真・日本の国史を求め

我々が教えられた歴史、それは歪曲とねつ造のシロモノだとご存じですか。史実の探求で日本の精神を探究していけたらと願います。

「幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはえたまえ)」〈 第四回〉

2020-04-29 11:25:00 | 日本史
世界にある様々な神話は「口承による有史以前の歴史」と言ってしまうのは相当雑ですが、現代の我々が神話と呼ぶその時代を生きた人々にとっては、神話の世界は彼らと彼らの祖先が経験した事象だったのではないでしょうか。後世にそれら言い伝えが長らく語り継がれるうちに、主となる物語を大きく崩すこと無く、後の諸相をも交えつつ編纂されたと思えます。
前回書いた「先ず神話という真実があってそれに沿った形で事実が起こる」と矛盾して「事実を繰り返すことでその内に真実が生まれた」かのように聞こえますが問題ありません。事実から真実が生まれたのではなく、人間が真実を事実の中に垣間見ているのでしょう。つまり人は事実を見つめることで真実の影を映し見るのでしょう。そうすることでしか真実を求められないからです。

アポロン神 1987年 1000ドラクマ紙幣

ギリシャでは彼らの神話を学校で教わるそうです。当然のことであって、素晴らしい教育だと思います。今はユーロですが以前の貨幣にも肖像が採用されています。しかし日本では改訂された学習指導要領を小学2020年、中学2021年、高校2022年から適用するけれど神話教育が未だに十分と言うにはほど遠く嘆かわしいことです。


アステカ ケツァルコアトル神

エジプト九柱の神々

世界にある神話はその地域に生きた人々の自然観や人生観を映した経験に基づく歴史物語なのでしょう。英語では「myth」、これを『ロングマン英英辞典』で見てみると〈an ancient story that is based on popular beliefs or that explains natural or historical events〉とあります。〈広く親しまれ普及した真理に基づく、又は自然現象及び歴史的事象を説明する古代の物語〉といった感じでしょうか。しかし、そもそも「神話」という語彙は日本の「神語(かむがたり)」と比較差別化するために外国語を訳した語です。我が国の「神代の伝承(神語)」は「神話」というような哲学や歴史的事象の考察に留まらず太古から現代にまで脈々と繋がる精神生命の源泉なのです。その精神生命は宇宙の誕生つまり神々の成りました瞬間と同時に生まれ神々によって「大切に大切にそれはそれは大切に」我が子を愛するように守られ、その瞬間と何ら変わらず今もその精神は守られ生きているのです。我々日本人は神と共に顕現する森羅万象に神を映し大切に大切に愛し接してきました。森羅万象ということは人間も亦神の一部なのです。日本の神話は「神話」と呼ぶにはあまりにも尊厳且つ悠久であり日本の歴史に生命を与えて諸外国の単なる物語に過ぎない「神話」とは明らかに異なっています。


稗田阿礼と太安万侶

日本の神話を見るとなると『古事記』と『日本書紀』でしょうか。両書を「記紀」と呼び、どちらも天武天皇の時代に編纂され始めました。使われている言語や表現方法又は神話の記述割合等いろいろと違いはありますが内容は同じです。ならば何故違う方法で二書にまとめたのでしょうか。よく言われているのは古事記が国内向けで天皇陛下の正当性を示し、一方で日本書紀が国外向けに日本を知らしめる為という分け方です。古事記は漢字の意味を踏まえつつ大和言葉を万葉仮名で表され、これは外国人には全く読めません。これは日本語をアルファベットで表したローマ字みたいなものですね。日本書紀は漢文部分もありながらも倭の要素がかなり入って完全な漢文でなく支那人にも理解困難なのですが漢文体なので国外向けと言われる一因なのでしょう。しかし上記した日本神話の意義を考えると秘伝中の秘伝とも言える国体の極意をわざわざ国外に教えることをするでしょうか。そもそも彼らには理解不可能でしょうから尚更です。そこで下の様に解釈すればどうでしょうか。「記紀」の内容は必ず子々孫々まで伝えなければならないこの上なく大切なものなので違った手段(言語)で残したという考えです。私たちも大切な家族の写真等は色々なメディアに記録保存して消滅しないようにバックアップ等して工夫するでしょう。「神語(かむがたり)」は絶対に失うわけにはいかない日本の魂ですから複数の手段で万全を期したのではないでしょうか。失えばいずれ我々の日本は必ず滅びます。滅びるとは日本の魂が滅びるということです。肉体はコピーされ生き続けられるでしょうがそれではまさに単なる生物でしかありません。人が人である所以はそこに神々に通ずる魂が存在するからでこの魂こそが人間の本体なのでしょう。その魂が日本人にだけ備わっているのです。「大和魂」と呼ばれ、我々を人間足らしめる生命そのものです。戦後、ただの生物と化した見た目だけの日本人がほしいままにのさばる光景を我らの祖先が見たらどう感じるでしょうか。武漢コロナウィルス有事で得手勝手な振る舞いをする不届き者の多いことからも戦後日本の堕落をうかがえます。日本人の魂は祖先と繋がり神々と繋がっています。この魂を放棄し生ける屍となることは自分自身を殺すだけでなく同時に先祖や神々をも殺すということなのです。

