不思議なモラの国のアリス

迷い込んだ結婚生活はモラハラワールドだった。目覚めて今思うこと。そして これから・・

おおみそか

2008-12-31 19:58:34 | つぶやき
ずいぶんとご無沙汰していました。
毎日覗いてくださっている皆さん 私は元気にやっていますよ。
ずっと 更新もしていないのに 欠かさずチェックしてくださる人に
なんだか申し訳なく いつも思っております。ありがとうございます。

モラといた頃 12月になるとなんだか心が重く 憂鬱になったものでした。
年末の大掃除 正月の帰省 それらを思うと またどこで地雷を踏んでしまうか
モラの機嫌が急に悪くなるのか 予測不能の爆弾を抱えていました。
お盆やお正月なんて なければよいのに・・・そう毎年思っていたものです。

今年は 娘と一緒におせちを作りました。
楽しい 嬉しい お正月準備ができました。

「しあわせ」  ってこんな感じだよね
そう感じました。


皆さんはお元気ですか?
今 昔の私のように お正月を迎えようといている方も
あるでしょう。でもあきらめないで。
幸せをさがしていきましょう。


皆様 良いお年を・・・






ご無沙汰しました

2008-01-04 21:35:05 | つぶやき
あけまして おめでとうございます。

といっても もう4日ですが・・・
今日から本業のほうが仕事始めでした。

随分と更新も滞っておりました。
いつもいつも 覗いて下さっているみなさん
申し訳ありません。そしてありがとうございます。

私は相変わらず忙しく 仕事とバイトの掛け持ちで
ただ 「今日一日を生きる」ような生活です。

バイトのほうは経営者が代わりましたが また同じように
働けることになりました。

新たに仕事を探したりもしてみましたが
なかなか この年でよい条件のところもなく 足踏みしています。

まあ 何とかお正月を向かえ 元気にしていることは
ありがたいことですね。


お正月といえば モラ夫と暮らしていた頃は
本当に恐怖の日々でした。朝から晩までモラの機嫌がいつ爆発するか
ハラハラしなければなりませんでしたから。

今まさに そんな心境で共存していらっしゃる方も多いことでしょう。
大丈夫ですか?
今年はカレンダーの並びで 長い休みになりましたよね。
日曜日までお休みのところもあるでしょう。

どうぞ 心を潰されませんように。

夢をみた

2007-09-15 21:59:38 | つぶやき
夢を見た。

私は病気が発覚し(おそらく癌) あと数ヶ月の命という。
あ~~ やっぱり。もう少しだったのになぁ・・・
あと3年半で 息子も社会人になるのに。
その姿をみられないんだなぁ・・・

という夢。


母を早く亡くした事は以前の記事に書いた。
母は享年49歳。
乳がんというかリンパ癌だった。
発見から一年ほどで逝った。

当時私は21歳。
医者が言うには 
「遺伝性が大きく 次の世代では10年早くなります」と。

その時から 私の命は40歳までなんだと 脳に刻まれた。

それが 私が早く離婚を選ばず20年もモラと過ごした
理由のひとつでもある。

40までの人生ならば 子供たちを育てることだけを考えよう
そう思った。

ずっと その40歳死亡説を信じ込んで 生きた。
だから私の中に「離婚」という選択肢がなかった。
自分自身の人生を考えてなかった。

今も半分はもうそろそろか?と思う。
とりあえず 子供が自律するまで 死ぬわけにはいかないんだけれど。

その後の人生を想像することができないのだ。
親を亡くしている人は みんなそうだろうか?
親の年齢を超えた自分というものは頭の中に存在しない。


モラとの生活に疲れきって ふっと
「そうだ 別れたらいいんだ。もしかして私は40では死なないかもしれない。
もっと長く生きられるかもしれない。このまま死んでたまるか。」
苦しさの中で そんな思いがふっと湧き上がった。

「別れる」そんな単純な答えをなぜ今まで考えようともせずにいたのか
自分でも不思議だった。
その理由のひとつは この40歳死亡説が 私の中に染み付いていたからである。

