ホーム
NV350 URVANタイ日産公式サイト
NV350 URVAN日産香港公式サイト
WEBカタログバックナンバー キャラバン(E24・後期型)
WEBカタログバックナンバー キャラバン(E25・前期I型)
WEBカタログバックナンバー キャラバン(E25・前期II型)
WEBカタログバックナンバー キャラバン(E25・中期型)
WEBカタログバックナンバー キャラバン(E25・後期型)
WEBカタログバックナンバー キャラバンシルクロード(E25・前期型)
WEBカタログバックナンバー キャラバンシルクロード(E25・中期I型)
WEBカタログバックナンバー キャラバンシルクロード(E25・中期II型)
最終編集: 5 日前、匿名利用者
関連ページ
いすゞ・コモ
日産・QRエンジン
L型エンジン

Wikipedia


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ワイドボディ車にガソリン4WDモデル新登場。

バン最大の積載力を誇るワイドボディと、14名がゆとりを持って快適に乗車できるマイクロバス。幅広い車種バリエーションで、幅広いビジネスニーズに応えるNV350キャラバンに、待望のワイド幅・2.5Lガソリンエンジン車4WDモデルを新設定。 道を選ばないそのパワフルな走りは、ビジネスの新しい道も切り拓きます。

用途・環境で選べる3タイプのエンジン。

ガソリンエンジンQR20DE/QR25DE
重積載時でも力強く加速する直列4気筒ガソリンエンジン。高速走行時のエンジンの不快なこもり音を抑制するバランサーシャフトの採用などにより、静粛性も追求しています。定評のある環境性能に加え、燃費性能も向上。「平成17年基準排出ガス50%低減レベル」に認定されています。

QR20DE
■ 総排気量1.998L
■ 最高出力96kW(130PS)/ 5600rpm
■ 最大トルク178N・m(18.1kgf・m)/ 4400rpm

QR25DE
■ 総排気量2.488L
■ 最高出力108kW(147PS)/ 5600rpm
■ 最大トルク213N・m(21.7kgf・m)/ 4400rpm

ディーゼルターボエンジンYD25DDTi
4ナンバーバンクラストップ*1の高トルクを実現し、商用車にふさわしいパワフルな走りを実現。さらに、インタークーラー付ターボ搭載で、優れた燃費性能も両立。先進のクリーンディーゼルテクノロジーにより、環境性能も追求しています。「平成21年排出ガス規制(ポスト新長期規制)」に適合しています。

YD25DDTi
■ 総排気量2.488L
■ 最高出力95kW(129PS)/ 3200rpm
■ 最大トルク356N・m(36.3kgf・m)/1400-2000rpm
5AT( フルレンジ電子制御5 速オートマチック〔5E-ATx〕)
5AT(フルレンジ電子制御5速オートマチック〔5E-ATx〕)
商用車として初めて、ディーゼルターボ車に5ATを採用。より滑らかな変速フィーリングを実現し、低燃費にも貢献します。
ヒルスタートアシスト
パートタイム4WD
路面状況などに応じて、スイッチひとつで2WD⇔4WDの切り替えが可能です。
※2WD⇔4WDの切り替えは車速80km/h以下で行ってください。
ヒルスタートアシスト(AT車)
ブレーキペダルを離した後の2秒間、車両を停止させることにより坂道でのずり下がりを防止。重積載時でも、坂道で安心して発進できます。
*1 排気量2.0L以上の4ナンバーバンクラス(2017年5月現在 日産調べ)。
●ディーゼルターボ車に搭載のDPF(ディーゼル・パティキュレート・フィルター)は自動再生しない場合があります。
●エンジンオイルの交換時期はオイル交換告知機能に従ってください。
※DPFとは、エンジンから排出されるPM(粒子状物質)を捕集・除去する装置です。


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Wikipedia

日産・NV350キャラバン

NV350キャラバン(NV350 CARAVAN)は日産自動車が製造・販売している商用バンである。

日産・NV350キャラバン(5代目)
E26型
販売期間 2012年-
乗車定員 3-9人(バン)
10人(ワゴン)
14人(マイクロバス)
16人(マイクロバス、タイ仕様)
ボディタイプ 4/5ドアキャブオーバー
エンジン 直4 2L QR20DE
直4 2.5L QR25DE
直4 2.5L YD25DDTi
駆動方式 FR/4WD
変速機 5MT/5AT(5E-ATx)
サスペンション 前:ダブルウィッシュボーン
後:リジッドリーフ式
全長 4,695mm(ロング・標準幅)
5,080mm(スーパーロング・標準幅)
5,230mm(スーパーロング・ワイド幅)
全幅 1,695mm(標準幅)
1,880mm(ワイド幅)
全高 1,990mm(標準ルーフ)
2,285mm(ハイルーフ)
ホイールベース 2,555mm(ロング)
2,940mm(スーパーロング)
車両重量 1,680-2,280kg
先代 日産・キャラバン
-自動車のスペック表-

目次
概要

2012年6月15日に11年ぶりとなるフルモデルチェンジを発表し、同日より販売開始(当初はガソリン車のロングボディ・標準ルーフ仕様のみ、ディーゼル車とスーパーロングボディ・ハイルーフ仕様は7月13日販売開始)。同時に車名を「NV350キャラバン」に改名した[1]。NVのつく車名は、日本では今回が3例目。COOの志賀俊之は「小型商用車のトップブランド」と「クラス全体のシェア40%」を目指すべく、同クラスのトップセラーであり、長年のライバル車種でもある「トヨタ・ハイエース」を、全ての面で圧倒するよう開発陣に指示した[2]。なお、チーフデザイナーはNV200バネット(NV200)も担当した倉岡亨一であり[3]、両サイドのプラグ式ウインドウも引き続き採用されている。

歴史

2011年11月8日
「NV350キャラバン」を第42回東京モーターショーに出展することを発表[4]。
2012年6月15日
11年ぶりとなるフルモデルチェンジを発表し、同日より販売開始(当初はガソリン車のロングボディ・標準ルーフ仕様のみ、ディーゼル車とスーパーロングボディ・ハイルーフ仕様は7月13日販売開始)。同時に車名を「NV350キャラバン」に改名した[5]。COOの志賀俊之は「小型商用車のトップブランド」と「クラス全体のシェア40%」を目指すべく、同クラスのトップセラーであり、長年のライバルでもあるハイエースを全ての面で圧倒するよう開発陣に指示した[6]。なお、チーフデザイナーはNV200バネット(NV200)も担当した倉岡亨一であり[7]、両サイドのプラグ式ウインドウも引き続き採用されている。
ディーゼル車は「クリーンディーゼル・テクノロジー」を採用した改良型のYD25DDTi型を採用。ターボチャージャーの特性変更によって低回転からの過給を可能にし、余裕あるトルクを発生。さらに、パイパス機能付きEGRクーラー[注釈 1]によりNOxの発生を抑えるとともに、商用車初搭載となるリーンNOxトラップ触媒により発生したNOxを浄化することで排出ガスをクリーン化、パラレルポートシリンダーヘッドの採用により燃費も向上した。ガソリン車は先代同様にQR20DE型・QR25DE型を採用するが、オルタネーター回生制御やフリクションの低減、アイドル回転数を低く抑えることなどにより燃費を向上した。これらにより、5MT車の一部を除くバン全車で「平成27年度燃費基準」を達成[注釈 2]した。
バン「プレミアムGX」とワゴン「GX」にはキャブオーバー商用車初となるインテリジェントキーとプッシュエンジンスターターを標準装備。使い勝手と左右への移動を考慮し、パーキングブレーキはAT車は足踏み式(MT車はステッキ式)に変更した。全車においては平均燃費・渡航可能距離などの情報を確認できる車両情報ディスプレイを採用(バン「プレミアムGX」とワゴン「GX」はカラータイプ)。
グレード体系はバンは「DX」と「プレミアムGX(5ドア・ロングボディ・標準ルーフ・5AT・5人仕様のみ設定)」、ワゴンはロングボディ・標準ルーフ仕様の「DX」とスーパーロングボディ・ハイルーフ仕様の「GX」の各2グレードずつ設定する。
併せて、オーテックジャパン扱いのカスタムカー「ライダー」が登場(バン・ワゴンともに設定)。専用のフロントマスクを採用した。バン「ライダー プレミアムGX」には本革巻3本スポークステアリングや防水シート地などを装備した「インテリアパッケージ」を設定。
今回より円高下での競争力を高めるべく(=コスト上昇を最小限に食い止めるため)、輸入を含む部品調達に都合の良い日産車体九州に生産拠点を移管した。部品調達比率は九州内のサプライヤーが全体の約50%、近隣諸国が約40%(うち、ルノーサムスン自動車のサプライヤーが集中する韓国が半数の約20%)となっている[8][9]。また、ディーゼル車は日産が展開するエンジン進化型エコカー「PURE DRIVE(ピュアドライブ)」の8車種目(商用車では初の車種)となるため、その証として、リア右下に「PURE DRIVE」エンブレムが装着される。
2012年7月10日
先代に引き続き、「いすゞコモ」も当代をベースにモデルチェンジ。ただし、インテリジェントキーやホイールカバーが設定されないなど一部装備が異なる。
2012年12月7日
既存のスーパーロングボディをベースにしたワイドボディを追加発売。ワイドボディでは3人乗車時で8,400 L の荷室容積を確保したバンの他に、14人乗りのマイクロバスも設定。グレード体系はバンのワイドボディは「DX」のみ(4ドア・6人乗り・5AT・低床フロア仕様のみの設定)、マイクロバスは「DX」と「GX」を設定する。いずれのタイプにも2.5Lガソリン車(バンの「DX」ワイドボディは2WD車のみ)とディーゼル車を設定する。併せて、「プレミアムGX」及び「DX」ワイドボディには専用15インチアルミホイール、電動格納式リモコンメッキドアミラー、専用防水シート地、本革巻3本スポークステアリングを装備した「クロムギアパッケージ」を設定した(2013年1月23日販売開始)。
2013年6月28日
ワゴンに新グレードの「GX(オートスライドドア付)」を追加(9月2日販売開始)。従来、「GX」はスーパーロングボディ・ハイルーフ仕様のグレードとしてラインナップされていたが、新グレードでは既存の「DX」と同じロングボディ・標準ルーフ仕様で、「GX」の装備内容に加え、ワンタッチオートスライドドア(挟み込み防止機構付)を追加し、さらに、マイクロバス同様、オゾンセーフデュアルエアコンに後席個別吹き出しが追加され、スライドドア乗降グリップはフロントにも装備した。なお、本グレードは特装車扱いで、持込み登録となる。
2013年11月25日
バン「プレミアムGX」をベースに、「クロムギアパッケージ」の専用装備(電動格納式リモコンメッキドアミラー、15インチアルミホイール、本革巻3本スポークステアリングホイール、防水シート地(フロント&セカンド))に加え、グリルとバックドアフィニッシャーをブラックメッキ化し、バイキセノンヘッドランプ(ハイ/ロービーム、LEDポジションランプ、オートレベライザー付)を特別装備しながら購入しやすい価格設定にした特別仕様車「プレミアムGX クロムギアパッケージ バージョンブラック」を発売。
2014年10月3日
三菱ふそうトラック・バスとの間で海外向け商用バンのOEM供給についての正式契約を締結。年内にNV350キャラバンの海外向けモデルであるNV350 URVANをベースに、中東向けに、海外市場専用車種の「キャンターバン」として同社へOEM供給される[10]。
2014年11月7日
コーチ「DX」及びバン「DX(スーパーロングボディ・ハイルーフ仕様)」をベースにした「幼児通園専用車」を一部仕様変更(2015年1月27日販売開始)[11]。「幼児専用車の車両安全性向上のためのガイドライン」に基づき、シートバックの高さを延長し、背面に緩衝材を追加。同時に、運転席ガードバー及び乗降用手すりの形状を変更し、保護パッド(緩衝材)の追加により安全性を高めた。併せて、シート座面の生地を背面と同じ「なかよし動物音楽隊」柄に変更した。なお、既に保有しているユーザー向けに、シートバック背面に緩衝材を追加したクッション付シート半カバーと保護パッド付運転席ガードバー及び乗降用手すりを発売する予定であることも併せて発表された。
2014年12月5日
オーテックジャパン扱いの特別仕様車「ライダー ブラックライン」及び「アンシャンテ 送迎タイプ マイクロバスGX」を発表(「ライダー ブラックライン」は同日より販売開始、「アンシャンテ 送迎タイプ マイクロバスGX」は2015年3月販売開始)[12]。
「ライダー ブラックライン」は「ライダー」をベースに、フロントグリル・フロントバンパーモール・エンブレム(Rider/AUTECH)をダーククロムの専用品に置き換えるとともに、バックドアフィニッシャーをブラックメッキ化。さらに、通常はオプション設定となっているLEDデイタイムランニングライトと「インテリアパッケージ」を標準装備するとともに、バイキセノンヘッドランプも装備した。
「アンシャンテ 送迎タイプ マイクロバスGX」は10人乗りワゴン仕様で設定されている「アンシャンテ 送迎タイプ」に14人乗りマイクロバス仕様として追加されるグレードで、オートステップ、オレンジ色の乗降用手すりやアシストグリップ、オートスライドドアも装備されている。なお、本グレードでは、介護施設や病院に限らず幅広い用途に対応するため「多人数乗り送迎車」としている。併せて、「アンシャンテ 送迎タイプ」は一部グレードにバイキセノンヘッドランプのオプション設定を追加した。
2015年5月25日
バン「プレミアムGX」をベースにした「トランスポーター」を一部改良[13]。
荷室の床張りにロンリューム加工を標準設定。併せて、ベース車の「プレミアムGX」のシート生地と同じ素材を用いたベッドシステム(オーテック扱いオプション)やサイドマルチパイプを新たにオプション設定した。
2016年1月26日
一部仕様向上(2月23日販売開始)[14]。
バンの2WD・ロングボディ・低床・AT車に、小型貨物車4ナンバーバンクラスで初めてとなる自動ブレーキ「エマージェンシーブレーキ」[注釈 3][注釈 4]、VDC、ヒルスタートアシストを標準装備した「エマージェンシーブレーキパッケージ」を新設定。ボディカラーは「オーロラモーヴマルチフレックスカラー」が廃止された代わりに新色の「ダークブルーパール」を設定し、従来は「DX」とマイクロバス「GX」のみの設定だった「ホワイト」をワゴン・バンの「GX」系グレード(バン「プレミアムGX クロムギアパッケージ」を除く)と「DX EXパック」にも拡大設定した。
また、オーテックジャパン扱いの「ライダー」にもバン・2WD・ロングボディ・低床AT車に「エマージェンシーブレーキパッケージ」が設定され、「ライフケアビークル」の「アンシャンテ 送迎タイプ」にはボディカラーの拡大(新色「ダークブルーパール」の設定と「ホワイト」の設定可能グレード拡大)が行われた。
2016年11月25日
一部改良(バンのみ同日発売開始、ワゴン・マイクロバスは同年11月30日販売開始)[15]。
バンは2WD・ロングボディ・低床・AT車において、従来は「エマージェンシーブレーキパッケージ」での設定だったエマージェンシーブレーキとVDCを標準装備化。ワゴンとマイクロバスはVDCを全車に標準装備し、5AT車はシフトレバーのインジゲーター部に夜間照明を追加した。オーテックジャパン扱いの「ライダー」シリーズと「ライフケアビークル」シリーズもベース車に準じた改良を行った。
2017年6月1日
夏にマイナーチェンジを行うこととなり、標準モデルと「ライダー」のエクステリアを先行公開したことを発表した[16][17]。
2017年7月13日
マイナーチェンジを公式発表[18]。
前期型ではバンの2WD・ロングボディ・低床・AT車のみに標準装備されていたインテリジェント エマージェンシーブレーキ、VDC(TCS機能を含む)、ヒルスタートアシストをバン全車に拡大して標準装備[注釈 5]。また、4ナンバークラスの小型貨物車で初めてとなるインテリジェント アラウンドビューモニター(移動物検知機能付)を採用し、メーカーオプション設定。そのほか、バン「プレミアムGX」、ワゴン/マイクロバス「GX」には、バックドアオートクロージャー[注釈 6]とオートエアコン+リアクーラーを装備した。また、カーナビゲーションのワイドモデルの装着が可能となった。
外観はフロントグリルを大型化したほか、バン「プレミアムGX」とワゴン/マイクロバス「GX」はリアコンビネーションランプをLED化し、LEDヘッドランプ(ハイ/ロービーム、オートレベライザー付)をマイクロバス「DX」を除く全車にメーカーオプション設定した[注釈 7]。ボディカラーの一部入れ替えも行われ、「タイガーアイブラウンパールメタリック(オプションカラー、バン/ワゴン「DX」及びマイクロバスを除く)」、「ブレードシルバーメタリック」、「スーパーブラック」の3色を廃止する替わりに、「インペリアルアンバーパール[注釈 8](オプションカラー)」、「マルーンレッドマルチフレックスパールメタリック(オプションカラー)」、「ファントムブラックパール(オプションカラー)」、「ダークメタルグレーメタリック」の4色を追加[注釈 9]し、8色展開となった。内装では、バン「プレミアムGX」、ワゴン/マイクロバス「GX」において、ステアリングにシルバー加飾を施し(マイクロバス「GX」を除く)、シートファブリックをブラック生地にホワイトのラインをランダムで配したデザインに変更した。
グレード体系においては、バンに「DX」と「プレミアムGX」の中間にあたる「VX」を追加(標準幅・6人乗り仕様のみの設定)。「DX」に、UVカット断熱プライバシーガラス(スライドドア、リアサイド、バックドア)、スライドサイドウインドウ(セカンドシート両側)、サイドターンランプ付電動格納式リモコンドアミラー(メッキ)、シルバー加飾付ステアリング、リアホイールハウストリム(カーペット)、メッキバックドアフィニッシャーを追加し、フロントグリルをメッキ化した。
オーテックジャパン扱いの「ライダー」・「送迎タイプ」・「チェアキャブ」もマイナーチェンジが行われ、ベース車同様の改良が行われたほか、「ライダー」はフロントマスクを刷新し、サイドシルプロテクター&リアアンダープロテクターやルーフスポイラーなどを新たにオプション設定したほか、「プレミアムGX」ベース仕様には、本革巻3本スポークステアリング・防水シート(セルクロス/カブロン/パートナー)・ドアトリムで構成された専用インテリアやフロントマーカーLED、15インチアルミホイール、LEDヘッドランプを装備した「プロ・スタイルパッケージ」を設定した。「送迎タイプ」には、助手席ワンタッチオートスライドドア(挟み込み防止機構付)を標準装備したワゴン「GX」を追加。「チェアキャブ」は前期型の「車いす1名仕様」を仕様向上し、もう1名車いす乗車を可能にする「車いす1+1名仕様」に改名。また、ベース車ではメーカーオプション設定となるインテリジェント アラウンドビューモニター(移動物検知機能付)を標準装備した。
2017年9月
OEMモデルであるいすゞコモの販売が終了。
2017年11月16日
スーパーロングボディ・ワイド幅仕様(バン「DX」及びマイクロバス、オーテックジャパン扱いの「送迎タイプ マイクロバスGX」)に2.5Lガソリン・4WD車の追加設定が発表された(12月11日販売開始)[19]。
併せて、「プレミアムGX」とオーテックジャパン扱いの「ライダー」には助手席側ワンタッチオートスライドドアのオプションを追加設定することも発表された(本オプションは2018年1月16日販売開始)。

脚注

注釈
^ 冷間始動時や排ガス温度が低い場合はEGRクーラーを通さない。
^ 仕様により、「平成27年度燃費基準+5%」、「平成27年度燃費基準+10%」を達成
^ なお、日産の商用車では6代目スズキ・エブリイのOEMモデルである3代目NV100クリッパーに既に採用済みで、NV350キャラバンが日産の商用車で2車種目の採用となるが、日産の自社製造による商用車では初採用となった。
^ 多くの日産車で採用されているものとはセンサーの方式が異なり、スカイライン・フーガで採用されているミリ波レーダーを採用している。
^ ヒルスタートアシストはAT車のみの装備。メーカーオプションにより非装備設定も可能。
^ 「DX」は助手席側スライドドアオートクロージャーとセットでメーカーオプションにて装備可能。
^ なお、バン/ワゴン「DX」でLEDヘッドランプを装備した場合、リアコンビネーションランプもLEDとなり、「EXパック」も同時に装備される。
^ E12型ノート、T32・後期型エクストレイル設定色。
^ なお、新たに追加されたオプションカラー3色はバン/ワゴンの「DX」を除く(ただし、メーカーオプションの「EXパック」を装備することで選択可能となる)。

出典
^ 「NV350キャラバン」を発売 - 日産自動車ニュースリリース、2012年6月15日
^ 小型商用車のシェア奪回へ、日産が“異例”の発表会 - 東洋経済オンライン、2012年6月19日
^ 「NV350キャラバン」開発者インタビュー 〜プロダクトチーフデザイナー 倉岡亨一〜日産自動車 公式サイト内 2012年6月15日(2012年6月19日 閲覧)
^ 日産|モーターショー|第42回東京モーターショー2011|NV350 CARAVAN(NV350キャラバン)
^ 「NV350キャラバン」を発売 - 日産自動車 ニュースリリース 2012年6月15日
^ 小型商用車のシェア奪回へ、日産が“異例”の発表会東洋経済オンライン 2012年6月19日
^ 「NV350キャラバン」開発者インタビュー 〜プロダクトチーフデザイナー 倉岡亨一〜日産自動車 公式サイト内 2012年6月15日(2012年6月19日 閲覧)
^ “日産 NV350キャラバン 新型】輸入部品を4割採用…志賀COO”. Response. (2012年6月15日). 2013年8月3日閲覧。
^ “韓国製部品を2割採用へ、日産の新車で[車両]”. NNA (2012年1月25日). 2013年8月3日閲覧。
^ “日産と三菱ふそう、商用バンのOEM 供給の正式契約を締結”. NISSAN PRESSROOM(日産自動車、三菱ふそうトラック・バス連名のリリース) (2014年10月3日). 2014年10月3日閲覧。
^ “「NV350キャラバン 幼児通園専用車」の一部仕様を変更”. NISSAN PRESSROOM (2014年11月7日). 2014年11月7日閲覧。
^ “オーテックジャパン、「NV350キャラバン」の特別仕様車「ライダー ブラックライン」、および、「アンシャンテ 送迎タイプ マイクロバスGX」を発売”. NISSAN PRESSROOM (2014年12月5日). 2014年12月5日閲覧。
^ “「NV350キャラバン トランスポーター」の仕様を一部変更”. NISSAN PRESSROOM (2015年5月25日). 2015年5月25日閲覧。
^ “「NV350キャラバン」を一部仕様向上~主要グレードにクラス初となる自動ブレーキを設定~”. NISSAN PRESSROOM (2016年1月26日). 2016年1月26日閲覧。
^ “「NV350キャラバン」を一部仕様向上”. NISSAN PRESSROOM (2016年11月25日). 2016年11月25日閲覧。
^ “「NV350キャラバン」マイナーチェンジ車のエクステリアを先行公開”. NISSAN PRESSROOM (2017年6月1日). 2017年6月1日閲覧。
^ “NV350キャラバン「ライダー」マイナーチェンジ車のエクステリアを先行公開”. NISSAN PRESSROOM (2017年6月1日). 2017年6月1日閲覧。
^ “「NV350キャラバン」をマイナーチェンジ”. NISSAN PRESSROOM (2017年7月13日). 2017年7月13日閲覧。
^ “「NV350キャラバン」のバン、マイクロバスに2.5Lガソリンエンジン搭載の4WD車を追加”. NISSAN PRESSROOM (2017年11月16日). 2017年11月17日閲覧。

