土曜日曜と続けて、夫婦で電車利用でお出かけして、愛車ペッピーノさんには久しぶりの2連休をあげました。
土曜日は横浜スタジアムで野球観戦。
25年前に優勝し日本一になったときのメモリアルシリーズの初日でした。
ちなみに25年も優勝から遠ざかっているのは、NPBではDeNAベイスターズが最長の、不名誉な記録です。
というわけでスタジアムの電光掲示板には、何度も25年前の日本シリーズ優勝の瞬間のオーダーが映りました。
ここにあるオーダーの中で、1番石井琢朗、3番鈴木尚典は、いまベイスターズのコーチをしています。
8番進藤は球団のフロント職員。
このゲームのテレビ解説は、7番谷繁と、胴上げ投手となった佐々木でした。
ちなみにいま監督をしている三浦大輔もこの年の優勝メンバーで、先発投手陣の一角を占めていました。
ゲームは2020年にメジャーリーグで投手に贈られる最高賞「サイ・ヤング賞」を獲得したトレバー・バウアーが先発。
21年に起こした「暴行疑惑」が原因でメジャーから2年間の出場停止を食らい、それが原因で来日しました。
日本では2試合続けてボコボコに打ち込まれる不振がありましたけれど…
この前の当板ゲームでは勝ち星こそつかなかったものの、6回2失点と立ち直っていました。
そしてこの日は、8回を3安打2失点に抑え、10奪三振を奪う好投で、勝利投手になりました。
球場には、ベイスターズマニアの妻に誘われて行ったのですが…
(妻はプロ野球だけでなく、大学野球、高校野球、社会人野球まで網羅する、野球オタクなのです)
妻の一番のお目当ては、ゲーム前に場外で行われたトークショーに、25年前の4番バッターだった…
ロバート・ローズさんが出て、ゲーム後はローズさんと一緒に写真に写れる、というイベントがあったこと。
当時「マシンガン打線」と呼ばれたベイスターズの、不動の4番バッターだったローズさん。
日本では8年間で3929打数1275安打、通算打率.325を記録しました。
この通算打率は、規定の4000打数以上にわずか71打数足りていないため、記録になっていませんが…
通算打率1位の、レロン・リーさんの記録.320を上回っています。
また、1999年に記録した年間153打点(135試合)は、戦後プロ野球が2リーグ制になった1950年に…
松竹ロビンスの小鶴誠さんが記録した161打点(140試合)に次いで、今も歴代2位にランクされています。
最後のシーズンとなった2000年も、打率.332、本塁打21本、打点97という成績を残していたのですから…
あと1年プレーしていたら、間違いなくNPB通算打率歴代1位に名を刻んでいたでしょう。
翌シーズンの年俸交渉がこじれてしまったことと「生涯最高のボス」と呼んで…
「Mr.ゴンドーが監督をしている間は移籍も引退もしない」と宣言していた権藤博監督が退任したことで…
モチベーションを失って引退してしまったのが本当に残念でした。
ローズさんのファンでもあった妻。
ゲーム後に、ローズさんと権藤さんが並んでお立ち台に上がった姿を見て、大感激。
グラウンド上で、このお二人とファンで撮った集合写真に、妻と私は目立つ所で写っています。
25年前の優勝のときは、私たち夫婦と、妻の中学校時代以来の親友と、その夫と…
4人で球場に応援に来て、優勝の瞬間を見た後、伊勢崎町に当時あった横浜松坂屋前に移動して…
「ゴンドウくじら」のはりぼてと共に、大騒ぎしたものでした。
路線バスの屋根に人が何人も上がっちゃったりと、ここは南米ブラジルかどこかなの?という騒動で…
川に飛び込んで水死してしまう人も出る、という有様でした。
そのときはなんと38年ぶりの優勝だったので、まあ無理もなかったかもしれませんが。
あの頃は我々夫婦も若かった…。
その、一緒に行ってお祝いした妻の親友も、いまでは故人となってしまいました。
25年の時の流れを感じます。
ともあれ…
ゲームも西武ライオンズ(セパ交流戦)に6-2で快勝したし、楽しい一日になりました。