青色日誌

還暦を超え、子育てもひと段落。さて!

表敬訪問

2016年03月29日 | 思うこといろいろ
先の人事異動の新聞記事の中に有った、
役職定年退職者の方へ本日お礼とお祝いに伺った。

皆にこやかに応対して下さるのは本当にうれしい。
あと3日しかない貴重な時間を割いて
今日伺った3名の方全てが談笑して下さった。

その中でとても印象に残った話が阪神淡路大震災の事。

この3人の中のお一方の話だが、
私が官庁担当している5年間であの震災が起こった。
当時はインターネットもたいして普及しておらず、
あの日役所の方々が情報収集に躍起になっておられるのを、
庁舎の中で職員の方に交じる様に見守っていた覚えが有る。

私が当時主として出入りさせて頂いていたのが下水道局さん。
ライフラインと言う言葉はこの時、表に出てきたと思うが、
正しく重要なライフラインの一つである下水道。
あの時は名古屋市の方々の活躍に心から敬意を表したのだった。


なぜそんな思いになったのか。

既に二十年も前の話であり、
社会貢献的な話であるのでズバリ書くが、
当時下水道の図面はデジタル化されたばかりの時期。
ただ、データ形式も地域によってばらばらであった。

ところが偶然にもその形式が神戸の物と名古屋の物が一致。
そこで名古屋の方々が神戸の図面を持って行かれたのだ。

出図されたデータは「青写真」で複製。
そこで当社がこの緊急なる作業に携わさせて頂いたのだ。

青写真した図面は、現場で技術師の方々が
煩わしくない様にと、一枚毎丸めて包み、
その丸まった状態でも、どこの図面か分かるよう、
大きめのインデックスを丸まった状態の図面に添付。

段ボールには勿論どの地区の図面が
入っているか一目で分る様工夫記載し、
その丸まった図面をこれまた順番に並べて行ったのだ。

こういった指示を下さったのが実にこの方。

当時は情報が錯そうしていたので当初この方から、
「あおやき君も図面を持って我々と同行してくれ」と言われ、
ハイエースに神戸市内の図面を満載し準備していた。

ところが震災復興とはいえ、公共事業で民間会社に
二次的災害を与えてはいけないと、急遽市が出した方針により、
図面は全て役所の方が持って行くことに。

運んで役立ちたかったという思いも確かにあったのだが、
超短納期で作り上げた大量のこの図面を見た時
私の役に立つ場所はここに有るのだと再認識したのも思い出。



そんな話をしていたら、
定年になられたこの方々だけでなく、
私自身も改めて長い時をこの仕事と共に歩んできたと気付く。

私にとってもこの震災復興業務は思い出の一つ。
震災は有ってほしくないのは勿論だけれども、
これからも社会に役に立つ仕事をしていきたいと思った
今日の表敬訪問でありました。
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2 コメント

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あれから21年 (Ken坊)
2016-03-30 10:18:44
うちの娘1号は震災2日後の大阪で生まれました。
被災地からは少し離れていましたが、
それでも隣の家は倒壊。
大変な混乱であった事を憶えています。
あれから21年。 ほんと早いです。
返信する
ken坊さん (あおやき)
2016-03-31 09:19:51
あの災害は本当に大変だったのですね。

先日もNさんたちと話していましたが、
18年度のP仲間であるken坊さんとも
お付き合い頂いて早10年が経つのですね!

歳とる訳ですね!
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