関連項目

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いすゞ・コモ
トヨタ・ハイエース
三菱ふそう・キャンターバン
日産・NV

外部リンク

日産:NV350キャラバン ビジネスセダン/バン Webカタログ ホーム
NV350 URVANタイ日産公式サイト
NV350 URVAN日産香港公式サイト
WEBカタログバックナンバー NV350キャラバン(E26・前期型)
最終編集: 1 か月前、Prince Skyline S54B
関連ページ
いすゞ・コモ
三菱ふそう・キャンターバン
Biz NISSAN

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シルクロード

2017-12-27 18:32:39 | 記録
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シルクロード
中国と地中海世界の間の歴史的な交易路

曖昧さ回避 「シルクロード」のその他の用法については「シルクロード (曖昧さ回避)」をご覧ください。
シルクロード(絹の道、英語: Silk Road, ドイツ語: Seidenstraße, 繁体字:絲綢之路, 簡体字:丝绸之路)は、中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称である。絹が中国側の最も重要な交易品であったことから名付けられた。そのごく一部が「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」としてユネスコの世界遺産に登録されている。

目次
概要

「シルクロード」という名称は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが、その著書『China(支那)』(1巻、1877年)においてザイデンシュトラーセン(ドイツ語:Seidenstraßen;「絹の道」の複数形)として使用したのが最初であるが、リヒトホーフェンは古来中国で「西域」と呼ばれていた東トルキスタン(現在の中国新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交易路、いわゆる「オアシスの道(オアシスロード)」を経由するルートを指してシルクロードと呼んだのである。リヒトホーフェンの弟子で、1900年に楼蘭の遺跡を発見したスウェーデンの地理学者ヘディンが、自らの中央アジア旅行記の書名の一つとして用い、これが1938年に『The Silk Road』の題名で英訳されて広く知られるようになった。

シルクロードの中国側起点は長安(陝西省西安市)、欧州側起点はシリアのアンティオキアとする説があるが、中国側は洛陽、欧州側はローマと見る説などもある。日本がシルクロードの東端だったとするような考え方もあり、特定の国家や組織が経営していたわけではないのであるから、そもそもどこが起点などと明確に定められる性質のものではない。

現在の日本でこの言葉が使われるときは、特にローマ帝国と秦・漢帝国、あるいは大唐帝国の時代の東西交易が念頭に置かれることが多いが、広くは近代(大航海時代)以前のユーラシア世界の全域にわたって行われた国際交易を指し、南北の交易路や海上の交易路をも含める。つまり、北方の「草原の道(ステップロード)」から南方の「海の道(シーロード)」までを含めて「シルクロード」と呼ばれるようになっているわけである。

「草原の道」

中国から北上して、モンゴルやカザフスタンの草原(ステップ地帯)を通り、アラル海やカスピ海の北側から黒海に至る、最も古いとみなされている交易路。この地に住むスキタイや匈奴、突厥といった多くの遊牧民(騎馬民族)が、東西の文化交流の役割をも担った。

現在の中国国鉄集二線は、部分的にほぼこの道に沿っている。

モンゴルのツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領が同名の中露蒙経済回廊を主張していることでも有名である[1][2]。

「オアシスの道」

東トルキスタンを横切って東西を結ぶ隊商路「オアシスの道」が、リヒトホーフェンが名付けたところの「シルクロード」である。長安を発って、今日の蘭州市のあたりで黄河を渡り、河西回廊を経て敦煌に至る。ここから先の主要なルートは次の3本である。西トルキスタン(現在のウズベキスタン、トルクメニスタンなどを含む地域)以西は多数のルートに分岐している。このルート上に住んでいたソグド人が、シルクロード交易を支配していたといわれている。東トルキスタンの興亡史については、「西域」「楼蘭」「ホータン王国」「中国の歴史」などを参照のこと。

西域南道
敦煌からホータン、ヤルカンドなどタクラマカン砂漠南縁のオアシスを辿ってパミール高原に達するルートで、漠南路とも呼ばれる。オアシスの道の中では最も古く、紀元前2世紀頃の前漢の時代には確立していたとされる。このルートは、敦煌を出てからロプノールの北側を通り、楼蘭を経由して砂漠の南縁に下る方法と、当初からロプノールの南側、アルチン山脈の北麓に沿って進む方法とがあったが、4世紀頃にロプノールが干上がって楼蘭が衰退すると、水の補給などができなくなり、前者のルートは往来が困難になった。
距離的には最短であるにもかかわらず、極めて危険で過酷なルートであるが、7世紀に玄奘三蔵はインドからの帰途このルートを通っており、楼蘭の廃墟に立ち寄ったと『大唐西域記』に記されているので、前者のルートも全く通行できない状態ではなかったものとみられる。13世紀に元の都を訪れたマルコ・ポーロは、カシュガルから後者のルートを辿って敦煌に達したとされている。
現在のG315国道は、部分的にほぼこの道に沿って建設されており、カシュガルからホータンまでは、2011年に喀和線が開通している。

敦煌からコルラ、クチャを経て、天山山脈の南麓に沿ってカシュガルからパミール高原に至るルートで、漠北路ともいう。西域南道とほぼ同じ頃までさかのぼり、最も重要な隊商路として使用されていた。このルートは、楼蘭を経由してコルラに出る方法と、敦煌または少し手前の安西からいったん北上し、ハミから西進してトルファンを通り、コルラに出る方法とがあったが、楼蘭が衰退して水が得られなくなると、前者は通行が困難になった。
現在トルファンとカシュガルを結んでいる南疆線は、概ね後者のルートに沿って敷設されており、1971年に工事が始まり、1999年に開通した。G314国道も部分的にほぼこの道に沿っている。
天山北路
敦煌または少し手前の安西から北上し、ハミまたはトルファンで天山南路と分かれてウルムチを通り、天山山脈の北麓沿いにイリ川流域を経てサマルカンドに至るルートで、紀元後に開かれたといわれる。砂漠を行く上記ふたつのルートに比べれば、水や食料の調達が容易であり、平均標高5000mとされるパミール高原を越える必要もない。
現在のG312国道や蘭新線、北疆線は、部分的にほぼこの道に沿っている。

「海の道」

中国の南から海に乗り出し、東シナ海、南シナ海、インド洋を経てインドへ、さらにアラビア半島へと至る海路は「海のシルクロード」とも呼ばれる。海のシルクロードの起点は福建省泉州市。

すでにプトレマイオス朝の時代からエジプトは紅海の港からインドと通商を行っており、エジプトを征服した古代ローマ(共和政ローマ、ローマ帝国)はこの貿易路も継承して、南インドのサータヴァーハナ朝との交易のために港湾都市アリカメドゥ(英語版)(現ポンディシェリ近郊のポドゥケー遺跡)などいくつかの商業拠点を築き(『エリュトゥラー海案内記』も参照)、絹を求めて中国にまで達したことは中国の史書にも記されている。古代には、マラッカ海峡は水深が浅い上、岩礁が多くて座礁しやすいためあまり使われず、マレー半島のクラ地峡を横断するルートが多かった[要出典]。このルートでセイロン(獅子国)やインド、ペルシアの商人も中国に赴いたのである。しかし、陸のシルクロードが諸国の戦争でしばしば中断を余儀なくされたのと同様、海のシルクロードも荒天や海賊の出没、各国の制海権の争奪などによって撹乱され、必ずしも安定した交易路とはいえなかった。

7世紀以降はペルシアの交通路を継承したイスラム商人(アラブ人、ペルシア人等の西アジア出身のイスラム教徒商人)が絹を求めて大挙中国を訪れ、広州などに居留地を築く。中国のイスラム教徒居留地は、唐末に広州大虐殺(英語版)や黄巣の乱によって大打撃を受け、一時後退した。

宋代になると再び中国各地(泉州市、福州市など)に進出し、元代まで続いた。元のクビライ・ハーンは東シナ海、南シナ海からジャワ海、インド洋を結ぶこの貿易路で制海権を握るために日本(元寇)や東南アジアに遠征軍を次々とおくった。

明は朝貢貿易しか認めない海禁政策を取り、鄭和艦隊で知られるように、海上交易路を海賊から保護した。鄭和はアフリカのマリンディまで航海している。

その後インド洋は、オスマン帝国・マムルーク朝・ヴェネツィア共和国が制海権を握っていたが、16世紀に喜望峰経由でポルトガルが進出し、1509年のディーウ沖海戦で敗れたため、イスラム商人の交易ルートは衰えた。

1622年、イングランド王国・サファヴィー朝ペルシア連合軍が勝利した(ホルムズ占領)のを皮切りに、1650年にはヤアーリバ朝(現オマーン)がインド洋の制海権を握り、ポルトガルとスペインの商人が追放された。また中近世以降は、中国から大量の陶磁器が交易商品となったので「陶磁の道」とも称された。

19世紀に、1809年ペルシャ湾戦役の結果、イギリスが制海権を握った。

中華人民共和国は真珠の首飾り戦略から制海権を握ることを目指しているとされ、この貿易路を「21世紀海上シルクロード」と呼称している。

シルクロードと日本

日本には、奈良の正倉院に中国製やペルシア製の宝物が数多く残っており、天平時代に遣唐使に随行してペルシア人の李密翳[3](り・みつえい)が日本に来朝したことに関する記録[4]なども残されている。当時の日本は唐代の東西交通路の東端に連なっていたと認識されており、摂津国の住吉津(現在の大阪市住吉区)は「シルクロードの日本の玄関」、飛鳥京や平城京は「シルクロードの東の終着点」と呼ぶことがある。なお、ユーラシア交易と直接的な関係はないが、幕末から明治にかけて、日本の主要な輸出品であった絹を横浜港に運ぶ交易路が存在し、その集積地があった八王子から横浜にかけての道が「絹の道」や「シルクロード」と呼ばれることもある。

シルクロードに関しては近年の日本における学校教育でも取り上げられていたが、歴史やヘディンの著書などに関心を持つ一部の人たち以外には、さほど興味を引く存在ではなかった。しかし、中華人民共和国との文化交流が進む過程でNHKが中国中央電視台とともに1980年に共同制作した『NHK特集 シルクロード-絲綢之路-』によって、喜多郎のノスタルジックなテーマ音楽とともに、一躍シルクロードの名が広く知れ渡ることとなった。日本ではシルクロードという語は独特のエキゾチシズムやノスタルジアと結びついており、西安や新疆、ウズベキスタン、イラン、トルコなどへの海外旅行情報やツアーの広告には必ずと言ってよいほど「シルクロード」という言葉が記されている。この80年代の「シルクロードブーム」を受け[5]、1988年に日中両政府は日中友好環境保護センターの設立を決定した。また、シルクロードの世界遺産登録をユネスコに中国政府とともに働きかけた[6][7]平山郁夫は平山郁夫シルクロード美術館を設立している。

シルクロードプロジェクト

「シルクロード (世界遺産)」も参照
シルクロードが世界遺産に登録されたことを契機に、ユネスコの人文・社会科学局が推進する「異文化間の対話」プログラムにおいて、「シルクロード-対話、多様性、開発」プロジェクトが始まった[8]。これはシルクロードほど多様な人種・文化・宗教・自然環境などが混在する地域はなく、そのことが歴史的には係争の舞台ともなってきたことから、シルクロードを平和の象徴にしようという主旨。

具体的にはユネスコを代表する事業となった世界遺産をシルクロードに広げてゆき、各地域に無形文化遺産・記憶遺産・生物圏保護区・ジオパーク・創造都市ネットワークなど(海の道においては水中文化遺産保護条約も)各種ユネスコ事業を総投入展開し、可動文化財や少数民族言語の保護にも取り組む。ユネスコ公式サイトでは、「シルクロード・オンラインプラットフォーム」を立ち上げた。

一方で、このプロジェクトの主たる旗振り役が中国であり、中国による一帯一路計画の文化面政策として利用される懸念もある[9]。

脚注

^ “習近平主席がモンゴル国のエルベグドルジ大統領と会談、両国の全面的な戦略パートナーシップの絶え間な位発展を推進すると強調”. 新華社. (2015年11月11日) 2016年5月19日閲覧。
^ “習近平主席が中露蒙首脳会議に出席”. 人民日報. (2015年7月10日) 2016年5月19日閲覧。
^ 松本清張の歴史小説『眩人』でも知られる人物。
^ 『続日本紀』巻第十二 聖武天皇 天平八年(736年)
^ 王坤「中国側から見る日中経済協力 : 1979~1988年の『人民日報』の対中ODA 報道を中心に」OUFCブックレット 3, 313頁, 2014-03-10
^ 日本ユネスコ協会連盟 『世界遺産年報2015』pp. 18 講談社、2014年
^ 日本ユネスコ協会連盟 『世界遺産年報2005』p. 40 平凡社、2005年
^ SILK ROAD DIALOGUE, DIVERSSITY & DEVELOPMENTUNESCO
^ 「中国『経済ベルト』戦略 / シルクロード 世界遺産」『読売新聞』2014年6月23日(朝刊)4面

参考文献

『シルクロード 砂漠を越えた冒険者たち』「知の再発見」双書、創元社、1992年
ジャン=ピエール・ドレージュ、長沢和俊監修、吉田良子訳
『ローマ皇帝の使者中国に至る 繁栄と野望のシルクロード』
ジャン=ノエル・ロベール、伊藤晃。森永公子共訳 大修館書店、1996年
宇山智彦 『中央アジアの歴史と現在』東洋書店、2000年
長沢和俊 『シルクロード』講談社学術文庫、1992年-ほか多数
長沢和俊編 『シルクロードを知る事典』東京堂出版、2002年
三杉隆敏『海のシルクロードを調べる事典』芙蓉書房出版、2006年
『サマルカンドの金の桃 唐代の異国文物の研究』アシアーナ叢書2、勉誠出版 2007年
エドワード・H. シェーファー、伊原弘(日本語版監修)、吉田真弓訳

シルクロードを題材とした作品


駱駝に乗る西方人の像(中国唐代、陶磁器製〈唐三彩〉。上海博物館)
テレビ番組
NHK特集
『シルクロード』、『海のシルクロード』
NHKスペシャル『新シルクロード』
BSプレミアム 激走!シルクロード104日の旅
音楽
NHK特集『シルクロード』 オリジナルサウンドトラック(喜多郎)
NHK特集 『海のシルクロード』 オリジナルサウンドトラック(S.E.N.S.)
交響組曲「シルクロード」 (團伊玖磨)上田仁指揮・東京交響楽団
異邦人 -シルクロードのテーマ- 久保田早紀が1979年にリリースしたデビュー・シングル曲
写真集
秘宝・草原のシルクロード(並河萬里)
写真集シルクロード(NHK取材班)大村次郷ほか
シルクロード(篠山紀信)

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、シルクロードに関連するメディアおよびカテゴリがあります。
カルラエの戦い(紀元前53年)
桓帝(166年) - ローマ帝国皇帝マルクス・アウレリウスからの使節が後漢に送られた。
タラス河畔の戦い(751年) - 紙の製法がイスラム圏に伝わり、1144年にヨーロッパで初めての製紙工場がムワッヒド朝支配下のイベリア半島のシャティヴァに作られた。
シルクロード鉄道
一帯一路
最終編集: 1 か月前、匿名利用者
関連ページ
カザフスタンの世界遺産
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キルギスの世界遺産
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大陸横断鉄道

2017-12-27 18:26:35 | 記録
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大陸横断鉄道

大陸横断鉄道(たいりくおうだんてつどう、Transcontinental Railroad)は、広義では大陸の端から端までをつなぐ鉄道網一般を指す。ただし、鉄道網が縦横無尽に発達しているヨーロッパ大陸を横断する鉄道は通常はこれには含まれない。

目次

アメリカ大陸

パナマ
1855年にパナマ地峡に建設されたパナマ地峡鉄道は、大西洋と太平洋とを最初に結んだ鉄道である。長さは 77 km(48マイル)である。

アメリカ合衆国
アメリカ合衆国では、東海岸(メキシコ湾岸を除く)から西海岸までの路線を一つの会社が通して所有したことは過去になかった。これは東部の鉄道会社が西部の線路まで保有すれば、他の鉄道会社の路線への相互乗り入れが難しくなるためである。現在でも、ミシシッピー川をはさんで東西に2つずつの大きな鉄道会社がある。このため、アメリカ合衆国で大陸横断鉄道といえば、ミシシッピー川の西側の、中西部と西海岸とを結ぶ路線のことを指す。

1869年、最初の大陸横断鉄道が開通した。ユニオン・パシフィック鉄道とセントラル・パシフィック鉄道による路線が、オマハからサクラメントまでの 2,826 km(1,756マイル)を結んだ。
1882年、アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道が、カンザス州アッチソンからニューメキシコ州デミングまでの路線を完成させ、東部とロサンゼルスとをつなぐ第二の路線となった。
1883年、サザン・パシフィック鉄道が、ニューオーリンズとロサンゼルスとの間で開通し、メキシコ湾岸から太平洋までをつないだ。
1883年、ノーザン・パシフィック鉄道が、シカゴとシアトルとをつないだ。
1893年、グレート・ノーザン鉄道が、ジェームズ・ジェローム・ヒルによって連邦の財政援助を受けずに建設された。セントポールとシアトルの間を結んだ。
1909年、シカゴ・ミルウォキー・セントポール・パシフィック・ロード(ミルウォーキーロード)が、シアトルまでの延伸を完成させた。
1900年代に、ジョージ・グールドは大陸を横断する経路を計画し、1909年にサンフランシスコからオハイオ州トレドまでが繋がった。これはウエスタンパシフィック鉄道、デンバー・リオグランデ鉄道、ミズーリ・パシフィック鉄道、ウォーバッシュ鉄道からなる経路であった。しかし1907年の恐慌の影響で、トレドから先の計画はストップした。
1919年、サンディエゴ・アリゾナ鉄道がジョン・スプレッケルズによって完成され、サンディエゴと東部を直接結んだ。

カナダ
カナダでは、1885年にカナディアンパシフィック鉄道が西海岸への路線を開通させた。同社は1889年にメーン州への国際鉄道を開業したことで、北米において東海岸と西海岸とを単一の企業体でつないだ最初の鉄道会社となった。
カナダでは他に2つの大陸横断鉄道が建設された。1912年、カナディアンノーザン鉄道が西海岸まで開通した。1917年、グランド・トランク・パシフィック鉄道とナショナル・トランスコンチネンタル鉄道は、ケベック橋の完成によって、2社を合わせて東海岸から西海岸までがつながった。これらの鉄道会社は後にカナダ政府によって国有化された。

南アメリカ
1910年、チリのバルパライソおよびサンチアゴと、アルゼンチンのメンドーサとをつなぐ鉄道が完成したが、1978年に旅客運送を終了し、貨物運送も4年後に終了した。現在これを復活させようという計画(Transandino 計画)がある。
チリのアリカからボリビアのラパスとアルゼンチンのブエノスアイレスまでは鉄道は接続されているが、現在は貨物運送が行われているのみである。

ユーラシア大陸
1905年に完成したシベリア鉄道は、ユーラシア大陸を横断する、唯一の鉄道である。長さは 9,289 km(5,772マイル)あり、世界で最も長い鉄道として知られる。
日中戦争期から太平洋戦争期の日本では大東亜縦貫鉄道の構想があった。
中国から中央アジアを経てイランへと通じる鉄道も存在するが、この区間には軌間の違いという問題がある。また、義鳥市からマドリードまでの義鳥=マドリード路線や、中国からモンゴルを経由してモスクワに達する直通列車K3/4次列車が運行されている。
国際連合アジア太平洋経済社会委員会はアジア横断鉄道の構想を提唱している。

オーストラリア大陸
オーストラリア大陸では、1917年にポートオーガスタとカルグーリーとを結ぶ鉄道が完成し、さらに同鉄道が延伸されてシドニーからパースまでを結ぶオーストラリア横断鉄道が完成した。この経路はかつて 1,435 mm、1,600 mm、1,067 mm の3種類の軌間が混在していたが、1969年に 1,435 mm への統一がなされた。途中のナラバー平原を通る部分は、世界の鉄道で最も長い直線区間とされている。現在、シドニーからパースまでの区間で長距離旅客列車のインディアンパシフィックが運行されている。
2004年、オーストラリア縦断鉄道が完成し、ダーウィンからアデレードまでオーストラリア大陸を南北に縦断した。同区間で長距離旅客列車のザ・ガンが運行されている。

アフリカ大陸
アフリカ大陸を東西に鉄道で横断する方法はいくつかある。1つは1929年に開通したベンゲラ鉄道である。ベンゲラ鉄道はアンゴラのロビトを出発し、カタンガでザンビアの鉄道網と接続している。ザンビアからはインド洋のいくつかの港へ通じている。アンゴラ内戦によってベンゲラ鉄道は多くの区間が不通となったが、修復の努力がなされている。
他のルートとしては、ナミビアのワルビスベイかルデリッツから、南アフリカの鉄道網を通り、インド洋へ至るルートがある。
アフリカ大陸を南北に横断するルートとしては、かつてセシル・ローズがケープ・カイロ鉄道を提唱した。これはイギリス帝国のアフリカ植民地支配の根幹となるはずの構想であったが、未完成のまま終わった。フランスによるトランスサハラ鉄道計画も同様の結果に終わった。
現在、アフリカ連合はアフリカ大陸を網羅する鉄道を計画している。

脚注
最終編集: 3 か月前、ひななみ
関連ページ
最初の大陸横断鉄道
ゴールデン・スパイク
マットの鉄道万歳!

