世界の パワースポット 巡り

現在、聖地を巡礼いたしております。
聖地に至る過程を踏まえ色々な出来事などを日記でご紹介いたしております。

モンゴル 学生とツアー

2008年07月28日 | Weblog
モンゴル 西モンゴル地方 
経由地  ホブド - アルタイ村
ツアー  ホブド大学地学部地理学科観光科日本語科 日本語研修ツアー
訪問日  2008年7月28日

大学生17人、先生1人、お客7人(内2人は他の先生)の合計25人を
ポレゴン3台にて研修旅行がスタートしました。
ホブド大学は西モンゴルでは最大の大学です。
大学生17人の内3人のみ男性で他はすべて女性なのです。
なぜ男子が少ないかと言うとモンゴルの男性は高校生あたりから大酒を呑み勉強をしなくなり進学が出来ない様なのです。

これから向うコースは全て予定表が日本並みに作りこまれていました。
ルートの地図、目的の地名など詳細な資料も最初に頂きました。
そのコースに従い最初に訪れたのがハルオス湖の野鳥観察台です。
ここで生徒の一人が湖の事や野鳥の種類など日本語で説明してもらいます。
日本語しか分からない私には大変ありがたい説明であります。
この様にして次々と観光地を巡って行きます。
中でもホイトツェンヘル洞窟にある岩壁画は石器時代のもでもあり興味がありました。
私の知りうる限りではアジアではここだけではないでしょうか?
そして一泊目はこの近くでテント泊となりました。
学生のみなさんがテントを張ったり食事の支度をしたりとたいへん良くお世話をして頂きました。
また何かあるごとに「何かお困りの事はありませんか?」とすぐに尋ねてくれます。
本当に心のこもった御もてなしを受けているなと実感できました。
そして次の日、私の乗った車が川越の途中で川にはまりエンジンが止まってしまいました。
そこで乗っている人全て外に出ることになったのですがお客さんだけは決して濡らさない様に男子学生がお客さんを背負って陸地まで運んでくれました。
その後、女子学生も含めてすべての学生で川の中に入り車を押して一時間後に車を陸地に上げました。
学生のみなさんは本当にたくましい限りでした。
それと驚いたのが車の方でした。
ロシア製の本来戦車系の車を改造して作った様なポレゴンと言う4WDの車です。
川の中で車体の半分が浸かりエンジンが止まった車は普通動きません。
それが何回かセルを回して排気口から水を出す作業を続けてついに30分後にはエンジンが掛かり動き出しました。
これは本当に驚きでした。
この車はよく壊れたり止まったりしますが何だかんだとその場で修理が効くのでモンゴルでは絶大な人気があります。
その為、お金持ちはランドクルザー、その他はポレゴンを買うのです。
モンゴルでは未だにロシアから新車のポレゴンを買っているのです。

本日はたくさんの観光地を巡りながら本日の宿営地、遊牧民の家(実は学生の実家)に向いました。
メイン道路から距離にして30KMなのに5から6時間掛かると言う?
どうしてかなと思っていたら車は川沿いの谷に入り上流を目指して登り始めました。
今までにない激しい道が続きます。
何回も何回もハンドルを切り直したり、バックしたり川を渡ったりと険しい道が果てしなくある様に思えました。
私は元々車酔いするのでしばらくして気持ちが悪くなり目をじっと閉じ我慢していました。
学生の数人も車外に出てモドシテいました。
その大変な道も標高2700Mの所へ来てやっと終わりました。
夜おそくなり遊牧民のゲルに到着しました。
さっそく御もてなしのスーティツァイ(お茶)を出して頂きましたが私は気持ち悪くすぐに寝てしまいました。
翌朝、羊のメーメーと言う泣き声で目が覚めました。
朝日と共に起き夕日と共に寝る生活。
本来人間が持つ体内時計の生活リズムがそこにはありました。
羊、ヤギ、ヤク牛の乳を搾りチーズ、バター、お酒を作る。
子供はそれらの動物を山々へ放牧に向わせる。
なんとシンプルで自然な営みでありましょうか。
天空に近いこの場所にて理想の生活がありました。