くじら座 130億光年かなたの「Himiko」

「天地開闢(てんちかいびゃく)」天地の初めの時。〔【闢】ひらく、押しひらく〕
「記紀」の何れも説いています。先ず天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)次に神産巣日神(かみむすびのかみ)が成りました。神が産まれることを「成る」と言います。この三柱は独り神で成りませると直ぐに身を隠したまひき。神の数えかたは「柱」、独神は性別のない神です。身を隠すという意味が分かりませんね。これは神自らの身を隠したと読んでしまうと意味不明になってしまいます。「身」とは神と共に生まれた森羅万象を指すのかもしれません。【身】は象形文字で「人がみごもった(妊娠した)」形を示して「物のまん中」という意味もあるそうです。【隠】という文字の成り立ちを調べると、【隱】の略式で、こざと偏は「丘」の意、文字右側のつくり部で4画目までは「上から覆った手」、その下の5~7画目が「工具、道具」、その下の8~10画目「∋」みたいな部分は「下から支える手」、最後に「心臓」です。両手で工具を覆いかくすことから「かくされた大切なもの」そしてそれを「心配する」という意味も表すようです。そして「たまひき」とは「給う」のことで「上位から下位へ物や恩恵を与える、授ける」と言う意味があって単に動作主への尊敬の意を表するだけではありません。「を隠す」とは「胎児を優しく包み込み守る」ことではないかと思えます。胎児とは森羅万象のことで宇宙の形而上及び形而下全てのもののことです。これを神々が始まりの時から今日そして永遠に守っていて下さるということです。古事記と日本書紀にそう書いてあります。両書ともに漢字の意味を一文字一文字大切に使われていると思います。時には暗号のような箇所が有ったりしますし現代人にとっては謎の多いもので無限の広がりを感じます。
最初の三柱の神々の後に成った二柱の神々を合わせての五柱を別天神(ことあまつかみ)、そして別天神の後に国常立神(くにのとこたちのかみ)を始めとする十二柱を神世七代(かみよななよ)と呼びます。神世七代の内の国常立神と豊雲野神(とよくもののかみ)そして先に成った別天神は独神ですが神世七代の残りの神々は五組の夫婦の神々です。その内の最後の夫婦神が「伊奘諾尊(伊邪那岐命)いざなきのみこと(いざなぎのみこと)」と「伊弉冉尊(伊邪那美命)いざなみのみこと」です。この二柱の神によって国生み神生みが行われるのです。


馭慮島(おのころじま)地球



悠遠にして壮大なる宇宙〈 第三回〉

2020-04-15 18:30:00 | 日本史
日本の国旗は「日章旗」、国歌は「君が代」ですね。「日の丸」は今回はさておき、矛盾だらけの世の中で「君が代」が国歌であることはせめてもの救いです。しかし「君が代」を問題視する勢力があります。その主張は天皇陛下を崇拝し忠誠を誓う内容だということでしょう。そう、いや違う。一文字違います。「崇拝」ではなく「崇敬」にすれば、その解釈の通りです。「君が代」がその内容で何ら問題ないと思いますが何がいけないと言うのでしょうか。
次回以降書き続けていく中で、「君が代」の真意が見えてくるかもしれません。そうなれば大変幸せなことです。