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日本の文化

2017-12-26 16:53:18 | 記録
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日本の文化

本項では日本の文化全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。

分類については、まだ発展・整理の途上であり、正式なものではない。日本発祥のもの以外でも、日本に深く根付いているものはこの記事に含まれる。

なお、日本の文化に関係する人物(文化人)は、原則として記述しない。人名一覧を参照のこと。
各年ごとの分野別の文化・流行などは年表からたどった各年の記事内の「芸術・文化・ファッション」の項を参照。
(例:2000年#芸術・文化・ファッション)
都道府県別の文化に関しては、Category:日本の文化 (都道府県別)を参照

目次
概要

文化という言葉は、芸術や学問など人間が生み出した高い達成度を持つもの(ハイカルチャー)を指すとともに、人間の社会が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系を指す。後者の意味では衣、食、住などの日常生活全般に関わる慣習や、芸能、道徳、宗教から政治、経済といった社会構造まで、その範疇は非常に幅広い。日本の文化も単純にひとくくりにできるものではなく、様々な要素を含んでおり、古代から中世にいたっては中国を中心としたアジアの近隣諸国、そして明治以降の近~現代では欧米からの影響を受け、吸収・取捨選択を繰り返し、様々な手が加えられて独特な展開を遂げている。日本の伝統文化は、神道を基軸として、外来の文化を取り込みながら、時代とともに変遷してきたが、表面的に大きく変化していても、その中に一貫する極めて日本的な要素や傾向を指摘できる面もある(例:住居が和風の座敷から洋間に変わっても、室内に靴を脱いで上がる点では変わらない)。

日本文化を特徴的に示す概念として、「和(わ)」という言葉がしばしば用いられる(例:和語、和文、和歌、和服、和食、和風旅館など)。「和」は古くから日本を示す言葉で、漢(中国)や洋(西欧)など外国からの事物に対比して使われる。また「大和(やまと)」という言葉が使われる場合もある(例:大和言葉、大和魂、大和撫子、大和絵など)。「大和」は本来、奈良地方を指すが、同時に日本全体を示す古い言葉でもある。古代からこの国において不変と考えられる事象を示して呼ぶことが多い。

日本の文化と宗教の関わり

日本も他国と同じく、古くからシャーマニズムやアニミズム、太陽神崇拝、先祖崇拝といった汎神論的自然崇拝、精霊崇拝があり多神教に基づく宗教文化がある。沖縄の信仰にもその古来の形態を残している。

それは多神教でも独自の特徴があるとすれば、道具や言葉、吐息にまで命が宿るという何でも来いの考え方であり、具体的には、針供養[1]、道具塚や言霊、息吹という表現や、侵略してきた敵さえも祀るという考え方(例えば、蒙古塚)は、その祟りを畏れてである。中華文化では儒教から発展した考え方も多少はあり「敵は死者でも鞭を打て、恨みは石に刻め」などとするが、日本では畏れ畏れて「敵であっても死者には鞭を打たず、恨みは水に流す」とするのである。

遠くインドを起源とする「仏教・密教」[2]を大陸から受け入れて、独自の仏教・密教文化を定着させてきた。さまざまな伝統や慣習のうちには仏教を起源とするものも多く見られ、神道と相互に影響しあいながら日本の信仰や文化の基盤を形作ってきた。また、ヒンドゥー教は、ほとんど直接には日本に伝わってはいないが、仏教・密教に多大な影響を与えているので、日本の仏教や神道においてヒンドゥー教由来の神々が存在し文化的影響がある。

他の東アジア諸国と同様に「儒教」[3]や「道教」も受け入れたが、その影響は朝鮮半島や中国ほどではない。儒教は寄親・寄子の制度や、戸主や家督制度などの社会性に影響を及ぼしている。明治維新によって学問としてのは立場を失ったが、宮中の保守的な漢学者の影響によって思想が教育勅語などに取り入れられた。道教は、そのものより陰陽五行や八卦や宿曜道などが奈良時代から平安時代に隆盛を極め、陰陽師の台頭と共に現在もその思想が風俗となって受け継がれているが、儒教と同様に日本独自のものに変化している。具体的な例としては、干支や家紋の九曜やちらし寿司の四色や五色の彩などが陰陽五行に基づいている。武道も神道が基軸となり、それに儒教や道教や禅宗などが加わって修練による開眼精神と哲学を持った芸になったといわれる。

日本は永らく神道と仏教とを神仏習合(神仏混淆)させてきたが、明治初頭、神道と仏教は再分離され、廃仏毀釈の波の中で多くの仏教や神道の遺産が失われた。神道は国家神道とされて仏教や土着の習俗と引き離され、皇室を中心とする信仰に再編され、政治・教育と結びつけられた。日本の伝統仏教も、この時代に勢力を拡大した新宗教やキリスト教の脅威に対抗するためこれに協力し、江戸時代に引き続き日本の社会に強い影響力を持ちつづけた。大日本帝国憲法では信仰の自由が規定されたが、政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という解釈に立脚し、神道・神社を他宗派の上位に置いた。しかし、第二次世界大戦後に国家神道は国家覇権の手段となったとされ、GHQの指示によって、神道は政治・教育と分離されて他の宗教と同列の信仰としての位置づけがなされた。仏教も「葬式仏教」と揶揄されるほどに宗教としては形骸化する傾向があり、日本人の日常の生活意識から、神道と仏教を中心とした文化的価値観は薄れてきている。

純粋な宗教的価値観の具現化でないとしても、古来からの神道が礎となってその上に仏教・密教や儒教や道教、あるいはキリスト教[4]をも含め、さまざまな外来の宗教を混在させながら、今日ある日本の精神や文化の土壌は形成された。これらの宗教混在に基づく価値観は日本の風俗習慣、文化に深く根ざしており、祭礼、伝統芸能、武道、農業、林業、水産業、建築、土木、正月、七五三など、さまざまな場面に影響を及ぼしており、神道を主体とする宗教を抜きにして日本の文化や精神の本質は語れないという側面がある。現代世界が抱える諸問題において、このような日本的な宗教的価値観が有効とされる場合もあり、これを方法論としてみた場合、たとえば「里山」あるいは「鎮守の森」の文化や「もったい(物体)ない」の考え方は環境保全に対し、「大豆文化(倹約、醸造は神事)」の伝統は食糧危機に対し、問題の解決を示唆する可能性もある。

伝統芸能や伝統のスポーツ、あるいは日常生活におけるお辞儀・礼儀作法・食事作法などにおいて、広範に見られる特徴として「型(形)」の尊重という点が挙げられ、日本の美点ともされてきた。これらにはあらゆるところから取り入れてきた道徳(各学問からの影響が大きい)の影響や、人と衝突するのを避け和を尊ぶという心性から、無言の内に相手への敬意・配慮の念が込められていることも多い。近年では生活様式の欧米化により「エチケット」や「マナー」などに置き換えられ、これらの日本の伝統的な規範意識の形骸化を憂慮する声もある。

歴史

原始
縄文時代以前のはるか昔、北方からやってきた日本人の祖先が日本列島に定着してから、大陸や南方から渡ってきた人々が文化をもたらすことはあったと考えられるが、早い時期から大陸とは異なる日本固有の文化が育ってきた。日本語と系統関係が証明された言語は存在しない。

該当する文化: 旧石器文化、縄文文化、弥生文化

古代
前漢の時代頃から中国の王朝に積極的に朝貢し初め、先進文化国だった中国の文物を受け入れるようになった。金属器(玉、鏡、刀剣類など)や漢字、仏教などがその代表である。後には遣隋使、遣唐使が派遣され、留学生が先進文化を学び、日本に持ち帰ってきた。こうして日本固有の文化の上に外来の文化が取り入れられていった。

9世紀半ばの承和年間の派遣をもって遣唐使が途絶し、894年に遣唐使が計画されたものの菅原道真の意見で中止になった。それ以降は、中国の文物(唐物)や文化などは中国人海商によってもたらされるようになり、貴族社会で唐物は珍重され続けた。それと同時に、外国からの影響が日本独自に消化されてゆき、「国風文化」時代を迎えた。貴族の女性の間で漢字からかな文字が生まれ、源氏物語や枕草子に代表される和歌や物語、日記文学など文芸が盛んになった。芸術の分野でも、法隆寺や唐招提寺の建築には中国などの影響が強く見られたのに対して、宇治平等院では日本人好みの表現になっている。こうした文化様式を和様と呼ぶ。

該当する文化: 古墳文化、飛鳥文化、白鳳文化、天平文化、弘仁・貞観文化、国風文化、院政期文化

中世
古代末から中世に武士が台頭してくると、流鏑馬、犬追物など武士特有の文化が生まれ、合戦をテーマにした軍記物語(平家物語など)も生まれた。彫像も、力強い肉体を持った物へと代わっていった(金剛力士像等はその代表といえる)。都や農村では猿楽や田楽などの舞踊が発達した。平清盛の宋との貿易以降、日宋貿易が盛んに行われた。この時代には禅宗僧の往来がしきりで、禅宗とともに持ち込まれた文化(精進料理、水墨画、喫茶の習慣など)はその後の日本文化の発展に大きな影響を与えた。天竜寺船、勘合貿易により中国との往来は絶えることはなく、銅銭が大量輸入され、唐物が珍重された。室町時代は戦乱の世であったが、東山文化の時代を中心にして、猿楽(能)、茶の湯、書院(書院造)などが発展し、今日「日本的」といわれる文化の多くがこの時代につくられた。

該当する文化: 鎌倉文化、室町文化(北山文化・東山文化)

近世
安土桃山時代にヨーロッパの新しい異文化がもたらされた(南蛮文化)。鉄砲が戦闘形式を一変させ、天下統一への道を開いたほか、外来語、天ぷらなど飲食物も伝えられた。イエズス会などの宣教師たちがキリスト教の布教を進めたが、徳川幕府がスペイン・ポルトガルの領土的野心疑うと共に、特定宗教が国内における大勢力になることを嫌ったため、宣教師は追放され、次いで禁教の施策が取られた。こうして江戸幕府はキリスト教の禁止および鎖国の道を選ぶことになる。この時期には宣教師及び朝鮮出兵で捕虜となった技術者が活版印刷の技術を伝え、刊行本が世に出回り始めた。

政権が安定し、鎖国により外国と隔絶された日本では、平和な時期が長く続き、再び独自の文化が発達した。寺子屋や藩校の普及により読み書き算盤が広く浸透し、幕府奨励の儒学のほかに本草学などの自然科学が育った。庶民の間では芝居(歌舞伎、人形浄瑠璃)や刊行物(浮世草子、読本など)、そして浮世絵が愛好され、世俗的な文化が栄えた。大相撲興行が始まったのもこの頃である。また日本本来の伝統を捉え直そうという国学も興り、幕末の尊皇攘夷運動の思想的土壌を作った。

鎖国体制の中でも、制限された形で中国・朝鮮との交流は続いていた。西洋との交流は厳しく制限されたものの、長崎の出島を通じてオランダとの交易が行われた。長崎から入ってくる中国文化や西洋文化は知識人の好奇心を刺激し、洋学や蘭学(医学)、漢方医学が発達した。この流れは、幕末に帝国主義時代の欧米の接近に際して対応する力となり、開国の原動力のひとつになった。

該当する文化: 桃山文化、寛永文化、元禄文化、天明文化、化政文化

近代
幕末の開国、明治維新を経て、欧米の文物・制度を取り入れ日本の近代化を図ることが国家目標になった。新奇な風俗が次々にもたらされ文明開化の風潮が広まった。政府主導で積極的な西洋文化の導入が図られ、鹿鳴館時代には皮相的に急激な西洋化が図られたが、日本の伝統を見直そうという反動の動きも起こった。「和魂洋才」という言葉もよく使われた。啓蒙的な思想家が封建的な思想や習慣を否定し、西洋の政治制度、文物を紹介し、新聞、雑誌などのメディアや鉄道など交通機関の発達は各地に新しい文化を広め、庶民生活に大きな影響を与えた。しかし、都市部から離れた地域(農村部)では依然として、農業を基盤とした伝統的な行事や生活習慣が続いていた。

大正時代頃には進学率の上昇などを背景に、都市を中心に洋風の文化が次第に浸透し、デパートに代表される消費文化、大衆文化が成立した。アメリカの大衆文化の影響もあって、都市にはカフェーや映画館などの享楽的な文化も広まり、エロ・グロ・ナンセンスが流行した。一方で貧富の格差も増大し、労働争議や社会主義運動が起こるようになる。都市のスラム化も社会問題となった。

昭和初年の大恐慌により経済は疲弊し、農村は荒廃した。国民の期待は軍部に集まり、弱腰であると非難されていた政治家は信頼を失った。やがて日中戦争が始まると、共産主義・社会主義への弾圧が強まり、自由主義も弾圧された。戦意高揚のために日本及び日本民族の優秀さが説かれた。国際的には英米などから批判を受けて、日独伊三国同盟を結んだ。世界から孤立した日本は真珠湾攻撃により太平洋戦争を開戦し、第二次世界大戦に参戦、国家総力戦のため食料や資源が統制された。

太平洋戦争末期には、連合国の海上封鎖と空襲、働き盛りの男性が徴兵されたことによる労働力不足のために、日本は深刻な食糧難と物資不足に見舞われることになる。戦争遂行のため大衆文化や伝統文化も政府に統制された。

近代文化: 文明開化、明治維新、大正デモクラシー、昭和文化

現代
日本がポツダム宣言を受け入れて降伏し、アメリカ軍を主体とする連合国軍に占領されると、日本の大半はGHQの管轄下におかれた。GHQの指示により日本政府は特権階級、武装及び軍国主義の排除・解体・追放と産業・経済の民主化を進めた。旧植民地およびソ連軍占領地域からの引き揚げや戦地からの復員が進み、日本人は戦後しばらくの間は苦しい生活を強いられた。

戦後はアメリカの近代文化が国民の憧れとなり、高度経済成長により日本は飛躍的な工業化と都市化を遂げる。これに伴い従来の生活習慣は革命的な変化をとげ、伝統的な生活習慣の多くが失われていった。しかし戦後日本はアメリカのコピーではなかった。アメリカの近代的な文化を受け入れながら、独自の日本的な形に昇華し、多彩で豊かな食文化、アニメや漫画などをはじめとする新しい日本の文化が生まれた。アメリカに次ぐ経済大国となった日本は自信を回復し、1970年の大阪万博では「人類の進歩と調和」が謳いあげられた。

東アジアを除く諸外国では、近年にいたるまでもっぱら「サムライ」「ゲイシャ」などの一部の伝統的な文物が日本文化として知られていたが、バブル時代後の1990年代以降、諸外国にも現代的な日本の大衆文化やサブカルチャーに興味を持つ人々が増えてきた。特にゲームやアニメ、漫画、映画、音楽、インターネット、携帯電話、パーソナル・コンピューターなどのコンテンツや、食文化は欧米やアジアの都市部に浸透し、それらに関する店や施設(寿司バーや漫画ショップ)が多数みられるようになっている。

現代文化: 昭和文化、大衆文化、サブカルチャー、ハッカー文化、ヤンキー文化、アンダーグラウンド (文化)、貧困の文化

総括
日本文化は有史以来、中国文化圏に属し輸入文化・翻訳文化の側面を持ち、積極的に外国の文化を摂取し、これを在来の文化と融合して日本化することで独自の文化を形成してきた。しかし、同じく中国文化の絶大な影響を受けた韓国・ベトナムと異なり、政治的には中国の諸王朝の支配に入ったことは一度もなかった。平安期と江戸期に日本は外国との交流を絶ったが、この時期に日本独自の文化が顕著に熟成されたという特徴がある。

強大な中華帝国唐が盛んな時代には、貴族は中国文化を模範とした天平文化を築き、留学生が学んできた先進文化が政策上の規範になった。漢文を流暢にこなすことは、貴族にとって重要なことだった。

遣唐使が中止された後は「国風文化」が興ったが、この時期までの文化の中心は貴族と寺院であった。平安末期の平氏政権期から鎌倉時代にかけて日宋貿易が行われ、新しい仏教とともに精進料理や文人画などの中国文化が流れ込んだ。その後の日本の伝統文化にもこの時期に宋から取り入れられた文物の流れをくむものが多い。鎌倉時代には関東を中心にした武士の文化が京都の王朝文化と並び立つものとして勃興する。

室町時代には日明貿易によって引き続き中国文化が持ち込まれ、この時期に輸入された織物や陶器、書画などは、現代に残る伝統工芸品の技術に流れ込んでいる。室町時代から安土桃山時代には、戦国大名により各地に地方色豊かな文化が生まれた。

江戸時代、鎖国の世にも長崎を通じて中国との交流は続き、儒学者などの間には中国崇拝の風潮が強く残っていた。一方では日本の独自性への自覚から伝統への回帰として国学などの学問も興った。また、江戸時代は江戸・京都・大坂の3大都市を中心に町人の文化が栄えた時期である。

その後、近代日本の文化は、明治維新と連合国占領時代の2度、大転換期を迎えた(もっとも、これは都市部を中心とする視点であり、民俗学などでは、むしろ第二次世界大戦と高度経済成長によってもたらされた文化の断絶が強調されている)。われわれ現在の日本人がイメージする伝統的文化にも明治以降に生まれたもの(例:神前結婚)や俗に言う外国文化であるもの(例:“コウノトリが赤ちゃんを運ぶ”という伝説。これはヨーロッパの民話であるが、日本でも地域的に定着している)も多い。「明治維新以降-第二次世界大戦降伏まで」の時代には、帝国主義国が植民地争奪を繰り広げる国際環境の中、西洋の圧倒的な文明と先進文化を前に日本のアイデンティティをどう捉えるかが課題であった。

第二次世界大戦以前の帝国主義時代には、日本を強国にするため積極的に西洋の文物や価値観を取り入れようとする動き(脱亜思想)と、独立のために伝統を強調しようとする動き(国粋主義)、そして西洋文明に対抗してアジア諸国の連合を目指す動き(アジア主義)が存在した。この3つの潮流はしばしば衝突し、極端な西洋崇拝になったり、日本文化のアジア進出に結びついたり、また西洋文明を蔑視するようになったりもした。最終的にはこの3つの流れは合流し、大東亜共栄圏へとつながっていく。

第二次世界大戦後は、アメリカ文化を積極的に受け入れる(アメリカナイゼーション)動きが優位となり、日本文化のアメリカ化が進むものの、この3つの価値観は日本の外来文化をめぐる態度の底流として影響を与え続けていると見られる。

日本文化論

日本文化、あるいは日本人を特徴づけると考えられる概念を中心にした日本文化論・日本人論も多く提唱されている(日本人論の項目を参照)。

日本人の気質と主張されるもの
日本でも個人が自己の利益を図り、利益の対立する他者と競合するのは当然であるものの、一応表向きは、自己主張を抑える奥ゆかしさが美徳とされるので、そのような価値観の比較的薄い社会の人間と比べた場合、その表向きの建前を崩さずに、時には逆に利用して相手を出し抜いて自分の利益を達成することが多くなりがちといわれることが多い。これは他の『○○文化論』同様、ひとつのナラティブであるという異論も強い。真偽は別にして、具体的には以下に挙げたようなものがある。

お辞儀・敬礼:日本ではこのような礼法が発達したことについては多くの意見がある。無論、心の底はまた別である。
本音と建前:表向き、『和』を重んじることになっているので、表向きは無難なことだけを言い、真意は相手に「察してもらう」ことを期待する傾向が強いとされる。私的な空間や利害関係のない相手と向き合っているときなど、『和』という表向きの約束事にも配慮する必要がないときは、より露骨に自分の本音を出すようになる傾向があるといわれる。
「ハレ(晴れ)」と「ケ(褻)」
あいさつ:いただきます、ごちそうさま(でした)、ただいま、おかえり(なさい)、いってらっしゃい、いってきます、失礼します(した)、お邪魔します(した)など。
根回し : 非公式な打ち合わせで、事前に利害を調整しておく交渉のやり方。
談合:上層部による話し合いで問題を解決するやり方。解決に至った場合は手打ちという儀式行為が成される。水枯れ期の田圃への取水についての村落同士の話し合いなどを発生起源とし、近年では土木・建設をはじめ多くの公共事業の分配方法の商慣習として蔓延していた。諸外国におけるカルテル同様、商行為上の犯罪行為として摘発されるようになってきている。
「恥」の文化・「謙遜」の文化
義理の倫理
「お上」への従順さ、政治に対する無関心。
をかし
もののあわれ

外国から見た日本

日本文化がヨーロッパでまず注目されたのは浮世絵などの美術品であった。その後、非ヨーロッパ国として初めて近代化に成功し、日清・日露戦争に勝利した日本に対して世界的な関心も高まった。外国からイメージされた「日本」の文化は、特に欧米圏では、キリスト教文化とは全く系統の異なる文化への好奇心(エキゾチズム)から、ある一面が誇張され、あるいは中国などと混同され、ステロタイプ(ステレオタイプ、紋切り型)化されて伝わる傾向があり、日本人から見れば「偏った認識」と思われるものが多く見受けられた。

しかし近年では、ゲーム、J-POP、ファッション、アニメ、日本の漫画、カラオケ、インターネット、携帯電話、パーソナル・コンピュータやMade in Japanなどのポップカルチャーが海外で注目され、今までとは違った「日本」のイメージを持つ者も増えてきている。ハリウッド映画にも、本気で日本を描こうとする作品が作られたり、日本映画をリメイクしたり、日本人監督を起用するなどの動きが見られる。ただし2000年代に入ってからは、若者を中心に日本のイメージがポップカルチャーに偏重してきているという指摘もあり、伝統文化や生活文化、ハイカルチャーを含めた文化発信が課題になっている。