眺めの良い山間を散歩して帰ってくると何やら動物の解体が始まりました。
どうやら私たちの為に朝一番で解禁前のタバルガン(モーマットの仲間)を猟銃で捕って来たそうです。
ガイドブックにタバルガンはペストを捕菌しているので決して食べないようにと書いて在りました。
私は眺めていて決して食べる気はありませんでした。
しかし、みんながおいしそうに食べているのを見てペストの件を聞いてみました。
すると去年はモンゴルで3人が死んだ。
しかしそれは、店に並んでいる古いタバルガンでこの新鮮なタバルガンは問題無いと答えが返ってきました。
解体方法も内蔵と肉を分け危な部位は外してあるとの事でした。
そこでタバルガンの肉のスープを試しに飲んでみました。
火が通って5分以上沸騰しているので大丈夫だと考えたからです。
うまい、、うますぎです。
今まで飲んだことのない味でありコクでした。
ここにラーメンを入れたら日本一のラーメンになること請け合いの味でした。
次に出てきたのがタバルガンのレバーに内臓の脂肪を巻いて牛の糞の炭で焼いたものでした。
口の中でトローンと解けてしまいました。
フォアグラと違う旨みとコクが最高の味に仕上がっていました。
そこへ日本から来られた方がフランスボルドーの赤ワインを出して来てみんなで乾杯をすることになりました。
ワインとタバルガンのレバーが出会った至高の味でした。
私たちは口を揃えて本当においしい!!と叫んでいました。
このモンゴルの大地で極上の幸せを感じる時でもありました。
その後メインディシュの羊とヤギを解体して作ったホルホグを頂モンゴルの味を堪能しました。
次の日は、馬やラクダに乗り幾つかの鹿石やラクダ岩などみてアルタイ村に向かいました。

   次は皆既日食となります。
                             


モンゴル ラウンド始動

2008年07月26日 | Weblog
モンゴル 西モンゴル 
経由地  ウランバートル - ホブド
訪問日  2008年7月26日


ゴビツアーに行く前に駄目元でホブド行きのチケットを買いに行ったら偶然に買うことが出来ました。
宿に帰ったらみんなに奇跡的の付く形容詞で「よかったね」言ってくれました。
しかし、モンゴルラウンドの情報は全くありませんでした。
世界中を旅行している私の友人に尋ねても誰も行っていませんでした。
ただ一人がウランバートルから近郊の所へバスで行った時の事を話してくれまた。
モンゴルでは席はぎゅうぎゅうで家財道具などすべてを車に持ち込む為、
体を動かすのさえままならなくて大変だった(アフリカより大変だった)
と言っていました。(顔がゆがむほどの混みよう)
そこへモンゴルラウンドから戻って着たイスラエル人がいました。
(イスラエル人は金融だけではなく旅人としても達人であり、どういう手段でも遂行すると一般に評判があります。)
話を聞いてみるととにかく堰を切るように話してくれました。
ヒッチハイクは全く止まってくれない。
バス、ジープも無い。
チャーターしたジープに途中で凄い金額を請求された。
とにかくすべてに於いて毎日がレッスン、レッスンだったと言い残し眠るようにベッドに倒れこみました。
その後、数日間にわたり食事のときのみ起き上がりそれ以外は寝たきりでありました。
また彼の姿は、あたかも何処かから脱獄してきた様な雰囲気さえ漂っていました。
それを聞いた回りの外国人旅行者は口を揃えて「やっぱり噂はほんとうだ!! ツアーで行くしかないね」と話していました。
この状況で私は行くだけ行って駄目ならまた飛行機で帰って来ようと思っていました。

