私高校生のとき、登校時ひき逃げに逢った事がある。
自転車通学だった私は、幹線道路(通称瀬戸街道)を走行中、
無信号の路地から出て来た車に跳ねられた。
自転車はセンターラインまで飛び、私は道路に転げた。
幸い他の車が走って来なかったので、
二重に引かれる事は無かったが、起き上がり
周囲の視線を感じつつ自転車を立て直した。
そこへ30そこそこの運転手が近づき、簡単に詫びると、
私の自転車のペダルが曲がった事に気がつき、
工具を取りに行くと車に戻ったまま走り去ったのだ。
残念な事に通過車両は多くとも、ガソリンスタンドがあるとか
当時はコンビニなども無いので(今、事故現場の目の前がファミマ)
定点で目撃していてくださった人が居らず、
唖然とした私は止む無く一人自力でペダルを力任せに直し、
とりあえず学校へと向かったのであった。手が痺れていた。
今思うと学校の対応も何だが、とりあえず担任に報告した物の、
通常通り朝のショートタイムに参加。しかしその途中、
痺れた右手は、激痛に変わっていき、運ばれた病院で骨折と判明。
高校三年生、右手負傷は、やはり勉学に支障をきたし、
あの大学へと入学となったのであった・・と言うのはウソ!
話は逸れたが、その日我が父親は警察へ私を連れて行き
事態の隅々を私に話をさせた。完全なる「ひき逃げ」。
車番も当然覚えていない私は、翌日事故現場で父親の車で張り込む。
この事態に随分怒りを表していた父親の姿は今でも忘れられない。
翌日おめおめと加害者現場を通過。警察から父親は何度も
「その場で加害者と話をしないで下さい」と言われていたのも印象的。
その時の父親の勢いだと、加害者の胸倉を掴む勢いだったからだ。
日頃は安全運転の父親が、その車を追跡する時ばかりは
まるで映画のシーンの様なスピードだった事も思い出の一つだが、
加害者が交差点で右折の時、真横に車をつけ、
私に間違いが無いか確認。その足で警察へ乗り込んだのだった。
その車、今でも忘れもしない、↓ブルーバードU!

当然即日警察に呼び出された加害者は、驚く事に事態を否認。
事も有ろう、私がぶつかってきた。と。更に
起き上がって大丈夫と確認したからその場を去った。と。
警察は私に再度事情聴取。
実にやるせない思いをしたことも忘れられない。
それでも私を傷つけたとして我が家に謝罪に来た時、
父親の怒りは最絶頂であり、こんな父を見たことが無い程に激昂した。
流石の加害者も平身低頭、事実を認め陳謝したのであった。
なぜ今こんな話かというと、昨日息子と風呂場での会話がこれ。
「骨折」の話しからこの話しに及んだ訳だが、
親というものは、子供が何某か被害にあった場合、
全力で守ると言う事を教えるのには好適な話題だった。
思えば私が高校三年生時、
父親が私の今と同じ46歳の時の話しであった。
自転車通学だった私は、幹線道路(通称瀬戸街道)を走行中、
無信号の路地から出て来た車に跳ねられた。
自転車はセンターラインまで飛び、私は道路に転げた。
幸い他の車が走って来なかったので、
二重に引かれる事は無かったが、起き上がり
周囲の視線を感じつつ自転車を立て直した。
そこへ30そこそこの運転手が近づき、簡単に詫びると、
私の自転車のペダルが曲がった事に気がつき、
工具を取りに行くと車に戻ったまま走り去ったのだ。
残念な事に通過車両は多くとも、ガソリンスタンドがあるとか
当時はコンビニなども無いので(今、事故現場の目の前がファミマ)
定点で目撃していてくださった人が居らず、
唖然とした私は止む無く一人自力でペダルを力任せに直し、
とりあえず学校へと向かったのであった。手が痺れていた。
今思うと学校の対応も何だが、とりあえず担任に報告した物の、
通常通り朝のショートタイムに参加。しかしその途中、
痺れた右手は、激痛に変わっていき、運ばれた病院で骨折と判明。
高校三年生、右手負傷は、やはり勉学に支障をきたし、
あの大学へと入学となったのであった・・と言うのはウソ!
話は逸れたが、その日我が父親は警察へ私を連れて行き
事態の隅々を私に話をさせた。完全なる「ひき逃げ」。
車番も当然覚えていない私は、翌日事故現場で父親の車で張り込む。
この事態に随分怒りを表していた父親の姿は今でも忘れられない。
翌日おめおめと加害者現場を通過。警察から父親は何度も
「その場で加害者と話をしないで下さい」と言われていたのも印象的。
その時の父親の勢いだと、加害者の胸倉を掴む勢いだったからだ。
日頃は安全運転の父親が、その車を追跡する時ばかりは
まるで映画のシーンの様なスピードだった事も思い出の一つだが、
加害者が交差点で右折の時、真横に車をつけ、
私に間違いが無いか確認。その足で警察へ乗り込んだのだった。
その車、今でも忘れもしない、↓ブルーバードU!