ジャポニスム - 19世紀末、浮世絵・琳派などの日本美術が印象派やアール・ヌーヴォーに影響を与えた。
富士山、天ぷら、芸者、寿司、忍者、侍、蕎麦、禅 - 明治期の開国で訪日した人の報告・訪欧した人の主張や、日清・日露戦争に勝利した日本を見て広まった印象・把握。
日本食 - 回転寿司、醤油、豆腐、すき焼き、照り焼きなど。海外で知られる日本食は日本のそれとは別物である場合もある。
エコノミック・アニマル、ジャパン・インコーポレイテッド - 高度経済成長期からバブル期の日本人の経済活動を揶揄した言葉。(揶揄ではないとの意見もある。『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史』多賀敏行著))
古典園芸植物 - 江戸時代に高度に育種され発展を遂げた菊などの園芸植物が19世紀後半にヨーロッパに伝えられ、西欧の花の美意識を変えるほどの影響を与えた。また盆栽や日本庭園も欧米の園芸、庭園術に影響を与えている。
津波 - お宅 - 引きこもり - アニメ、カラオケ - 昭和から平成期の日本が外へ発信した。
日本映画 - 黒澤明、小津安二郎、北野武らの作品が海外で高く評価された。
ヴィジュアル系、テクノポップ、ジャパニーズ・ハードコア
J-POP - 1990年代、アジアを中心に、世界に影響を与えた。
ファッション - コム・デ・ギャルソン、ヨウジ・ヤマモトなどのブランド。裏原宿系、ロリータ・ファッション、ギャル・ファッションなどの日本独自のムーブメント。
可愛い - いい印象、好ましいイメージ、目指したい姿像を表す言葉・概念「カワイイ」が、2005年頃、海外に広がりを見せる。
もったいない - 複数の意味を現した外国語にない日本語の一つ。環境保護活動家ワンガリ・マータイが感銘して世界にMOTTAINAI運動を広める。
大和撫子
企業戦士
日本株式会社
Made in Japan
パーソナルコンピュータ
トランジスタグラマー

民話・伝承・昔話

日本各地に様々な言い伝えや民話・昔話などが伝わっている。

都市伝説・噂
学校の怪談
迷信

日本の主な民話・昔話
桃太郎、金太郎、浦島太郎、花さかじいさん、さるかに合戦、一寸法師、舌切り雀、鶴の恩返し、笠地蔵、おむすびころりん、うりこひめとあまのじゃく
怖い話・怪談の中には、講談、芝居など様々な文学ジャンルで採り上げられているものがある。
百物語、皿屋敷(播州皿屋敷、番町皿屋敷など)、四谷怪談(東海道四谷怪談など)、小泉八雲『怪談』所蔵:小豆とぎ・耳無し芳一・雪女、牡丹燈籠(灯篭)、おいてけ堀、八反坊、鍋島藩の化け猫騒動
妖怪 神道、特に八百万の神とかかわりが深い。



古く縄文時代の遺跡から見つかる勾玉などの装身具(アクセサリー)、日本神話に見られる三種の神器(勾玉・鏡)などから初期の衣類を含めた身体装飾には権威的・呪術的な意味があったと考えられている。

後に律令制を導入すると官製を中心に本格的に身分・階級の違いを表すようになっていく。一時的に大陸文化を遮断した平安時代には国風の平安装束も発達した。

その後、時代によって衣装はめまぐるしく変わりながらも、身分によってある程度分類されていた。明治時代以降、軍隊や官庁、学校などから次第に西洋風の服が採用されるようになり、今日では日常的には洋服を着用し、晴れの日やめでたい日(「ハレとケ」)など和服を着る、といったスタイルが多くなっている。

伝統衣装
装束の詳しい種類や詳細は和服及びCategory:和服を参照。

現在一般的に知られている服
和服、着物、背広、浴衣、筒袖、留袖、色留袖、狩衣(かりぎぬ)、訪問着、付け下げ、小紋、色無地、紬、ウール着物、羽織、束帯、十二単(じゅうにひとえ)、甚平、法衣、丹前
現代の一般的な冠婚葬祭の装束
礼服
文金高島田、角隠し、綿帽子
喪服(白装束)
晴れ着、振袖、羽織、袴
履物
雪駄(せった)、下駄(げた)、草履(ぞうり)、草鞋(わらじ)、かんじき
その他
制服
割烹着、もんぺ、モンスラ
付属品・携行品
布巾、手ぬぐい、風呂敷
腹巻、腰巻、帯、帯揚げ、帯締め
足袋(たび)、地下足袋(じかたび)
ふんどし、襦袢(じゅばん)、半衿、羽織ひも
ショール、コート
手甲、脚絆、道中差し
扇子、筥迫(はこせこ)、懐紙
根付、印籠、矢立、煙管(きせる)
蓑、傘、笠、陣笠
甲冑、陣羽織
ランドセル
化粧・装飾
口紅、お歯黒、白粉、櫛、簪、勾玉
織物、裁縫関連
日本各地の織物の伝統工芸品については、伝統工芸を参照。
裁縫、洋裁、和裁
織物、染物、組み紐
針供養
時代による変遷
貫頭衣
狩衣(かりぎぬ)、烏帽子(えぼし)、直垂(ひたたれ)、裃(かみしも)
十二単、小袖
結髷、散切り頭
洋服(西洋化)
軍服、制服(詰襟)、セーラー服
国民服
配給洋服、化学繊維製の衣服などの洋服の普及
海外のファッションの流入。アイビー・ルックやアメリカン・カジュアルなどカジュアルな洋服の流行、装飾品の多様化
原宿系など日本独自の洋服のファッションの流行
2000年代に入る頃から、激しい流行の移り変わりは終焉し、日本のファッションは多様化の時代となった。
定番のファッション
コンサバ・ファッション、きれいめ系
大衆的ではないもの
ゴスロリ、コスプレ、ボディコン、ギャル・ファッション



日本の料理は「和食」(学術的には「日本料理」)と呼ばれており、欧米や西アジアの料理とはかなり異なっているが、東アジアや東南アジア諸国には、日本と類似した料理、食材などが数多く見られる。

しかし、食のマナーの面では他の東アジア諸国と比べても独特なものがある。東アジア諸国での食事の仕方は鍋物や大きなお皿に盛った料理に皆で取り分ける食べ方が多くみられる。日本では平安時代の貴族の間で儀礼・酒宴として食された大饗料理がこの形態であり、主人と客が椅子に着座して机がおかれ、「台盤」と呼ばれる卓上に大皿の料理が置かれ、これを取り分けられた。

中世には大饗料理に代わり、武家における儀礼・酒宴の料理として本膳料理が確立する。本膳料理は主人と客が床に着座し、個人専用の食器(属人器)に複数の料理を配膳する銘々膳が特徴とされる。

他の東アジア諸国では取り箸を使わず、各人の箸で料理を取り分ける直箸が親愛の表現とされるが、日本では直箸はマナー違反である(最近は衛生上の理由から、東アジア各国でも取り箸を使う習慣が定着してきている)。また、碗や皿などの食器を持つことが許され、箸だけで食事をするのは日本だけとされる(箸を使う習慣のある他の地域では、汁物や米を食べる時に匙を使うのが一般的である)。蕎麦やうどんなどの汁麺を音をたててすすることが許されていることなど、日本以外では見られないような習慣が多い[要出典]。近年は低脂肪の日本食が評価され、健康的な食事とも言われる。

郷土料理は、比較的狭い地域でも山間部と平野部、沿岸部と内陸部で食生活の違いがあるほか、江戸時代から明治初期の廃藩置県前までの藩政時代に基盤をもつものが多い。このため、食文化は都道府県よりも細かい地域ごとに多彩な食文化が存在している。

今日の日本人は朝・昼・夜と3回の食事を取るのが一般的である。保存技術の発達により、日本のどこでも新鮮な海産物が手に入る(日本は魚介類の消費が世界一である)。家庭で料理するより、外食・中食で済ませる機会も多くなっている。20世紀以降、海外の食文化を積極的に取り入れたために、伝統的な和食のみを食べる人々は減ってきている。

日本人が魚介類や卵を生で食べること、海草を食べること、それらの食文化を奇異に感じる日本国外の人もいる。

また、各食の分野にはそれぞれ技があり、長年の訓練と経験を積んだ専門職人がいる(例:寿司職人)。

料理
「日本料理#日本料理の分類と一覧」を参照
飲み物
お茶
緑茶、麦茶、番茶、煎茶、ほうじ茶、玄米茶
アルコール類
日本酒、どぶろく、甘酒、焼酎、泡盛
ジュース
清涼飲料水
葛湯、昆布茶、桜湯
食品・食材・材料
庶民的な食品・食材からブランド品まで含む。
肉類

鹿
鯨 江戸時代以前は魚肉に分類。
和牛
魚介類
鮪(まぐろ)、鰹(かつお)、鮭(さけ)、秋刀魚(さんま)、鰯(いわし)、河豚(ふぐ)、鯖(さば)、鯵(あじ)、鮒(ふな)、鰻(うなぎ)
海老(えび)、烏賊(いか)、蛸(たこ)、蟹(かに)、海鼠(なまこ)
ハマグリ、アサリ、シジミ、サザエ、アワビ、スガイ、カキ
海藻
海苔(イワノリ、カワノリ、フノリ)、アオノリ、昆布(コンブ)、ワカメ
野菜
小松菜、サラダ菜、ワケギ、大根、白菜、カブ、葱、茄子、胡瓜
穀類・豆類
大豆、アズキ、ササゲ、ウズラマメ、エンドウ
米、麦、粟(アワ)、ヒエ、キビ、コウリャン
芋類
サトイモ、サツマイモ、クワイ、ヤマノイモ、コンニャクイモ、馬鈴薯
茸類
椎茸、松茸、シメジ、マイタケ、エノキタケ、なめこ
果物
ウリ、マクワウリ、カキ、クリ、ギンナン
柑橘類
温州みかん、キンカン、ザボン、ダイダイ、イヨカン、柚子、カボス
加工食品
納豆、豆腐、おから、豆乳、ゆば、油揚げ
漬物、沢庵、福神漬
鰹節、かまぼこ、炒り子、干貝、のしいか、松前昆布、たたみいわし、寒天
ふりかけ、麩
片栗粉、コンニャク
調味料
味噌、醤油、みりん、酒(日本酒など)、出汁(だし)
和菓子
甘納豆、外郎(ういろう)、求肥、練り切り、饅頭、羊羹、落雁、きんつば、飴(あめ)、汁粉

草餅、桜餅、煎餅、柏餅、ぼたもち、大福、あられ、安倍川もち、あんころ餅
団子
吉備団子、みたらし団子
調理方法
かまど、七輪、コンロ、電気コンロ、ガスレンジ、電子レンジ、炊飯器
ざる、すり鉢、串
食器、マナー
食器(和食器)

割り箸、菜箸、鉄箸
匙、散蓮華、しゃもじ、おたま
茶碗、湯呑み、急須
丼(どんぶり)、小鉢
徳利、お猪口(おちょこ)、ぐいのみ
漆器(ジャパン)、和陶器(せともの)、弁当
氷コップ
マナー
マナー違反
嫌い箸 : 箸の持ち方や使い方に関するマナー
座りかた
正座、あぐら、横座り
食いあわせ
日本料理の種類
精進料理
本膳料理
会席料理
懐石料理
日本の郷土料理
アイヌ料理
江戸料理
沖縄料理
京料理
薩摩料理

住まい・建築

日本の住宅
詳細は「日本の住宅」を参照
家具については#生活を参照。
庭園については日本庭園を参照。
日本各地では、古くからその土地にあった建材を利用した住宅が建てられてきた。そのような地域差がありながらも、日本全国どこでも木を使った住宅(日本家屋、和風住宅)が建てられてきた。この背景には、豊富な木材と、湿度の高い気候、木の性質をよく知った技術者の存在などがあった。

住宅は近年までほとんどが木造であったが、現在は鉄筋コンクリート造や鉄骨構造の住宅(戸建て、集合住宅)も多くなってきている。また、木造住宅でも現在は輸入材の使用が一般的で、品質の規格化・均一化が進んでいる。

日本建築
「日本の世界遺産」および「日本建築史」を参照
古墳時代以前のものは遺跡も参照。
木造の建築様式
神社建築(流造、春日造、神明造など)、寺院建築(和様、禅宗様、大仏様など)、校倉造(正倉院)
御所・離宮
京都御所、修学院離宮、桂離宮
神社
伊勢神宮、出雲大社、熱田神宮、日光東照宮、宇佐神宮
寺院
法隆寺西院伽藍・夢殿、薬師寺東塔、東大寺(法華堂など)、唐招提寺(金堂など)、平等院鳳凰堂、中尊寺(金色堂など)、毛越寺、三十三間堂、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、清水寺
城郭
松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、名古屋城、大阪城、熊本城、首里城、五稜郭など
詳細は「城」を参照
民家
今西家住宅、箱木家住宅、古井家住宅、吉村家住宅など
近代・現代建築
明治時代以後、ヨーロッパの建築様式・技術が伝えられ、日本の建築も大きく変わっていった。
国会議事堂、迎賓館(赤坂離宮)、日本銀行本店
東京駅
太陽の塔
高層建築:霞が関ビル、サンシャイン60、横浜ランドマークタワー、東京都庁
タワー建築:東京スカイツリー、東京タワー、京都タワー、通天閣、福岡タワー、名古屋テレビ塔、さっぽろテレビ塔
競技場:国立代々木競技場、国立霞ヶ丘陸上競技場、日本武道館、さいたまスーパーアリーナ、両国国技館
ドーム型野球場:東京ドーム、大阪ドーム、ナゴヤドーム、福岡ドーム、札幌ドーム
日本人の空間概念・意識 編集
間仕切り(襖・障子・衝立・屏風・欄間・暖簾)・格子、縁側
結界・鬼門/恵方
借景・見立て・生垣(垣根)・築地(ついじ)
里山・鎮守の森

生活

伝統工芸
日本各地で、「ご当地~~」と呼ばれる土産品があるが、それらの日用品は、地域の自然や歴史、産業、伝統などに見合った製品を作ろうとしてきた地域の人々の工夫の賜物である。また、日用品も、現代では多くが大企業の工場で作られるようになったが、その技術も、古くから培われてきた伝統工芸品の技術を応用して生産されているものが多い。

街頭文化
他の国では見られない、または少ない、日本の街中での特徴を示す。

自動販売機 - 日本では街じゅうに多種多様な自動販売機が設置してある。最も多いのは飲料を販売するものである。日本全国の設置台数は800万台を超える。これは諸外国と比べて格段に多く、日本の大きな特徴になりつつある。
ティッシュの無料配布
コインパーキング
コンビニエンス・ストア
コインランドリー
現金自動預け払い機
駄菓子屋

日本の葬式
宗教意識が薄れている現代にあって、葬式は、特に宗教上の信念があってキリスト教式や新宗教の様式で行われる場合、また神式の神葬祭を除けば、仏教の形式を用いる仏式葬儀が行なわれることが多い。

中世以降、庶民の間でも家が成立し、その繁栄や継続が重視された。また、中世は戦乱や災害が多発した時代であり、庶民は弔いを強く求めた。鎌倉仏教の僧侶は、そのような状況を踏まえつつ、身分の貴賤に変わらず庶民を救う観点から、葬式や祖先供養を積極的に行うようになった。その結果、日本の仏教は大衆化する過程で「葬式仏教」となり、庶民は菩提寺と檀家の関係が確立していき、江戸時代に一般化した。その状況が、現代まで引き継がれた結果のもので、純粋な宗教行事というより、習俗化したものといえる(現代においては「葬式仏教」は、葬式代や戒名代の高さが注目され、否定的な意味合いでとらえられることもある)。

近年はビジネス化された仏式葬儀に疑問を持つ人びとも増えつつあり、簡素な神式の葬儀も増加している。さらに自然葬(散骨、宇宙葬、森林葬など)もひとつの形式として浸透し始めている。

通夜、葬儀・葬儀場、埋葬、服喪、回忌、墓・墓参、法事、盂蘭盆会、彼岸

日本の婚礼
見合い、結納、仲人、婚礼・結婚式・結婚式場、三々九度、お色直し、床入り、新婚旅行
通過儀礼・儀式 編集
七五三、入学式、卒業式、成人式、送別会、還暦・古希・喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿、若衆宿、元服、隠居、出家・得度・剃髪
家族制度 編集
本家・分家、家督、養子、入り婿、部屋住み・やっかい者、後家・行ず後家、名字・屋号
付き合い・交流について 編集
寄合い、町内会、回覧板、隣組、連絡網、コンパ・合コン、各種サークル活動
贈答・儀礼 編集
中元、歳暮、年賀、暑中見舞、寒中見舞、火事見舞、病気見舞、快気祝、内祝、熨斗・水引、香典・香典返し、冠婚葬祭、無尽講・頼母子講、お返し
祭儀 編集
地鎮祭、定礎、上棟式、~開き(事務所・ピアノ・鏡、etc.)、中締め・お開き、一本締め・三本締め

就学制度・教育機関
(詳しくは「日本の教育」「学校制度」その他の項を参照の項を参照)

母子健康手帳、保育園、幼稚園、認定こども園、就学前教育、授業参観
特別支援学校(養護学校・盲学校・聾学校)
学校教育、社会教育、生涯教育
義務教育、小学校、中学校
高等学校、高等専門学校
大学、国立大学、私立大学、短期大学、大学院
学士、修士、博士、教諭、教授、准教授(助教授)
専門学校(専修学校)、各種学校、夜学(夜間教育)、通信教育
文部科学省、教育委員会、教育庁、教育委員長、教育長、教授会、主幹、主査、主任、副校長、教頭、校長(学長)、先生、教員免許、教育実習
入試、お受験、中高一貫教育
文化祭、運動会、図書館、博物館、公民館、公文書館、自動車教習所、塾、学習塾、予備校、同窓会、学童保育
学校週5日制、ハッピーマンデー制度

ハンディキャッパーとの共住
(詳しくは「高齢者福祉」、「社会福祉」その他の項を参照)

高齢者介護、ホームヘルパー、介護センター、老人ホーム、姥捨山、後期高齢者医療
特別養護老人ホーム、有料老人ホーム、老人福祉施設、認知症高齢者グループホーム、介護ロボット
障害者支援施設、児童福祉施設、学童保育、介護老人保健施設、老人会、消防団、同窓会、人間ドック、健康診断
デイケア
託児所(託児施設)
ホームレス
グループホーム
ケアホーム
地域活動支援センター
小規模作業所
授産施設
リハビリテーション
介護保険
自立支援
高額療養費
年金
健康保険
生活保護
奨学金
農業機械
公認心理師

ペット(愛玩動物)
生活用品・日用品
家具
日本の家具
箪笥、茶箪笥、船箪笥、長持、行李
ちゃぶ台
座椅子
衝立・屏風
その他
畳、座布団
暖簾(のれん)、床の間、掛け軸
囲炉裏、火鉢、ストーブ、煙草盆、蚊帳・蚊遣り・蚊取り線香、扇子・団扇(うちわ)
籠、背負い子(しょいこ)、風呂敷
蓑(みの)・傘、草鞋(わらじ)、手甲(てっこう)・伽半(きゃはん)
電気製品・家庭用ロボット・介護ロボット
日本独特の家電製品 - 炊飯器、こたつ(※電気製品の一覧、家電機器も参考に。)
三種の神器、新・三種の神器、新々・三種の神器
携帯電話 - 日本の携帯電話 - 日本の携帯電話文化
PHS - テレビ電話 - パーソナルコンピュータ - インターネット - スマートフォン - タブレットPC - タブレット (コンピュータ) - ウェアラブルコンピュータ

日常の移動
通勤電車、自家用自動車、バス、タクシー、ハイヤー、代行車、バイク、自転車、車椅子
集団登校、乳幼児の送迎(スクールバス)

行事

日本のこよみ
日本のこよみについては、Template:季節の話題、Template:今日のこよみ、Template:今日は何の日も参照。

暦注の内容
二十四節気、七十二候
六曜、九星、三隣亡(さんりんぼう)
節句、雑節、月齢、
暦記法
元号、西暦、和暦
日にち、曜日
干支
暦注
旧暦
元嘉暦、儀鳳暦、大衍暦、五紀暦、宣明暦、貞享暦、宝暦暦、寛政暦、天保暦
新暦
グレゴリオ暦
紀元
神武天皇即位紀元

年中行事

花見

七夕の笹飾り

除夜の鐘
宗教的なものが濃い年中行事は#宗教に記載。
各日の行事については、メタリンク 365日を参照。
農業類に関する行事も戦前ごろまで大きな行事であったが、農家の減少や機械化により少なくなっている。(農事暦参照)
1月 - 正月(三が日は1日〜3日)、新年、正月飾り、初夢、年賀状、新学期、初詣、七草粥、新年会、鏡餅(鏡開き)、左義長
2月 - 節分、春分、春闘、バレンタインデー(14日)
3月 - 雛祭り(3日)、卒業、春の彼岸、ホワイトデー(14日)
4月 - 入学、新学期、四月馬鹿(エイプリルフール)(1日)
5月 - メーデー(1日)、端午の節句(5日)、ゴールデンウィーク(3日、4日、5日を中心に連休の長さにより毎年変動)、母の日(第2日曜)
6月 - 衣替え、父の日(第3日曜)
7月 - 七夕(7日)、暑中見舞い
8月 - 残暑見舞い、お盆、お中元
9月 - 新学期、防災(1日)、秋分、十五夜、秋の彼岸、敬老の日(第3月曜)
10月 - 衣替え - ハロウィン(31日)
11月 - 七五三、ブラックフライデー(第4金曜日)
12月 - お歳暮、忘年会、クリスマス(24日、25日)、大晦日・除夜の鐘(31日)、年越し蕎麦

期日が定まっていないもの
主に春のもの - 花見
主に夏のもの - 海開き、山開き、海水浴、水泳、花火、夏祭り
主に秋のもの - 運動会、文化祭、学芸会、月見、秋祭り
主に冬のもの - 雪祭り、雪見、ウィンタースポーツ
祭り⇒下の項目“日本の祭り”へ。
季節
国土の大半が温暖湿潤な気候帯に属し、春夏秋冬がはっきりと推移するこの国においては、この気象条件から、稲作による定住生活が生活の基盤となった。それゆえ、この国に棲む人々は四季の移ろいに敏感で、穏やかではあるが自然に対して感受性の鋭い国民性が育まれた。また、周囲を海に囲まれ個立した島国であることで、他民族との接触に一定の制御が加えられ、前記の特質に加えてさらに、独特の繊細で豊穣な文化を醸し出す下地ともなってきた。
春 - 春雨、春の嵐
夏 - 梅雨、暑中、残暑
秋 - 秋雨、台風
冬 - 寒中、降雪、吹雪
四季、二十四節気、歳時記、季語
祝日
国民の祝日
その他
冠婚葬祭