出発の日を明日に控え悪名高きモンゴリアンエアーにリコンファームを宿の人にしてもらいました。
そしたら名前が無いとの回答でした。
それを聞いた私はもっと良く調べてくれるように再度頼みました。
10分後、当初のフライトは朝の6時40分でしたが当日の夜10時30分に私の名前があるのが判明しました。
どうやら時間が勝手に変更になっていたようです。
この件に関して何の連絡もありませんでした。
出発当日の16時頃再度リコンファームを行い夜10時30分である事を確認して空港行きのバスに乗り込みました。
このバスは空港停まりのバスなので安心しようと思いましたが気になり外を
ずっと見ていると空港を通り過ぎるではありませんか。
やっぱりな~!!て感じであわてて運転手に止まる様に言うと1KMぐらい行った所の小さな町のバス停で止まりました。
その後、私を降ろしたバスは遠くへ行ってしまいました。
歩いて空港に着くと国際線、国内線の区別も案内も無い状態でした。
ホブド行きの出発カウンターを捜し出しやっと乗り込む事が出来ました。
定刻通り夜10時30分に50人乗りプロペラ機は飛び立ち、2時30分に真っ暗なホブド空港に到着しました。
飛行機を降りてさっそく荷物を受け取りに向いましたがやはり何の標識もありません。
出迎えの人々の中を通り左側に行くと病院の受付の様な半円形の窓のある所に人が集まっていました。
たぶんここが荷物の受け渡し場所だなと思いました。
そこへ荷物が次々に運ばれてきました。
その担当者が荷物に付いたNOをモンゴル語で読み上げるとみんなど~と押し寄せ小さな窓から荷物を受け取っていました。
これを見てこれは最後まで受け取れないので誤って荷物を持って行かれないように後方で見ているしかありませんでした。
そこへ2人の女性から声が掛かりました。
良く見ると外国人、機内では気が付きませんでしたが乗っていたようです。
旅行者ですか?
「はい」と答えた。
すかさず日食を見にきたの?と聞かれた。
また、「はい」と答えた。
次はランドクルーザーをシェアしない?と言われた。
ランドクルーザーはすごく高いのですが一応「ハイ」とこたえました。
少し彼女たちと話してみると名前はジュリーとマリーとどこかで聞いたような名前のフランス人であることが判りました。
彼女たちは朝4時に空港に行き出発便が夜の10時30分発になったのを聞いて再度出直して来ていて、殆ど寝ていないようでした。
そうしている間に荷物はほとんど引き取られていたので窓口をのぞくと私と彼女たちのバックパックのみが残されていたので番号札を渡してバッグを受け取りまた。
そこへモンゴル人の男性数人が空かさずマリーの方へ来ていろいろ話を掛けていました。
やはりフランスマダムはモテル様です。
その間に私は、こんな夜中の3時にタクシーは無いしどうしようかなと考えていたら話しが終わったマリーから一緒に行こうと言われました。
頭の片隅に思っていた通りマリーがモンゴル男性にエスコートさせるように仕向けホテルまで送らせるようです。
やはり美しい女性は世界の何処に行っても困らないのが世の常の様です。
1件目のホテルも満室、2、3件目も一杯でした。
どうやらナーダム(モンゴルの祭り)にてどこのホテルも一杯のようでした。
そこで最後に昨年の11月に出来たばかりのホブドで最高のホテルに向いました。
1室2ベッド44000TG(4400円)の一部屋のみ空いていました。
マリーが「一部屋しか空いていないの」言うのでどうぞ使って下さいと言いまた。
私は何とかしますから明日このロビーにて9時に待ち合わせしましょうと言って別れました。
私はフロントに他に部屋は無いかと聞くとカラオケルームが一時間1000TG(100円)でありますと言われた。
すかさず5時間使いますと言って5時間ほど休みました。
朝8時頃にカラオケルームを出てフロントにてマリーたちを待つことにしました。
しかし、9、10、11時になってもマリーたちは降りて来ませんでした。
やはり昨日の飛行機の突然の時間変更に伴い寝ていないので疲れているのだろうと思いました。
それにフランスマダムの朝は遅い人は本当に遅いので諦めてもう少し待つ事にしました。
画してこの決断がこのモンゴルラウンドを左右するターニングポイントになりました。
実は受付のお姉さんは日本語を少々しゃべれるので待っている間にいろいろな情報を聞いていました。
何故、日本語をしゃべれるのが判ったかと言うと私の着ているTシャツに日本語で「初心に戻ってやり直します。」と
書かれているのをみて日本人ですか?と言われたからである。
そこへ友人の韓国女性のカンさんが現れました。
ナーダムを見ていて体調が悪くなったので大学に戻る途中にここへ立ち寄った様なのです。
そこでこの受付のお姉さんから私を紹介されました。
カンさんは日本にて3年ぐらいコンピューターの仕事で働いていたそうです。
現在、韓国の海外青年協力隊の様な組織に入りここホブドにてコンピューターを教えているようです。
日本語も流暢に話す事から日本語学科の生徒と仲良くしていると言っていました。
ここでカンさんより提案がありました。
明日からホブド大学観光科日本語学科の生徒20人と日食ツアーがあるので是非行きましょうとの事。
私としてはすぐにハイと返事をしたかったのですが少し考えさせてくれと言いました。
するとカンさんにさらなる誘いで日食だけでなく観光客が行かない壁画や遺跡、遊牧民の家などにも行くから行った方が本当によいですよとの事。
そこで正直に私は言いました。
私は行きたいのですが上の部屋にフランス人2人が居てランドクルーザーをシェアすると言ったのでこちらの条件が良くなったのでこちらにしますハイ
「さようなら」とは日本人の私は出来ないと言いました。
するとカンさんも韓国人も同じですから判りますと言ってくれました。
私は、カンさんに英語かフランス語がうまく観光案内が出来る人を知人に居たら
フランス人に紹介したいので探してくれるように頼みました。
その話が終わった頃にチェックアウト時間の12時近くになったのでフランスマダムの部屋をノックしました。
そしたら眠そうに何かしら~て感じ顔を見せた。
今日もここに泊まるの?
もうチェックアウトの時間だけどどうします?と言うと。
10分ぐらいでフロントに行くから待っていてねと言われた。
フロントで待つこと30分で彼女たちが降りてきた。
3人と一緒にカンさんに連れられて別のホテルにチェックインしました。
やはり部屋は1つしか空いていませんでした。
しかし今回はベッドが3つあり一緒に泊まる事になりました。
その後ナーダムを見て夕方に帰ってきました。
ホテルの部屋に戻ったらすぐにマリーがフロントにお湯をもらいに行きましたが
全く話が通じず戻ってきました。
そこですかさず私が指差し会話帳とジェスチャーにて難なくポットを持って部屋に戻るとものすごく喜んでくれました。
次にホットシャワーが夜の7時から10時までなのでマリーが初めに入りました。
時々シャワールームから寒そうな声を上げていました。
ジュリーに聞いてみたら10度ぐらいの冷たい水でシャワーを浴びている様で震えているとの事。
直ぐにフロントに行ってボイラーのスイッチを入れてもらい部屋に戻って3分ぐらいでホットシャワーに
なり大変喜ばれました。
こう言う事を繰り返しすっかり2人に頼られていました。
そして2人だけならどうやら何も出来いのが痛感した様でもありました。
ロンリープラネット会話集、フランス会話集も全て何の役にも立たないのが判った日でもありました。

