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日々の徒然、映画や音楽、そして気になる諸々の事。

2021/04/30

2021-04-30 10:32:00 | 日記

2004年1月14日だいありーのーとに書いた日記を再録。

当時の自分の気持ちを思い出して、今の自分を見詰める。



縁があるという事は・・・

2004年1月14日
よく「縁がある」とかいうが、これは一体何に対しての事柄なんだろか。


もう14・5年も前の話になるが、なおちんが面白い方法で自分と縁の有る人を見つける方法があると教えてくれた事があった。


生まれ日の計算方法でそれを割り出すのだが、思わず「へぇ〜っ」と関心してしまったほどだ。

四柱推命をやっていても、星の組み合わせを見ると、この親子や夫婦は会うべくして会っているなぁと痛感する事が多い。というか、人間として生きているうちにしなければならない宿題の為に、私達は会って別れていると思うのだ。

ぼんぼん先生とも、「会うべくして会いましたなぁ」と笑いあったが、なんの意味も無く会ったりする人は、多分居ないんじゃなかろうか。

今の自分と関係している人達の生まれた場所や、縁のある地域、意外な所で別の人がつながっている糸の不思議。



数字に置き直しても、その関係ははっきりと表れる。


まるでコンピューターでプログラムされた様に。



この道を曲がればこの人に会うから、このアイテムを貰える。

この人とは、かならず喧嘩してから理解しあう。



この人とは深くなる。

そんな感じだ。

人として生きて、人としての宿題を遂行する上では、知らなくてもいいのかも知れない事柄かも知れないが。

まるで宇宙のどこかの星から来て、自分と同じ場所から来ている人を探しているようだと、ぼんぼん先生と話た事がある。

魂を磨き会う為に。

あまりおおっぴらに話すと、単なる「イカレポンチ」と言われかねない内容だか、私は自分の「身内」と、昔からそんな話ばかりしている。


救いなのは、その中の誰も、いわゆる宗派に属していない事。


この魂は、一体どこから来て、何処に行くのか。


答えは、生きている間には探せない。

そういう約束。


今日は、先生の「ふた七日」。


何故7という数字が使われるのか。



それも、そんな約束事の一つ。