地域の祭り
地域の祭りについてはCategory:日本の祭り
日本全国で有名のものや主のものについて挙げる。
青森ねぶた、三社祭、祇園祭、天神祭、阿波踊り
日本で古くから行われている祭りでは神を祭る行事として神輿や御神体を使って行われていることが多い。神を称え、豊作や健康を祈ったり、邪悪なものを吹き飛ばすというような意味合いも込められる。祭りは時期を問わずさまざまなものが行われ、キリスト圏でいう「クリスマス」や「ハロウィン」というように祭りが一日に集中するような日というものは特にないが、季節で見ると夏に多く行われ、盆踊りや花火大会が多く開催される。

宗教

詳細は「日本の宗教」および「日本#宗教」を参照
日本では、仏壇(仏教に従って先祖や故人をまつる)と神棚(神道の神をまつる)が両方あるという家庭もあり、いっぽう近年では、そのどちらもないという家庭も増えている。

特定の宗教・宗派に個人的に関わる人も多いが、日本人は全体として宗教意識が希薄であり、事実上の無宗教に近い人々が多数派である。一般的に葬礼は仏式で行われることが多く、結婚式はキリスト教式あるいは神式で、といった宗教形式の混在現象が見られる。日常的に特定の宗教を熱心に信仰するというよりも、事ある毎に個人や家族あるいは団体で、適宜宗教行事として関わるという傾向が顕著である。墓式に関しては、家族の関わる仏教各宗派に属するものが圧倒的に多いが、最近では無宗教のものも増えている。宗教施設の中には神仏習合の権現として参拝の対象になっている例も存在する。また現世利益(世俗)的なものもあるが願掛けなど宗教行為をおこなう所が民間信仰に限らず寺社の中にもあり、これらは観光名所になっている事も多い。

神道
八百万の神
鎮守神、産土神、氏神
神社 - 神道信仰のための施設。大小含めて日本全国に11万ほどある。
神社建築、鎮守の森
鳥居 - 神域と人間が住む俗界を区別するもの。
狛犬 - 神社を守るとされている想像上の獣の像。
神体
神棚、神具

神事、神楽、神酒、神饌、直会
例大祭、新嘗祭、祈年祭、歳旦祭、紀元祭、天長祭、大嘗祭
神幸祭、神輿、御旅所、地鎮祭、上棟祭
祝詞
禊、祓
神典
日本神話
高天原、葦原中国、黄泉
日本の神の一覧
神道用語一覧
神社一覧、神社本庁
神職
氏子組織

拍手

仏教
仏陀
仏教公伝
日本の仏教
寺(寺院) - 出家者が起居し宗教的儀式を行う施設。日本全国に7万ほどある。
本堂
山門
仏塔
本尊
仏像 - 仏を模した像。
仏壇、仏具
法要
灌仏会、成道会、涅槃会、盂蘭盆、彼岸、除夜の鐘
仏典、経典
奈良仏教、平安仏教、鎌倉仏教
密教
浄土、極楽、念仏
禅、坐禅
仏教用語一覧
仏の一覧
日本の寺院一覧
僧侶
檀家組織

合掌

神仏習合・民間信仰
定義上、上記2項目に含まれているものもある。

本地垂迹
権現 - 仏教の仏を本地仏としているが、実質上神と同一視し祀っているもの。
神宮寺
修験道、山岳信仰
陰陽道、風水
七福神、えびす信仰
庚申信仰
銅鑼

キリスト教
各地にキリスト教会があり、クリスマスなどの行事は多くの日本人に親しまれているが、キリスト教の信徒は人口の0.8%程度と少ない。カトリック系が最も多い。

その他の宗教
新宗教
イスラム教
信徒は少ないがやや増加の傾向もある。
ユダヤ教
信徒はごく少ない。
その他
憲法において「信教の自由」が謳われており、少数でありながらも様々な宗教が信仰されている。
神仏習合・神仏分離
政教分離の原則

言語

日本の言語について、詳しくは日本語の方言や日本を参照。
日本の法律、公文書等には日本語が用いられており、日本語が公用語である(裁判所法第74条に裁判では日本語を使うことが規定されているほかは、法律上の明文はない)。実際に使用される場面も日本語が最も多い。

古代から使われてきた言葉は大和言葉であるが、中国の影響もあって高い割合で漢語が使用されるほか、明治時代以降は英語などの外来語やそれを翻訳した和製漢語も多く使われている。英会話が苦手だという日本人は多いが、英語に由来する外来語(例:グローバルスタンダードなど)は好んで使われ、和製英語という日本独自の「英語」も生まれている。歴史的経緯や国際化の進展によって、標識や看板などで英語や朝鮮語(韓国語)、中国語、ポルトガル語、ロシア語などの併記も行われるようになってきている。

日本語には多様な方言があり、地域によってかなりの違いがある。しかし明治時代に東京方言を基盤に標準語・共通語が整備されて以降、学校教育やマスコミ等の影響で東京をも含め全国で伝統的な方言は衰退していく傾向にある。

日本語
共通語、標準語
上代日本語、中古日本語、中世日本語、近世日本語
日本語の音韻、日本語の起源、日本語の表記体系、日本語の方言
漢字
漢字制限、当用漢字、常用漢字、教育漢字、人名用漢字
音読み、訓読み、国字
仮名
ひらがな、カタカナ、万葉仮名、変体仮名、ローマ字
現代仮名遣い、歴史的仮名遣い
文法
敬語
品詞
その他
日本語の乱れ
言霊
国語
沖縄県と鹿児島県奄美群島における諸方言は、総称として「琉球方言」と呼ばれる。琉球諸島の言語は本土と口頭では互いに通じないほどの違いがあり、また島が違うと意思疎通が困難なほどの著しい多様性を持っていたため、言語として「琉球語」ないし「琉球諸語」とも呼ばれている。。現在、沖縄県においてはウチナーヤマトグチと呼ばれる日本語の新方言が話されている。

日本語以外
アイヌ語
日本では北海道を中心に千島、樺太でも使用されていた。アイヌ人が使用していたが、現在では日常会話に使っている者はほとんどおらず、話者が激減し数百名しか話せる人がいない、危機言語(話者がいなくなるおそれのある言語)である。
その他
日本に数多く暮らす在日朝鮮人・韓国人は、日本語を使う者が多数派になっている。朝鮮語(韓国語)も使われており、日本では日本語に次いで話者が多い。しかし、日本で話される朝鮮語は日本語の影響を受け、在日朝鮮語と呼ばれる日本化した朝鮮語になっている。
他にもブラジル人のポルトガル語などが一部地域でよく話されている。

娯楽・レジャー

娯楽
比較的古く(近世以前)からある娯楽
能、狂言、歌舞伎、文楽、落語、講談(講釈)、浪花節(浪曲)、寄席
比較的新しい(近代以降)もの
演芸、演劇、お笑い、漫才、コント、手品(和妻)、サーカス(曲馬団)、ミュージカル、レビュー
賭博
パチンコ、パチスロ
公営競技
競馬
競輪
競艇
オートレース
富籤
宝くじ
スポーツ振興くじ
娯楽施設
遊園地、テーマパーク、映画館、シネマコンプレックス(シネコン)
飲酒
居酒屋、焼き鳥屋・焼き豚屋、おでん屋、料亭、スナック、クラブ、バー、屋台
外食
蕎麦屋、うどん屋、牛丼屋、寿司屋・回転寿司、カレーショップ、ファミリーレストラン、定食屋、お好み焼き屋、カフェ・喫茶店、出前・ケータリング

旅行・観光・行楽

道後温泉本館(重要文化財・近代和風建築)
日本人は旅行好き、観光・行楽好きと言われる。

公園 - 国定公園、国立公園、国営公園
温泉、湯治 - 日本の温泉地一覧、日帰り入浴
観光地 - 日本の観光地
ツアー(団体旅行)、海外旅行、パック旅行
修学旅行、遠足、キャンプ
卒業旅行、新婚旅行、慰安旅行
講(お伊勢参り・富士講など)、七福神めぐり、巡礼、初詣、彼岸参り
宴会、芸者遊び、カラオケ、名曲喫茶、歌声喫茶、ジャズ喫茶、ジャズクラブ
イベント(催し物)

遊び
「こどもの文化」も参照
伝統的

ボードゲーム - 双六、福笑い
カードゲーム - かるた、花札
美術 - お絵かき、ぬり絵
手先 - お手玉、折り紙、あやとり、せっせっせ、リリヤン、プラモデル、竹とんぼ
賭け事 - ビー玉、めんこ、べーごま、おはじき
射的 - ぱちんこ(スリングショット)、ゴム鉄砲、吹き矢、空気鉄砲
曲芸 - 凧揚げ、剣玉、独楽、竹馬、ホッピング、フラフープ
社会 - ままごと、人形ごっこ、忍者ごっこ、探偵ごっこ、電車ごっこ
鬼 - 鬼ごっこ、かごめかごめ、かくれんぼ、缶けり、だるまさんがころんだ、ドロケイ(ドロジュン、泥棒と巡査、泥棒と警官)
陣取り - ひまわり、Sけん(エスの字けんけん)、はないちもんめ、馬乗り
競技 - ゴムとび、羽根突き、石蹴り、馬跳び
戦い - 相撲、チャンバラ、銀玉鉄砲、水鉄砲
食べ歩き - 縁日、駄菓子屋、お祭り
自然

川遊び、磯遊び、砂遊び、山歩き
木登り、花摘み、昆虫採取(亀、トカゲ、清水蟹、ヘビなどの小動物の採取)、釣り(ザリガニ、クチボソ)、探検(下水道、防空壕、離れ小島)、基地作り


つくし採り、山菜取り


海水浴、花火、潮干狩り、肝試し、怪談話、サーフィン、ヨット


たき火、銀杏採り、各種秋の味覚狩り
冬・雪

おしくらまんじゅう、かまくら、雪合戦、雪だるま
スキー、スケート、そり、スノボー
学校・球技

枕投げ、一輪車
野球(三角ベース、キックベース、ゴロベース、はさみ鬼)、ソフトボールサッカー(フットサル)バスケットボール(ストリートバスケ、3on3)、ドッジボール
近代的

テレビゲーム、ゲームセンター
プリクラ、シール(遊び)
テーブルトークRPG
サバゲー
ネットサーフィン
オンラインゲーム
携帯電話の絵文字[5]。

スポーツ

「日本のスポーツ」も参照

伝統のスポーツ
大相撲、柔道、空手道、合気道、日本拳法、少林寺拳法、なぎなた
剣道、弓道、杖道、居合道、古武道
蹴鞠(けまり)、流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)・鷹狩(たかがり)
日本泳法

近代以降のスポーツ
明治時代以降、海外の影響を受けて野球、テニス、ボート、陸上などの競技が学校を中心に導入された。特に野球は人気が高く、草野球でも楽しまれるほか、プロ競技の観戦も好まれる。ゴルフは社交として戦後盛んになり、接待で行われることも多い。

選手の育成・技能の向上
スポーツクラブ、各種運動部会、合宿練習、稽古、試合、道場
アマチュア・プロ選手

レクリエーションとしてのスポーツ
アウトドアスポーツ(いずれも日本では趣味としての認識が強い。)
マインドスポーツ(日本ではスポーツとしてではなく趣味や娯楽として認識されている。)
ジム、フィットネス、ヨガなど
運動会(体育祭)、スポーツ少年団、各種サークル活動
スポーツ観戦
大相撲、プロ野球、高校野球、Jリーグ、格闘技(プロレス・K-1・空道)、天皇杯、駅伝、ラグビー、

趣味・嗜好・教養

和歌、俳句、短歌、川柳、狂歌
都々逸、小唄、三味線、尺八、民謡、カラオケ
茶道、香道、華道(いさかさはやけばな)、盆景
将棋、囲碁、オセロ
ラジオ講座・テレビ講座、カルチュア・スクール、生涯教育(社会教育)、各種サークル活動
嗜好品
収集展示施設(博物館法による博物館)
博物館、資料館、美術館、文学館、歴史館、科学館、水族館、動物園、植物園

文学・美術・音楽・映画など

文学
日本文学
日本の詩、和歌、短歌、俳句、川柳、連歌、狂歌、漢詩、かな文学
純文学、大衆文学、私小説、ケータイ小説、ラノベ、読本(よみほん)、円本
漫画、コミック
美術

詳細は「日本美術史」を参照
日本の絵画
大和絵
日本画
浮世絵
工芸・陶芸
蒔絵、螺鈿、彫金、紙工芸
陶器、磁器、漆器、籐編み
日本人形、木目込み人形
七宝焼き
芸道
日本の芸道
書道、茶道、華道、香道
舞、日本舞踊
伝統芸能
音楽
Category:日本の音楽
邦楽、J-POP
演歌
雅楽
現代雅楽
民謡
声明
吹奏楽
Category:日本の伝統音楽
邦楽のジャンル一覧
日本の楽器(和楽器)
琴、箏、三味線、琵琶
和太鼓、鼓(つづみ)
鉦(かね)
尺八、笙、篳篥(ひちりき)
映画
日本映画
日本の映画作品一覧
アニメーション映画
特撮映画
年度別日本公開映画
園芸
園芸植物
菊・朝顔・桜草・花菖蒲・万年青・イワヒバ・カラタチバナ・万両・ヤブコウジ・松葉蘭・長生蘭・富貴蘭・東洋ラン・桜・椿…
盆栽
学問
国学、蘭学
儒学
算道、和算
地震学、本草学
その他
日本庭園 - 枯山水

情報・通信・マスメディア

情報・通信・マスメディアの発達は日本文化に大きな影響を与えている。

Portal:メディア
放送
放送局
プロジェクト:放送局
プロジェクト:放送番組
プロジェクト:テレビドラマ
プロジェクト:コミュニティ放送局
プロジェクト:ケーブルテレビ局
印刷物関係
新聞
新聞社・新聞販売店
出版・書店
教科書、辞書・辞典
本(単行本・文庫・新書)
雑誌(月刊誌・週刊誌)、フリーペーパー、瓦版
新刊書店、中古書店
図書館、貸本屋
広告・宣伝・広報(公報)
広告代理店、通信社
放送広告(CM:コマーシャル)・新聞広告
屋外広告・看板、ポスティング(チラシ配布)
政府広報、自治体広報
その他
インターネット
ウェブサイト、メール、メッセ、チャット、掲示板、ソーシャル・ネットワーク・サービス
ケーブルテレビ、ひかりテレビ
バーチャルリアリティ
電話、電報、ファックス、ケータイ(携帯電話)
郵便、宅配便
新幹線、宅急便
デスクトップパソコン - ノートパソコン - タブレット (コンピュータ) - タブレットPC - タブレット端末 - Ultrabook - スマートフォン - カーナビゲーション - UMPC - 現金自動預け払い機 - 複合機 - 電子書籍 - 3Dプリンタ - IP電話 - テレビ電話 - テレビ付インターフォン - ウェアラブルコンピュータ

大衆文化など

日本のインターネット
ラジオ体操
日本のロック、日本のヒップホップ
アニメ - 漫画
お宅 - 腐女子
少女文化
特撮
ヤンキー - ヤクザ
日本のゲイ文化
家事
MRJ - HondaJet
萌え - 燃え
巡礼 (通俗)

脚注

^ 針供養などの、針を含めた道具にも魂が宿るとする考えは仏教では、邪道とされた
^ 仏教と密教を別の宗教とする宗教学上の見解も多い
^ 儒教は哲学や思想であるが宗教ではないとする見解もある
^ 古くはキリシタン文化
^ 「カラオケ、エモジ…」 オバマ氏、日本語交え、安倍総理を歓待産経新聞2015.4.28

関連項目

日本化
日本文明
折り畳み
日本を意味する和の一覧

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、日本の文化に関連するカテゴリがあります。
皇室に伝わる文化 - 宮内庁
文化庁
文化遺産オンライン (文化庁)
日本文化構造学研究会 Research Center of Japanese Culture Structural Studies, The Japan code/Principle & Origin of Japanese culture
欧米人から見た日本-日本関係の英語文献紹介-
日本文化の検索エンジン JapanType
「菊と刀」と日本人
最終編集: 4 時間前、匿名利用者
関連ページ
伝統宗教
神道事務局
神道系包括団体一覧
Wikipedia
コメント

日本の自転車

2017-12-26 16:21:00 | 調査
Wikipedia

日本の自転車

本項では、日本の自転車、軽車両事情について概観する。

目次
歴史

彦根藩士の平石久平次時光(ひらいし くへいじ ときみつ)の記した『新製陸舟奔車之記』によると、彼は1732年に新製陸舟車という三輪の乗り物を製作して走らせたという。これは、ペダル式自転車に相当する乗り物として現時点で知られている世界初のものといえるが、残っているのはこの書物による記録のみである。このため新製陸舟車は個人的なものにとどまったと考えられる。

日本に西洋式自転車が初めて持ち込まれたのは慶応年間で、ミショー型(ベロシペード)であったと推定されているが、ほとんど記録がなく詳細は不明である。この形式は、イギリスでボーンシェーカー(Boneshaker, 背骨ゆすり)とも呼ばれた。1980年代頃までは1870年(明治3年)に持ち込まれたとの説が定説とされてきた。日本での自転車製作も明治維新前後には始まっていたものとみられている。からくり儀右衛門の異名をもつ田中久重が、1868年(明治元年)頃、自転車を製造したとの記録が残っている。ただし現物や本人による記録が伝わっていないため、久重による製造の真偽は定かでない。初期の日本国産自転車の製造には、車大工や鉄砲鍛冶の技術が活かされた。

1870年、東京・南八丁堀5丁目の竹内寅次郎という彫刻職人が「自転車」と名付けた三輪の車(ラントン型と考えられている)について、4月29日付の願書で東京府に製造・販売の許可を求めた。この願書は「自転車」という言葉の最古の使用例とされ、東京都公文書館に保存されている「庚午府治類纂」舟車之部という文書綴りに収められている。東京府の担当官による実地運転を経て、5月に許可が下り、7月には日本初の自転車取締規則が制定された[1]。

1872年(明治5年)、横浜・元町でボーンシェーカー型木製自転車を作った貸自転車業者が、自ら東京〜横浜間を6時間で走ったとの記録がある。これは日本における貸自転車と自転車の走行に関する最古の記録と考えられる[2]。

1876年(明治9年)、福島県伊達郡谷地村(現:桑折町)の初代鈴木三元が「三元車」という前二輪の三輪自転車を開発した。その後も改良を重ね、一応の完成を見た1881年(明治14年)、第2回内国勧業博覧会に出品している。三元車は日本に現存する最古の国産自転車であるとされる[3]。トヨタ産業技術記念館に収蔵されている初期型の一人乗り三元車が、2009年9月、三元の地元桑折町で初めて一般公開された[4]。三元車は、部品の材質が異なるものの、1879年ヨーロッパで発明されたシンガー・トライシクルによく似た機構を有している 。

現在の自転車の原形である安全型自転車が出来上がったのは1885年(明治18年)で、この時期に日本への輸入も始まっている。国産化も早く進み、宮田製銃所(現宮田工業)が国産第1号を製作したのは1890年(明治23年)である。

初期の自転車は高価な遊び道具であった。特にペニー・ファージング(オーディナリー型)が主流であった頃、庶民の間では貸自転車を利用することが流行し、度々危険な運転が批判された。所有できるのは長らく富裕層に限られた。1898年(明治31年)11月、東京・上野不忍池のほとりで開かれた「内外連合自転車競走運動会」を皮切りとして自転車競技大会も開かれ、大変な人気を集めたという。当時一般的であったダイヤモンドフレームの自転車はスカートなどで乗るのに適さなかったため、自転車は男性の乗り物とされていた。しかし大正期からは富裕層の婦人による自転車倶楽部も結成されるなどし、女性の社会進出の象徴となった。

初め日本の自転車市場はアメリカからの輸入車が大部分を占めていたが、明治末期になるとイギリス車が急増した。この後第一次世界大戦により輸入が途絶えたことをきっかけに、国産化が急激に進んだ。このとき規格や形式の大部分でイギリスのロードスターを基にしたが、米1俵(60キログラム)程度の小形荷物の運搬用途や日本人の体格を考慮したことで一つの様式が確立し、日本独特の実用車が現れた。この頃の日本の道路は自動車の走行に適してはいないため、運搬に自転車が使われ、自転車で運べない大きな荷物は荷車(特に馬力によるもの)で運ばれることが多かった。まだ自転車の価格が大学初任給を上回り、家財・耐久消費財といった位置ではあるものの、庶民の手にも入るようになり、1960年代半ば頃まで、実用車は日本の自転車の主流であり続けた。

第二次世界大戦後、自転車が普及していくと、代わりにそのステータスシンボルとしての地位を自動車が占めるようになった。その後、高度成長期には日本の自転車輸出量は世界一となり、世界中で日本製の自転車が乗られていた。現在では円が強くなったことで自転車の輸出は激減した。今日では中華人民共和国製を主とした外国製自転車が日本の市場に多数出回っている[5]。

名称異称

「自転車」という名称の使用は、1870年(明治3年)にまで遡ることができる。この言葉が定着するまでには、「西洋車」、「一(壱)人車」、「自在車」、「自輪車」、「のっきり車」といった名称が錦絵(開化絵)などに残っている。

日本語では漢字「輪」に自転車を表す用法がある。自転車自体を指す銀輪、双輪のほか、「駐輪場(自転車駐車場)」、「輪界(自転車界、自転車業界、競輪界)」などといった用例がある。1893年(明治26年)には自転車クラブ「日本輪友会」が発足し、1896年(明治29年)に発行された渡辺修二郎著『自転車術』という解説書では、自転車を「輪」と呼び、いくつかの関連用語の日本語訳にこの字を使っている。

俗語で「チャリンコ」と呼ばれることがある。語源は諸説ありはっきりしない。省略した「チャリ」という形で使われることもあり、他の語と結び付く造語要素ともなる。「チャリンコ」やその派生語は、愛称として親しみを込めて使う人がいる一方で、日本の自転車メーカーの技術者はこれらの言葉を嫌い[6]、愛好家には「自転車に対する最大級の『侮蔑』と『見下し』」[7]、「語感が厭」[8]などとして忌避・拒否する人も存在する。「チャリンコ」とは戦前にはスリや無銭飲食を意味する俗語であった。手塚治虫の漫画「アドルフに告ぐ」では、メインキャラクターの一人アドルフ・カウフマンが、友人のアドルフ・カミルにそそのかされ、チャリンコと称してかき氷を食い逃げする場面がある。愛知県・岐阜県・三重県では「ケッタ」「ケッタマシーン」と呼ばれている。これらのほか「ジテンコ」、「ワッパ」などと呼ぶ例もある。