当然即日警察に呼び出された加害者は、驚く事に事態を否認。
事も有ろう、私がぶつかってきた。と。更に
起き上がって大丈夫と確認したからその場を去った。と。
警察は私に再度事情聴取。
実にやるせない思いをしたことも忘れられない。
それでも私を傷つけたとして我が家に謝罪に来た時、
父親の怒りは最絶頂であり、こんな父を見たことが無い程に激昂した。
流石の加害者も平身低頭、事実を認め陳謝したのであった。
なぜ今こんな話かというと、昨日息子と風呂場での会話がこれ。
「骨折」の話しからこの話しに及んだ訳だが、
親というものは、子供が何某か被害にあった場合、
全力で守ると言う事を教えるのには好適な話題だった。
思えば私が高校三年生時、
父親が私の今と同じ46歳の時の話しであった。
こんな時、自分がいかに親に愛されて大切に思われているかを肌で心で感じます。そして、自分を粗末に扱ってはいけないとわかります。
一人で哲学して「自分は必要のない人間なのでは。。。とか、生きていてもしょうがないのでは。。。。」などど、今思えばしょうもない事を必死で考えて、生きる事に逃げ腰になっている時、父が面と向かって「おまえの為に火の中にも飛び込めるし、何でも出来る」というような事を言ってくれました。
あおやきさんのような事件は起こっていないのですが、いつもと違うコンタクトに驚きダイレクトに言葉が心に届きました。
プチ反抗期で父の事がうっとうしかった私に劇的な変化。目から鱗で父が大好きになりました。
そして、ひねくれた哲学ごっこからも卒業。
親に愛されている事。そして守られている事。
それがわかる事はとても幸せな事ですね。
息子さんも感じてくれたでしょうね。
そんな時期があったのですね。
当時知らない仲ではなかったので
何となく分かる気がしますけど・・。
娘がいままさにそんな年頃になっています。
トランプしてくれるだけ良いですが、
高校生の娘というのは、何かと難しい。
大人の面と、まだまだ子供面を兼ね備え、
どう対応して良いか迷う事も正直あります。
でも「ももままさん」みたいに、
ある時ふと気が付いてくれたら有り難いです。
ところで当時、何が不便だったかというと、
ラッパが吹けなかった事。
当時、地元のジャズバンドに通っていたので、
右手親指の骨折は、ラッパ吹きにはこたえました!
高校生の時には、既にジャズマンだったんですね~
と、妙なところで感心しましたが、
骨折以上の大事に至らずに本当に良かったです。
あおやきさん、気丈な少年でしたね~怖かったでしょうに。
それにしても、無責任な大人が多すぎます。
緊急時こそ、その人の人間性が問われますものね。
あおやき坊やも活発そうだから、車にはくれぐれもお気をつけて。
>高校生の時には、既にジャズマンだったんですね~
ジャズマンと言うほどの物ではありません。
なんと言っても、むーみんさんが今所属している
AFSの前身のバンドに入っていたのでありますよ。
高校二年生から始めましたか。
そこから地獄の日々が始まったのであります?
>あおやき坊やも活発そうだから
そうなんですよ・・・。
自転車でもバイクを追い越す勢いで走っていきますし
ボールを追ったら周りは見えていない。。
心配をしていたらきりがないですが、心配です・・。
ごぶさたしています。
久々に日記を読ませていただき
この事故の事件に衝撃を受けました。
私は、その時子供を守れるだろうか、
思い巡らすと、ちょっと自信が有りません。
我が家の4人の子供のうち、上2人は成人し
3番目も今年20歳になりますが、
まだ暫くは守ってやらなきゃ、と思いますが
(向こうは、そうは思ってないでしょうが)
少し遠慮もあって、関わり方が難しいです。
一番下は未だ7歳なので無条件に関われるのですが
いざという時に、「親父」になれるか
ちょっと不安な私です。
これは年齢に関係ないのではないでしょうか。
きっと、その場になれば、どんな親であっても
親を演じると思うのです。
いや、子供だとか言うのではなく、
身内であるだけで、
そういう気持ちになるのではないでしょうかね。
私もその時、「おやじ」を感じたと言う訳ではなく、
今思うと・・と言うところが多いです。
そういう気持ちの通じ合いって、
レスポンスは極めて悪い物ですよね。