スーパーなんかで買い物していて 70代80代のおばあちゃんを見ていつも思う。
もしかしたら あのおばあちゃんのように 生きられるかもしれない。
その時 私は自分の人生をどう思うのだろうか?
モラとの生活や離婚のこと。その後の人生。

やっぱり いい人生だったと 言えるよう生きていきたい。
この先の人生は 自分を裏切らず 後悔しないよう生きよう。
人を憎んで生きるより やっぱり人を信じて生きていきたい。
自分らしくって どういうのか良く分からないけれど
自分を大切にしていこう。


そんなことを つらつらと思う この頃である。


お墓参り

2007-08-17 23:59:29 | つぶやき
お盆休みも終わり。
今年はバイトがお休みなので ゆっくりと連休を過ごした。
結婚生活では 主婦って普段より忙しいし
夫の実家へ行くと「嫁」をやんなきゃなんないし
なんたって モラ夫が毎日家にいる お盆休みなんて
息が詰まるほど 窮屈だったもんねぇ。

こんな お休みは初めてじゃないか とふと思う。
去年とおととしは バイトに行ってたから 休みは一日だったなぁ。
あと一日は 恒例行事の実家のお墓参り。

今年もお墓参りには 子供たちといってきた。
いつもより すごい猛暑じゃないか?
うだるような暑さでした。

思えばこうして 誰に気兼ねなくお墓参りにいけるのも
モラ夫がいないから。
いつもは まず夫の実家に行き 滞在中の2~3時間抜けて
実家の墓参りに行くというパターンで
ゆっくり実家にいたことは少ない。

一度は帰省の途中のお店で お墓用の菊の花を買おうと思い
「あっ あそこの店で花買いたいから 止まって」と言うと
「そんなもん 買わんでいい!!」と素通りされたことがあり

お花もお供えも持たず 行くことになった。
手土産も持っていかない。そんなお墓参りが恒例となった。
私は心苦しかったけど モラのご機嫌が最優先の生活だったから。
いつも 心の中で手を合わせて謝っていた。
余計なことして 嫌味を言われるのはいやだった。

今思えば そんな事堂々と買っちゃえばよかったなぁ。
なんかもう すべて攻撃材料にされることは 避けていた。

不思議なことに 元夫の父や母も 嫁が実家の墓参りに行くのに
線香のひとつも持たせてくれなかったなぁ。
もちろん夫は墓参りには着いて来ない。
と言うか 着いて来ないほうがいいんだけどね。

離婚してから 誰にも遠慮しないで お花を買って行ける。
経済的に苦しい私にとっては 痛い出費だけど。
何に使おうと 文句言う人はいないから。

今年も無事 お墓参りで・き・た!。 








解雇通告

2007-07-22 18:17:01 | つぶやき
ご無沙汰しました。

離婚してから 元夫からの養育費もなく
分与するほどの預金もなく ぎりぎりの生活状態で
何とかここまでやってきました。

事務の仕事と アルバイトの掛け持ちです。
どちらも 低賃金。
本業の事務仕事は 正社員とは名ばかりで
時給750円のパートさんとたいして変わりないお給料。
先日のボーナスは すずめの涙でした。

仕事自体 暇なので 「こんなもんかな」とも思うのですが
一気にやる気が失せてしまいますね。
「生活できる給料をくれ~~」と叫びたい。

で、突然 アルバイトのほうが 7月末までで終わりとなりました。
アルバイトのほうは レストランなのですが、
経営不振のためか 7月末で閉店することとなり
従業員は解雇となりました。

はぁ~~~
どうしようか。。。。この先。。。。

また バイト先を探さなくては・・・

それとも 両方やめて もっと良い就職先を探すべきか?

43歳のおばさんに そんな職があるのか?

誰か教えて~~!!