バイクは、日本語ではモーターサイクル(自動二輪車と原動機付自転車)を指す外来語だがこれは日本語に限る用法であり、英語で bike は自転車をはじめとした二輪の車両全般を指す。日本でも車種や関連用品の名称に使われ、特に愛好家などがスポーツ自転車をバイクと呼ぶことがある。

自転車の定義

道路交通法では、1978年改正で「ペダル又はハンド・クランクを用い、かつ、人の力により運転する二輪以上の車(レールにより運転する車を除く。)であつて、身体障害者用の車いす、歩行補助車等及び小児用の車以外のもの(人の力を補うため原動機を用いるものであつて、内閣府令で定める基準に該当するものを含む。)をいう」(第2条第1項第11号の2)と定義され、「軽車両」、「車両」、「車両等」に含まれる。

道路交通法の定義により業務上過失傷害罪・重過失傷害罪などの公訴事実には、現代の日本国内では比較的見掛ける機会の少ない手こぎ式自転車や四輪自転車、三輪自転車と区別するため、「二輪の足踏み式自転車を運転し」などと表記される。

道路標識・道路標示における「自転車」は、「普通自転車」の略称である(道路標識、区画線及び道路標示に関する命令 別表第2備考一の(六))。

日本工業規格 JIS D 9111:2010(自転車—分類及び諸元)では、「自転車とは,ペダル又はハンドクランクを用い,主に乗員の人力で駆動・操縦され,かつ,駆動車輪をもち,地上を走行する車両をいう」と定義される。同規格の以前の版では、「乗員の運転操作により,人力で駆動され,走行する車両」とした上で、「十分な強度の車体構造」、「複数の車輪」、「乗員の座席装置」、「駆動、操だ(舵)、制動の諸装置」を備え・もつことを要件としていた(JIS D 9111-1980)。

自転車の下位分類と周辺
普通自転車
道路交通法と関連法令で、自転車のうち、一定の条件を満たし歩道を通行することのできるもののことをいう。日本国内の大部分の自転車が該当する。道路標識・道路標示における「自転車」という語は普通自転車の略称として使われている。
電動アシスト自転車
JIS D 9111:2010(自転車—分類及び諸元)の大分類の一つ。交通法令では「人の力を補うため原動機を用いる自転車」、「駆動補助機付自転車」と表記される。踏力アシストの比率を一定以下に制限する(原動機駆動のみでは時速20キロを超えられない)ことで、運転免許の要らない自転車として扱っている。
一輪車
「二輪以上の車」という要件を満たさないため、道路交通法上の自転車には含まれないが、JIS D 9101:2012(自転車用語)では、特殊自転車の一種として例示され、「曲技,スポーツ,遊戯に使用する1輪の自転車」と定義されている。これは自転車メーカーの製品に一輪車が含まれることが多いことと関連する。普通自転車ではないので公道で乗ることは出来ない。
原動機付自転車
自転車に小型のエンジンを取り付けた乗り物(モペッド)を起源とするのでこの名があるが、法律上自転車に含まれない。
二輪車
自転車は一般に二輪であるが、道路標識や道路標示において「二輪」や「二輪車」は、原動機付自転車と自動二輪車の総称であり、自転車を含めることはない。ただし道路標示「二段停止線(203の2)」における「二輪」の停止線は自転車など軽車両をも対象とする。
道路交通法上、側車(サイドカー)付きのもの及び他の車両(リヤカー)を牽引しているものを除いて、二輪・三輪の自転車を押して歩いている者は歩行者として扱われる。

通行空間

自転車は車道の左側を走行することが原則として定められているが[9]、車道が危険な場合は歩道の通行も認められている。このほか自転車の通行空間としては、道路法令に定められた各種の専用道路・道路の部分、道路交通法に定められた交通規制によるものがある。これらについては、根拠となる法律によって、通行できる自転車や通行方法について違いが見られる。1970年以降、自転車の歩道通行が条件付きで認められている。自転車の歩道通行を認めた国は、ノルウェーを除き諸外国には見られず[10][11]、特異な政策であるといえる。

車道左側
 道路交通法では、自転車は他の車両と同様に歩道・路側帯と車道の区別のある道路での車道通行(第17条第1項)、車道においての左側通行(同第4項)が義務づけられている。

 車両通行帯 のない道路では、自転車を含む軽車両は道路の左側端寄りを通行しなければならない(第18条第1項)。車両通行帯 の設けられた道路(公安委員会の指定がある片側2車線以上の道路)では、軽車両は最も左側の通行帯を通行しなければならない(第20条第1項)。

 ただし、車両通行帯に関する規定については、いくつかの問題がある(後述する「法規・行政上の待遇」、車両通行帯を参照のこと)。

 左折レーン、直進レーンなどが設置してある交差点でも、どちらに進むかに関係なく、原則として最も左側の通行帯を通行しなければならない(第35条第1項)。

各種の「自転車道」
日本の法令上「自転車道」という用語は、「自転車道の整備等に関する法律」に見られるように道路法令に定められた専用道路や道路の部分の総称として広義で使われる場合と、道路構造令・道路交通法にいう道路の部分を指す狭義で使われる場合がある。

自転車専用道路 … 道路法第48条の13第1項
自転車歩行者専用道路 … 道路法第48条の13第2項
自転車道 … 道路構造令第2条第2号
自転車歩行者道 … 道路構造令第2条第3号
道路交通法・交通規制によるもの 編集
自転車専用通行帯 … 第20条第2項
普通自転車以外の通行が禁止されている道路 … 第8条第1項
普通自転車が通行できる歩行者用道路 … 第8条第1項
路側帯 … 第2条第1項第3号の4(定義)、第17条の2第1項(通行可の根拠)
普通自転車通行可の歩道(自転車歩行者道) … 第63条の4第1項
自転車横断帯 … 第2条第1項第4号の2(定義)、第63条の6・第63条の7(義務の規定)

公道を走る際の必要装備

保安部品等にあたるものとして以下が挙げられる。公安委員会規則については都道府県によって内容に違いがある場合がある。ここには代表的と思われる規定を例示した。

制動装置(ブレーキ)
「自転車の運転者は、内閣府令で定める基準に適合する制動装置を備えていないため交通の危険を生じさせるおそれがある自転車を運転してはならない」 … 道路交通法第63条の9第1項 ※五万円以下の罰金(過失も処罰)
前後輪を制動し、乾燥した平坦な舗装路面で、制動初速度10km/hのときに制動距離が3m以内で円滑に停止できるもの … 道路交通法施行規則第9条の3
警音器
「車両等(自転車以外の軽車両を除く。以下この条において同じ。)の運転者は、次の各号に掲げる場合においては、警音器を鳴らさなければならない」 「法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。」… 道路交通法第54条 ※五万円以下の罰金刑(過失も処罰)
警音器の整備されていない自転車を運転しないこと … 公安委員会規則 ※五万円以下の罰金
なお規格について法令等に規定はなく、一般的に手動のベルが使われる。ちなみに自動車運転者に対して注意を促す効果はほぼない。

前照灯・尾灯
「車両等は、夜間(日没時から日出時までの時間をいう。以下この条及び第六十三条の九第二項において同じ。)、道路にあるときは、政令で定めるところにより、前照灯、車幅灯、尾灯その他の灯火をつけなければならない。政令で定める場合においては、夜間以外の時間にあつても、同様とする」 … 道路交通法第52条第1項 ※五万円以下の罰金(過失も処罰)
「軽車両 公安委員会が定める燈火」 … 道路交通法施行令第18条第1項第5号
前照灯 … 白色又は淡黄色で、前方10mの距離にある障害物を確認できる光度のあるもの … 公安委員会規則
尾灯 … 赤色で、夜間に後方100mの距離から点灯を容易に確認できる光度にあるもの … 公安委員会規則
なお自動車と違い、障害物認識のための前照灯と、自己の存在を他者に認識させるための灯火の区別はない。京都府警による2016年の京都市内での調査によると、「日没後のライト使用は75.6%にとどまり、4台に1台が無灯火だった」とのことである[12]。

反射器材
「自転車の運転者は、夜間(第五十二条第一項後段の場合を含む。)、内閣府令で定める基準に適合する反射器材を備えていない自転車を運転してはならない。ただし、第五十二条第一項前段の規定により尾燈をつけている場合は、この限りでない」 … 道路交通法第63条の9第2項 ※五万円以下の罰金(過失も処罰)
赤色又は橙色で、夜間に後方100mの距離から前照灯の反射光が容易に確認できるもの … 道路交通法施行規則第9条の4
JIS D 9452:2007(自転車—リフレックスリフレクタ)とJIS D 9301:2010(一般用自転車)で、反射器材のうちリヤリフレクタの色は「赤」、ペダルリフレクタの色は「アンバ」でなければならないと定められている。
後面の幅が0.5メートル以上の自転車・軽車両にあつては、両側にそれぞれ1個以上(計2個以上)備えること
※尾灯または反射器材は、いずれかでよい … 道路交通法第63条の9第2項・公安委員会規則

ヘルメット
「児童又は幼児を保護する責任のある者は、児童又は幼児を自転車に乗車させるときは、当該児童又は幼児に乗車用ヘルメットをかぶらせるよう努めなければならない。」 … 道路交通法第63条の11 ※努力義務
「児童又は幼児」は、十三歳未満の者 … 道路交通法第14条第3項

自転車の利用

通勤・通学に利用されるほか、日常の買い物などに利用される。通勤・通学の場合、自宅から駅までという利用も多く、放置自転車の問題も起こっている。このほか、地域によっては、新聞配達、郵便配達、自転車便、卸売市場関係者、商店、警察官などで職業上の利用もある。駐車違反の取締り強化により、電動アシスト自転車を利用する運送業者も現れている。

1961年のスポーツ振興法(2011年の改正によりスポーツ基本法)では主に健康面から自転車旅行=振興法第10条(サイクリング=基本法第24条)が奨励され、自転車道の整備等に関する法律により地方自治体が河川沿いなどに自転車道を建設している。

公共交通機関(鉄道や船・飛行機など)で移動する際、自転車を分解し専用の袋に入れて運ぶことを「輪行」と呼ぶ。この輪行の方法によらず、自転車をそのまま鉄道車両に持ち込むことを認めるサービスをサイクルトレインという。このほかヤマト運輸が日本サイクリング協会と提携し「サイクリングヤマト便」という制度を運用している。扱いはトラック便の一種である「ヤマト便」になり、一律60kg相当の扱いとなる(営業所持込みまたは集荷のみ、宅急便取次所では扱わない)。

日本サイクリング協会によれば、日本全国の自転車の保有台数は7千万~8千万台で、うち約3千万台が日常的に利用されていると推定している[13]。

自転車にかかわる問題

自転車は、運転免許不要で身近な乗り物であるが、問題も発生している。日本における主な問題には次のようなものがある。次に箇条書きで挙げた問題についてはそれぞれの項目に譲る。

放置自転車 … 放置自転車問題は特に「銀輪公害」ともいわれた。
駐輪場
自転車盗
防犯登録

自転車の車体に関するもの
前照灯の不良(照度の不足、光軸のずれ、赤色の使用、球切れ)、後部リフレクタ(反射器材)の損傷や欠損、タイヤの空気圧不足、ブレーキの効きの悪い状態の放置といった整備不良がある。スポーツ車では、前照灯や尾灯(または後部リフレクタ)の未装備などの事例が見られる。2007年前後から流行しだした両輪または片方の車輪にブレーキを装備しないトラックレーサー(ノーブレーキピスト)が、本来認められない公道を走っていることが問題となっている。自転車には車検制度がないが、自転車安全整備制度(TSマーク制度)があり、付帯する保険の期限が1年となっていることで、定期的な点検を促している。一般的に自転車の取扱説明書には、初期点検と定期点検を奨励する文言がある。

一方、低品質な自転車も問題になっている。1990年代以降量販店をはじめ、一般的な自転車店でも売られるようになった低価格な輸入製品の中には、JISをはじめとした日本国内の安全基準に適合しないものもある。これは輸入品に関しては輸出国の安全基準を満たしていれば日本国内で販売できることによる。外見は国内の規格に適合した製品と変わらないため、こうした安価な製品が消費者に選ばれる傾向にある。自転車業界は、基準を満たさない製品の販売を禁止するPSC制度を自転車にも適用するよう申し入れているが、対象にならなかったため業界の自主的な安全基準「自転車協会認証」(BAA) を導入した[14]。

道路環境や自動車との関係によるもの
自動車による幅寄せ
自転車に対する自動車・オートバイの故意の幅寄せ等の暴走行為は、その行為単独として暴行罪として立件される可能性があるほか、故意の幅寄せ行為により交通事故を起こし、(自転車に限らず)他人を死傷させた者は、危険運転致死傷罪(妨害運転)として、最長で20年以下の懲役(加重により最長30年以下)に処される。たとえ過失であっても道路交通法第70条の安全運転義務違反[15]に該当し十万円以下の罰金に処される。

これらの法律に反し、車道を走行中の自転車に自動車が意図的に幅寄せをしたり、安全上必要な側方間隔がとられていないことが多い[16]。そのために接触事故となる場合もある。例えば、2013年には埼玉県で自動車が故意に幅寄せを行い、車道を走っていた自転車にぶつけけがをさせる事故が発生しており、危険運転致死傷罪の容疑で逮捕されている。[17]。

追い越し時の側方通過時の安全な間隔について、道路交通法上では具体的な数値は規定されていないが、過去の判例から側方通過時の車両同士(自転車に限らない)の間隔はおおむね1m以上を基準とし、道路の状況、車両の速度、車種等を考慮し、社会通念に応じて判断されるべきもの(16訂版道路交通法解説P71)とされる。自転車の背面から接近する場合は、対面の場合よりも広い間隔をとり、最低でも1.5メートルは確保するのが望ましいと考えられる[18][19]。

道路における通行空間の未整備
本来、自転車の通行空間は車道の左側や自転車道とされている。しかし、自転車道の整備延長は道路延長のわずか0.9%(1999年、建設省の調査による)に過ぎない。急激なモータリゼーションにより暴走自動車が市民を加害する事故が多発し、自動車による被害犠牲者が戦時中のような多さから1970年代には「交通戦争」と呼ばれ、この時に自転車も「車両等」でありながら歩道走行が容認されるよう道路交通法が改訂された(後述)。

自転車の安全確保のために自転車道や自転車レーンといった自転車専用の通行路が導入されることになったにもかかわらず、空間の有限性や整備コストなどを理由に困難だとして、その整備は進んでない。一方で「普通自転車歩道通行可の規制」が多用されるようになった。その総延長は2005年度末で6万8992.6kmと、全歩道の44.2%を占める[20] 。

自転車が車道を通行する場合、道路の幅員や路面状態、電柱といった障害物などのほか、自動車の駐停車、パーキングメーター・パーキングチケット発給機といった路上駐車施設の存在により自転車が安全に通行できる空間が確保されていないことが多い。また、自転車レーンでさえも自動車違法駐車が多発しており、自転車安全走行環境確保のため警察による違法駐車取り締まり強化が為されている。

2001年9月、埼玉県川口市の市道で、自転車に乗った小学生が違法駐車車両を避けようとし、対向車と衝突して死亡した。この小学生の母親が対向車と違法駐車車両の運転者を相手取り損害賠償を請求した裁判で、2004年8月さいたま地方裁判所は対向車だけでなく違法駐車車両の運転者の損害賠償責任をも認める判決を言い渡した[21]。違法駐車車両の駐車場所は車道左側寄りであり、自転車の走行空間と重なり、事故の原因となることから「自転車乗りにとっては本当に深刻な問題」であるにもかかわらず、軽視され状況が悪化していると指摘される[22]。

車道における自転車レーンの不整備や自動車の速度超過や煽り運転、幅寄せやスレスレ追い抜き、事故を誘発する違法な路上駐車の蔓延もあり、現状では多数の自転車が歩道に追いやられている。歩道は自転車通行可の標識の有無に関わらず、歩行者優先の徐行であれば通行可である。歩道は主に歩行者のために造られ本来自転車の通行には適さないという構造的な問題があるにも関わらず自転車は歩道に追いやられており、法的に徐行[23]義務と歩行者を優先するための一時停止義務が課されることから、自転車の自然な走行スピードの喪失を余儀なくされる。対自動車事故などの面から自転車は歩道通行した方がよいとの主張に対しては、米国・カナダのデータでは歩道通行の方が事故に遭う確率が数倍高いという結果があり[24]欧米ではこのような知見から「自転車の歩道通行は自転車とクルマの衝突事故の重要な原因」として禁止あるいは避けるように指導するのが一般的である[25] 。だが、欧米と比べて自転車レーンの整備率が日本は極めて低く[要出典]、また自転車の車道安全走行を阻害するスレスレ追い抜きや幅寄せ、自動車違法駐車問題もあり、自転車が歩道に追いやられての走行が多数な現状がある。

「環境に優しく健康によい交通手段」との評価のある自転車が、不明確な位置づけの下、適切な待遇を受けていないことは、日本の交通における課題となっている。

自転車に対する取締など
自転車に対する規制
ほぼ、道路交通法の改正による。

2013年12月1日改正施行の同法では、法令の基準に適合するブレーキを備えてない自転車(典型例として「ピスト」等)に対して、警察官が停止させ、検査をし、応急措置や運転禁止命令をすることができるとされ、検査拒否や命令違反に対しては5万円以下の罰金に処されることとなった。[26]
2015年6月施行予定の同改正法(予定)では、信号無視、酒酔い運転、指定場所一時不停止、自転車の制動装置違反、安全運転義務違反など)で、3年以内に2回以上検挙された場合は、安全運転講習の受講を義務付けることとし、受講拒否に対しては5万円以下の罰金に処される事が予定されている。[27][28][29]
その他、一定の違反行為が都道府県公安委員会規則に規定されており、禁止行為に違反すると5万円以下の罰金となる。(以下は東京都の場合)
自転車運転中に携帯電話を手で保持して通話使用や画面を注視するなどの行為
傘を差し、物を担ぎ、物を持つ等視野を妨げ、又は安定を失うおそれのある方法での運転
高音でカーラジオ等を聞き、又はイヤホーン等を使用してラジオを聞く等安全な運転に必要な交通に関する音又は声が聞こえないような状態での運転
警音器の整備されていない自転車の運転

免許制度導入の是非
詳細は「自転車免許証」を参照
自転車の無秩序な通行とそれによる事故を解消するために、自転車にも免許制度を導入すべきだとの主張が時折見られる。しかし、先進国で自転車を免許制にしている国はなく、“国民総免許となり、処理と管理のための各種天下り・利権機関を増やすだけ”と合理性に疑問を唱える声も見られる。

警察庁は、2013年の道路交通法改正試案に対するパブリックコメント募集結果で、自転車免許導入論に対して「自転車が幼児や児童といった低年齢者や自動車等の運転免許を受けていない者、自動車等を保有していない者にとって不可欠な移動手段となっていることや、自転車の運転方法が相当に平易で一般的に走行速度も低いことなどを踏まえると、現時点で自転車に運転免許制度を導入することは適切ではない」との認識を示した[30]。

事故防止を目的とした交通安全教育の一環として、おもに児童・生徒を対象として自転車免許証を与える自治体・学校の実施例がある。これらはあくまでも交通安全教育の教材のようなものであって、法的な根拠・拘束力はない。

諸外国を見ても義務教育などで交通安全教育を充実させる取り組みはあっても、免許制度などで自転車を取り締まろうという取り組みは見られない。これは自転車が“誰でも運転してよい”車両であり、自動車は“免許を受けた者以外は運転してはならない”車両であるためである。

自転車の運転自体には運転免許を必要としないが、自転車運転中に事故の原因となった危険行為(薬物使用)を理由として自動車の運転においても危険を引き起こす可能性がある[31]として、運転免許停止の処分となった例がある。2012年5月奈良市の市道で後方を確認せず道路を横断し、二輪車と衝突事故を起こし逃げたとして、奈良県警察は同年11月20日、この自転車を運転していた男性に150日間の自動車運転免許停止処分を科した[32]。

また、自転車先進国と讃えられる先進諸国では、自転車免許制度は当然なされず、道交法のシンプル化や自転車が道交法通り走りやすいような道路環境整備、自転車専用レーン、自転車専用信号の他、自転車利用者が迷わないような路面表示や標識等の設置、自動車運転手らも含めた自転車教育指導に力を入れている。このように、諸外国が採用しない自転車免許制度に頼らず、自動車運転手らが車道の自転車を尊重するような教育が必要だという主張も見られる。

保険
自転車には、自動車等における自動車損害賠償責任保険(自賠責)にあたる加入義務のある保険はない[注 1]。自転車総合保険は1980年に登場したが、2010年3月までに損害保険各社で販売が中止されている(現在は日本サイクリング協会会員に対して協会から斡旋があるのみ)。背景には保険料の割に支払いが多く、認知度が低く販売実績が少ないなどの事情がある。この結果自転車に特化した保険は団体向け販売のみになっている[34]。こうした傾向に関連して、「全国交通事故遺族の会」は自転車による人身事故を自賠責の対象とするよう提言している。しかし国土交通省は「自転車の実際の利用台数が不明で、どの程度の保険料とすればいいのか推計できない。車検のような機会がなく保険料の徴収も困難」(自賠責を所管する同省自動車交通局保障課)、「国民が受け入れるかどうか」(同省幹部)など、消極的立場をとっている[35]。

自転車安全整備制度のTSマークには1982年4月以降保険が付帯しているほか、日本サイクリング協会などの自転車関係団体には会員を自転車団体保険の被保険者とするものがある。

交通事故傷害保険や普通傷害保険、家族傷害保険、海外旅行保険など自転車に特化したものでない一般に販売されている傷害保険においては、種類によるが自転車を用いたレジャーや通勤通学などの交通における対人及び対物の傷害に対する補償にも対応する保険商品がある。自動車保険にも人身傷害や日常生活賠償特約など、自転車での事故に対応した契約がある。

法規・行政上の待遇
自転車は、法規や行政の上で、車両であるにもかかわらず歩行者に近い扱いを受けることが多い。「自家用車と違って燃料の消費等を通じてその利用を把握しにくく、かつ、基本的な移動手段としての性格を有する」(「長期展望に基づく総合的な交通政策の基本的方向—80年代の交通政策のあり方を探る」第二部第四章第三節[36])ために、運輸行政上“交通機関”とみなされてこなかった、との指摘がある。

