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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

最も印象に残った球児   32.大阪(その1)

2012年09月08日 | 高校野球名勝負

◇もっとも印象に残った球児

32.大阪(その1)



牛島 和彦   投手  浪商   1978年 春  1979年 春夏   
香川 信行   捕手  浪商   1978年 春  1979年 春夏   



甲子園での戦績

78年春   1回戦    ●   0-3    高松商(香川)
79年春   1回戦    〇   6-1    愛知(愛知)
        2回戦    〇   3-2    高知商(高知)
        準々決勝  〇   4-3    川之江(愛媛)
        準決勝    〇   5-3   東洋大姫路(兵庫)
        決勝     〇   7-8    箕島(和歌山)
    夏   1回戦     〇   3-2    上尾(埼玉)
        2回戦     〇   4-0    倉敷商(岡山)
        3回戦     〇   9-1    広島商(広島)
        準々決勝   〇  10-0    比叡山(滋賀)
        準決勝    ●   0-2    池田(徳島)



昔も今も、
高校野球の代名詞と言ったら地元・大阪。

とんでもない球児が多数存在しており、
とても1回で選べるような地区ではありません。

そんな中でも印象深い”投打の軸”を、3回に分けてご紹介したいと思います。
まずは昭和54年の甲子園を席巻した、
牛島-香川のバッテリーです。

2年生の時に選抜出場が決まった時、
話題の中心は『浪商の復活』というよりも、
『ドカベン』の愛称をもらった香川信行でした。

結局初戦で敗れて、
しかも音なしだった香川は、
甲子園では話題となることはありませんでしたが、
その次の年に登場した時は、
『大会No1スラッガー』の称号を携え、
そのユーモラスな体型とともに、
明訓高校のドカベンばりの活躍を期待され、
話題の中心となっていました。

牛島はというと、
2年生の時は注目度はほとんどなし。

3年次にはセンバツの好投手の一人として挙げられてはいたものの、
チームの話題は香川一色。

その当時から【強気一色】のエースは、
それがかなり面白くなかったであろうことは、
はたから見ていてもはっきりとわかりました。
『やんちゃが服を着て歩いている』ような牛島、
その力で世間を黙らせるのは、
選抜が始まってからのことでした。

選抜の初戦。
牛島はわずか2安打で愛知の打線を抑えきりますが、
翌日の新聞の見出しを独占したのはやっぱり香川。
片膝をつきながらの、
驚くような一発をバックスクリーン左横に叩き込み、
『これがドカベン弾だ』
との見出しが躍りました。

しかし2回戦からは牛島の出番。

昨夏の優勝投手、森を擁する高知商との優勝候補同士の戦いとなったこの試合で、
その存在感を見せつけたのが牛島でした。

伸びる速球とカーブのコンビネーション、
そしてじつにクレバーなマウンドさばきは、
高知商の強力打線を抑えるのに十分な内容で2失点完投。
打たれたヒットはわずかに6本という内容でした。

次戦、苦しい延長13回の川之江戦でも、
牛島は雨中でその冷静さを失うことなく投げ切り完投勝利。
準決勝では東洋大姫路を軽く抑え、
防御率0点台で決勝に進出しました。

決勝の相手は強豪の箕島。
しかし浪商は、
秋の近畿大会でこの箕島に圧勝していたため、
『勝てるのではないか』と踏んでいたようです。

今大会初戦以外に今ひとつ見せどころのなかった香川はこの試合でハッスル。
牛島は疲れから制球を乱し、
箕島に13安打を打たれ8失点。

特に屈辱的だったのはバント攻撃。

ピッチャー、ファースト、セカンドのちょうど真ん中に転がす箕島のプッシュバント攻撃は、
牛島を左へ左へと走らせ、転ばせ・・・・・。
屈辱以外の何物でもなかったようでした。