日本の将来を見据えるには正確な歴史を知ることが肝心です。歴史はケーススタディーの宝庫です。現在起こっていることは全て過去に経験しています。形は違えど人間の仕業ですから似たり寄ったり同じ様に繰り返します。
そのように繰り返してきた日本の歴史上の事実には真実が貫かれています。真実はそのずっと前に何者の手にもよらず「独りでに」そこにあった。みたいな。どう言い表せば上手いのか良く分からないのですが、蛍の光の様なイメージでしょうか。


ふと光ったかに見えたが辺りは暗闇で、彼方で光ったかと思えば消え、そうしているうちに弱々しい灯りがしだいに力強く辺り一面に広がっている。どこか宇宙の始まりにも似た幻想的なイメージ。下記の引用は宇宙の始まりについてです。

物理学で扱う「真空」とは、粒子が反粒子とのペアで生まれては瞬時に消滅しており、平均すると何もないという状態のことで、宇宙が誕生するときも同じような状態にあったと考えられています。そして、ものが生まれては消える状態を「真空がゆらいでいる」といい、あるときそのバランスが大きく崩れて宇宙が生まれたと考えられているのです。
 誕生したあと、一瞬にして無限の大きさになった宇宙は、その後、物質のもととなる素粒子や光を生み出し、超高温になってさらに膨張します。それが、ビッグバンなのです。1)

〈参考文献〉
1)吉田 直紀・小学館『地球一やさしい宇宙の話』(https://www.bookbang.jp/review/article/563845 2020年4月13日閲覧)

上の引用文の内容を暫し記憶に留めたまま次は古事記です。

天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神。次高御産巣日神、次神産巣日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。

天地(あめつち)のはじめの時、高天原(たかまのはら)に成りませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日神(かみむすひのかみ)。此の三柱の神は、並びに独神と成り坐して、身を隠したまひき。

古事記の日本神話の冒頭と宇宙の創生はよく対比されますが、古事記には世界の創生について一切記述がありません。ただ、天地があって高天原がある。そして神々が次々と現れては消える。そう書いているだけです。天地の成り立ちやそれらのできる以前はどんなだったのかなどは書かれていない。ただし、古代日本人の自然観や宇宙観をみてとれると思います。宇宙世界は何者かによって創造されたりするものではなく、ひとりでに成るものと捉えられています。解釈はどうあれ、日本神話と最新の宇宙誕生の科学が並べて話されることは興味深いことです。

宇宙の始まりはどのように成ったのかは分かりません。でも始まりがあったから此の世界が現実に存在しているのです。理屈では真実を説明できません。宇宙の始まりは真実であり、神話もまた真実なのです。真実は事実とは違う、だから真実を事実としては説明できないがそれがないと現実を否定することになる。故に聖母マリアの処女懐胎も真実ということになります。

日本の未来のためには日本の真実が必要です。その真実を感じるためには日本神話に触れる必要があるのです。しかし現在の歴史教育では一切触れない、「触れてはならない」と、されているからです。なぜなら都合が悪いからです、侵略者にとって。修身教育もそうです。日本の道徳の教育でした。とても優れたものですので日本人から奪い取ったのです。
日本の歴史は神話抜きでは理解できないはずです。現行の歴史教育では断片的な情報をインプットしているに過ぎません。それでは「時の流れ」、「人の心の動き」が掴めず腑に落ちないことだらけです。ですから先ずは、神話をみていきたいと思います。


真実と事実〈 第二回〉

2020-04-13 17:50:00 | 日本史
前回の拙文で「日本の真実」と申しましたが、真実とはどういうものなのでしょうか。おそらくは数多の積み重ねられた事実を見つめることによって気付くもの、そしてそれはそれら事実を貫いて不変に継続するものではないでしょうか。それが真実であり、言い換えれば、真実が在ればこそ一筋通ったブレない事実が起こるのではないでしょうか。