道路交通法第63条の7により交差点を通行する際に自転車横断帯を進行することが義務づけられているが、その大部分が歩道通行を前提に横断歩道の車道側に沿って設けられている。車道を走行してきた自転車がこれに従った場合に歩行者や自動車との事故が多発した[37]ことなどから、自転車横断帯は順次撤去されているが、いまだに残存する横断帯があり、法改正もなされていない。
自転車横断帯のある交差点では、歩行者用信号機に「歩行者自転車専用」との補助標示板が付けられていることが多く、この場合自転車はこれに従うことが義務づけられている(道路交通法施行令第2条第4項)。しかしながら、同信号が歩道上に設置されていることにより、そもそも車道の自転車と対面しているといえない、夜間においては「歩行者自転車専用」の表示板は発光しておらず見えない、車道において同信号機の赤の灯火に従った場合に後続の自動車に追突されるおそれがある等、道路交通法第1条の立法趣旨とかけはなれたさまざまな現実的な矛盾を抱えたままの設置運用がなされているという問題がある。
「信号機#自転車用信号機」も参照

車両通行帯がある道路(公安委員会が道路標示により指定した片側2車線以上の道路)において、自転車は第一通行帯の中央よりやや左側を走行することにより、本来は安全に走行できる(後続自動車の追い越しは第二通行帯への車線変更義務があり、後続2輪車については第一通行帯の右側を進行することにより進路変更せずに追い抜きが可能である。道路交通法第20条1項、同法第20条3項)はずであるが、自転車は常に車道の左端寄り通行の義務があるかのような誤解を生じやすい警察庁等の広報[38]と、車両通行帯があるかどうかの判別が外観からは困難であること等により、道路交通法第18条及び同法第20条の立法趣旨に反した運用状況となっており、車両通行帯を走る自転車は危険にさらされている。
詳細は「車両通行帯」を参照

サイクリングロードなど自転車以外の車両の進入が原則として禁止されている箇所の入口に設置されている車止めに「車両進入禁止」と書かれていることも珍しくない。自転車は道路交通法上の「車両」である。
左折レーンのうち特に2車線以上のものや交通島によって構造的に分離されるものなど、車両通行帯の設計や信号機の運用により、自転車が安全に直進や右折をすることが困難な交差点をはじめ、自転車での通行がまったく考慮されていない未熟な設計の箇所が車道に多い。[要出典]
このほか法令などの影響により、日本では普通自転車に該当しない特定の車種の自転車を目にする機会が諸外国に比べ少なくなっている[要出典]。たとえばタンデム車については、一般公道での二人乗り走行が禁止されている(あるいは明確に認められてはいない)場合が多い。明文で認めている長野県・兵庫県・山形県・愛媛県・広島県・宮崎県以外では、走行場所が自転車専用道路等であったり、自転車の車輪が三輪以上であったりする場合などに限られている。タンデム自転車で走れる地域の少なさから、日本における自転車文化が諸外国と比べて遅れているという指摘もある[要出典]。

自転車関係団体など

自転車協会
自転車産業振興協会(自振協)
日本車両検査協会 (VIA)
日本自転車製造卸協同組合連合会
日本自転車軽自動車商協同組合連合会
日本自転車普及協会(自普協)
日本サイクリング協会 (JCA)
日本自転車競技連盟 (JCF)
日本サイクルレーシングクラブ協会 (JCRC)
日本マウンテンバイク協会
全日本BMX連盟 (JBMXF)
日本室内自転車競技連盟 (JFIC)
日本パラサイクリング連盟 (JPCF)
JKA … 競輪の中央団体「日本自転車振興会(日自振・NJS)」の後身。オートレースの「日本小型自動車振興会」を事実上吸収して発足した財団法人。
関西サイクルスポーツセンター(財団法人自転車センター)
日本サイクルスポーツセンター
日本レンタサイクル協議会
自転車駐車場整備センター
全国自転車問題自治体連絡協議会
自転車文化センター … 日本自転車普及協会による運営
自転車博物館サイクルセンター(財団法人シマノ・サイクル開発センター)
自転車月間推進協議会
日本アドベンチャーサイクリストクラブ
自転車活用推進研究会(NPO自活研)

自転車をテーマにした創作物

小説
銀輪の覇者(斎藤純 2004年)
自転車少年記(竹内真 2004年)
サクリファイス、エデン、サヴァイヴ(2007年、2010年、2011年 近藤史恵)
セカンドウィンド(川西蘭 2007年〜)
ヒルクライマー(高千穂遙 2009年)

漫画
自転車漫画 … 自転車を題材にした漫画の一覧

映画
メッセンジャー (1999年)
茄子 アンダルシアの夏 (2003年)
茄子 スーツケースの渡り鳥 (2007年)
音楽 編集
青春サイクリング(小坂一也 1957年)
サイクリング・ブギ(サディスティック・ミカ・バンド 1972年)
銀輪は唄う(ゲルニカ 1982年)
自転車でおいで (矢野顕子 1987年)
自転車泥棒 (ユニコーン 1990年)
自転車に乗って (モダンチョキチョキズ 1993年)
サイクリング・ブルース(忌野清志郎 2005年)
自転車ショー歌(忌野清志郎 2003年)
自転車 … 「自転車」というタイトルの楽曲の一覧

脚注


注釈
^ 兵庫県は、条例により保険加入を2015年10月から義務化する[33]。兵庫県交通安全協会の「自転車会員」になれば加入できる形式を取る。

出典
^ 齊藤俊彦『くるまたちの社会史 : 人力車から自動車まで』中公新書1346 中央公論社、1997年 ISBN 4121013468 78ページ
^ 佐野裕二『自転車の文化史 : 市民権のない5,500万台』文一総合出版、1985年、81ページ
^ 歴史探訪「うつくしま」への系譜 日本最古の自転車を製作 鈴木三元が夢見た 三元車のロマン
^ “三元車展 日本最古の国産自転車 初公開 三元車がやってくる!!」”. 2011年7月19日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年11月27日閲覧。
^ 輸入実績表 自転車・同部品・同付属品 平成23年01月~12月
^ 疋田智『大人の自転車ライフ : 今だからこそ楽しめる快適スタイル』光文社、2005年 ISBN 4334783619 74ページ
^ 小池一介『華麗なる双輪主義 : スタイルのある自転車生活』東京書籍、2006年 ISBN 9784487801190 23ページ
^ 斎藤純『ペダリスト宣言! : 40歳からの自転車快楽主義』日本放送出版協会、2007年、ISBN 9784140882405 129ページ
^ 浅井建爾 2015, p. 49.
^ 元田 良孝、宇佐美誠史、後藤俊、高橋慶多 『自転車歩道通行政策の矛盾に関する考察〜求められるパラダイムシフト〜』、自転車活用推進研究会『自転車DO!』第58号
^ 浅井建爾 2015, p. 50.
^ “無灯火自転車がなぜ危険なのか 4コマ漫画が反響”. ライブドアニュース (2017年5月23日). 2017年5月24日閲覧。
^ “母親驚愕「息子の自転車事故の賠償金9500万円」の“明細”は…”. サンケイビズ. (2013年8月18日) 2014年2月22日閲覧。
^ 東京都自転車対策懇談会 第2回 議事録 (2012年7月12日)9ページ
^ (16訂版道路交通法解説P271及びP756)
^ 自転車記者がまじめに走ってみた、車道こそ安全な場所だ カナロコ(神奈川新聞)
^ 自転車に幅寄せして車ぶつける=危険運転致傷容疑で男逮捕―警視庁(時事通信)セロン
^ 安全運転のポイント 三井住友海上
^ 側方間隔 教習所ナビ
^ 警察庁 自転車対策検討懇談会『自転車の安全利用の促進に関する提言 』10ページ
^ 永沢総合法律事務所 トピックス(岸田真穂「判例研究」『運転管理』平成17年6月号から)
^ グーサイクル 自転車ツーキニストでいこう!疋田智の連載えっせい 第9回「ほんなこつ“路上駐車”は何とかならないものか」
^ 道路交通法1978年改正の国会審議で、鈴木良一警察庁交通局交通企画課長は、歩道における自転車の想定される徐行速度について「時速四、五キロぐらいのことであろうと思いますが、すぐとまれる速度」と発言している(1978年5月9日参議院地方行政委員会)。道路交通執務研究会編著、野下文生原著『道路交通法解説 : 執務資料』(13-3訂版、東京法令出版、2007年 ISBN 9784809011009)は、「歩行者の歩速毎時四キロメートルから考えて、毎時六キロメートルから八キロメートル程度ということができよう」(655ページ)と述べているが、実際にこの速度で走ればバランスを崩しやすく逆に危険であり、実勢速度はバランスを取りやすい一定以上の速度にある。もう国土交通省 社会資本整備審議会 都市計画・歴史的風土分科会都市計画部会『都市計画部会第6回都市交通・市街地整備小委員会議事要旨 : 参考資料1 自転車等に関する法令等の規定』や石川県警察『自転車の疑問Q&A』にも同趣旨の記述が見られる。
^ 国土交通省 『平成19年度 第2回新たな自転車利用環境のあり方を考える懇談会』 参考資料2「車道と歩道の安全性の比較」
^ 警察庁 自転車対策検討懇談会『自転車の安全利用の促進に関する提言 : 資料』 8ページ 資料8「自転車マニュアル等における歩道通行の危険性の指摘」
^ http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/kotu_jyoho/pdf/sogo/sogo_131119.pdf
^ http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141130/k10013599391000.html
^ http://www.yomiuri.co.jp/national/20141127-OYT1T50069.html
^ http://www.yomiuri.co.jp/national/20141127-OYT1T50069.html
^ 警察庁交通局「「道路交通法改正試案」に対する意見の募集結果について{{{1}}} (PDF) 、2013年3月
^ 道路交通法103条1項3号または8号
^ 自転車で事故の男、「車の運転も危険」と免停に 読売新聞 2012年11月20日
^ “全国初、自転車保険加入を義務化 兵庫県会が条例案可決”. 神戸新聞NEXT. (2015年3月18日)
^ “銀輪の死角:自転車保険低い認知度 損保各社、販売中止 警察庁所管系も加入2%”. 毎日新聞. (2010年8月22日). オリジナルの2010年9月6日時点によるアーカイブ。
^ “自転車事故:「自賠責制度の対象に」被害者団体が提言”. 毎日新聞. (2010年8月30日). オリジナルの2010年8月31日時点によるアーカイブ。
^ 運輸省編『80年代の交通政策のあり方を探る : 運輸政策審議会答申「長期展望に基づく総合的な交通政策の基本方向」』ぎょうせい、1983年、109ページ
^ 消える「自転車横断帯」警察、車道通行を徹底 日本経済新聞
^ 自転車は車両のなかま 自転車は、道路の左端に寄って通行しなければなりません。

参考文献

浅井建爾 『日本の道路がわかる辞典』 日本実業出版社、2015年10月10日、初版。ISBN 978-4-534-05318-3。

関連項目
ウィキメディア・コモンズには、日本の自転車に関連するカテゴリがあります。
自転車
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道路交通法
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自転車道
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道路交通法
自転車の安全利用の促進及び自転車等の駐車対策の総合的推進に関する法律(自転車法)

外部リンク

自転車文化センター(日本自転車普及協会)
ネットペダリアン(日本アドベンチャーサイクリストクラブ)
自転車探検!(用語解説及び各種情報)
自転車活用推進研究会
マサルでもわかる自転車保険ブログ
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関連ページ
車両通行帯
自転車道
自転車を自動車交通から分離するために設けられた道路
キープレフト
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自転車

2017-12-26 16:08:18 | 調査
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自転車
人力を主動力源として車輪を駆動し走行する乗り物

自転車(じてんしゃ)とは、乗り手の人力を主たる動力源として車輪を駆動することで推進力を得て、乗り手の任意による進路で地上を走行する乗り物である。自動車などと比較して、移動距離当たりのエネルギーが少なく、路上の専有面積が少なく、有害な排出ガスが発生しない。また徒歩や走行と比較するとエネルギー効率は良く、少ないエネルギーでより遠くに早く移動できるため、日本や欧州諸国のような先進国を中心に、健康増進効果への期待や、環境(地球環境・局所的な環境の両方)への負荷の少ない移動手段として広く利用されている。

英語の bicycle, bike は二輪を意味し、日本においてもバイクと呼ぶことがあるが、日本語の「自転車」は三輪(時に一輪や四輪)をも含む。人力の必要の無い電動自転車や原動機付自転車にも使われ定義は曖昧である。

目次
自転車の歴史

自転車の歴史、特に黎明期の記録については現在もヨーロッパ各国を中心に資料の発掘と検証が続けられており、長らく定説とされてきたものを覆す研究も提示されている[注釈 1]。また二輪の自転車よりも三輪以上の自転車がより早く製作されていたと考えられている[注釈 2]。

安全型自転車の出現まで
自転車の祖先に当たる乗り物、またその着想についてはこれまでもさまざまな説が浮上しては否定されてきた。現在ではドライジーネ (Draisine) が、実際に製作されたことが確認できる二輪自転車の祖先とされる。これは、1813年にドイツのカール・フォン・ドライスによって発明された木製の乗り物で、前輪の向きを変えることができるハンドルと、前後同じ直径の二つの車輪を備えている。クランクやペダル、チェーンといった駆動装置はなく、足で直接地面を蹴って走るものであった[1]。この乗り物は間もなくデニス・ジョンソン(英語: Denis Johnson (inventor)) によってイギリスで改良され、ホビーホースなどと呼ばれた。1839年に、イギリスのマックミランによってペダル式の自転車が最初に考案された[2]。

1861年にフランスでミショー型が発売された[注釈 3]。これは現在の小児用の三輪車と同じようにペダルを前輪に直接取り付けたものであった。ピエール・ミショー(英語版)がオリビエ兄弟(en)より出資を受けて製造販売を始めたもので、これは初めて工業製品として量産された自転車でもある。なお、ミショー型については、ミショーの元で雇用されていたピエール・ラルマンが「自分こそがペダル付き二輪車の発明者であり、ミショーにそのアイデアを盗用された」と主張し、1866年にアメリカにて特許を取得している。

詳細は「ベロシペード」を参照

1870年頃、英国のジェームズ・スターレーが、スピードを追求するために前輪を巨大化させたペニー・ファージング型自転車を発売し好評を博したため、多くのメーカーが追随。前輪は拡大を続け、直径が1.5メートルを超えるものも出現した。当時盛んに行われたレースなどスポーツ用に特化したもので、長距離のクロスカントリーライドまで行われた。しかし極端に重心位置が高いため安定性が悪く、乗車中は乗員の足がまったく地面に届かないことなどにより日常用としては運用が困難であり、転倒すれば高所より頭から落ちるような危険な乗り物であった。日本ではだるま車などと呼ばれた。

詳細は「ペニー・ファージング」を参照

1879年に英国人ヘンリー・ジョン・ローソン(英語: Harry John Lawson) により後輪をチェーンで駆動し、座席(サドル)の高さが低いため重心が低く、乗員の足が容易に地面に届く物が製作され、ビシクレット(Bicyclette…二つの小輪)と名付けられた。これが英語の Bicycle の元となった[注釈 4]。

1884年スターレー・アンド・サットン (Starley & Sutton)、ハンバー、マキャモン (McCammon)(en)、BSAなどがビシクレットに改良を加えた自転車を発売する。

1885年にジェームズ・スターレーの甥ジョン・ケンプ・スターレーが「ローバー安全型自転車 (Rover Safety Bicycle)」の販売を開始する。側面から見て菱形のシルエットを持つダイヤモンド型のフレームを持ち、前後輪が同じ大きさで、後輪チェーン駆動の現在の自転車に近い姿になった[2]。この安全型自転車の登場により、それまでのスピードは出るが危険なペニー・ファージング自転車は徐々に衰退していき、またそれまでスポーツ用が主な用途だった自転車は日常の手軽な交通手段としての側面を強くしていった。

しかし、この時までの自転車は車輪が木製か空気なしのゴム製であり、乗り心地は非常に悪く「ボーン・シェーカー」(骨ゆすり)とも呼ばれるようなものであった[2]。これが大幅に改善されるのは、1888年にジョン・ボイド・ダンロップが空気入りタイヤを実用化してからのことである。この発明はすぐに自転車に使用され、乗り心地と速度の大幅な向上をもたらした[2]。その後フリーホイール機構が普及し、自転車の基本がほぼ完成された。

詳細は「安全型自転車」を参照

本節の参考文献
浅井建爾 『道と路がわかる辞典』 日本実業出版社、2001年11月10日、初版。ISBN 4-534-03315-X。
浅井建爾 『日本の道路がわかる辞典』 日本実業出版社、2015年10月10日、初版。ISBN 978-4-534-05318-3。
岸本孝 『自転車の事典 : 走るクスリ?』 文園社、2002年。ISBN 4-89336-177-5。
佐野裕二 『自転車の文化史 : 市民権のない5,500万台』 文一総合出版、1985年。ISBN 4-8299-1107-7。
『自転車の一世紀 : 日本自転車産業史』 自転車産業振興協会編、1973年。
『自転車実用便覧』 自転車産業振興協会編、自転車産業振興協会、1971年、改訂版。NCID BN09030094。
『自転車実用便覧』 自転車産業振興協会編、自転車産業振興協会、1982年、第4版。NCID BN04997827。
ドラゴスラフ・アンドリッチ、ブランコ・ガブリッチ 『自転車の歴史 : 200年の歩み…誕生から未来車へ』 古市昭代訳、ベースボール・マガジン社、1981年。ISBN 4-583-02929-2。
鳥山新一 『すばらしい自転車』 日本放送出版協会〈NHKブックスジュニア, 7〉、1973年。NCID BN15722988。

構造

フレーム
詳細は「フレーム (自転車)」および「フロントフォーク (自転車)」を参照

フレームは自転車を構成する各部品が組み付けられる車台である。自転車のフレームは伝統的にフロントフォークとセットで製造され、流通してきた歴史があり、公的な強度・耐久性試験もフレームとフロントフォークを組み付けた状態で行われる[3]。この場合、フロントフォークを含めた構造物はフレームセットと呼ばれる。一方、競技用の特殊な自転車においてはフロントフォークを含まないフレーム単体で製造、販売されることもある。フロントフォークとフレームはステアリングコラムと呼ばれる軸構造によって回転可能に接続され、ヘッドパーツと呼ばれる転がり軸受け構造によって滑らかに操舵できるようになっている。

車輪
詳細は「ホイール (自転車)」および「自転車用タイヤ」を参照

ホイールとタイヤによって構成される。ホイールのハブとリムとの間は金属製のワイヤースポークによって支えられるのが一般的である。ハブには滑らかに回転するために転がり軸受け構造を採用するものが一般的である。タイヤは中空で、円形の断面形状を持つものが一般的である。2輪の自転車では前輪が操舵、後輪が駆動を受け持つ構成が一般的となっているが、ベロシペードおよびペニー・ファージングまでは駆動と操舵の両方を前輪で行っていた。リカンベントの一部には駆動と操舵の両方を前輪で受け持つ構成の車種があるほか、前輪で駆動し後輪で操舵するものもある。

乗車装置
詳細は「ハンドルバー (自転車)」、「サドル (自転車)」、および「ペダル (自転車)」を参照

2輪の自転車では、操舵ハンドルは棒状でフロントフォークの最上部に固定され、フロントフォークを直接回転させる構造のものが一般的である。操舵に必要な機能以外にも、強くこぐ際には運転者が上体を支えるよりどころとしての機能を持つため、用途によりさまざまな形態がある。3輪以上の自転車では、リンク機構によって操作を操舵輪に伝達する構造を持つものが多い。
運転者が座る部分はまたがって座るサドル型が一般的で、前方が細く、後方が広くなっている形状のものがほとんどである。運転者が体重をかける割合が少ない用途では、こぎやすさを重視して細長く、運転者の体重の多くをサドルに乗せる乗車姿勢の車種では幅が広く作られていて、スプリングを備えたものもある。リカンベントでは運転者の背中までの広い範囲を支える椅子型(シート)のものが多い。
手漕ぎ自転車(ハンドサイクル)及び特殊なもの(主に遊戯用)を除けば、運転者が動力を与えるのにはクランクの先端に回転可能に支持されたペダルで行われる。単純な平板状のものは踏み込む力だけを動力とするが、革紐などによって足を固定するトゥクリップや、クリートと呼ばれる金具を備えた靴を固定するビンディングペダルによって、踏み込む力だけでなく足を引き上げる力も動力として利用できるペダルもある。クランクには運転者の体格や体力、車体各部の寸法などに応じて選択できるように、いくつかの異なる長さのバリエーションを持つ製品もある。

駆動装置

運転者の足や腕によって回転されるクランクはボトムブラケット(BB)と呼ばれる軸受け構造で支持される。
クランクの回転はローラーチェーンとスプロケットの組合せにより駆動輪へと伝達されるものが一般的である。19世紀末の安全型自転車が登場するまでは前輪の軸がクランクと直結しているものが通常であった。また、初期の自転車用チェーンはブロックチェーン (block chain) と呼ばれるもので、現在用いられているローラーチェーンとは構造が異なる。
スプロケットのうちクランクと同軸にあるスプロケットは自転車においてはチェーンホイールと呼び、単に「スプロケット」と呼ぶ場合は駆動輪と同軸にある被駆動スプロケットを指す。駆動輪のスプロケット軸にはフリーホイールが内蔵されていて、クランクを止めて惰性で走行することができる車種がほとんどである。フリーホイールは安全型自転車の後期になって普及した一方、トラック自転車競技や室内自転車競技に用いられる自転車には現代でもフリーホイールは組み込まれていない。
変速機をもつ車種もあり、チェーンホイールとスプロケットの組合せを複数持ち、チェーンを掛け替える方式の外装変速機と、ハブ内部に歯車を持ち、スプロケットの回転速度を増速あるいは減速してホイールに伝達する内装変速機がある。外装変速機には複数のスプロケットをまとめてハブから分離することができる構造のものがあり、カセットスプロケットと呼ばれる。