箕島に1点差で惜敗した浪商。

しかしその戦いぶりは、
『負けてなお強し』の印象を強烈に残し、
夏の大会が来るのが待ちどおしくなるようなチームでした。


さて、その最後の夏。
牛島-香川の超大型バッテリーは、
全国でも注目の的。
常にカメラが追っていくという状況の中、
夏がスタートしました。

まずは難関の大阪大会。

前年度の全国制覇校にして今年のセンバツでも4強入りを果たしたPLが待ち構えます。
両雄の決戦は決勝の舞台。

PLは小早川、渡辺というV戦士を中心とした強力打線で浪商に挑みますが、
浪商は牛島-香川でこれを迎え撃ちました。

全国注目のこの一戦は、
確かバスが遅れて十分にアップの時間が取れないまま試合に臨まざるを得なかったPLを、
浪商が初回から急襲。
結局この『試合への入り』が趨勢を決めて、
浪商が9-3とPLを下して全国へのキップを奪い取ったのでした。
(結局この負けが原因で前年度の【優勝監督】である鶴岡監督はPLを追われて辞任。後任の中村監督が、この後次々と伝説を作っていきます)


甲子園でも『圧倒的な優勝候補』に挙げられていた浪商。

この大会では、
『普通にやればどこと当たっても圧勝』できる力を持っていましたが、
普通にやれないという試合が出てしまうのもまた、
野球という競技の特質と言おうか、はたまた高校野球の怖さと言おうか。

その『普通でない試合』は、
1回戦と準決勝でした。

1回戦の相手は、
『東の横綱』とまで言われた上尾。

『相手にとって不足なし』
と牛島も香川も言ってはいたものの、
試合前は余裕綽々。
『負けるわけはない』という心理が垣間見えました。

しかし試合は、
浪商の思い描いたものとは全く違う展開へ。
上尾が『これ以上ない』展開で2-0とリードして試合は最終回へ。

『こんなはずではない』
という表情が各く選手にありありと出だして、
焦りがまた打線を空回りさせていました。

軟投のアンダースロー・仁村に対して、
最終回に打席が回ってきた香川は、
そこでも引っかけて内野ゴロ。

いよいよ万策尽き果てたと思われた2死1塁で、
打席はエースの牛島。

『持っている男』というのは、
こういう時に打席が回ってくる。そして何とかしてしまうものなんだ・・・・・・・
ワタシは子供心に、
強烈に印象付けられたシーンでした。

仁村の投げた真ん中に入ってくるカーブを、
牛島のバットが一閃。

打球は大歓声をのせ、
ゆっくりゆっくりとレフトスタンドに吸い込まれていきました。
起死回生の同点ホームラン!!

牛島が【スーパースター】になった瞬間でした。

この苦しい試合を通り抜けて、
浪商が優勝への【赤いじゅうたん】を悠々と闊歩する中、
それに待ったをかけるチームがありました。

ベテラン・蔦監督に率いられた山の子軍団、池田高校です。

池田高校は『やまびこ打線』と呼ばれる前、
まだまだ『イレブン池田』の趣を残すチームでした。

舞台は準決勝第2試合。

第1試合では、
選抜で決勝を争った箕島が、
完勝で決勝進出を決めていました。

【史上初の春夏同一カードの決勝か!】

マスコミは色めき立ちました。

浪商のナインはこの時、
決勝進出を信じて疑っていないようでした。

主砲・香川はこの前の試合まで史上初の3試合連続アーチをたたき込み、
牛島は2回戦からの3試合を計1失点。
盤石の好守で、『決勝で箕島をどう倒すか』が浪商に唯一残された大きな命題に見えました。

しかしこの試合も、
初戦の上尾戦同様、
序盤から打線が相手エースにかわされ、
苦しい試合展開が続きます。

終盤に先制され9回表を終わって0-2。
あの上尾戦と同じ試合展開です。
『同じ試合展開ならば』
とファンの期待は高まったのですが、
奇跡は2度は起きず。

相手エース・橋川の硬軟自在のピッチングの前に、
浪商は準決勝で涙を飲み、
牛島-香川の全国制覇の夢は、
あっけなく潰え去りました。

しかしながら、
このチームの”超高校級”の2人は、
高校野球ファンに強烈な印象を残してくれました。

秋のドラフト会議では、
牛島が中日に1位指名されたのとは裏腹に、
1位指名を待っていた香川は南海の2位指名に。

香川はいたくプライドを気付つけられたかのようなたたずまいでしたね。
逆に牛島は喜色満面。
『最後にやっと香川に勝った』
と言わんばかりの、
かつてと変わらぬ強気の表情を崩してい他のが印象的でした。


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