9/9の青森会場本番に、matuyanが参加できなくなったため、笙の強化練習ということで緊急決定。
以前から自分のパート以外の楽器について
わかっていた方が合奏しやすいんじゃないか
っていう意見と
一度やりはじめたら他の楽器に目移りしてはいけない
という意見と
両方ありました。
僕は、自由にやりたい人はやればいいし、やりたくない人はやる必要はないというかんがえです。
一度やりはじめたら他の楽器に目移りしてはいけない
というのは、これまでの伝統を踏まえるとそう言えるのでしょうが、雅楽という音楽をちょっと窮屈にしているように思います。
雅楽がこんなに一般人にとって親しみやすいものになったのは、ごくごく最近でしょう。
それまでは、限られた人しか演奏すること自体できなかったんではないでしょうか。
雅楽団にはたくさんの音楽のエリートが集まっていたことでしょう。
そのように大きな組織で高みを目指す集団であれば、自分の専門分野を極めていくということも求められるでしょう。
一方、私たちがやっている雅楽は、もっと自由でいいように思います。
本山や別院で奏する雅楽団のようでなくていいと思います。
ゆくゆくはそういうところを目指したいという方もいるかも知れないので、その辺はみなさんの意見を聞きたいところです。
大きな組織は、様々専門部所に別れてますが。
一般のお寺の住職は何でもやらなきゃダメですよね。お勤め、法話、お荘厳、掃除、事務。
僕は、お寺の住職みたいな楽人を目指します。浅くでもいいから広くやってみたいです。
わかっていた方が合奏しやすいんじゃないか
っていう意見と
一度やりはじめたら他の楽器に目移りしてはいけない
という意見と
両方ありました。
僕は、自由にやりたい人はやればいいし、やりたくない人はやる必要はないというかんがえです。
一度やりはじめたら他の楽器に目移りしてはいけない
というのは、これまでの伝統を踏まえるとそう言えるのでしょうが、雅楽という音楽をちょっと窮屈にしているように思います。
雅楽がこんなに一般人にとって親しみやすいものになったのは、ごくごく最近でしょう。
それまでは、限られた人しか演奏すること自体できなかったんではないでしょうか。
雅楽団にはたくさんの音楽のエリートが集まっていたことでしょう。
そのように大きな組織で高みを目指す集団であれば、自分の専門分野を極めていくということも求められるでしょう。
一方、私たちがやっている雅楽は、もっと自由でいいように思います。
本山や別院で奏する雅楽団のようでなくていいと思います。
ゆくゆくはそういうところを目指したいという方もいるかも知れないので、その辺はみなさんの意見を聞きたいところです。
大きな組織は、様々専門部所に別れてますが。
一般のお寺の住職は何でもやらなきゃダメですよね。お勤め、法話、お荘厳、掃除、事務。
僕は、お寺の住職みたいな楽人を目指します。浅くでもいいから広くやってみたいです。
日々(にちにち)の生活が御遠忌法要
以前、教区の御遠忌実行委員会に関わっていました。
当時、秋田のIidaさん(寺族ではない方)とご一緒していました。
Iidaさんが会議の中でおっしゃっていた言葉で、とても印象に残っている言葉があります。
それが、「日々の生活が御遠忌法要」という言葉です。
その主旨は、御遠忌法要というと、法要自体がどう勤まるかということに注目してしまうけれども、そこにいたる過程であるところの日々の生活がすべて御遠忌法要なんだというものだったと思います。Iidaさんは、年忌法要などもそのような姿勢でのぞんでいるということでした。
Iidaさんは「日々の」というところを「にちにちの」というふうにおっしゃっていましたのであえてふりがなを入れておきました。
われわれ雅楽会も、秋の法要に向けて日々練習しています。
その日々の練習という過程がすでに法要なのだとおもいます。
matuyanは、法要での雅楽演奏に、失敗ということはないと言います。
確かに、満足できる演奏だったとか、納得いかないとか、こちら側が分別することはあっても、一期一会の法座に失敗ということはないのでしょう。
法要本番の演奏が、上手くいってもいかなくても、そこの向かってみんなで一生懸命練習していったということが、実は一番大切なのかなーなんて思います。
とにかく、法要までの日々を、大事に過ごしていきたいです。
以前、教区の御遠忌実行委員会に関わっていました。
当時、秋田のIidaさん(寺族ではない方)とご一緒していました。
Iidaさんが会議の中でおっしゃっていた言葉で、とても印象に残っている言葉があります。
それが、「日々の生活が御遠忌法要」という言葉です。
その主旨は、御遠忌法要というと、法要自体がどう勤まるかということに注目してしまうけれども、そこにいたる過程であるところの日々の生活がすべて御遠忌法要なんだというものだったと思います。Iidaさんは、年忌法要などもそのような姿勢でのぞんでいるということでした。
Iidaさんは「日々の」というところを「にちにちの」というふうにおっしゃっていましたのであえてふりがなを入れておきました。
われわれ雅楽会も、秋の法要に向けて日々練習しています。
その日々の練習という過程がすでに法要なのだとおもいます。
matuyanは、法要での雅楽演奏に、失敗ということはないと言います。
確かに、満足できる演奏だったとか、納得いかないとか、こちら側が分別することはあっても、一期一会の法座に失敗ということはないのでしょう。
法要本番の演奏が、上手くいってもいかなくても、そこの向かってみんなで一生懸命練習していったということが、実は一番大切なのかなーなんて思います。
とにかく、法要までの日々を、大事に過ごしていきたいです。
9/9(土) 青森の本番
9/25(月) 奥津軽の本番
に向けてちょっとハイペースでの練習会設定となります。
とは言っても、集まれる人でやっていきましょう。
基本は自主練習です。
9/25(月) 奥津軽の本番
に向けてちょっとハイペースでの練習会設定となります。
とは言っても、集まれる人でやっていきましょう。
基本は自主練習です。
参加6名
初の合宿練習会無事終わりました。
濃い時間でした。本当にずっと練習してましたね。
合奏での課題
小節の頭で、笙のはいりを聞いて篳篥が入る。そこにほぼ同時だけど篳篥を確認してから龍笛が入っていくと、全体のテンポも早くなっていかず、きれいに聞こえるということがわかりました。
小節の最後のところは、篳篥より気持ち龍笛の方が音を残しぎみにした方が、お互い楽に息継ぎを受け渡しできるという意見もでました。
今後、合奏のレベルアップを計っていくに当たって、いろいろな経験値を蓄積していきたいですね。
初の合宿練習会無事終わりました。
濃い時間でした。本当にずっと練習してましたね。
合奏での課題
小節の頭で、笙のはいりを聞いて篳篥が入る。そこにほぼ同時だけど篳篥を確認してから龍笛が入っていくと、全体のテンポも早くなっていかず、きれいに聞こえるということがわかりました。
小節の最後のところは、篳篥より気持ち龍笛の方が音を残しぎみにした方が、お互い楽に息継ぎを受け渡しできるという意見もでました。
今後、合奏のレベルアップを計っていくに当たって、いろいろな経験値を蓄積していきたいですね。