その後落ち着いたので今後の相談を始めました。
まず私は、日食のセンターライン近くのアルタイ村まで南下する事を希望しまた。
ここは、ホブドより300KMぐらいの距離でしたが大きい町でもありメインロード上でもありました。
マリーとジュリーはホブドより直接センターライン側の西方の名も無い町へランドクルーザーで行くことを希望しました。
ここへは50KMぐらいの所ですが道も無くドライバーが行けるかも判りませんでした。
この状況の中カンさんが大学で英語を教えていて休日の日は観光案内もしている先生を連れてきました。
マリーとジュリーに先生を紹介して話が盛り上がりました。
その話の中マリーたちは日食だけではなくウルギー近くにある国立公園等も興味が有る様な話をしていました。
フランスのガイドブックと英語の先生の話がかみ合いテンションが上がって行くのがよく分かりました。
そして話が終わりカンさんと先生が帰った後に私がマリーとジュリーに言いまた。
今、私は悩んでいると。
ホブド大学のツアーに私が日本語を2日間教えたら連れて行ってあげると言われていると。
そしたらマリーとジュリーが「それは良い事よ!!」
「あなたが教えることが出来るなんてすばらしい事」
「是非行った方が良いわ」
私たちは、英語の先生とウルギー方面に日食と観光に行くからと言ってくれた。
わたしも条件がお互いフィフティーフィフティーと考えそれでは行かせて頂きますと言いました。
翌朝早速ホブド大学の一行がホテルに来てくれた。
いよいよ大学一行との旅が始まった。