とりあえず 7月末までびっちり働きます。
後はそれから考えよう。。。

少し休もうか。。。

母の日に

2007-05-14 21:27:29 | つぶやき
昨日は母の日だった。
ショッピングセンターに行くと 母の日のプレゼントが並んでいる。
カーネーションやらバッグにブラウス あらゆるものが特設会場を埋め尽くす。
年々 派手になっているような気もするな。
もう 母の日に贈り物をしないなんて どういうこと?ってくらいの勢いで。

年に一度母に感謝の気持ちを伝える そんなきっかけにはいい事だと思う。
今 もし私の母が生きていたら 私も何か贈っていただろう。

今年母の23回忌を迎えた。

私にとって母は 遠い存在だった。
小さい頃から母は兄ばかりかわいがっていたように感じていた。
子供の頃からずっと 暖かなもの 甘えや承認を求めていたと思う。
でもそれが叶わず 思春期の頃には自分から切り離していた。
母は田舎の 長男の嫁として 朝から晩まで忙しく働いていた。

そんな母を 恨み 憎み
そのまま私は結婚をし 子供を生んだ。
そのすぐ後に 癌とわかり 一年ほど入退院を繰り返し逝ってしまった。

私は悲しくはなかった。
他人事のようだった。

もう 家庭を持ち子供をもっていたからか?
私が冷たい人間だったのか?

私も娘を育ててきた。
その日々の中でふと思う。
「どうして私をもっと愛してくれなかったの?」と。

母へ思いをぶつけることも叶わず 心の隅でくすぶり続けてきた思いも
近年だんだん小さくなった。
もう私の娘は 私が母を亡くした年を超えてしまっている。
私は自分が貰えなかったものを 娘に与えることで自分を癒してきた部分がある。
でも それは子供にとってはまた 間違っていたとも気づいた。

私自身が 本当の深い母の愛 というものを知らずに育ってきていて
それを子供に与えられるはずもない。
それがもどかしい。

こんな未熟な母だったのに 娘よ 母の日の贈り物をありがとう。

そして母へ 今まで言えなかったけど 「ありがとう」




懲りてない?

2007-05-04 02:19:58 | つぶやき
今日 県外にいる大学生の息子に電話した。
このゴールデンウィークは帰省せず バイトやサークルに忙しい。
近況をお互いにしゃべり つい聞いてしまった。

「お父さんから何か言って来た?」

元夫とはこの息子の携帯だけが繋がっている。
年に何回か電話があるらしい。
年に一度少しばかりお金を振り込んでくるようだ。

どうぞご自由に。
私には関係ないわ。
本当ならそっくりそのまま返してやりたいが
そんなことをしたら 逆上するかも。
だから 知らん顔してる。


そして 聞いてしまった。
あの男が言ったことを。

「たまに車ですれ違うけど まだ懲りていない顔をしとる」

私のことをだ。
はぁ~~????????

モラって本当に救いようがない。
大笑いしたあと 言いようもない怒りと 絶望が襲う。

この男の脳のなかのストーリーは
私がもう経済的にどうにもならなくて この男の前に膝まづいて
「お願いですから お金をください」と言い
男が
「ほら見ろ 俺様がいなければどうにもならんだろう イヒヒ」
ということになっているのだ。

きっと 離婚の時点から男の時間は止まったままだ。
裏切り者の元妻への憎しみを募らせながら生きている。
自分を見つめることもせず 全てを人のせいにして
こんな人生にされた被害者となっていることだろう。

またしても見えない恐怖が私の体にねっとりと張り付いた。
もう ここに住んでいることを知っているだろう。

幸せになりたくて 前を見て生きようとしてきたが
もうこれ以上 私には無理かもしれない。
これ以上の幸せを求めてはいけないのかもしれない。

逃げても どこまでも どこまでも 追ってくるような気がする。
別れても 私を他人として認識してくれない。
執着の対象として いつまでも男から消えることがない。

こんな男と関わったばかりに・・・

週刊ポストにモラハラ記事

2007-04-17 23:48:53 | つぶやき
久しぶりの更新です。
ネットへの繋がりが悪く ご無沙汰していました。

4/16発売の週刊ポストで モラハラ特集ということで
今日やっと手に入れました。(わが地方は一日遅れで店頭に並ぶようです)

