「骨太の経済政策」というのは、今となっては死語だ。
骨身を削って、経済成長率を上げているのだから、「骨太」から「骨細」になる一方だ。
例えば、労働規制緩和の1つである限定正社員は、地域や職種を限定することで、
賃金を安くするかわりに正社員になれるというものだ。
これは、「骨太」に向かっているのか、「骨細」に向かっているのか。
逆に、地域や職種を限定した正社員が、これまでの正社員と同等で、
限定しない正社員は、賃金が高くなるというのなら、「骨太」だ。
他の政策をみても、これまでなかった「選択の自由」を与えているものは、
そのかわりに賃金を犠牲にしている。
これは、言い方の問題で、賃金を犠牲にするために「選択の自由」を与えているということだ。
「選択の自由」を与えないことが規制であり、その規制によって、不利益がないように守ってきたのに、
与えるということは、「不利益を受け入れろ」ということだ。
「こういう人もいるんです」と少数派を事例に出して、正当化するのはやめてほしい。
「こういう人もいるんです」ではなく、「こういう人が多いのです」と言わなければだめだ。
まず、多数派を取るのが「民主主義」のはずだ。
その上で、少数派を救うのが、現代の民主主義だ。
にもかかわらず、少数派をだしに、多数派を削るとはどういうことか。
一時的に、企業が「骨太」になっても、その代わりに国民が「骨細」になっていたら意味がない。
企業が「骨太」になるために、国民から栄養を吸い上げてはいけない。
海外から取らないと。
この構造を変えない限り、日本は「骨太」ではなく「骨細」になってしまう。
骨身を削って、経済成長率を上げているのだから、「骨太」から「骨細」になる一方だ。
例えば、労働規制緩和の1つである限定正社員は、地域や職種を限定することで、
賃金を安くするかわりに正社員になれるというものだ。
これは、「骨太」に向かっているのか、「骨細」に向かっているのか。
逆に、地域や職種を限定した正社員が、これまでの正社員と同等で、
限定しない正社員は、賃金が高くなるというのなら、「骨太」だ。
他の政策をみても、これまでなかった「選択の自由」を与えているものは、
そのかわりに賃金を犠牲にしている。
これは、言い方の問題で、賃金を犠牲にするために「選択の自由」を与えているということだ。
「選択の自由」を与えないことが規制であり、その規制によって、不利益がないように守ってきたのに、
与えるということは、「不利益を受け入れろ」ということだ。
「こういう人もいるんです」と少数派を事例に出して、正当化するのはやめてほしい。
「こういう人もいるんです」ではなく、「こういう人が多いのです」と言わなければだめだ。
まず、多数派を取るのが「民主主義」のはずだ。
その上で、少数派を救うのが、現代の民主主義だ。
にもかかわらず、少数派をだしに、多数派を削るとはどういうことか。
一時的に、企業が「骨太」になっても、その代わりに国民が「骨細」になっていたら意味がない。
企業が「骨太」になるために、国民から栄養を吸い上げてはいけない。
海外から取らないと。
この構造を変えない限り、日本は「骨太」ではなく「骨細」になってしまう。