さて、現在の日本はブレていない事実を後世に残していけるのでしょうか。私たちは戦前の先人の愛を受けて暮らしています。我々も同じように後人に愛を感じてもらえるでしょうか。感謝してもらえるでしょうか。甚だ疑問でなりません。


そもそも戦後日本人は先人に感謝できているでしょうか。何も難しいことではありません。なのに何故、「有り難うございます」の一言が言えないのか。それは日本の真実を奪われたままになっているからではありませんか。それを奪ったのは先の戦勝国(植民地支配者)です。日本はかつての本来の姿を敗戦後いまだに取り戻せていないのです。取り戻せない理由は、取り戻させまいとする力が働いているからです。その力の大きなひとつが教育です。史実をねじ曲げてあるいは全く捏造して、戦勝国に都合の悪い日本の且つ人類の真実を抹殺しようとする力。日本人は自虐的歴史感を植え付けられているのです。日本の真実は宇宙の真実です。森羅万象の共存共栄なのです。既得権者が最も恐れるものがこの真実なのです。



皆さんは現代を過ごしていて原因の分からない矛盾や疑問を直感的に感じることはありませんか。それは数千年という長きに渡って貫かれた日本の記憶を我々日本人は受け継いでいるにも関わらず、戦後数十年の間に忘れさせられてきたからなのです。政治家も国民もです。決してその記憶は排他的でなく侵略的でもなく新しきと古きことを上手く融合させ、共に発展してきた記憶です。しかし世界の常は他者を自文化で支配することで、日本のそれとは全く異なります。つまり既得権者にとって日本の存在は脅威であり邪魔であるから、嘘によって敗戦国日本人を陥れ、尚且つそれまでの日本を貶めようとするのです。我々の大部分はその事に気付いていない。どうすれば私たちの記憶を取り戻せるのかは、本当の歴史を知ることが出来るか否かによるでしょう。知らないことは罪なことです。傷つけなくてよいものを傷つけてしまう。

今まで信じてきたものを考え直すことは勇気のいることでしょうが、日本の未来のため、今、その勇気が必要なのではないでしょうか。


感染拡大と現代日本人〈 第一回〉

2020-04-11 22:46:27 | 日本史
全世界を殺戮し続ける武漢ウィルス(近平ウィルスと呼ぶのが正確な気がしますが…)を封じ込めるために各国のさまざまな工夫が見られますね。都市のロックダウン、緊急時の医療体制、経済的支給などその国・地域の状況と特性にかなう対応をとっているように思います。

民主主義では、民の生命を守るためになら権力者は民の権利を侵害できます。行動制限や罰則などをもうける国もあるようです。しかし日本はどうでしょうか。日本政府は緊急事態宣言を出しましたが、罰則等もなく国民の良心を(良く言えば)信じて、(悪く言えば)アテにして諸外国のそれらとは異なっています。これは日本人の民度の高さ故それで適切と思いますが、あまりにも国民に甘えていると感じます。様々な自粛要請をするにも関わらず、それらに対する保証が偏って著しく不足しています。東京都は独自の支援を設けるようですがその程は分かりません。また、大阪府では民間の休業などを求めるけれども府の財政難で救済はできないといった信じ難い知事の言葉に至っては、日頃何をしていたのかと呆れてしまう。我々は平時の生活の為尚且つ有事をしのぐ為に税を納めているというのに、滅私奉公の欠片も無く税金の運用を誤ってきた愚政を棚にあげて救済は無いと言ってのける厚顔さです。しかし愚民の目には正直で誠実な知事であると映る。かつて日本は「賢民善政」、しかし「賢民愚政」になり、そして今「愚民愚政」に堕落している。そういった堕落は人間の良心に反した行動を報道や身の回りで目にすることが非常に多いことで感じている方もいらっしゃることでしょう。その傾向は先の敗戦に起因していることは明らかで疑わない。



歴史をはじめ、侵略者による戦後教育は歪曲とねつ造をもって日本の真実を日本人から奪ってきた。しかし神国たる日本を未来に繋げるには、史実を探求することで神話の時代からの一貫した日本の精神を探究できるのではないだろうか。