リンクさせていただいている「決断への階段」のsimuraさんの
エピソードが掲載されています。
お引越しやらでお忙しいなか 取材を受けられたのですね。


皆さんのエピソード。どれも「うちにもあった」「同じ台詞だ」
と思うものばかりで ほんとにびっくりです。
どうしてこうも モラは同じ思考なんでしょう。
もうびっくりを通り越して感心してしまいます。


石坂さんが書いておられる言葉。
妻たちが離婚を選ぶ理由は
「ひとりの人間としてのごくあたりまえの敬意を払われないこと」

本当にそうですね。

モラ夫は妻を支配下に置き 自分の優位性を示したがる。
暴言 無視 冷たい視線 ため息 けなし
さまざまな方法で 恐怖と威圧でコントロールし妻を追い詰めていく。

「モラルハラスメント」という言葉によって
なんだか苦しい 何かがおかしいと思っている人々が
ひとりでも多く 気づきを得て 救われてほしいと願っています。


それから 同じく週刊ポストの以前の記事を元に
「男と女の離婚格差」も出版されました。

私も取材に協力されていただきました。
あれは去年の10月だったかな?
ちょっとモラハラからは話がはずれるんだけどね。

もし 読まれた方がいらっしゃいましたら
感想などお聞かせください。
 







4年たちました

2007-03-22 00:05:37 | つぶやき
ちょうどこの季節。
今年で離婚をしてまる4年になりました。

かすかな春の匂いと共に 苦悩した離婚の騒動の記憶が蘇ってきます。

今から思えば よく脱出できたもんだと思います。

「何もかもを捨ててもいい。 だた一番大切なものだけを守ろう」

確か そう思っていたと思います。

捨てたものはかなり大きかったです。
20年私なりに積み重ねてきた 明日を信じて
生きてきた道のりを ゼロにしなければいけないのですから。


でも これで良かった。
こうしか道はなかった と思います。

離婚してからは加速度的に過去のことになりました。
もうずっと前から今のような暮らしをしてきたような錯覚もします。

今 私は私のままで 誰に責められることもなく
平和に生きています。

家の中に不機嫌な空気はありません。
もう屈辱に耐えることもありません。


家庭を壊すことに 罪悪感を感じていたけれど
それを守ることに努力したけれど
その努力は方向が違っていたということでしょう。

今言えるのは

どんなに頑張っても どんなに耐えても
その辛抱は誰も幸せにできなかったということ。

夫さえも。









蘇る恐怖

2007-02-07 01:23:15 | つぶやき
ニュースをたまたま見ていた。

大阪で38歳の女性が殺されたという。
犯人は元夫だった。
理由は「復縁を頼みに行ったが 断られたので カッとなった」

こんな事件が後をたたない。
こんな人間が 世の中にはたくさんいる。
犯人の外の顔は「おとなしそうな人」だ。

人にはわからない。
誰にも理解してもらえない。
こんな人と別れることの難しさ。

どんなに辛かっただろう。悔しかっただろう。
やっと別れたのに。
こんなことになるなんて。

悔しい。

悲しい。






もうひとつ 職場での出来事。

その日 体調が悪いからと休んでいた彼が 事務所にやってきた。
奥の部屋で上司と話していた。
突然 隠し持ってきた包丁を 自分の首にあて
「死んで 潔白を証明する」とわめきだした。

数人の男たちで何とか 押さえつけて包丁は取り上げた。
緊張の走る 大騒動。

彼は 常軌を逸している。
言動が病的に見えた。

そのときは そうでもなかったが 家に帰って
一人でいると なんとも言えない 重苦しさでいっぱいになった。

私はその彼のことは 怖くない。
私が怖いのは 離婚直後の元夫のこと。
あのときの恐怖が まざまざと蘇ったのだ。

悪い想像が 頭をよぎる。
もしかしたら 元夫は 私の居場所を突き止めていて
どこからか 監視しているのではないか?
突然 ガラスを破って 襲ってくるのではないか?


ここ数日 心がずっしりと重い。

私はまだ 解放されていないのか?

どこまで逃げれば 平穏にたどり着けるのだろう?