            次は大学一行とのツアーについてお話いたします。
                                     

モンゴル ゴビ砂漠 より

2008年07月18日 | Weblog
モンゴル ゴビ砂漠 
経由地  ウランバートル - Moltsog Sand dune - Yol Valley (氷の谷)
訪問日時 2008年7月18日

モンゴル国内を旅行しようと思うと通常はバスか飛行機を考えます。
しかし飛行機は首都ウランバートルから地方都市へ一日一便か週二・三便しか飛んでおらず且、地方から地方への便はありません。
飛行機のチケットに関しても7、8、9月は殆ど取れません。
バスに関しても地方に行くのに2日から4日は掛かります。
この事から外国観光客はほとんどウランバートル市内のツアー会社にて行きたい場所を言って申し込みます。
1日US$50から37ドルで行く事が出来ます。
しかし、観たい場所が一箇所でも片道2日現地にて1日、帰りに2日合計最低で5日は掛かるのでUS$250ドルは最低でも必要となります。
それがモンゴル一周になると20日から30日が必要となりますのでUS$1000から1200ドルが懸かってしまいます。
私は様子を兼ねてゴビツアー5日間に参加してみました。
車は韓国製のヒュンダイ車バンに客5人とドライバー1人、ガイド1人にて移動となりました。
モンゴルの道はウランバートル周辺10KMぐらいですぐにダート道になります。
俗に言うポンピングロードです。
前の車が行った轍が複数有りそこを行くのか、新しく草の中を走るのかはドライバー次第なのです。
広大な草原の中を1日10時間以上走破するからです。
石を急に避けたり、川を渡ったり、小高い丘に乗り上げ天上に頭を打ったりと車酔いする私にはかなり大変な道中でありました。
途中、古いお寺を見ながら3日目にて砂丘に到着しました。
ゴビ砂漠と言っても殆どが点々と草が生えた乾燥地帯を言います。
砂丘は数箇所しかありません。
久しぶりにみる砂丘は何か寂しそうにさえ感じました。
夜になるとその想いは吹き飛んでいました。
ゴビ砂漠の星空が凄いのです。
空一面が星で埋め尽くされています。
アンドロメダの星雲もぼんやりと見えるのです。
暗いところが一箇所も無く天空が輝いています。
星が有り過ぎて星座の区別が全くつきません。
私は何度も何度も舞い降りる流れ星を観ながら眠りに就きました。

このツアー5日間にスタック2回、スタビライザー破損1回で何とかウランバートルに戻って来ること出来ました。
他のツアーもよくパンク、スタック等のトラブルでスケジュールの様には進まないようでした。

                次はモンゴルラウンドです。

モンゴル (ウランバートル) より

2008年07月11日 | Weblog
モンゴル ウランバートル 
経由地  パオトウ ― 呼和浩特 - 二連浩特 - ザミーンウッド 
訪問日  2008年7月11日