詳細は「変速機 (自転車)」を参照

ブレーキ
詳細は「ブレーキ (自転車)」を参照

多くの場合はハンドルバーの端部に備えられたレバーで操作し、コントロールケーブルやリンク機構で操作が伝達される。クランクを逆転させることで作動するコースターブレーキと呼ばれるものも一部で採用されている。エラストマー製の摩擦材がリムを挟んで制動する構造や、ハブにと同軸に備えられた円筒を帯状の摩擦材を巻き付けて制動する構造のものが多く採用されている。
日本では公道を走行する自転車にはブレーキ装置を前後両輪に備えることが義務づけられている[4]。

前照灯

詳細は「前照灯#自転車」を参照

前方に光を照射するための部品であるが、自転車の場合は操縦者の視認性の向上というよりは外部からの被視認性の向上が主な意図となる。
前輪のリムに接触させたダイナモの回転子が前輪の動きに合わせて回転し発電して発光するリムダイナモ式が古くから用いられている。前輪のハブにダイナモを取り付け、夜間走行中に自動的に点灯するハブダイナモ式も増えている。他に、乾電池や太陽電池で発光する前照灯も販売されている。
日本では自転車車両への前照灯装備義務はないが、道路交通法第52条により夜間の点灯義務があるため、前照灯がない自転車を夜間に運転する場合は別に前照灯を用意して点灯する必要がある。

反射材・尾灯・その他灯火類
詳細は「尾灯#自転車」を参照

後部に設置し自車の存在を知らせ、後部からの被視認性を向上させる。車両の前照灯からの光を反射して赤く光る反射材と、赤い光を後方に照射する尾灯がある。日本では道路交通法第52条および第63条の9により夜間に運転する場合は反射材か尾灯の少なくとも一方を装備する必要がある。

車体全体の発光
自転車の車輪や車体を電源や反射塗料、無機ELなどで発光させ、側面からの被視認性を向上させるもの[5][6]。
反射塗料を塗装した自転車としては、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコのMission Bicycle Companyによる「Lumen」がある。これは、車体に再帰反射粒子を含有する物質を粉体塗装したもので、フレーム全体が光を反射する。Kickstarterで15,000ドルを目標に出資を募ったところ、60,000ドル以上を集めている[7][8]。自動車メーカーのボルボは、自転車向けの光反射スプレー「LifePaint」を、2015年にイギリスで試験発売している[9]。また、マルキン自転車(ホダカ)も「レアルタシティ ハイブリッド」を発売している[10][11]。
無機EL発光体を使用した自転車としては、カインズが2015年11月に発売した「光る自転車KiLaCle(キラクル)」がある。これは、前輪で発生させた電気を利用し、自ら発光することにより視認性を向上させたモデルである[12][13]。

警音器
自車の接近を音で伝えるための部品。指でレバーを操作しベルを鳴らすものが多い。
道路交通法第54条により、自転車の運転者は警音器を鳴らす義務がある。また、法令で規定されている場面以外では鳴らしてはならないとされている。
道路交通法に記述されているのは鳴らす義務であり、自転車に警音器を整備する義務は無い。ただし、多くの都道府県の道路交通法施行細則や条例で整備を義務化している。例えば、東京都では条例(東京都道路交通規則第8条第9項)により警音器が整備されていない自転車に乗車することを禁じている。

その他の付属物
盗難防止としてU字ロック・チューブラーキーなどの鍵(自転車錠:en:Bicycle lock)
スタンド (自転車)

自転車の利用

日本国外の状況

自転車利用は各国それぞれに固有の特徴がある。

ヨーロッパ諸国では自転車の利用が非常に盛んな国が多い。オランダは常に吹く強い風で、ドイツは市街地路面が石畳で、また路面が雪や氷で覆われることの多い国々で、一見悪条件の中で、自転車利用が促進されている。単に自転車に乗ることに優しい自然環境があるからではなく、交通政策や観光政策等、自転車を利用しようとする人々の努力がそこにあり、これにより交通手段としての自転車利用が促進される。

オランダ、デンマーク、スウェーデン、ドイツなど多くの国で自転車交通教育の推進によって自転車交通が促進されている。通行規則は自動車やバスなど同じ道路を走る他の車両の規則と一体として整備され、全ての車両の運転者に等しく、車道での安全走行が、規則として徹底される。自転車または二輪車のための専用レーン整備が進められる一方で、それがない場合でも、自転車が車道を走行する車両交通規則として実施されている。

オランダやデンマークでは通勤利用者に対する購入時の金銭的補助がある。スイスでは山岳地帯であるにもかかわらず、自転車観光ルートを充実させ、ルートガイドを徹底することにより、自転車による観光が推進されている。ドイツ、オランダ、サンフランシスコなど、鉄道車両などの公共交通機関に折りたたみや分解などをすることなくそのままの状態で自転車を持ち込むことができる場所も多い。これにより自転車で最終目的地に到達できる可能性が増す。

近年、共有自転車(コミュニティサイクル、バイシクルシェアリング)を都市内で大規模に導入する動きもみられ、パリのヴェリブはその中でも代表例で、利用者・台数が多い[要出典]。

欧州諸国では、1990年代以降自転車が環境や健康にもたらす効果を重視し、自転車を都市交通の重要な担い手と位置づけている。

北米(アメリカ合衆国・カナダ)は典型的な車社会でニューヨーク・サンフランシスコなどの一部の都市を除きレジャー・スポーツでの自転車利用が中心である。土地に余裕があるので都市部には自転車レーンが設けられている道路が多く、趣味としてのサイクリングが広く楽しまれている。

南アメリカのコロンビアの首都ボゴタは、市長提唱による自転車交通推進によって短期間に欧州的な自転車都市となった。長年毎週日曜日には中心の7番街でシクロ・ビア(自転車天国)と呼ばれる自転車中心に歩行者やローラースケーターたちへの道路の開放が行われてきたが、1990年代後半以降は地域を拡大し、さらに大規模に行われるようになった[14]。

中華人民共和国では1990年代に自転車交通の混沌がいわれていたが、2000年代になると車道における自転車レーン整備が促進されるようになった。[要出典](電動アシストではない)電動自転車が自転車としての位置づけでかなり普及し活況を呈している。

インドでも自転車は多く利用されている。インドは自転車生産でも世界有数の国となっている。

日本の状況
詳細は「日本の自転車」を参照

日本の自転車普及率は世界的に見ても高い。保有台数は8655万台で、人口1.5人あたり1台にのぼる(2005年)。これは西欧で特に自転車利用が多いオランダ(人口0.9人当たり1台)、ドイツ(同1.2人)、に次いでベルギー(同1.9人)と同等の水準であり、アメリカ、中国、イギリス、フランス、イタリアといった国々を上回る[15]

前掲した普及率の高い西欧諸国が自動車やバスと同等の車両という認識であるのに対し、日本においては歩道を通行し限られた短距離の移動に利用する歩行者の延長線上のものという認識が一般にはなされている(当然ながら法律上は車両と定義されている)。都市部では公共交通機関が発達している一方、自動車交通中心の交通政策が貫かれ自転車が交通手段として明確に位置づけられていない。

日本の自転車利用は日本の自転車#自転車の利用
問題点の詳細は日本の自転車#自転車にかかわる問題
若者の間では俗にチャリンコとも呼ばれるが、この語は戦前には無銭飲食あるいはスリを意味する言葉であったため、高齢者との会話での使用には注意を要する。

自転車と職業

自転車を使う職業の代表は郵便配達だが、英国では1880年に自転車による郵便配達が始められ、現在でも約3万7000人の配達員が自転車を利用している。自転車便など、都市部における輸送手段として利用されることもある。新聞配達や出前などといった職業上の利用もある。

英国の警察は1896年から自転車によるパトロールを始めた。日本の警察は自動車とオートバイによるパトロールに切り替えているが、交通渋滞の激しい都心部では自転車の機動性を考慮し、あえて自転車によるパトロールを行っている場合もある。国によっては交通渋滞の多い都市で自転車パトロールを復活させるところもある(アメリカではニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコの各市警に「バイシクルユニット」という専従のチームがあり、「POLICE」のマーキングを入れた警察専用のMTBも製造されている。このフレームは当然、公用であり国内では市販されない)。

自転車と軍隊
詳細は「自転車部隊」を参照

自転車に乗った兵は、純粋な歩兵に比べて移動速度に優れる。騎兵や自動車に比べれば遅いが、自転車自体のコストは車や馬よりも安く付き、さらに水や飼料、燃料を必要としない、静粛性に優れるという利点がある。さらに、兵への訓練も遥かに簡単である。このため、自転車は多くの軍で利用されることとなった。

自転車が戦争に利用されたのはボーア戦争が始まりで、英軍・ボーア軍ともに斥候に自転車を使った。第一次世界大戦ではドイツ軍、フランス軍が兵の移動に自転車を利用した。第二次世界大戦ではイギリス陸軍空挺部隊が輸送機内でかさばらない折り畳み自転車を使用していた。大日本帝国陸軍は日中戦争で5万人の自転車歩兵を動員。マレー半島攻略作戦など南方作戦の働きから「銀輪部隊」と呼ばれるようになった。スイス陸軍では1891年から2001年にわたって自転車部隊を存続させた。

しかし、自転車は徒歩に比べれば楽ではあるが、移動に兵士の体力を消耗することに代わりはない。また、自転車に乗った状態はバランスが不安定で、側面が完全に露出しているため、攻撃に非常に脆いという欠点があった。そのため、自動車の普及が進み、大量の燃料も供給できるようになった現在では、自転車を戦闘部隊に配備する軍は限られるようになっている。

現在では北朝鮮当局が自転車部隊の存在を明らかにしており[16]韓国陸軍も38度線の休戦ラインの監視部隊が徒歩より機動性があり、エンジン音がしないため接近に気づかれにくいMTBをパトロールに使用している。日本では航空自衛隊航空救難団が救難活動現場で使用するために民生用折り畳み自転車を保有している。

スポーツとしての自転車
競技
詳細は「自転車競技」を参照

自転車を用いた競技は世界中で広く行われており、公道上で速力を競うロードレース、自転車競技場や競輪場で速力を競うトラックレース(競輪もここに含まれる)、オフロードで行われるシクロクロスなど、さまざまな競技が存在する。ロードレースのなかにはツール・ド・フランスなどのように非常に大規模に行われ、一大イベントとなっているものも存在する。また、こうした各種競技は1896年の第一回アテネオリンピックからオリンピック競技として採用されており、第一回から全く中断なく行われている数少ないオリンピック競技のひとつである。

競技でないもの
「サイクリング」も参照

一般人が公道を時間を競わず制限時間内に完走することを目指すブルベ、センチュリーライドなどのサイクリングイベントも、数多く開催されている。

自転車と観光
詳細は「自転車旅行」を参照

自転車を用いて短いコースをゆっくり探索するポタリングは観光地において人気がある。数十キロ、数百キロといった都市間、さらに国から国へと移動する長距離の自転車旅行も行われている。自力での移動だけではなく、サイクルトレインや輪行など、公共交通機関に自転車を持ち込んで長距離移動することも行われる。また、観光地や都市においては駅前やバスターミナルなどの交通拠点近く、または街中にレンタサイクルショップが存在するところも多く、自家用車や公共交通機関でやってきた観光客が自転車を借りて付近を観光し散策することも広く行われている。

自転車工業

世界各国に自転車メーカーが存在し、多くの自転車が製造されている。2011年には、世界の自転車市場の規模は610億ドルにのぼった[17]。2009年には全世界で一年に1億3000万台の自転車が販売され、そのうちの66%が中国で製造された[18]。

自転車の製造は、自転車のフレーム自体やボールベアリング、ワッシャー、スプロケットなどの特別な部品の両方に高度な技術を必要とするため、金属加工技術の進歩を促し、他の高度な産業にも影響を与えた。これらの製造を通じて熟練した金属加工技術を身に付けた労働者は、初期の自動車や飛行機の開発に大きな役割を果たした。また、自転車製造業は機械化や大量生産[19](のちにフォード・モーターやゼネラルモーターズも採用した)、垂直統合[20](のちにフォードも採用した)、積極的な広告[21](1898年の米国の雑誌のすべての広告のうち10%は自転車メーカーが占めていた)[22]、道路改善のためのロビイング[23](などいくつもの産業モデルを開発し、他の産業に伝授する役割を果たした。また、自転車産業は年間のモデルチェンジを初めて採用[24][25]、この方式はゼネラル・モーターズにも受け継がれ、大成功をおさめた[26]。

初期の自転車は、ファッショナブルなエリートによって財力を誇示するために消費されるもののひとつであった[27]。そのため、バービー人形のように自転車それ自体よりもそれにつけるためのアクセサリー的なものの消費が多くなることがあった[28]。

自転車の普及によって自転車メッセンジャー[29]、自転車教室などの新たな職業が生まれ、また自転車レースも開催されるようになった。自転車レースの形態はのちにオートバイレースや自動車レースへとつながっていった[30]。

初期の自動車や飛行機の開発者には自転車によって機械製造の基礎を身に付けたものが多く、飛行機を発明したライト兄弟もオハイオ州デイトンの自転車屋であった[31]。いくつかの自動車メーカーは自転車メーカーから成長してきたものである。イギリスのローバーは1878年にStarley & Sutton Co. of Coventryとして創業したときは自転車メーカーであり、1901年に自動車の製造を開始した。同じくイギリスのモーリスも1910年の創業時は自転車メーカーであり、1913年に自動車メーカーとなった。チェコのシュコダもオーストリア=ハンガリー帝国時代の1895年にラウリン&クレメント社として創業したときは自転車メーカーで、自動車業進出は1901年のことであった。また、日本の本田技研工業は自転車メーカーではなかったが、自転車に搭載するモペッド用の補助エンジン制作からスタートして世界有数の自動車メーカーとなった企業である。

性能

エネルギー効率
自転車による移動は生物と機械の両方の中で、その移動に要するエネルギーの量に関して突出して効率的であり、人間がある距離をある速度で移動するのに必要なエネルギーの量で比べると自転車は徒歩の5分の1に過ぎないという定説がある[32]。1950年代の中期に、現在の「財団法人自転車産業振興協会自転車技術研究所」の前身にあたる「自転車生産技術開放研究室」がまとめた研究により、この数値はおおむね正しいことが確認された。この際には、被験者の呼気に含まれる二酸化炭素の量から消費カロリーを推算する手法が用いられた。ただし、これは平坦な舗装道路を前提とするという自転車にとって有利な条件での比較である。

こうした数値を基に、一般的な自転車で1kgの物体(車体を含む)を1km移動させるのに必要なカロリーは、おおよそ自動車の6分の1、ジャンボジェット機の4分の1程度しか必要ないとの試算もある[33]。

速度記録

平地単独走行で全風圧を受けての最高速度記録は、2013年12月6日、メキシコのアグアスカリエンテス・二百周年自転車競技場(Velódromo Bicentenario)[注釈 5]でフランス人フランソワ・ペルヴィがUCIトラック自転車競技ワールドカップ・メキシコ大会のスプリント予選(200 mフライングタイムトライアル)で出した世界記録9秒347は速度換算77.03 km/hとなる。速度を求める記録挑戦ではないが[注釈 6]、これがユネスコ所管の唯一公式にしてサイクリストが全風圧を受ける通常形態の安全型自転車による最速記録といえる。[34]

機材の形態にとらわれない記録挑戦では2015年9月19日、米国ネヴァダ州バトルマウンテン(Battle Mountain)[注釈 7]郊外の一時的に閉鎖した公道でカナダ人トッド・ライカート(Todd Reichert)がタイヤ接地面のみわずかに開口したストリームラインボディのリカンベントEtaで達成した139.45 km/hがヒト一人のみの出力による最高速度記録であった。Etaは極めて低い位置に仰向いて座り前輪を両脚で挟むように前端のクランクを回すため、後輪駆動は構造上ほぼ不可能で前輪駆動を採用している。また前を見通す視界はなくカメラ映像に依存する。2016年9月19日、同地、同プロジェクトによって記録は144.17 km/hに更新された。[35]

標高差による位置エネルギーを利用した斜面降坂では2015年3月28日、フランス・ヴァール(Vars)のスピードスキー用滑降路シャブリエール(piste de Chabrières)[注釈 8]でフランス人エリック・バローヌ(Éric Barone)が223.30 km/hを記録している。これには肩と胸元まで覆うエアロシェルを備えた2重構造ヘルメットと、上腕および脛の後方をボートテール形状にしたコーティングスーツ、スン(Sunn)の専用特殊自転車F2.0が用いられた。2017年3月18日、エリック・バローヌは同地で再度挑戦し、227.72 km/hに更新した。[36]

風圧の多くを他に負担させて走行した最高速度記録は1995年10月3日、米国ユタ州のボンネビル・スピードウェイ[注釈 9]でオランダ人フレート・ロンペルベルフ(Fred Rompelberg)が二段増速の極めてギア比が高い特殊な自転車によって記録した268.831 km/hである。これは前走するドラッグスターの後端に取り付けた後続自転車用カウル(整流覆い)に肉薄追走して達成された。[37]

注釈

^ こうした活動が行われている場のひとつに、International Cycling History Conference(英語版、ドイツ語版、イタリア語版)(外部リンク:International Cycling History Conference (ICHC)) がある
^ 一例として、二輪自転車の原型であるドライジーネの発明者として知られるカール・フォン・ドライスが、それに先立って1813年に特許出願を試みた人力四輪車が挙げられる。ただしこの特許は認可されなかったという。
^ この1861年説は、ミショー一族に伝わる家伝書を根拠とする。これは個人的な記録であり、後年ミショーがオリビエとの間に権利上の対立を抱えていたことなどから、その信憑性に疑問を呈する意見もある。
^ なおこの名前の正しい英語発音は「バイサイクレット (bicyclette)」であり、英語のbicycleに指小辞(t)teが付いた形となっている。当時の自転車の車輪が二つの内一つは巨大なものであることに対応した命名である。
^ 標高1800 m、屋内、周長250 m木製走路
^ 自転車競技場は走行中の自転車が走路面に対して垂直に接している時間がほぼないうえ、コーナーでは過剰なGがかかるため、純粋な速度挑戦には適さない。
^ 標高1475 m、直線走路
^ スタート標高2720 m、フィニッシュ標高2285 m、平均斜度52.5%、最大斜度98%、延長1400 m雪上直線走路
^ 標高1282 m、塩平原走路

注・出典

^ 浅井建爾 2015, p. 72.
^ a b c d 浅井建爾 2001, p. 251.
^ JIS D 9401 自転車−フレーム
^ 道路交通法施行規則 第九条の三 法第六十三条の九第一項の総理的令で定める基準は、次の各号に掲げるとおりとする。
前車輪及び後車輪を制動すること。
乾燥した平たんな舗装路面において、制動初速度が十キロメートル毎時のとき、制動装置の操作を開始した場所から三メートル以内の距離で円滑に自転車を停止させる性能を有すること。
^ センチュリー、自転車のホイールがフルカラーで光るLEDライト - 正藤慶一、家電Watch、2012年4月26日
^ 夜間、どこから見ても光る自転車が話題に - 桑原恵美子、日経トレンディネット、2016年1月27日
^ アプリ連動電子キー、光るフレーム…。自転車ガジェット5選【最新版】 WIRED.jp、2014年7月21日
^ Reflective bike will light up at night to keep riders safe THE VERGE、2014年3月20日
^ ボルボ、光反射スプレーLifePaint 発売。自転車や衣服に使えて水で落ちる反射材 Engadget日本版、2015年3月31日
^ 【トレたま】360°光る自転車 ワールドビジネスサテライト(テレビ東京)
^ ~夜間走行が安全安心に ~『360°視認される電動アシスト自転車』 ホダカ株式会社、2014年4月2日
^ 連載:ヒットの芽 夜間、どこから見ても光る自転車が話題に 日経トレンディネット、2016年1月27日]
^ カインズの光る自転車 KiLaCle(キラクル) カインズ
^ 幡谷, 則子 「首都ボゴタ」『コロンビアを知るための60章』 二村久則編著、明石書店、2011年6月30日、初版第1刷、348頁。ISBN 9784750333847。
^ 『自転車統計要覧』 自転車産業振興協会・編、自転車産業振興協会、2012年9月、46版。TRCMARC番号:13106729。
^ NNA.ASIA 北朝鮮フォーカス
^ “High Growth and Big Margins in the $61 Billion Bicycle Industry”. Seeking Alpha. 2011年10月24日閲覧。
^ “The Business of Bicycles | Manufacturing | Opportunities | DARE - Because Entrepreneurs Do |”. DARE (2009年6月1日). 2011年10月24日閲覧。
^ (Norcliffe 2001, pp. 23, 106, & 108). GM's practice of sharing chassis, bodies, and other parts is exactly what the early bicycle manufacturer Pope was doing.
^ Norcliffe 2001, p. 106.
^ Norcliffe 2001, pp. 142–47.
^ Norcliffe 2001, p. 145.
^ Norcliffe 2001, p. 108.
^ Norcliffe 2001, p. 23.
^ Babaian 1998, p. 97.
^ Babaian 1998, p. 98.
^ Norcliffe 2001, pp. 8, 12, 14, 23, 147–8, 187–8, 208, & 243–5.
^ Norcliffe 2001, pp. 23, 121, & 123.
^ Norcliffe 2001, p. 212.
^ Norcliffe 2001, p. 125.
^ “The Wrights' bicycle shop” (2007年). 2007年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年2月5日閲覧。
^ 『自転車実用便覧』 自転車産業振興協会、1993年、第5版、1080頁。NCID BN10009754。
^ 瀬戸圭祐 『自転車生活スタートガイド : 街乗り・通勤・ツーリング』 水曜社、2006年。ISBN 978-4-88-065173-6。
^ Union Cycliste Internationale - Track - About
^ Aerovelo - Eta — Aerovelo
^ Site officiel du vététiste de l'extrême Eric Barone - Les vendéens au de l’action Handibat
^ Fred Rompelberg Fietsvakanties Mallorca, Fietshuur - Informatie over Fred Rompelberg 268 km

参考文献

Norcliffe, Glen (2001). The Ride to Modernity: The Bicycle in Canada, 1869-1900. Toronto: University of Toronto Press. ISBN 9780802082053. OCLC 5559557543.
Babaian, Sharon (1998). The Most Benevolent Machine: A Historical Assessment of Cycles in Canada. Ottawa: National Museum of Science and Technology. ISBN 0660916703. OCLC 49894179.

関連項目
英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
ブリタニカ百科事典の項目 Bicycle
ドイツ語版ウィキクォートに本記事に関連した引用句集があります。
Fahrrad
英語版ウィキブックスに本記事に関連した解説書・教科書があります。
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