時には目食耳視も悪くない。

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英語音痴が治らない理由。

2017年08月11日 | 文学
 高校生の時、学校帰りに友人たちとバスに乗ると、外国人男性が一人乗っていました。
 私の通っていた高校は人里離れた山の中にあり、物珍しさと好奇心も手伝って、友人がいつも授業で習っている程度の英語で話しかけました。
 すると、その外国人は少し困った顔をして、「僕はフランス人だから、英語ができないんだ」と流暢な日本語で答えたのです。

 今思えば、その人は本当は英語もできるけれど、こちらが若い女子高生なので、ジョークのつもりでそう答えたのかもしれません。
 外国の人を見ると、つい英語で話さなければと思ってしまいますが、その人の母国語が英語とは限らないのだと、その時は実感しました。

 日本人の英語力があまり高くないということがたまに社会問題としてあげられますが、私はあえて日本は「国民的に英語が苦手な国」ではなくて、「英語が通じない国」というスタンスでいいと思います。
 国際関係の仕事についている人や、必然的に英語が使えなければならない状況にある場合は除いて、国民性としては、自国の文化である日本語を大切にするべきですし、異なる文化を持つ言語を学習するならまず、母国語に精通しておいた方が理解が早いと思います。

 日本で生活するすべての日本人に英語力が必要だとも思えませんし、一生のうちで一度も外国人に会わずに暮らす人だっているでしょう。

 そもそも、私は英語があまり好きではありません。
 なんで英語が嫌いなのか、自分でもよく分かりませんが、とりあえず、1つの母音で何通りも発音パターンがあるのが一番嫌いなところです。
 しかも、発音に個人差が有りすぎな気がします。
 特に、アメリカ国内でも西と東では全然語感が違うし、イギリス英語とオーストラリアの英語もそれぞれ発音が違います。

 同じ単語を発音しているのか判別もできませんし、聞き返そうにもなんと聞けばよいのかも分かりません。
 いったい、どれが正しいの?!と混乱し、英語を勉強する意欲を失くすのです。
 (多分、私の性格に合わない言語なのでしょう。)

 そんな英語音痴の私が気に入った英語学習の本が《文通英語術[同時代ライブラリー241]》ロジャー・パルバース著(1995、岩波書店)です。
 著者さんは教育テレビの英語番組でパーソナリティをするくらい日本語にも精通していますし、他に何言語も操るという、まさに歩く語学辞書のような方です。

 語学学習は、「読む・聞く・話す」が基本であると言われますが、英語について私はもっぱら「読む」ことしかしません。
 (だからできるようにならないのですが…)

 実際にドイツで生活したことがあるので、語学力というのは日常的に「聞く・話す」を続けてなんぼだということは分かるのですが、如何せん日本で普通に生活していたら、英語を使う機会は皆無に等しいわけです。

 たまに、駅で外国の人に話しかけられますが、「この電車は〇〇に行くか?」くらいのことなので、せいぜい、Yes.かNo.で事足りるし、分からなかったら駅員に丸投げすればいいことです。
 生来が非社交的な人間なので、ハナから外国の人に親切にしようという気がないことも確かです。

 つまり、語学力と会話力は別問題だと思うのです。
 対人関係が苦手な私は、いくら英語が上手になったとしても、外国の人と進んで会話をしたいとは思いません。
 日本人とだって、見ず知らずの人とは親しく話したりしませんし。

 ただ、もしも外国で生活するとなれば、役所に提出する書類だとか、住宅契約に関する書類は読めないといけないし、住む地域のご近所関係や病気になった時などのシチュエーションで、相応の語学力が必要にはなります。
 だから、必ずしも、語学力=会話力ではないのです。
 単純に英語を勉強すれば、英会話が得意になるわけではないのです。

 そこに気がつかないまま語学学習をしている人が、けっこう多いような気がします。
 なんとなく、「英語ができなければいけない」という世間の風潮に流されて勉強するのではなく、個人の性格や目的用途に合わせた学習をしなければ意味がないと思います。

 それでなくても、英語と日本語の言語システムは共通性が低いのです。
 象形文字から漢字を取り入れて、表意を主体とする日本語を話す私たち日本人が、表音をベースにするアルファベット言語を習得するのは容易なことではないのです。

 漠然と、話せるようになりたいという思いだけでは学習は長続きしませんし、実践で使わなければ力として定着はしないでしょう。
 大切なのは、「なぜ英語を話したい(話さなければならない)と思うのか」「どういう場面で英語を使うのか(仕事orプライベート)」ということを明確にすることだと思います。

 英語が好きで仕方ないという人ならば、何の問題もないのでしょうが、私のように英語に対して苦手意識というか、英語を無意識に敬遠してしまう人間が、必要に迫られて学習しなければならなくなった場合、よほど目標を明確にしておかないと途中で挫折してしまうことは目に見えています。

 そんな私を、わずかながら英語へと興味を引いてくれたのが前掲の本です。
 内容が往復書簡の形式になっていること、日本の文学作品が話題として取り上げられていることが、主な要因です。
 著者さんは日本文学や日本の文化にもお詳しいので、英語で書かれていても抵抗なく読み進めることができました。
 実践で役立ちそうな口語表現が載っているのも、魅力の一つです。

 ですが、こんなふうに知識として読む英語は、実践で直接使える語学力に繋がらないことは前述の通りです。
 結局、私の英語力はゼロのままです。。。
 


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