オリンピック期間とビザの問題がある為にモンゴルに来ています。
モンゴルの首都ウランバートルはたいへん治安の悪い事で有名です。
ウランバートルの駅へ着くとまず洗礼を受けるのがタクシーです。
大きい荷物を持った人を強引に手や腕を掴んだり、首根っこを引っ張られてタクシーに連れ込まれます。
すかさずマネーと言ってきます。
それか目的地まで着いて高額な金額を請求されます。
もちろんメーター付きタクシーも高速回転にて2KMでUS$20ぐらいになります。
私の場合はホテルの客引きの人にこのゲストハウスに泊まらないかと言われたので
もう他のホンゴルゲストハウスを予約してあると言うとたぶん一杯で泊まれないと言う。
よく使う嘘なので問題ないと断りました。
そしてタクシー乗り場へ向っていると先ほど断ったお兄さんが走ってきて
あなたの泊まる宿の人が来ているから一緒に帰りましょうと言って来ました。
確認の為に運転手の人にあなたはホンゴルゲストハウスの人ですか?と言うと
「はい」と言った。
もう一つあなたのホテルのオーナーは男性ですか女性ですか?
と言うと女性であると言った。
これも当たっている。
なら一緒に帰りましょうと車に乗り込みました。
ホテルの前に着くとそのドライバーと客引きのお兄さんがトランスポート代を払ってくれと言い出しました。
私はホテルのスタッフの人だと無料だよと言いました。
するとここはモンゴルだからお金が必要なんですと言い出した。
私はこの時すぐに偽者スタッフと客が取れなかったお兄さんが嘘をついたのが判りました。
そこで私は、「わかりました。払いますから」と言って車を降りて後ろに載せたバッグを取りおいくらですか?と尋ねた。
US$20ドルと言ってきました。
駅から2KMぐらいだし2000TGぐらいと言うと。
わたしの持っている地球の歩き方(2007年版)を見てその本は古いですと言い出した。
今物価が物凄く上がっているのでこの金額なのです。
そこで私はこの金額は先週の金額ですよと言い返すと。
なんでもいいからこの金額を払えといいだしました。
わたしは、客引きのお兄さんに一言
「こんな事をするとあなたの宿にはだれも泊まらなくなりますよ!!」。と
その後すぐにエジプト方式に相場の2000TG(200円)を車の中に投げ込みすぐに道路を横断してホテルに歩いて行きました。
エジプトと同様に運転手が騒いでいましたが何の問題もありません。

さて次は街を出歩く時も注意が必要です。
日本で言うと東京銀座通りに当たるノミンデパート前の通りですらカッターナイフ強盗が多発しています。
手口は2、3人組みで一人がバッグをカッターで切り裂き、次の人が中身を取って逃げると言うものです。
余りにも速く「まったく気が付かなかった。」とやられた人は言っていました。
私の泊まっているホテルの人も数人やられていました。
デパートの中、ザハ(市場)でも数人に囲まれて財布、カメラ、携帯、時計を盗られた人も多数おりました。
どうやら外国人だけではなくて地方からやってきている人も多数被害に遭っておりました。
最後に夜の出歩きは厳禁です。
通常人の良いモンゴル男性が酒を飲みすぎて泥酔で街をハイカイしていて、出くわすと物を投げられたりいきなり殴ってきます。
力が強いので相当な被害となります。
飲み屋にて酒を飲んでいる時でも周りに注意が必要です。
モンゴル人同士が喧嘩を始めビール瓶やウオッカのビンが飛んできます。
これが大変被害が多くこの場面になると外国人はみな店を出て行きます。
もし飲む場合は警備員が数人常駐している所を選んで飲まれた方がよいでしょう。
最後にモンゴルは全て危険ではありません。
ここウランバートルのみ危険です。
地方へ行くと治安がたいへん良く何の問題もありません。
モンゴル人は大変優しく親切な人がほとんどです。

さて次はゴビ砂漠のツアーについて