
カラス麦はアイルランドでは人間の食べるもの。イギリスでは家畜の餌。
スコットランド人は皮肉をこめて、
「だからイギリスでは人間より家畜のほうが優秀なんだ」
と言います。今でこそ北部アイルランドとグレードブリテン(イギリス)は連邦国家なのですがかつては壮絶な争いを繰り広げた民族同士なのでこうした話が出来上がるわけです。
日本でもことわざなどで偉人たちの言葉は受け継がれています。
実のところ偉人の殆どはすでに歴史に埋没しているわけであり、文書などで手記が残っているものはある程度信ぴょう性があると考えていいのでしょうが、言い伝えや人から人へと伝わったものが正確に広がっているかといえば、そうでないことは別に珍しくもありません。
多分同じ話だっただろう物語でも地方に広がると独自の解釈で微妙に話が違っていたりします。
たとえば聖徳太子は10人の話を一度に聞けますと広がっていますが、私だって3人ぐらいの会話が一度に聞き取れるのは任天堂DSの脳トレで実証済みです。
しかしながら忙しかっただろう聖徳太子が全部の話を聞いたかどうかは見た人は今はいないわけで。
実は10人ほどお付の者が居て、それが一人一つの話を暗記して後から聖徳太子に復唱して聞かせていたのかも知れません。
一人の人間である以上、実行は一つずつしか出来ませんのでとにかく10人の話を最終的に全て実行できれば話を聞いたことになりますからね。
何よりお付の者が優れていても身分の関係で聖徳太子が凄い人だったとするほうが有り難く聞こえるものです。スーパーのレジ袋とシャネルのバックの実用性はさほど変わりませんが何となくシャネルのほうが有り難く思えるのと同じです。
昨日、ラヂオを聞いていると、
「濡れ手に粟」
と言うこことわざを
「濡れ手に泡」
と思っているらしく、ぬれた手で触ったらブクブクした”泡”が沢山手についていいね・・・なんて話しておりました。
今時、”粟”は見ることが殆どなくなりましたので”泡”と思うことも少なくないのかも知れませんね。
小鳥などを飼っていれば”粟”などはまだ見ることがあるかもしれません。
間違いは誰にでもありますが問題は私より年上の人間がこのような初歩的な間違いをしていたのは正直困ったものだなぁと思った次第です。
何せ”粟”と”泡”では大違いですから。
今日もラヂオを聞いていたら
1:「夜、爪を切ると不幸になる」
2:「夜に口笛を吹くと蛇が来る」
3:「霊柩車を見たときに親指を隠さないと親の死に目に会えない」
4:「靴下を履いて寝ると親の死に目に会えない」
などやっておりました。
ネットで調べればどれも引っかかる話でしょうから絶対多数の正しい意見を探してみてください。
私の知っている限りでは、
1:は、昔は夜が暗く、明かりの少ないところで刃物を使うと危険なので使わないようにという戒め。
2:は、今とは違い昔は騒音がそれほどなく、口笛の音が近所にまで聞こえて近所迷惑だから止めなさいという戒め。
3:は、何故だか分かりません。でも子供の頃からそうしていました。おかげさまで親の死に水は取ってやる事が出来ましたけど。
4:は、亡くなった人が三途の川を渡るのに白足袋を履いて渡るので寝た人が足袋(靴下)を履いて寝るのは縁起が悪いという戒め。
と覚えています。
さて絶対多数の本当のところはどうなんでしょう。間違っていたら是非コメントで教えてくださいまし。
スコットランド人は皮肉をこめて、
「だからイギリスでは人間より家畜のほうが優秀なんだ」
と言います。今でこそ北部アイルランドとグレードブリテン(イギリス)は連邦国家なのですがかつては壮絶な争いを繰り広げた民族同士なのでこうした話が出来上がるわけです。
日本でもことわざなどで偉人たちの言葉は受け継がれています。
実のところ偉人の殆どはすでに歴史に埋没しているわけであり、文書などで手記が残っているものはある程度信ぴょう性があると考えていいのでしょうが、言い伝えや人から人へと伝わったものが正確に広がっているかといえば、そうでないことは別に珍しくもありません。
多分同じ話だっただろう物語でも地方に広がると独自の解釈で微妙に話が違っていたりします。
たとえば聖徳太子は10人の話を一度に聞けますと広がっていますが、私だって3人ぐらいの会話が一度に聞き取れるのは任天堂DSの脳トレで実証済みです。
しかしながら忙しかっただろう聖徳太子が全部の話を聞いたかどうかは見た人は今はいないわけで。
実は10人ほどお付の者が居て、それが一人一つの話を暗記して後から聖徳太子に復唱して聞かせていたのかも知れません。
一人の人間である以上、実行は一つずつしか出来ませんのでとにかく10人の話を最終的に全て実行できれば話を聞いたことになりますからね。
何よりお付の者が優れていても身分の関係で聖徳太子が凄い人だったとするほうが有り難く聞こえるものです。スーパーのレジ袋とシャネルのバックの実用性はさほど変わりませんが何となくシャネルのほうが有り難く思えるのと同じです。
昨日、ラヂオを聞いていると、
「濡れ手に粟」
と言うこことわざを
「濡れ手に泡」
と思っているらしく、ぬれた手で触ったらブクブクした”泡”が沢山手についていいね・・・なんて話しておりました。
今時、”粟”は見ることが殆どなくなりましたので”泡”と思うことも少なくないのかも知れませんね。
小鳥などを飼っていれば”粟”などはまだ見ることがあるかもしれません。
間違いは誰にでもありますが問題は私より年上の人間がこのような初歩的な間違いをしていたのは正直困ったものだなぁと思った次第です。
何せ”粟”と”泡”では大違いですから。
今日もラヂオを聞いていたら
1:「夜、爪を切ると不幸になる」
2:「夜に口笛を吹くと蛇が来る」
3:「霊柩車を見たときに親指を隠さないと親の死に目に会えない」
4:「靴下を履いて寝ると親の死に目に会えない」
などやっておりました。
ネットで調べればどれも引っかかる話でしょうから絶対多数の正しい意見を探してみてください。
私の知っている限りでは、
1:は、昔は夜が暗く、明かりの少ないところで刃物を使うと危険なので使わないようにという戒め。
2:は、今とは違い昔は騒音がそれほどなく、口笛の音が近所にまで聞こえて近所迷惑だから止めなさいという戒め。
3:は、何故だか分かりません。でも子供の頃からそうしていました。おかげさまで親の死に水は取ってやる事が出来ましたけど。
4:は、亡くなった人が三途の川を渡るのに白足袋を履いて渡るので寝た人が足袋(靴下)を履いて寝るのは縁起が悪いという戒め。
と覚えています。
さて絶対多数の本当のところはどうなんでしょう。間違っていたら是非コメントで教えてくださいまし。